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2014年3月

2014年3月22日 (土)

卜伝最後の旅 (池波正太郎著 角川-e文庫)

標題のものを含めた短編集でした。

『当時の剣法というものは、まだ原始的なもので、戦場での活用を主眼としているから後年のような複雑な太刀筋がまだ生まれてはいない。卜伝は、ただ一撃の打ち込みにこもる気力と、この気力に伴う肉体の自由自在な活動が、いざというとき充分に発揮されるべく鍛錬を重ねてきた。これを義輝に伝えるのである。それともう一つは---いかな場合にあっても、燃え上がる闘志を押さえる冷静な心と、立合いの駆け引きである。 「勝負というものは負くるものではございません。必ず勝つという見込みがない勝負は、するものではございません」と、卜伝は義輝に言った。 「勝てぬと思う時は逃げるのです。恥ではありません。よろしゅうございますか、私は、あなたさまが自らをお守りになる為に剣をお教えしたのでございますぞ」

慢心の芽吹きは、五十男の分別をも狂わせるものだ。そして少年のころから周囲に甘やかされては、たまったものではない。

「人というものはな、男女の区別なく、大切に扱えば、大切なるものとなる。わかるか?」

「泣くな」 八右衛門の微笑は絶えない。 「人の一生は、何をしたかにある。長い短いではないということが、わしの死んだ後に、多津にも権蔵にも、きっとわかると思う」 翌日の朝となった。るりしきる雪の、ふりつもる気配の中に、塩川八右衛門は、多津と権蔵の見守る仏間で、切腹をした。八右衛門ときに、39歳であった。

「おはる。よくおぼえておけ。人間、いざ死ぬ時が近づいてくると、あんまり苦しくないもンだよ。30年生きても、百年いきても、同じことなんだなあ」・・「・・強いものは、弱いものを馬鹿にしちゃアいけないのだ。偉そうな奴は、弱そうな奴をみくびっちゃアいけないのだよなあ。とても手が届かないと思った侍の腹を、おれは・・・・刀をにぎったこともないこのおれが、見事に突き刺したンだものねえ。・・」』

2014年3月21日 (金)

日本経済は、中国がなくてもまったく心配ない (三橋貴明著 WACBOOK)

多くの人が懸念している事項について、明快に書いてありました。

『日本の輸出総額はGDPの14%強でしかなく、OECD諸国の中でも下から数えたほうが早いレベルです。

日本の高度成長は主に、旺盛な個人消費と公共投資、それに伴って拡大を続けた企業の設備投資によるものです。日本は、健全な内需の拡大によって着実に成長してきたのです。

日本から資本財を輸入し、中国で製造した製品を中国が他国に輸出する、というわけで、最終的な消費者すなわち「エンド・ユーザー」は中国人ではありません。そのように考えると、日本の「中国への依存度」はさらに低い、ということになります。

そもそも経済とは何のためにあるのでしょうか。それはもちろん、国民の豊かで幸福な暮らしを実現するためです。GDPの額だけを見て「経済成長した」などと言っても、国民が豊かにならなければ意味がありません。そして国民の豊かさを測る物差しは「いくら消費できたか」、もっとストレートに表現すれば「どれだけの消費を楽しめたか」の一点に尽きます。

日本の国民一人当たりのGDPは約390万円、国民一人当たりの個人消費224万8000円に対し、中国はそれぞれ約46万円、18万1619円になっています。一人当たりのGDPでは日中の開きが約8倍しかないのに対し、一人当たりの個人消費は12倍の開きがあります。一人当たりのGDPが少ない上に、経済規模に見合った消費が行われていないわけです。

マスコミはなぜ、そこまでして「中国依存」を主張したがるのでしょうか。これは、はっきり言えば中国共産党の印象操作です。中国に依存していると日本国民に信じさせ、「日中友好は欠かせない」という空気を蔓延させることで、自国に有利な外交を進めようという戦略です。

