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2014年1月

2014年1月28日 (火)

真田太平記 (十二) 雲の峰 (池波正太郎著 新潮社)

最後の3巻は、一気に読み上げてしまいました。壮大な物語でした。見事な生き方をした人々の物語でした。

『三九郎一積は、若いころから運命に逆らうことをせぬ人物であった。真田昌幸の血をわけた女を妻にしたときも、「水の流るままに・・・・・」したことだ。この「水の流るままに・・・・」というのが、三九郎の口ぐせだったという。

真田家の好意に対して、三九郎は受けるべきものは受け、辞退すべきものは辞退をし、おちつきはらっていた。ともかくも、何一つ欲がないのだし、立身出世を願うわけでもないのだから、どのような逆境に突き落とされても平気なのだ。

「おそれながら、御当家には、家中八百人余・・・・いや、士卒下人を含めて二千余人の家来どもと、その家族がおりますることを、お忘れくださいますな」 伊豆守信之は、しずかに、「心得てある」と、こたえた。登城した信之へ、将軍秀忠は、みずから、国替えを申しわたした。上田から信州・松代(長野市・松代町)へ、「移るように」と、命じたのである。真田信之は、落ち着きはらって、即座に、「ありがたき幸せに存じたてまつる」 平伏した。

大名の国替えは、たとえ有利な加増であっても迷惑この上ない。まったく違う風土と人心と習慣に当面して、新しい政治をおこなうむずかしさは筆舌につくせぬ。』

2014年1月26日 (日)

真田太平記 (十一) 大坂夏の陣 (池波正太郎著 新潮社)

思わず涙がでそうになるほど見事な、幸村の戦いぶり、そして最期でした。

『「何の・・・・・大助のこころは決まっていて、微塵もゆるがぬ。その初一念はまことに見事なものじゃ。いまの天下に、初一念をつらぬく漢(おとこ)たちがどれほどいようか。漢が、武士(もののふ)が思い惑い、迷いぬいて、ふらふらと何度でも、おのれの初一念をわれから覆す世とはなった」 関ヶ原を境にして、昌幸・幸村の真田父子(おやこ)は豊臣家へ、伊豆守信之は父と弟と別れて徳川の傘下に入り、それぞれの決意を微動もさせず、今日に至った。初一念とは、事にのぞんで一瞬のうちに決意をかためることだ。その一瞬に、決意して者の全人格が具現されることになる。口には出さずとも、武士にとって、この初一念ほど大事なものはない。

戦争というものは、直属の上官や、共に闘う戦士と呼吸が合わなくては、到底、死ねるものではない。

「若いころは、さておき、いまのわしは、鏡のようなものじゃ」と、家康が関ヶ原戦後に漏らしたことがある。つまり、家康を怖れ、家康を敬愛し、家康を憎み、家康に親しむ、百人百様の人びとの心が、家康という鏡に映っているというのだ。同時に、「相手の出様によっては、鬼にも仏にもなる」ことを意味している。

最後の希望と期待は、すべて、微塵に打ち砕かれてしまった。残ったものは、絶望のみといってよい。その絶望の底で、左衛門左幸村は、武将としての本分をつらぬかねばならぬ。いや、つらぬこうとしている。

向井佐平次の肩を抱いたまま、幸村の躰が、ゆっくりと仰向けに夏草の中へ倒れた。息絶えたのである。左衛門左幸村の、四十九年の生涯は、ここに終熄した。

さらに、真田幸村の生存説もある。その真偽はさておいて、この物語では採らぬことにする。こうした風評がひろまり、真田伊豆守信之の耳へ入ったとき、信之は、豊臣秀頼の生存については、何も言わなかったが、弟の幸村について、「左衛門左ほどの男が、死に場所を謝るはずもない」 一笑に付したという。

徳川家康は、真田幸村や後藤又兵衛、木村重成などの勇戦に対して、憎悪の念をもっていなかった。その上、最後まで家康本陣から退かなかった滝川三九郎一績(かずあつ)のこともある。家康は、幸村の妻子を、「滝川三九郎へ預けおく」と、いった。そのかわり、滝川三九郎には恩賞の沙汰がなかった。』

2014年1月25日 (土)

真田太平記 (十) 大坂城入城 (池波正太郎著 新潮社)

佳境に入ってきました。

『「ご安心なされますよう」と、いいきった池田長門守綱重の声は、一点の曇りもなかった。信之は恥じた・・・・・・・・というわけではないが、そこはかとなく面映ゆかった。池田綱重は、たとえ出陣して、真田幸村の部隊と戦う場面となっても、幸村の許へ走らず、ためらうことなく勇敢に戦いぬくにちがいない。それがあきらかに看て取れた。なればこそ、面映ゆかった。なればこそ、おもわず頭を下げたのである。

それは、たとえ、わが家臣たちに対してもだ。豊臣家の存続を祈ると同時に、浅野長晨は当主として、わが家の存続を願わねばならぬ。自分ひとりの家ではない。何百何千もn家来と、その家族を抱えているのだ。これが戦乱の世の真中(ただなか)に生き抜くということならば、はなしは別である。行きぬくために戦わねばならぬ。父も祖父も、兄も、そうして行きぬき、浅野家の存続をはかってきた。

