非常に読み応えのある本でした。やはり韓国の反日は、事実に基づかない反日教育に根があり、これが是正されないかぎり、付き合う必要ないとの意を強くしました。
『朴正熙は個人的には確かに親日的な人物だったと思う。しかしながら、国内に強固な反日教育を展開させていった。朴正熙もまた李承晩同様に、韓国を一つの国民国家としてまとめていくには、「反共」だけではなく「反日」と併せた二つの軸による以外に方途はないと考えたからである。
北朝鮮の権力システムは、口では間違っているといいながら、その実、韓国人にはとてもよく理解を寄せることができるものなのだ。世襲、独裁、貧困放置などは批判すべきだが、国家が堅固な指導体制のもとで体系的な整いをもって成り立っているということ、これを羨む気持ちが多くの韓国人にはある。
「漢江の奇跡」は日本からの莫大な資金と大々的な技術と人の援助があってこそ達成されたものだった。しかし朴正熙は、その事実を国民に一切知らせなかった。そのため、国民の大部分が、「漢江の奇跡は朴大統領指導下に韓国が独力で成し遂げたものだ」と信じている。
しかし、政権出発の時点から反日姿勢を取っている朴槿恵政権には、政権支持率がいくら落ち込んでも、「反日政策に転じて国民の目を外に向けさせる」というカードの手持ちがすでにない。国民の支持を失い政権危機が訪れたとき、エリートの血筋だけが取り柄の大統領離れが官民を問わずに一気に起き、韓国の政権にこれまでなかったほどの激震が走り、大揺れに揺れることになるのではないかと心配でならない。
この間に、韓国内の親北・従北朝鮮政治勢力に対する国民の支持が後退し始めて云った。そのため、現在の左派勢力は、本体としての親北・従北朝鮮姿勢を陰に潜ませ、反日姿勢を前面に押し出すというすり替えによって、社会のさまざまなところへと浸透している。
・・・政府が強硬な反日姿勢を取る限り、元来から強固な反日勢力でもある親北朝鮮派も大いに同調して政権を支持する、という構図になっているのである。これが朴槿恵政権出発と同時に出現した、韓国の異常なまでに強固な反日姿勢の本態である。
この一政治団体に過ぎない「大韓民国臨時政府」を、正統政府として認めて継承した国家が今の韓国である。彼等は国内で活動していたわけではなく、長らく外国に住んでいた一握りの知識人たちだから、いうまでもなく韓国内で影響力をもっていたわけではない。
本来ならば、日本による近代化を正当に評価し、だからこそ親日派の人たちの力を得て、ともに新国家を建設していくのだという姿勢を明確に打ち出さなくてはならなかった。そうしなかったのは、そうすれば反日主義という大義名分が根本から崩れていまい、反日主義の主体が「反米・親ソ中・従北朝鮮」の左派勢力の手に移ってしまう危険性があったからである。
最もすさまじかったのが、朝鮮戦争中(一九五〇年六月~五三年七月)に起きた一連の大量虐殺事件である。これは李承晩大統領の命令を受けた韓国軍と警察が、共産主義者として収監・再教育していた者たちを危険分子として家族を含めて多数殺害し、パルチザン殲滅の目的で共産主義者に協力したとされる村々の住民(老若男女を問わず)を多数殺害した事件である。死者数は総計数十万とも百二十万に上るともいわれる。
そんななか、停戦交渉が進められ、実質的な休戦状態に入った一九五二年一月十八日、李承晩は「李承晩ライン」を宣言し、一方的に竹島の領有を宣言した。・・政権崩壊をもたらしかねない民間・郡・左派勢力などからの批判をかわすために打ち出した国家戦略・それが日本との対決姿勢を露わにした反日政策、具体的には李承晩ライン・竹島実効支配だったのである。こうした苛酷政治のメカニズムは今も変わらない。
当時の韓国は、北朝鮮よりも国民一人あたりのGDP(国内総生産)が低いという最貧国レベルにあった。
朴正熙は一九六三年十二月~七九年一〇月の十六年刊にわたって大領領を務めた(第五代~第九代)が、この間にこそ本格的な反日教育が徹底したおこなわれたのである。これによって、韓国人の反日感情が確固たるものとなり現在に至っている。
反日教育の教科書もすでに「韓国の独立は独立闘争によって戦い取ったもの」という立場でかかれるようになっており、この独立観が韓国の常識となって現在に至っている。金大中はなぜこうした立場をとったのか。日本統治時代から軍人政権までの全期間を、「韓国人の民主化闘争」として位置づけたかったからである。
・・独裁政権に支配されたとしてその被害だけをあげつらい、独裁政権を成立させた必然的な理由、独裁政権を受け入れあ自らの責任、独裁政権がもたらした恩恵を一切問おうとはしないのだ。これとまったく同じことが「日帝植民地支配」の「過去清算」についてもいえる。「独裁政権」を「日帝植民地支配」にそっくり入れ替えてみれば、そのままピッタリ当てはまるのである。