あまり知られていないことですが、1964年に「日中記者交換協定」というものが両国の間で交わされています。協定によって日本側は、以下の三つの厳守を約束させられました。一、日本政府は中国を敵視してはならない。 二、米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない。 三、中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない。 要するに「中国の悪口を書いてはいけない」という取り決めであり、記者を交換することによってチェックし、「親中国的」な記事づくりを意図的に行ってきたわけです。

・・そうした企業をさらなるチャイナリスクが襲います。それが「中国民事訴訟法231条」です。まだ日本ではほとんど知られていませんが、これが、まさに中国でしかあり得ない「最悪のチャイナリスク」なのです。内容を簡単に説明すれば、外国人であっても「法律文書に定めた義務を履行しない」ことを理由に、中国政府が出国制限することができる、というものです。

先進国の多くは、日本とほぼ同じ60%が個人消費で占められており、アメリカは70%に達しています。つまり日本は、高度成長が始まる時点で、すでに「先進国型消費中心」の経済構造になっていたわけです。

中国の場合、グラフを見れば明らかなように「総固定資本形成」の拡大が非常に目立っており、しかも年々、GDPに占める割合も増え続けています。「総固定資本形成」とは「民間住宅」「民間企業設備」「公的資本形成」の三項目をひとまとめにしたものです。要するに「投資」です。中国の投資はこの10年間で4倍以上に増えています。2009年の投資の増大は特に凄まじく、GDP比で5%近く一気に増えました。中国の経済成長は「投資」によって牽引されてきたと言えます。

中国の輸出が「驚異的に増加」できたのは、アメリカの経常収支赤字の「驚異的な増加」があったからに他なりません。中国経済は、途轍もないアメリカ依存だったのです。

・・中国の企業からすれば、いくら銀行からお金を借りても、実需が伸びないのであれば、積極的に設備投資をするわけにはいきません。必然的に、株式や不動産にお金が流れていくことになります。投資と言うより「投機」です。2009年、銀行から企業に貸し出された新規融資130兆円のうち、約半分が投機に流れ込みました。その末に発生したのが、前代未聞の不動産バブルです。

外貨準備高とは「自国通貨の為替レートの急変動を防ぎ、貿易などの国際取引を円滑にする」ために当局が保有するものです。

国の「金持ち度」を計るなら、海外に対して持っている資産の「対外純資産」を見なければならないはずです。グラフで日本と比較してみれば、どちらが本当の「金持ち」なのかは言わずもがなです。対外資産の一部に過ぎない政府保有の外貨準備が世界一になったところで、まったく意味はありません。

中国も輸出を増やし続けて他国の雇用を奪っているわけですから、摩擦を回避するには、生産拠点を海外に移し、直接投資すればよいはずです。ところが中国は、日本と同じ対応策を取ることができません。なぜならば、世界に売りさばいている中国製品の大半は自分たちの力で作り出しているものではないからです。信じがたいことに、中国の輸出額に占める外資系の割合は2001年以降、50%を超えています。中国の輸出を担っているのは、半分以上が外資系企業なのです。

民間の場合、銀行がお金を貸し出しただけでは、単なるお金の移動に過ぎず、GDPは増えません。企業が設備投資に回すなどして借りたお金を使うことで、初めてGDPが増えることになります。

たとえばスーダンでは、中国国営石油公司が現地拠点を設立して石油を輸入し、スーダン政府は中国から得た代金で武器を購入しています。死者20万人とも40万人とも言われているダルフールの虐殺は、中国の支援によって起きたものです。

・・中国経済は、もはや不動産バブルなしでは成り立たない体質になってしまいました。ロシアの知識人がロシア経済を揶揄して「原油こそわれらが命」と呼んだことにならって、中国人は「不動産こそわれらが命」と言うようになっています。

現在、中国では住宅ローンに苦しむ人々が「房奴」(住宅の奴隷)と呼ばれ、大きな問題になっています。可処分所得の大半が住宅ローンを占め、他の消費がほとんどできなくなっている人々が無数にいるのです。実質的に彼らの生活レベルは下がる一方です。