(黒田)孝高から看れば、(いかにも見えすいた・・・・)徳川家康の手に乗り、すっかり、良い気持ちになっている倅がなさけなかったのであろう。右手を推しいだかれたなら、その左手で何故、家康を刺し殺し、天下を我が物にする気にならぬのか、と、孝高は長政を揶揄し野だ。むろん、本気でいったわけではあるまいが、つまりは、豪勇無双の武将でありながら、老獪な家康に綾なされると、(ひとたまりもない・・・・)倅・長政の人の善さを、嘆いたのであろう。

後藤基次は、すぐれた武人としての感応で、自分とよく似た動機から大坂へ入城してきた左衛門左の人柄をたちまちに見抜いてしまったらしい。

残念だが、仕方もない。いったんは絶望した幸村も、惣構えを出て真田丸へ着くころには、早くも気を取り直していた。(この左衛門左の戦ぶりを、天下にみせつけてくれる)

かつては、幸村の影のように附きそっていた佐平次なのだ。その主従が、十四年ぶりに対面したというのに、主も家来も感動をおもてにあらわさぬ。というよりも、これも当然のものとして受けとめているのであろうか。

「人は、おのれの変わり様に気づかぬものよ。なれど、余人の変化は見逃さぬ」 「まことにもって・・・」 「なれど、女は別ものじゃ」

「世の行く末が、わかったつもりになるのは、いかにも浅ましいことだ」と、漏らしたことがあった。これまた、滝川三九郎の[哲学]というべきものなのであろう。

「かのうに、声をあげた泣かれた父上を、はじめて見申した」いうや、(本多]正信がじろりと見て、「男というものは、泣くべきときに、声を放って泣くものじゃ。ぬしは、それができぬ。これより先、将軍家を補佐してまつる身ゆえ、よくよく心得ておくがよい」 たしなめたものである。

けれども、いまの、おくにからの伝言を耳にしたとき、はっと足を停めた息子の沈黙は、すべてをものがたっていたようにおもえる。(やはり、佐助も尋常の男であったわ)それをいま発見した。(そうか。そうであったか・・・・) わけもなく、佐平次はうれしくなってきている。・・・・・・・(おくにどのと佐助のことは、殿も御存知あるまいな) 細道をゆっくりとのぼって行く佐平次の口元がぬるんできた。 (わしと佐助のみの、隠し事じゃ) それがまた、たのしかった。

油も用意していたのだ。その油を、寒気にかじかむ兵の手指に塗らせて鉄砲のあつかいに不自由がないようにと配慮したのである。まだ、ある。そのほかに、幸村は餅を用意させていた。餅を兵たちに食べさせて、戦闘前の元気をつけさせようと思ったのだ。兵士たちは、感動した。これまでの幸村への心服が層倍のものとなった。・・・幸村にしてみれば、年少のころから、父や兄とともに、家来たちへしてきたことを実行したに過ぎない。だが、寄せ集めの兵たちにしてみれば、これほどの戦将には出会うことがなかったといってよい。太平洋戦争中に、筆者は海軍にいたが、(この人と、いっしょならば、よろこんで死ねる)と、おもった上官は、二人しかいなかった。けれども、この二人はいずれも新兵の時の上官で、教育を終えて一人前の水兵となってからは、そうした上官は一人もいなかった。兵は、直属の上官次第なのだ。直属の上官が愚劣な場合は、(よろこんで死ねない・・・・)ものなのである。

人間という生きものは、その肉体の変化によって心も変わる。武将の、いや大軍を率いるそうだいしょうは、それにふさわしい肉体をもたねばならぬ。立派な肉体でなくともよい。美しい姿でなくともよい。秀頼の亡父・太閤秀吉は痩せて小さな、みにくい肉体の所有者であったが、全盛期の健康な秀吉の姿は二倍にも三倍にも大きく見えたし、いわゆる[天下人]の光彩を放っていたものだ。』

2014年1月18日 (土)

真田太平記 (九) 二条城 (池波正太郎著 新潮社)

『このとき、山手殿が、「呆気もないこと・・・・」微かに呟いたのが幸村の耳へ聞こえた。真田安房守昌幸は、こうして六十五年の生涯を終えた。

もはや、吐く血も体内に残っていなかったろう。そのまま、ついに、意識はもどらなかった。そして、翌二十四日の丑の刻(午前2時)に、息絶えた。時に清正は五十歳。かねてから、加藤清正は家臣の殉死をゆるさなかった。

翌々年、すなわち慶長十八年の八月二十五日、浅野幸長が急死した。三十八歳の若さであった。このとき、毒殺のうわさが世上にながれたが、真偽はわからぬ。

そのころの真田信之について、つぎのようなはなしが残っている。沼田城下の了源寺の和尚・源誉が、ある年の冬の最中に沼田城内へ入り、信之に対面をしたとき、「待たせて相すまぬ」と、入って来た伊豆守信之は足袋をはいておらず、その素足の皸(あかぎれ)が血をにじませているのを見て、源誉和尚は、(かほどまでに、御質素におくらしあるとは・・・・・)おどろいて、自分の足袋を脱いだが、「なにをなさることか」信之は笑って、和尚に足袋をつけさせてから、「大名は、いずれも同じでござる」と、いったそうな。

