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2014年1月 1日 (水)

真田太平記 (七) 関ヶ原 (池波正太郎著 新潮社)

『合理を重んじる三成の脳裏には、どうしても、兵力において味方が劣っていることが消えない。劣っているといっても、宇喜多秀家の軍団が大垣へ入ったいま、それほどの差はない。だが、そのわずかの劣勢が気にかかって、(家康との決戦の前に、兵を損じてはならぬ・・・・)と、おもうあまりに、勇将・島津義弘の怒りを買い、たのもしい味方の宇喜多秀家に愛想をつかされ、みすみす、味方の士気の衰弱をまねいてしまった。

・・陣所へ引き上げて来た小西行長は、侍臣の山口又七郎へ、こう漏らしている。「治部殿は、何から何までぬかりなく運ぼうとする。平時の折には、それも結構であるが、戦には魔性があって、この魔性に立ち向かい、戦機を得るためには、書状をいじりまわし、政令を案ずるようにはまいらぬのじゃ」

家康の侍医として、この戦役に従って来ている板坂卜斎は、こういっている。「・・・関ヶ原の戦が終わるまでは、内府公(家康)を主とは大名衆も存ぜられず、ただ、天下の御家老として敬っていたのである。天下の主は大坂におわす豊臣秀頼公のみと心得ていた。これは大名衆のみならず、諸人下々にいたるまでの常識というものであった」

立花宗茂のように、たとえ敵方へ与した大名であっても、だれの目にも清廉な言動に終始した人物は、敗北の後も、ふたたび世に出ることが多い。このような人物なら、「味方にしても安心・・・・」であるからだ。それに引きかえ、裏切り行為によっていったんは戦功を得たものは、しばらくすると、その大半が悲運に見舞われることになる。「味方にしても、いつ、裏切られるか知れたものではない」からだろう。これは家康のみならず、秀吉・信長にしてもそうであった。』

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