・・中国の株式市場が金融仲介のための公正な取引市場などではない、ということです。はっきり言えば「中国政府の資金調達の場」でしかありません。

グローバル・インバランスの拡大が続いた原因は主に三つあります。一つ目はアメリカの不動産バブルです。・・二つ目はユーロの存在です。ユーロは共通通貨で、一刻の収支によって直接影響されるわけではないため、赤字国でも通貨安になることはありませんでした。・・そしてもうひとつが、すでにご承知の通り、中国政府の為替介入です。中国がやったことは、為替レートというスタビライザーの機能を意図的に取り払ったようなもので、自国の都合でひたすら貿易黒字を積み上げ、グローバル・インバランスの拡大を加速させたのです。

アメリカは米中二国間の問題から「中国対国際社会」という構図にシフトさせることで中国への圧力を強め、人民元切り上げを強硬に要求していく気配をさらに高めています。中国もいずれ人民元を切り上げるよりほかになくなるのは確かでしょう。そして経常収支黒字に縮小していくことになります。経済成長の要であった中国の輸出業は、すでに「詰んでいる」と言わざるを得ないでしょう。

安い人件費については、低い可処分所得と所得格差の拡大或いは不動産バブルによる「房奴」の増加などが個人消費拡大のボトルネックとなっているため、政府は所得増と消費拡大を狙って人件費を高騰させる方向にシフトしています。人民元安も、グローバル・インバランスの縮小傾向と、それを加速させるアメリカからの圧力によって、ジリジリとですが是正されつつあります。そして、今後はさらに通貨高が進むはずです。つまり、中国製品の「安さ」をささえてきた二大要因が、見事に消え去ろうとしているわけです。これは事実上、中国の輸出産業を壊滅させることになるでしょう。

中国の場合は、単純に富裕層と貧困層の二極分化が進んでいるというだけでなく、三つの格差が混在していると考えられています。「富裕地と貧困地」、「都市部と農村」、「富裕層と貧困層」の三つです。

消費を拡大させるには、この「中間層」をどれだけ増やせるかが重要です。富裕層がいくらお金を持っていても、消費には限界があるため、所得のほとんどは貯蓄としてストックされてしまいますし、貧困層はギリギリの消費しかできません。

0から1までの数値で表すもので、数値が高いほど社会不安が高く、0.5を超えると「慢性的な暴動が起こる」とされています。中国の代表的メディアである新華社通信の報道によると、同国のジニ係数は、鄧小平んおかいかく開放初期から2007までの間に0.28から0.48まで上がり、その後も上昇を続けて、2009年には、ついに0.5を超えたということです。・・中国社会学院発表の「社会青書」、西南財経大学の調査などを見ると、2010年のジニ係数は0.61という驚くべき数値が出てきます。正直に言って、背筋が凍るような高さだと思います。

毛沢東時代の大躍進政策(農工業の大増産政策)では、中央政府には豊作の報告が上がっていながら、実際には農民が次々と餓死するという事態になっていました。餓死者は推計で2000万~5000万人とも言われているほどの大規模な飢饉でした。

2012年7月、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官は、ハーバード大学での講演の中で「20年後、中国は世界で最も貧しい国になる」と述べました。その根拠として「中国富裕層の国外逃亡」を挙げ、移民申請の状況から官僚家族の9割と富豪の8割がすでに移民申請をだしたか、またはその意向があると説明しています。

共産党中央政府が強力な権力を一手に握っているようなイメージをもっている人もいるでしょうが、実質的には、各地方がバラバラの無統制国家という色合いが濃いのです。このような社会構造を根本から改革しない限り、中国の格差は永遠になくならないでしょう。そして途方もない格差が解消されない限り、消費拡大による健全な経済成長もまた夢でしかありません。

つまり中国は、50以上もの民族と言語が入り乱れている混沌とした社会なのです。多民族国家と言えばアメリカですが、「人種のるつぼ」と呼ばれながらも、自由と言う理念のもとにアメリカ国民としての忠誠を誓い、一応はみな同じ国民国家の一員としてのアイデンティティを保っています。しかし、中国人にはそうした共通の理念などというものは存在しません。

OECDの予測では、中国の65歳以上の人口比率は、2030年時点で日本を抜いて世界一になるだろうとの見通しです。』

2014年3月12日 (水)