いや、そのほうが自分にはよいのだ と、信之はいった。つまりは、京都なら京都において、だれの目、だれの耳へもはいってくるほどの事を知らせてくれればよいというのだ。父・昌幸や弟の幸村が、秀抜の忍びの組織を持っていたため、関ヶ原の折にはかえって判断をあやまったと、信之はおもっている。』

2014年1月17日 (金)

竜馬がゆく (八) (司馬遼太郎著 文春ウェブ文庫)

やっと読み終えました。高校生時代以来で30年近くたっていますが、当時も心に残っていた部分を見つけると懐かしく感じたり、当時はそれほど関心をもたなかったことにしみじみ感じるところがあったり、つくづく読んでよかったと思いました。この小説を読み直して、三吉慎蔵と小松帯刀のことがまた好きになりました。

『京都藩邸は、どの雄藩もそうだが、藩外交の主務機関である。いわば現今(こんにち)の大使館に相当するであろう。

容堂は殿様としては変わっている。「友人の悪口をいうようなやつは男としてしんようできぬ。福岡藤次は友と死を契ることができぬ男だ」この言葉に警抜な人物眼の持ち主である容堂のするどさが出ており、同時に容堂の青年官僚育成の方針もそういうあたりにあったのであろう。

竜馬は、「藩としての友情だ。お前のような会計掛にはなにもわからぬ。会計掛は金庫のふたをあけるだけでいいのだ」とつい暴言を吐き、・・

のち、この浜に竜馬の像が立つ。「スエズ以東最大の銅像」といわれるこの像の建設は、大正十五年、数人の青年によって運動が起こされた。当時早稲田大学の学生だった。入交好保し、京都大学在学中の信清浩男、土居清美、朝田盛の諸氏である。

・・竜馬の呟きを文語として書くほうがいっそう自然であろう。 大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給えるかな、よくも断じ給えるかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん。 と声をふるわせつついった。竜馬は自分の体内に動く感激のために、ついには姿勢をささえていられぬ様子であった。

「新官制を作らねばならぬ」竜馬はいった。その主眼は、議会制度と富国強兵にあり、思想としては人民平等というところにあるが、・・

竜馬はこの間の自分の心境を、「おれは日本を生まれかわらせたかっただけで、生まれかわった日本で栄達するつもりはない」といった。さらに、「こういう心境でなければ大事業というものはできない。おれが平素そういう心境でいたからこそ、一回の処士にすぎぬおれの意見を世の人びとも傾聴してきてくれた。大事をなしとげえたのも、そのおかげである」

「坂本さァ」と、西郷は猪首を竜馬にねじまげた。縁側にいた竜馬は、それに応じて西郷のほうへ上体をまげた。「え?」という顔を竜馬はしている。西郷はいった。「この表を拝見すると、当然土州から出る尊兄の名が見当たらんが、どぎゃンしもしたかの」 「わしの名が?」竜馬はいった。陸奥が竜馬の顔を観察すると、近視の目をひどく細めている。意外なことをきくといった表情である。「わしァ、出ませんぜ」といきなりいった。「あれは、きらいでな」なにが、と西郷が問いかけると、竜馬は、「窮屈な役人がさ」といった。 「窮屈な役人にならずに、お前(まん)さァは何バしなはる」「左様さ」竜馬はやおら身を起こした。このさきが、陸奥が将来忘れ得ぬせりふになった。 「世界の海援隊でもやりましょうかな」 ・・さすがの西郷も、これには荷の句もなかった。横の小松帯刀は、竜馬の顔を食い入るようにみつめている。古来、革命の功労者で新国家の元勲にならなかった者はいないであろう。それが常例であるのに竜馬はみずから避けた。小松は竜馬を愛慕しつづけてきた男だけに、この一言がよほどうれしかったのであろう。「竜馬は、もはや世界が相手なんじゃろ」と、おだやかに微笑した。

竜馬は、三岡の人物を語った。もともと橋本左内に兄事し、のち横井小楠の合理主義の洗礼をうけた。平素、藩財政が米国経済を主にしていることの誤りを説き、貿易、殖産を財政の中心におく議論をもち、藩命によって長崎貿易の実態を調査したり、・・

「このところ、幕人はみな朝廷をおうらみし奉っております」と、近藤はいった。これは事実であった。「朝廷をうらむことはあるまい。大樹(慶喜)がみずからの意思で政権を奉還したのだ。朝廷は迷惑ながらも受けた、というのが実情である」「それはわかっております。しかし薩の奸謀によって長州の罪をお許しなされたではござりませぬか」それが、近藤ら幕人の問題点のひとつだった。

「われ死するときは命を天にかえし、髙き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」と、竜馬はその語録を手帳に書き留め、自戒の言葉にしている。「世に生を得るは、事をなすにあり」と、竜馬は人生の意義をそのように截断(せつだん)しきっていた。どうせは死ぬ。死生のことを考えず事業のみを考え、たまたまその途中で死がやってくれば事業推進の姿勢のままで死ぬというのが、竜馬の持論であった。

その直後、三岡は風の中にいた。一陣の突風が土手を襲い、三岡の髪、袂、袴をひるがえし、若党のもつ提灯を消した。三岡は突風に堪えようとしてつま先に力を入れた。草履の緒が切れ、土手際によろめいた。風は、去った。去ってみると、うそのような静かさで月が天心にある。しかし三岡の体にえたいの知れぬ戦慄だけが残った。・・・三岡は、帰宅した。それから二日後、竜馬が中岡慎太郎とともに京の宿で死んだ旨の報が、三岡のもとに入った。あの夜、ほぼ同時刻に、竜馬の霊は天に駆け昇ったのである。

