山岡鉄舟 (三) (南條範夫著 文春ウェブ文庫)
幕末から明治にかけて生きていた、偉大な人物の生涯について、よく知ることができました。
『「いや、山岡さん」 鉄太郎は昔の弟子だが、今は藩の権大参事である。井上は、さん付けで呼んでいた。
・・各藩がこの改革に反対しなかった最大の理由は、これによって各藩の藩主も藩士も、どうにもならぬ窮地から救われる結果になったからである。各藩が負っていた内外債務及び、藩内限り通用の藩札はすべて政府が継承した。・・藩主は一切の債務を免れ、しかも従来通りの家禄を与えられたのだから、実質的に失うものは何もなかった訳である。
・・対馬は旧藩以来貿易の関係で長崎と関係が深かったのが、急に伊万里県の一部にされてしまった為、色々な不便が生じて・・・
・・つまらぬ縄張り争いや、個人的な感情の衝突のため、簡単な事がうまく動いていない。鉄太郎は、呆れ且つうんざりした。・・鉄太郎のような性格の人間から見ると、全く以て莫迦げたこととしか思われないのだが、世の中はそうして曲りくねって動いているものらしい。
「・・おれはお上の御訓育掛として宮内省に勤仕しているのだ。政治に関して、お上に御意見申し上げる立場ではない。宮内省の者が政治に嘴を容れるのは、宮中府中を混同するもの、断じてなすべきことではないのだ。よく覚えておけッ」
「芸人が世間の喝采に自惚れてしまってはだめだ。一応の喝采なら舌の先の小器用さでいつでも満喫できる。真の芸人は自分の芸を自分の舌にではなく、自分の心に問うて修業すべきだろう。役者が身を無くし、剣術使いが剣を無くし、噺家が舌を無くした時に、本当の名人になれるのだ。剣を使うものが、どんなに剣を使いこなしても、剣道の妙域に達することはできない。剣を忘れた時の初めて、真の剣が生きる」
「大きな商売をしようと思うなら、勝敗損得にびくびくしていちゃだめだと言う事です。必ず勝とうと思うと、胸がどきつくし、又、損をするんだないかと思うと、身が縮むように思われます。そこでこんな事を心配するようじゃ、とても大事業は出来ぬと悟り、それから後は何事を企てるにも、自分の心が落ち着いてはっきりしている時、こうするのだが確かりと極めておき、仕事を始めたら、損得に執着せず、ぐんぐんやっていくことにしました。それから後は損得に拘らず大きな商売ができ、本当の一人前の商人になれたように思います」
無刀流の真髄について、鉄太郎自ら「無刀流剣術大意」に次の如く記した。 一、無刀流の剣術は、勝負は争わず、心を澄まし、胆を練り、自然の勝を得るを要す。 一、事理の二つを修業するにあり、事は技なり、理は心なり、事理一致の場に至る、これを妙処となす。 一、無刀とは何ぞや、心の外に刀なきなり、敵と相対する時、刀に依らずして、心を以て心を打つ、これを無刀と言う、その修業は、刻苦工夫すれば、譬えば水を飲んで冷暖自知するがごとく、他の手を借らずして自ら発明すべし。
「・・論功行賞の如きは万人を納得させるように公明正大、不偏不党でなければならぬと言うことだ。現政府に由縁のある者のみを、お手盛りで優遇するようなことは公権の濫用になる。私などには勲章を下さる必要はない。功績がありながら埋もれている人、不当に低く評価されている人が無数にいる筈、そう言う人たちに与えて頂きたい。・・」
・・京都府知事をしていた北垣筆次に会った時、その次第を話すと、北垣にひどく叱責された。 --勉学とは書物を読むばかりではない。人間修業をすることだ。お前が会った多くの学者先生に少しも感心しなかったのは、彼らが書物は多く読んでいても、人間的には下らぬ男だからだ。山岡先生とは人間の出来が違う。 そう言われてみると、成程、鉄舟の風貌、言動、その漂わしている雰囲気、どれを思い出しても、得も言われぬ魅力があった。
ある坊主は、お世辞のつもりか、「先生のお蔭で禅も段々盛大になります」 と、言った時、鉄舟は叱りつけた。 「それはどう言う事ですか。提唱や参禅が盛んに行われていることは事実だが、どれも内容のない空疎な禅ばかりでしょう。そんなものがいくら殖えても禅の発展にはなりません。そんなものより真個禅の根源に立入って、正法の維持を図る者が一人でも出てくれた方がよいでしょう。禅寺の門前を張ることなど問題ではありません」
「考えてみると、山岡さん、宮仕えなんてものは、すべきものじゃないかもしれませんね」 関口は政府内部の醜い権力争いの実態について話し出した。 「みんな口じゃ綺麗事を言っても、結局、自分たちの権力維持のことしか考えていませんよ。こんなことでどうなっていくんでしょうかなあ」
明治二十一年七月十九日午前九時十五分、厳かな厳しい緊張の漲る中に、静かに瞑目したまま息をひきとった。享年五十三歳である。』
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