盧武鉉政権は、「韓国の独裁政権」と「日帝植民地支配」についての「過去清算」を同時並行で推進することによって親北と反日を民主化の名の下に等しく結びつけることに成功した。これによって韓国には、「親北=反日=民主」の政治イデオロギーが社会に広く根を下ろすという、大衆的な政治状況が生み出されていったのである。
八月三十一日、李明博はSBSテレビの番組で次のように発言した。「北朝鮮の復興は心配ない。日本にやらせるのだ。私が日本にすべてのカネを出させる、我々はすでに日本を征服しているからだ。奴らのカネは我々が自由にできる」「日本は何も知らない、フジテレビが証拠だ、日本人はよだれを垂らして見ている、私に任せろ、日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ」「朝鮮民主党のうわさは本当らしい、今年十月から日本人の全住民データは朝鮮半島で処理されることになっている。日本人の家庭内秘密まで売っぱらった奴がいるのだ」これらの映像・音声はユーチューブで流された。
・・・韓国の反日民族主義は、決して「日本による植民地統治」という歴史体験を通して形づくられたものではない。ではどのようにして形づくられたのか。”日本敗戦後に日本統治時代の歴史を改竄・捏造することによって”である。ここが重要なところで、人々にとっての真実の「歴史体験を通して」ではなく、「歴史を改竄・捏造して」形づくられたのが、韓国の反日民族主義である。そして日本政府はそのことがわかっていながら、きちんと指摘してこなかった。
この日本の朝鮮統治は、世界の異民族統治〈植民地統治〉の歴史でも特筆すべき例外と言ってよい。したがって、慰安婦についても「狭義の強制性」を公然と行使するようなことは、決して許されはしなかったし、行使しなかったというのが歴史の真実である。
・・韓国に反日主義が根付いているのは、政治制度以外に、受け入れていく側にも何らかの要素があって、それが強く作用していると見なくてはならない。最も力強く作用したのが、近代に至るまで朝鮮続いた古代的な王朝国家、専制主義国家の強固な支配の伝統である。
李氏朝鮮王朝では、国家の一元的な支配を少しでも脅かす者を決して許さなかったが、そのための重要装置として働いていたのが、民衆に厳しく課せられていた密告制度である。国家の方針に逆らう者があれば、その者を国家へ密告するのが民衆の義務であった。韓国には今でも罪を犯した者の密告を奨励する制度がある。
なによりもまず、戦後六十数年にわたって、一貫して強固な反日教育が行われてきたこと、これが韓国の反日民族主義の実態を形作っているのである。
また、韓国の反日民族主義の根には日本を蔑視してきた歴史がある。日本統治時代への恨みが反日の根拠となっているのではない。蔑視すべき民族が自分たちを統治したことが許せず、それが強烈な反日民族主義を生み出しているのだ。
本当の問題はそこにあるのに、つまり歴史的なアジアの為政者たちが農村を常に貧困状態に置き続けてきた伝統と状況があるのに、そこを一切問題にしようとしないで、その責任のすべてを日本軍国主義に転嫁するという「きれいごと主義」に、「従軍慰安婦」活動を展開するすべての者たちが陥っている。そこの同情を寄せて「性奴隷」などという言葉をもてあそんでいる「善意の先進国市民たち」にしても同じことである。
・・日本による朝鮮統治は、西洋列強の植民地統治とは大きく性格の異なるものであった。それは主として次の四点で示すことができる。 第一に、収奪によって内地を潤すという政策がとられなかったこと。第二に、武力的な威圧をもっての統治政策を全般的にとられなかったこと。第三に、文化・社会・教育の近代化を強力に推し進めたこと。第四に、本土(日本)人への同化(一体化)を目指したこと。
アメリカにしても、フィリピンへの侵攻で数十万人のフィリピン人を虐殺しているが、たとえば一九〇六年に土地制度への不満から起きた反乱に対して、戦闘員から非戦闘員である一般の老若男女まで、砦に立てこもった六〇〇人全員を虐殺している。
・・日本は台湾こそ黒字化したが、満州、朝鮮は最後まで赤字経営だった。・・韓国は、日本は朝鮮から収奪したといっているが、事実はその正反対だった。日本は朝鮮に毎年莫大な投資を行ったが、最後まで投資過剰の赤字状態が続いたのである。
創氏改名は次の三点をもって施行された。 ①創氏は六カ月間を期限とする届け出制であり、届け出なかった者は従来の朝鮮式の姓がそのまま氏として設定されること。 ②創氏をしても従来の姓がなくなることはなく、氏の設定後も元来の姓および本質はそのまま戸籍に残されること。 ③改名は期限なく「いつでもしてよい」こと。 これを見ても、強制ではなかったことがはっきりわかる。