竜馬に忠告し、その忠告が的中して竜馬がこの世を去ったことをあとで伊東がきいたとき、「だからあれほど言ってやったのだ」と人にこぼしたが、その伊東甲子太郎自身も、数日後の11月18日、今日の油小路で新選組の集団に襲われ、乱刃の中で落命した。忠告者の伊東甲子太郎も数日後にやってくる自分の運命に気づかなかったのであろう。

この暗殺の直前、二条城にいる徳川慶喜が、たれの口からきいたか、竜馬の名を知った。その竜馬が大政奉還の立案者であり、かつ反幕志士のなかで唯一の非戦論者であることも知った。むしろ慶喜は竜馬において同志を見出した思いがあったのであろう。「土州の坂本竜馬には手をつけぬよう、見回組、新撰組の管掌者にはよく注意しておくように」と永井尚志に言い含めた。永井はむろん竜馬を知っている。当然と思い、翌朝、慶喜の言葉を管掌者に伝えるべく出仕したところ、机の上に紙片がおかれている。紙片には、昨夜、竜馬を暗殺した旨、踊るような書体で大書されていた。---遅かった。 と、永井は思ったであろう。事実、竜馬が生きていれば、鳥羽伏見の戦いは起らなかったかもしれない。暗殺はつねにこのようなものである。』

2014年1月14日 (火)

新聞記事から (【スポーツ茶論】別府育郎 ザックの日本人選手観、【風を読む】論説副委員長・西田令一 第一次大戦百年後の今日性 26.1.14 産経新聞朝刊)

ザック監督の日本人観には勇気づけられます。一方で、ヨーロッパ人のアジア情勢の見方の冷徹さに気を引き締められます。

『 ワールドカップ(W杯)イヤーだ。ブラジルで6月12日に開幕するサッカーW杯で日本代表を率いるザッケローニ監督をゲストに招いて、昨年末、日本記者クラブの会見で司会を務める機会があった。

 興味深かったのはザック監督の日本人観、日本選手観だった。以下-。

 「日本人の文化やふるまいについては非常に素晴らしいと思っている。選手たちも同様で、彼らはチームワークのなんたるかを知っており、グループを形成することを得意とする選手ばかりがそろった。

 これまで多くのチームを率いてきたが、これほど短期間にいいグループを形成できたチームを、過去にみたことがない」

 「長所しか思い当たらないが、どうしても一つ短所をあげろというなら、チームへの愛着や思いが強すぎるためだろうが、結果がついてこない時に落ち込みすぎるところがある。

 落ち込んだ選手には結果論ではなく、何が、なぜ良くなかったのか。冷静に説明するようにしている。メディアやサポーターの方が結果論に徹するのはいいが、少なくとも選手はそう考えてはいけない。結果ありきで話した時点で、それ以上チームは成長しない。

 たった一つの負けはそのチームの評価を左右しないし、一つの勝利もチームの評価に直結しない。

 例えば(昨年)10月の2試合(対セルビア●0-2、対ベラルーシ●0-1)では、このままではダメだという論調が流れた。11月の2試合(対オランダ△2-2、対ベルギー○3-2)には非常に楽観的な意見があった。

 私個人は、そのどちらでもないところに真実はあるのだと考えている」

 「日本は世界的に見ても急レベルで成長している。日本選手の学び、表現する姿勢は特筆すべきもので、それこそが成長させる一番の要因となっている。日本の国民の皆さんには、素晴らしい向上心を持つ代表選手がいることを誇りに思ってほしい。

 日本サッカー協会は、2050年までに世界一になる目標を持っているが、それより前に達成する可能性があると感じている」

 --では14年の可能性は

 「私は何かを宣言するタイプではない。日本協会から依頼されたのは、日本のサッカー全体を成長させることだ。私が行った仕事の成果がみられるのは、おそらく14年以降のことになるでしょう」

                  □  □

 今年のW杯で日本の優勝は、ないということだ。なんという正直、誠実。はったりのかけらもない。

 エスニック(国民性)ジョークでイタリア人は、好色でおしゃれで、どこかいいかげんに描かれる。

 だがザック監督は、およそそうしたイメージからは程遠い。スタッフが忘年会会場に注文があるか聞くと「掘りごたつのある店」と答えたという裏話を聞いたこともある。

 この、らしからぬイタリア人監督の指揮に日本代表は命運を託す。もっともイタリアでは、かつてザック監督も率いた名門ACミランで「10番」を背負う、本田圭佑が堂々たる入団会見を行った。

 イタリア人記者に「サムライ精神とは何か」と聞かれて「サムライに会ったことはない」と笑わせ、「日本男児は決してあきらめない」と言い切った。引っ込み思案でも控えめでもない、らしからぬ日本人がこちらにいた。』

『オーストリア=ハンガリー帝国皇太子が訪問先のサラエボで、民族主義に使嗾(しそう)されたセルビア人青年の放つ凶弾に倒れた。第一次世界大戦の発端となった事件である。