英雄にっぽん (池波正太郎著 角川e文庫)

山中鹿之助について、はじめて詳しく知ることができました。しかしそれは、勇猛ながらも、思慮の足りない武将の一生でした。

『戦国のころに生きた武人の夫婦というものは、絶えず、戦乱と死に直面しつつ、たがいの愛をたしかめあった故もあろうか、その情愛は、なかなかにこまやかなものがあったようだ。

尼子義久も、富田に籠城をしていたころは相当に勇敢な大将であったのだけれども、彼の本質は元就が見抜いたとおり、好戦的な武将ではなかったらしい。人間には、その機が来るまで自分には全くわからぬ[本質]が隠されているもので、尼子義久は、おのれの敗戦によって、むしろ、自分に似合った[人生]を発見したのかもしれない。

信長なら、約束を破ったところで、平然と鹿之介を諸人の眼前において、処刑してしまったろう。しかし毛利家には[仁慈]の家風がある。戦乱の世を切り抜けるためにあh、敗者をいつくしみ、これを手なずけ、害意を去る・・・・ことが、もっともたいせつなことだと、亡き毛利元就はいいのこしている。』

2014年3月 9日 (日)

山岡鉄舟 (三) (南條範夫著 文春ウェブ文庫)

幕末から明治にかけて生きていた、偉大な人物の生涯について、よく知ることができました。

『「いや、山岡さん」 鉄太郎は昔の弟子だが、今は藩の権大参事である。井上は、さん付けで呼んでいた。

・・各藩がこの改革に反対しなかった最大の理由は、これによって各藩の藩主も藩士も、どうにもならぬ窮地から救われる結果になったからである。各藩が負っていた内外債務及び、藩内限り通用の藩札はすべて政府が継承した。・・藩主は一切の債務を免れ、しかも従来通りの家禄を与えられたのだから、実質的に失うものは何もなかった訳である。

・・対馬は旧藩以来貿易の関係で長崎と関係が深かったのが、急に伊万里県の一部にされてしまった為、色々な不便が生じて・・・

・・つまらぬ縄張り争いや、個人的な感情の衝突のため、簡単な事がうまく動いていない。鉄太郎は、呆れ且つうんざりした。・・鉄太郎のような性格の人間から見ると、全く以て莫迦げたこととしか思われないのだが、世の中はそうして曲りくねって動いているものらしい。

「・・おれはお上の御訓育掛として宮内省に勤仕しているのだ。政治に関して、お上に御意見申し上げる立場ではない。宮内省の者が政治に嘴を容れるのは、宮中府中を混同するもの、断じてなすべきことではないのだ。よく覚えておけッ」

「芸人が世間の喝采に自惚れてしまってはだめだ。一応の喝采なら舌の先の小器用さでいつでも満喫できる。真の芸人は自分の芸を自分の舌にではなく、自分の心に問うて修業すべきだろう。役者が身を無くし、剣術使いが剣を無くし、噺家が舌を無くした時に、本当の名人になれるのだ。剣を使うものが、どんなに剣を使いこなしても、剣道の妙域に達することはできない。剣を忘れた時の初めて、真の剣が生きる」

「大きな商売をしようと思うなら、勝敗損得にびくびくしていちゃだめだと言う事です。必ず勝とうと思うと、胸がどきつくし、又、損をするんだないかと思うと、身が縮むように思われます。そこでこんな事を心配するようじゃ、とても大事業は出来ぬと悟り、それから後は何事を企てるにも、自分の心が落ち着いてはっきりしている時、こうするのだが確かりと極めておき、仕事を始めたら、損得に執着せず、ぐんぐんやっていくことにしました。それから後は損得に拘らず大きな商売ができ、本当の一人前の商人になれたように思います」

