真田太平記 (十) 大坂城入城 (池波正太郎著 新潮社)
佳境に入ってきました。
『「ご安心なされますよう」と、いいきった池田長門守綱重の声は、一点の曇りもなかった。信之は恥じた・・・・・・・・というわけではないが、そこはかとなく面映ゆかった。池田綱重は、たとえ出陣して、真田幸村の部隊と戦う場面となっても、幸村の許へ走らず、ためらうことなく勇敢に戦いぬくにちがいない。それがあきらかに看て取れた。なればこそ、面映ゆかった。なればこそ、おもわず頭を下げたのである。
それは、たとえ、わが家臣たちに対してもだ。豊臣家の存続を祈ると同時に、浅野長晨は当主として、わが家の存続を願わねばならぬ。自分ひとりの家ではない。何百何千もn家来と、その家族を抱えているのだ。これが戦乱の世の真中(ただなか)に生き抜くということならば、はなしは別である。行きぬくために戦わねばならぬ。父も祖父も、兄も、そうして行きぬき、浅野家の存続をはかってきた。
(黒田)孝高から看れば、(いかにも見えすいた・・・・)徳川家康の手に乗り、すっかり、良い気持ちになっている倅がなさけなかったのであろう。右手を推しいだかれたなら、その左手で何故、家康を刺し殺し、天下を我が物にする気にならぬのか、と、孝高は長政を揶揄し野だ。むろん、本気でいったわけではあるまいが、つまりは、豪勇無双の武将でありながら、老獪な家康に綾なされると、(ひとたまりもない・・・・)倅・長政の人の善さを、嘆いたのであろう。
後藤基次は、すぐれた武人としての感応で、自分とよく似た動機から大坂へ入城してきた左衛門左の人柄をたちまちに見抜いてしまったらしい。
残念だが、仕方もない。いったんは絶望した幸村も、惣構えを出て真田丸へ着くころには、早くも気を取り直していた。(この左衛門左の戦ぶりを、天下にみせつけてくれる)
かつては、幸村の影のように附きそっていた佐平次なのだ。その主従が、十四年ぶりに対面したというのに、主も家来も感動をおもてにあらわさぬ。というよりも、これも当然のものとして受けとめているのであろうか。
「人は、おのれの変わり様に気づかぬものよ。なれど、余人の変化は見逃さぬ」 「まことにもって・・・」 「なれど、女は別ものじゃ」
「世の行く末が、わかったつもりになるのは、いかにも浅ましいことだ」と、漏らしたことがあった。これまた、滝川三九郎の[哲学]というべきものなのであろう。
「かのうに、声をあげた泣かれた父上を、はじめて見申した」いうや、(本多]正信がじろりと見て、「男というものは、泣くべきときに、声を放って泣くものじゃ。ぬしは、それができぬ。これより先、将軍家を補佐してまつる身ゆえ、よくよく心得ておくがよい」 たしなめたものである。
けれども、いまの、おくにからの伝言を耳にしたとき、はっと足を停めた息子の沈黙は、すべてをものがたっていたようにおもえる。(やはり、佐助も尋常の男であったわ)それをいま発見した。(そうか。そうであったか・・・・) わけもなく、佐平次はうれしくなってきている。・・・・・・・(おくにどのと佐助のことは、殿も御存知あるまいな) 細道をゆっくりとのぼって行く佐平次の口元がぬるんできた。 (わしと佐助のみの、隠し事じゃ) それがまた、たのしかった。
油も用意していたのだ。その油を、寒気にかじかむ兵の手指に塗らせて鉄砲のあつかいに不自由がないようにと配慮したのである。まだ、ある。そのほかに、幸村は餅を用意させていた。餅を兵たちに食べさせて、戦闘前の元気をつけさせようと思ったのだ。兵士たちは、感動した。これまでの幸村への心服が層倍のものとなった。・・・幸村にしてみれば、年少のころから、父や兄とともに、家来たちへしてきたことを実行したに過ぎない。だが、寄せ集めの兵たちにしてみれば、これほどの戦将には出会うことがなかったといってよい。太平洋戦争中に、筆者は海軍にいたが、(この人と、いっしょならば、よろこんで死ねる)と、おもった上官は、二人しかいなかった。けれども、この二人はいずれも新兵の時の上官で、教育を終えて一人前の水兵となってからは、そうした上官は一人もいなかった。兵は、直属の上官次第なのだ。直属の上官が愚劣な場合は、(よろこんで死ねない・・・・)ものなのである。
人間という生きものは、その肉体の変化によって心も変わる。武将の、いや大軍を率いるそうだいしょうは、それにふさわしい肉体をもたねばならぬ。立派な肉体でなくともよい。美しい姿でなくともよい。秀頼の亡父・太閤秀吉は痩せて小さな、みにくい肉体の所有者であったが、全盛期の健康な秀吉の姿は二倍にも三倍にも大きく見えたし、いわゆる[天下人]の光彩を放っていたものだ。』
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