 時は1914年6月28日。今年は第一次大戦の勃発からちょうど100年後という節目になる。

 だから今夏、主戦場となった欧州の各地で記念行事がめじろ押しだ。関連の特集記事や論文も欧米などのメディアをにぎわすだろう。すでにその前兆は散見している。

 中で目を引いたのが、昨年12月13日付の米紙ニューヨーク・タイムズに「第一次世界大戦の不吉な響き」と題して載った、著名歴史家マーガレット・マクミラン英オックスフォード大教授の寄稿である。

 教授は大戦の背景の一つに、「世界最大の海軍国英国と世界最大の陸軍国ドイツ」の角逐を挙げ、「今日の中国と米国の関係を1世紀前の独英のそれと比較」し、「中国の軍事費増大と海軍力増強は多くの米戦略家に、太平洋の大国としての米国に中国が挑戦するつもりだとの念を抱かせている」と指摘する。

 米国は、なお世界一の大国ながらかつてのような力はなく、大統領の資質や国内分断状況もあって指導的役割を果たせないとし、「米国はその前の英国のように力尽きつつあるのか」と問いかけている。

 英紙フィナンシャル・タイムズの外交コラムニスト、ギデオン・ラックマン氏は1月6日付同紙で、「1914年、既存覇権国の英国は台頭するドイツへの対抗…ゆえに戦争に引き込まれた。今、明白な危険は、米国が中国の台頭を懸念し日本との同盟によりアジアの紛争に引き込まれることだ」とし、「サラエボ」にもっと思いを、と論じる。

 現実となってはならない類推である。そんな危機認識を持って日本独自の抑止力と日米同盟を強化する一方、中国の挑発には乗らずに粘り強く押し返さなければならない。厳しい「百年後の今」である。』

2014年1月13日 (月)

なぜ「反日韓国に未来はない」のか (呉善花著 小学館eBooks)

非常に読み応えのある本でした。やはり韓国の反日は、事実に基づかない反日教育に根があり、これが是正されないかぎり、付き合う必要ないとの意を強くしました。

『朴正熙は個人的には確かに親日的な人物だったと思う。しかしながら、国内に強固な反日教育を展開させていった。朴正熙もまた李承晩同様に、韓国を一つの国民国家としてまとめていくには、「反共」だけではなく「反日」と併せた二つの軸による以外に方途はないと考えたからである。

北朝鮮の権力システムは、口では間違っているといいながら、その実、韓国人にはとてもよく理解を寄せることができるものなのだ。世襲、独裁、貧困放置などは批判すべきだが、国家が堅固な指導体制のもとで体系的な整いをもって成り立っているということ、これを羨む気持ちが多くの韓国人にはある。

「漢江の奇跡」は日本からの莫大な資金と大々的な技術と人の援助があってこそ達成されたものだった。しかし朴正熙は、その事実を国民に一切知らせなかった。そのため、国民の大部分が、「漢江の奇跡は朴大統領指導下に韓国が独力で成し遂げたものだ」と信じている。

しかし、政権出発の時点から反日姿勢を取っている朴槿恵政権には、政権支持率がいくら落ち込んでも、「反日政策に転じて国民の目を外に向けさせる」というカードの手持ちがすでにない。国民の支持を失い政権危機が訪れたとき、エリートの血筋だけが取り柄の大統領離れが官民を問わずに一気に起き、韓国の政権にこれまでなかったほどの激震が走り、大揺れに揺れることになるのではないかと心配でならない。

この間に、韓国内の親北・従北朝鮮政治勢力に対する国民の支持が後退し始めて云った。そのため、現在の左派勢力は、本体としての親北・従北朝鮮姿勢を陰に潜ませ、反日姿勢を前面に押し出すというすり替えによって、社会のさまざまなところへと浸透している。

・・・政府が強硬な反日姿勢を取る限り、元来から強固な反日勢力でもある親北朝鮮派も大いに同調して政権を支持する、という構図になっているのである。これが朴槿恵政権出発と同時に出現した、韓国の異常なまでに強固な反日姿勢の本態である。

この一政治団体に過ぎない「大韓民国臨時政府」を、正統政府として認めて継承した国家が今の韓国である。彼等は国内で活動していたわけではなく、長らく外国に住んでいた一握りの知識人たちだから、いうまでもなく韓国内で影響力をもっていたわけではない。

本来ならば、日本による近代化を正当に評価し、だからこそ親日派の人たちの力を得て、ともに新国家を建設していくのだという姿勢を明確に打ち出さなくてはならなかった。そうしなかったのは、そうすれば反日主義という大義名分が根本から崩れていまい、反日主義の主体が「反米・親ソ中・従北朝鮮」の左派勢力の手に移ってしまう危険性があったからである。

最もすさまじかったのが、朝鮮戦争中(一九五〇年六月~五三年七月)に起きた一連の大量虐殺事件である。これは李承晩大統領の命令を受けた韓国軍と警察が、共産主義者として収監・再教育していた者たちを危険分子として家族を含めて多数殺害し、パルチザン殲滅の目的で共産主義者に協力したとされる村々の住民(老若男女を問わず)を多数殺害した事件である。死者数は総計数十万とも百二十万に上るともいわれる。

そんななか、停戦交渉が進められ、実質的な休戦状態に入った一九五二年一月十八日、李承晩は「李承晩ライン」を宣言し、一方的に竹島の領有を宣言した。・・政権崩壊をもたらしかねない民間・郡・左派勢力などからの批判をかわすために打ち出した国家戦略・それが日本との対決姿勢を露わにした反日政策、具体的には李承晩ライン・竹島実効支配だったのである。こうした苛酷政治のメカニズムは今も変わらない。