失業率は二〇一〇年に二〇〇三年以降の最高値を記録した。公表数字は3.6%だが、欧米諸国や日本が採用しているILO(国際労働機関)基準で算定すると、事実上の失業率は少なくとも13%を超えていると見られる。なかには20%との推計もある。
可処分所得に対する家計債務の割合は、二〇〇九年で152.9%、二〇一一年で164%と一貫して増大を続けている。サブプライムローンで苦しんだアメリカですら二〇〇九年140%から二〇一二年114%へと減少している。日本は100~110%と健全である。
輸出が国内を潤わない主な理由は次の五つだといってよい。 ①大企業利益の大部分が海外投資と内部留保に向けられ、国内に循環しない。 ②韓国企業は核心部品・素材などの独自技術の水準が日本の30~50%と低く、輸出が増大すればするほど海外への特許料の支払いが増大していく。③輸出品目は格安製品が中心で利幅が薄く、中国などとの競争から単価を上げられず、利益率がきわめて悪い。④韓国の大企業が慢性的な巨額借金漬け状態にあること。海外から借り入れがGDPと同規模と巨額ななた、いくら貿易で稼いでも海外への利息支払いで国内に現金が残らない。⑤財閥企業の外資率はいずれも50%を超えていて、銀行となると外資率は75~100%にもなる。そのため、株式配当金の多くが国内に残らず外国へ流れて行ってしまう。
・・大きな問題は、韓国の財閥企業はおしなべて、同一製品でも国内価格を海外価格よりも相当高くして売っているということである。・・・ようするに、国内では高く売って国民を搾取し、その利益を海外市場へ投資して企業規模を拡大させ、海外では安く売って世界シェアを伸ばし競合企業を駆逐していく。これがサムスンをはじめとする財閥企業の基本的な戦略なのである。実に不健全でゆがんだ儲け方といわなくてはならない。
技術輸出額を技術輸入額で割ったものを「技術貿易収支倍率」といい、数値が高いほどその国の技術競争力が高いことを意味する。二〇一〇年の韓国の技術貿易収支倍率は0.33、つまり技術輸出額が技術輸入額の三分の一程度しかないということだ。OECD加盟国で統計を提出している二五カ国中最下位である。日本は4.60で、二位ノルウェーの2.07を大きく引き離して断然トップの位置にある。アメリカ(六位)も1.46と日本の足元にも及ばない。
ウォン安が続いていた大きな要因の一つに、韓国が政府介入による積極的なウォン安政策をとってきたことが挙げられる。それでなぜウォンが暴落するところまでいかなかったかというと、日本との通貨スワップがあったからである。ようするに、日本が通貨スワップ協定で韓国に外貨融通の保証をしているため、ウォンは暴落しなかったのである。だから、韓国政府は日本の保証のお蔭で、何の心配もなく自国通貨をどんどん売り、ウォン安を維持し続けることができていた。
韓国では詐欺にあったというと「なんてバカな奴か」といわれるだけで、騙された方が悪いという考えがあるので届ない者が多いのである。韓国人が犯罪被害の届け出をあまりしないのは、詐欺の限ったことではなく、殺人を除く全犯罪に及んでいる。この届け出ない隠れた犯罪を「暗数犯罪」と呼ぶが、韓国の警察庁が公表した「暗数犯罪の推定方法及び最小化対策に関する研究」によると、強盗・窃盗の暗数犯罪は統計の18倍と推定されている。詐欺事件の暗数犯罪を少なく見積もって仮に10倍としても、200万件という凄まじい数字になる。
人口10万人当たりの件数で日韓を比較してみると、韓国は日本に対して殺人で3.1倍、強盗で3倍、放火で8.2倍、強姦で42.8倍となっている。
政府やマスコミが「軍国主義的反動の安倍政権を潰せ」などといっているのは、世界広しと言えども韓国(北朝鮮も)と中国だけである。その意味でも、今の中国・韓国の二国は国際社会の中で特異な存在だといわなくてはならない。両国が特異なままであり続けるならば、自ずと孤立を深めていくしかないだろう。
日韓関係の難しさは、基本的に価値観や情緒の在り方の違いからきている。これを人間関係の作り方という面で見てみると、日本人と韓国人・中国人は正反対ともいえるところがたくさんある。たとえば一般的にいって、韓国人でも中国人でも、人間関係をつくろうとすれば、出会った最初からできるだけ馴れ馴れしくしていこうとする。それに対して日本人の場合は、最初から馴れ馴れしくしようとはせず、一定の距離を置いて付き合い、徐々に距離を縮めていこうとするのが、一般的である。そこのところで、韓国人からすると「日本人はどうも本当の友達になろうとしていないのではないか」と思えてくるのである。
それでも、価値観をはじめとするお互いの違いを乗り越えて、互いに努力しながら国と国とが仲良くしていかなくてはならないのだが、今日のような最悪の日韓、日中の関係を生み出したのは韓国と中国のほうである。』