無刀流の真髄について、鉄太郎自ら「無刀流剣術大意」に次の如く記した。 一、無刀流の剣術は、勝負は争わず、心を澄まし、胆を練り、自然の勝を得るを要す。 一、事理の二つを修業するにあり、事は技なり、理は心なり、事理一致の場に至る、これを妙処となす。 一、無刀とは何ぞや、心の外に刀なきなり、敵と相対する時、刀に依らずして、心を以て心を打つ、これを無刀と言う、その修業は、刻苦工夫すれば、譬えば水を飲んで冷暖自知するがごとく、他の手を借らずして自ら発明すべし。

「・・論功行賞の如きは万人を納得させるように公明正大、不偏不党でなければならぬと言うことだ。現政府に由縁のある者のみを、お手盛りで優遇するようなことは公権の濫用になる。私などには勲章を下さる必要はない。功績がありながら埋もれている人、不当に低く評価されている人が無数にいる筈、そう言う人たちに与えて頂きたい。・・」

・・京都府知事をしていた北垣筆次に会った時、その次第を話すと、北垣にひどく叱責された。 --勉学とは書物を読むばかりではない。人間修業をすることだ。お前が会った多くの学者先生に少しも感心しなかったのは、彼らが書物は多く読んでいても、人間的には下らぬ男だからだ。山岡先生とは人間の出来が違う。  そう言われてみると、成程、鉄舟の風貌、言動、その漂わしている雰囲気、どれを思い出しても、得も言われぬ魅力があった。

ある坊主は、お世辞のつもりか、「先生のお蔭で禅も段々盛大になります」 と、言った時、鉄舟は叱りつけた。 「それはどう言う事ですか。提唱や参禅が盛んに行われていることは事実だが、どれも内容のない空疎な禅ばかりでしょう。そんなものがいくら殖えても禅の発展にはなりません。そんなものより真個禅の根源に立入って、正法の維持を図る者が一人でも出てくれた方がよいでしょう。禅寺の門前を張ることなど問題ではありません」

「考えてみると、山岡さん、宮仕えなんてものは、すべきものじゃないかもしれませんね」 関口は政府内部の醜い権力争いの実態について話し出した。 「みんな口じゃ綺麗事を言っても、結局、自分たちの権力維持のことしか考えていませんよ。こんなことでどうなっていくんでしょうかなあ」

明治二十一年七月十九日午前九時十五分、厳かな厳しい緊張の漲る中に、静かに瞑目したまま息をひきとった。享年五十三歳である。』

2014年3月 1日 (土)

山岡鉄舟 (二) (南條範夫著 文春ウェブ文庫)

『慶喜は才智は優れているが、確たる信念を貫く気魄を欠く人物である。旗本や会津・桑名の士たちに、はげしい言葉で迫られると、それを一喝して却ける力はなく、ずるずると引きずられてしまった。

「・・おれはあまり書物を読まんからむつかしい理屈は分からんが、この頃つくづく、時の勢いと言うことを考える。時の勢いに乗れば、勝てぬ筈の対手にも勝てる。時の勢いに逆らえば、負けぬ筈の戦にも負ける。鳥羽・伏見の戦いに、寡兵の薩長が、幕府の大軍を破ったのは、武器の差もあろうが、されよりも時の勢いに乗ったからだ。・・・」

「私は新選組、江戸市中取締りが任務、これも当然でしょう」 「しかし、近藤さん、新撰組は上様の恭順に大反対だと聞いている」 「むろん、大反対です。だが、それとこれとは違う。上様御一身の安全を守るのは、私の任務ですよ」 よくそう割切ってくれたと、鉄太郎は少し感心した。

「それにしても、愕いた。先生の眼から出るあの凄まじい奇妙な光は、なんですかなあ」 「剣の道を究めると、自然に出てくる光だ。目から光りが出るようにならなければ、一人前とは言われない」

勝は、鉄太郎の剛毅な精神を愛している。勝自身も、剛毅な性格なのである。だが、勝は同時に、融通無碍の才智を持っている。鉄太郎にはそれがない。むしろ、勝の眼から見れば、---愚鈍  に近い生一本の性格だ。

「・・・三河松平の家臣だった頃の状態に戻ればよいのですよ。茶畑を耕しても、武士の魂を棄てる訳ではありません。武士の魂をもって、百姓仕事をするだけの事です」 』

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