当時の韓国は、北朝鮮よりも国民一人あたりのGDP(国内総生産)が低いという最貧国レベルにあった。

朴正熙は一九六三年十二月~七九年一〇月の十六年刊にわたって大領領を務めた(第五代~第九代)が、この間にこそ本格的な反日教育が徹底したおこなわれたのである。これによって、韓国人の反日感情が確固たるものとなり現在に至っている。

反日教育の教科書もすでに「韓国の独立は独立闘争によって戦い取ったもの」という立場でかかれるようになっており、この独立観が韓国の常識となって現在に至っている。金大中はなぜこうした立場をとったのか。日本統治時代から軍人政権までの全期間を、「韓国人の民主化闘争」として位置づけたかったからである。

・・独裁政権に支配されたとしてその被害だけをあげつらい、独裁政権を成立させた必然的な理由、独裁政権を受け入れあ自らの責任、独裁政権がもたらした恩恵を一切問おうとはしないのだ。これとまったく同じことが「日帝植民地支配」の「過去清算」についてもいえる。「独裁政権」を「日帝植民地支配」にそっくり入れ替えてみれば、そのままピッタリ当てはまるのである。

盧武鉉政権は、「韓国の独裁政権」と「日帝植民地支配」についての「過去清算」を同時並行で推進することによって親北と反日を民主化の名の下に等しく結びつけることに成功した。これによって韓国には、「親北=反日=民主」の政治イデオロギーが社会に広く根を下ろすという、大衆的な政治状況が生み出されていったのである。

八月三十一日、李明博はSBSテレビの番組で次のように発言した。「北朝鮮の復興は心配ない。日本にやらせるのだ。私が日本にすべてのカネを出させる、我々はすでに日本を征服しているからだ。奴らのカネは我々が自由にできる」「日本は何も知らない、フジテレビが証拠だ、日本人はよだれを垂らして見ている、私に任せろ、日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ」「朝鮮民主党のうわさは本当らしい、今年十月から日本人の全住民データは朝鮮半島で処理されることになっている。日本人の家庭内秘密まで売っぱらった奴がいるのだ」これらの映像・音声はユーチューブで流された。

・・・韓国の反日民族主義は、決して「日本による植民地統治」という歴史体験を通して形づくられたものではない。ではどのようにして形づくられたのか。”日本敗戦後に日本統治時代の歴史を改竄・捏造することによって”である。ここが重要なところで、人々にとっての真実の「歴史体験を通して」ではなく、「歴史を改竄・捏造して」形づくられたのが、韓国の反日民族主義である。そして日本政府はそのことがわかっていながら、きちんと指摘してこなかった。

この日本の朝鮮統治は、世界の異民族統治〈植民地統治〉の歴史でも特筆すべき例外と言ってよい。したがって、慰安婦についても「狭義の強制性」を公然と行使するようなことは、決して許されはしなかったし、行使しなかったというのが歴史の真実である。

・・韓国に反日主義が根付いているのは、政治制度以外に、受け入れていく側にも何らかの要素があって、それが強く作用していると見なくてはならない。最も力強く作用したのが、近代に至るまで朝鮮続いた古代的な王朝国家、専制主義国家の強固な支配の伝統である。

李氏朝鮮王朝では、国家の一元的な支配を少しでも脅かす者を決して許さなかったが、そのための重要装置として働いていたのが、民衆に厳しく課せられていた密告制度である。国家の方針に逆らう者があれば、その者を国家へ密告するのが民衆の義務であった。韓国には今でも罪を犯した者の密告を奨励する制度がある。

なによりもまず、戦後六十数年にわたって、一貫して強固な反日教育が行われてきたこと、これが韓国の反日民族主義の実態を形作っているのである。

また、韓国の反日民族主義の根には日本を蔑視してきた歴史がある。日本統治時代への恨みが反日の根拠となっているのではない。蔑視すべき民族が自分たちを統治したことが許せず、それが強烈な反日民族主義を生み出しているのだ。

本当の問題はそこにあるのに、つまり歴史的なアジアの為政者たちが農村を常に貧困状態に置き続けてきた伝統と状況があるのに、そこを一切問題にしようとしないで、その責任のすべてを日本軍国主義に転嫁するという「きれいごと主義」に、「従軍慰安婦」活動を展開するすべての者たちが陥っている。そこの同情を寄せて「性奴隷」などという言葉をもてあそんでいる「善意の先進国市民たち」にしても同じことである。

・・日本による朝鮮統治は、西洋列強の植民地統治とは大きく性格の異なるものであった。それは主として次の四点で示すことができる。 第一に、収奪によって内地を潤すという政策がとられなかったこと。第二に、武力的な威圧をもっての統治政策を全般的にとられなかったこと。第三に、文化・社会・教育の近代化を強力に推し進めたこと。第四に、本土(日本)人への同化(一体化)を目指したこと。

アメリカにしても、フィリピンへの侵攻で数十万人のフィリピン人を虐殺しているが、たとえば一九〇六年に土地制度への不満から起きた反乱に対して、戦闘員から非戦闘員である一般の老若男女まで、砦に立てこもった六〇〇人全員を虐殺している。

・・日本は台湾こそ黒字化したが、満州、朝鮮は最後まで赤字経営だった。・・韓国は、日本は朝鮮から収奪したといっているが、事実はその正反対だった。日本は朝鮮に毎年莫大な投資を行ったが、最後まで投資過剰の赤字状態が続いたのである。

創氏改名は次の三点をもって施行された。 ①創氏は六カ月間を期限とする届け出制であり、届け出なかった者は従来の朝鮮式の姓がそのまま氏として設定されること。 ②創氏をしても従来の姓がなくなることはなく、氏の設定後も元来の姓および本質はそのまま戸籍に残されること。 ③改名は期限なく「いつでもしてよい」こと。 これを見ても、強制ではなかったことがはっきりわかる。

失業率は二〇一〇年に二〇〇三年以降の最高値を記録した。公表数字は3.6%だが、欧米諸国や日本が採用しているILO(国際労働機関)基準で算定すると、事実上の失業率は少なくとも13%を超えていると見られる。なかには20%との推計もある。

可処分所得に対する家計債務の割合は、二〇〇九年で152.9%、二〇一一年で164%と一貫して増大を続けている。サブプライムローンで苦しんだアメリカですら二〇〇九年140%から二〇一二年114%へと減少している。日本は100~110%と健全である。

輸出が国内を潤わない主な理由は次の五つだといってよい。 ①大企業利益の大部分が海外投資と内部留保に向けられ、国内に循環しない。 ②韓国企業は核心部品・素材などの独自技術の水準が日本の30~50%と低く、輸出が増大すればするほど海外への特許料の支払いが増大していく。③輸出品目は格安製品が中心で利幅が薄く、中国などとの競争から単価を上げられず、利益率がきわめて悪い。④韓国の大企業が慢性的な巨額借金漬け状態にあること。海外から借り入れがGDPと同規模と巨額ななた、いくら貿易で稼いでも海外への利息支払いで国内に現金が残らない。⑤財閥企業の外資率はいずれも50%を超えていて、銀行となると外資率は75~100%にもなる。そのため、株式配当金の多くが国内に残らず外国へ流れて行ってしまう。

・・大きな問題は、韓国の財閥企業はおしなべて、同一製品でも国内価格を海外価格よりも相当高くして売っているということである。・・・ようするに、国内では高く売って国民を搾取し、その利益を海外市場へ投資して企業規模を拡大させ、海外では安く売って世界シェアを伸ばし競合企業を駆逐していく。これがサムスンをはじめとする財閥企業の基本的な戦略なのである。実に不健全でゆがんだ儲け方といわなくてはならない。

技術輸出額を技術輸入額で割ったものを「技術貿易収支倍率」といい、数値が高いほどその国の技術競争力が高いことを意味する。二〇一〇年の韓国の技術貿易収支倍率は0.33、つまり技術輸出額が技術輸入額の三分の一程度しかないということだ。OECD加盟国で統計を提出している二五カ国中最下位である。日本は4.60で、二位ノルウェーの2.07を大きく引き離して断然トップの位置にある。アメリカ(六位)も1.46と日本の足元にも及ばない。

ウォン安が続いていた大きな要因の一つに、韓国が政府介入による積極的なウォン安政策をとってきたことが挙げられる。それでなぜウォンが暴落するところまでいかなかったかというと、日本との通貨スワップがあったからである。ようするに、日本が通貨スワップ協定で韓国に外貨融通の保証をしているため、ウォンは暴落しなかったのである。だから、韓国政府は日本の保証のお蔭で、何の心配もなく自国通貨をどんどん売り、ウォン安を維持し続けることができていた。

韓国では詐欺にあったというと「なんてバカな奴か」といわれるだけで、騙された方が悪いという考えがあるので届ない者が多いのである。韓国人が犯罪被害の届け出をあまりしないのは、詐欺の限ったことではなく、殺人を除く全犯罪に及んでいる。この届け出ない隠れた犯罪を「暗数犯罪」と呼ぶが、韓国の警察庁が公表した「暗数犯罪の推定方法及び最小化対策に関する研究」によると、強盗・窃盗の暗数犯罪は統計の18倍と推定されている。詐欺事件の暗数犯罪を少なく見積もって仮に10倍としても、200万件という凄まじい数字になる。

人口10万人当たりの件数で日韓を比較してみると、韓国は日本に対して殺人で3.1倍、強盗で3倍、放火で8.2倍、強姦で42.8倍となっている。

政府やマスコミが「軍国主義的反動の安倍政権を潰せ」などといっているのは、世界広しと言えども韓国(北朝鮮も)と中国だけである。その意味でも、今の中国・韓国の二国は国際社会の中で特異な存在だといわなくてはならない。両国が特異なままであり続けるならば、自ずと孤立を深めていくしかないだろう。

日韓関係の難しさは、基本的に価値観や情緒の在り方の違いからきている。これを人間関係の作り方という面で見てみると、日本人と韓国人・中国人は正反対ともいえるところがたくさんある。たとえば一般的にいって、韓国人でも中国人でも、人間関係をつくろうとすれば、出会った最初からできるだけ馴れ馴れしくしていこうとする。それに対して日本人の場合は、最初から馴れ馴れしくしようとはせず、一定の距離を置いて付き合い、徐々に距離を縮めていこうとするのが、一般的である。そこのところで、韓国人からすると「日本人はどうも本当の友達になろうとしていないのではないか」と思えてくるのである。

それでも、価値観をはじめとするお互いの違いを乗り越えて、互いに努力しながら国と国とが仲良くしていかなくてはならないのだが、今日のような最悪の日韓、日中の関係を生み出したのは韓国と中国のほうである。』

2014年1月 9日 (木)

真田太平記 (八) 紀州九度山 (池波正太郎著 新潮社)

『その三九郎が堂々とすすみ出たものだから、五郎右衛門に圧倒され、手足が竦(すく)んでいた人々は瞠目したものである。太刀を構え合い、じりじりと間合いをせばめつつ、「三九郎殿・・・・」 「は・・・・」 「いま、このときを忘るな」 「はい」 「よろしいかな。武士(もののふ)の一生は束の間のことじゃ」 「は」 「その束の間を、いかに生くるかじゃ」 「うけたまわった」 「まいれ!」 「応!」 二人の躰が飛びちがい、太刀と太刀が凄まじく打ち合った。

「わしはな、何処へ行って何をしようが同じことだと思っている。あの夜、柳生五郎右衛門殿に、この太腿を斬られたときから、ふしぎに、わが心が安らかになってまいってな」 「はあ・・・・」 「束の間の一生よ」 「何処へまいって何をなさろうとも、ただ滝川三九郎あるのみ・・・・このことにござりますな?」 「さようさ。そのとおりじゃ。なればこそ、何もおもいわずらうことがなくなったのだ。わしは何処に行っても、わしの為すことを為すのみ。そこのところをおもいきわめれば、束の間の一生、気楽なものよ」

お江は左向きに躰を横たえ、海老のように背をまるめ、両脚を縮めていた。忍びの者は、「手足をひろげ、仰向けになって眠るものではない」と、いわれている。』

2014年1月 5日 (日)

記事のリスト(H23.3.26~H26.1.3)

これまでの記事のリストを作ってみました。分類は、あくまで私の感覚によるものです。ご参考まで。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

番号 日付 書等名 分類
1 2014/1/3 悪韓論 朝鮮関連
2 2014/1/1 真田太平記 (7) 関ヶ原 戦国時代
3 2013/12/31 竜馬がゆく (7) 幕末
4 2013/12/27 真田太平記 (6) 家康東下 戦国時代
5 2013/12/25 真田太平記 (5) 秀頼誕生 戦国時代
6 2013/12/23 大空のサムライ 第2次大戦
7 2013/12/21 一夢庵風流記 戦国時代
8 2013/12/21 関東大震災 危機管理
9 2013/12/21 竜馬がゆく (6) 幕末
10 2013/12/1 真田太平記 (4) 甲賀問答 戦国時代
11 2013/11/24 韓国反日感情の正体 朝鮮関連
12 2013/11/22 竜馬がゆく (5) 幕末
13 2013/11/14 真田太平記 (3) 上田攻め 戦国時代
14 2013/11/2 人斬り半次郎 幕末編 幕末
15 2013/10/22 回天の門 幕末
16 2013/10/6 竜馬がゆく (4) 幕末
17 2013/10/5 真田太平記 (2) 秘密 戦国時代
18 2013/9/21 死ぬこととみつけたり 下巻 戦国時代
19 2013/9/15 真田太平記 (1) 天魔の夏 戦国時代
20 2013/9/14 竜馬がゆく (3) 幕末
21 2013/9/8 死ぬこととみつけたり 上巻 戦国時代
22 2013/8/17 竜馬がゆく (2) 幕末
23 2013/8/16 武田勝頼 (3) 空の巻 戦国時代
24 2013/7/20 竜馬がゆく (1) 幕末
25 2013/7/17 たそがれ清兵衛 時代小説
26 2013/7/8 夜消える 時代小説
27 2013/7/7 なぜ「これ」は健康にいいのか 健康
28 2013/6/29 武田勝頼 (2) 水の巻 戦国時代
29 2013/6/23 永遠の0 第2次大戦
30 2013/6/20 新聞記事 (阿比留瑠比) 外交
31 2013/6/10 玄鳥 時代小説
32 2013/6/9 新聞記事 (古森義久) 新聞記事
33 2013/6/1 長門守の陰謀 時代小説
34 2013/5/12 新聞記事 (田村秀雄) 経済
35 2013/5/11 新聞記事 (偉人伝) 第2次大戦
36 2013/5/6 新聞記事 (コラム)  
37 2013/5/5 新聞記事 (偉人伝) 第2次大戦
38 2013/5/4 武田勝頼 (1) 陽の巻 戦国時代
39 2013/5/3 経済の自虐主義を排す 日本の成長を妨げない人たち 経済
40 2013/5/1    
41 2013/4/21 新聞記事 (通貨戦争) 経済
42 2013/4/14 新聞記事 (通貨戦争) 経済
43 2013/4/7 海戦からみた日清戦争 戦史
44 2013/3/31 とんび 現代小説
45 2013/3/10 松風の門 時代小説
46 2013/3/7 海戦からみた日露戦争 戦史
47 2013/3/3 NHK さかのぼり日本史⑦ 戦国富を制する者が天下を制す 戦国時代
48 2013/2/24 男の系譜 エッセイ
49 2013/2/23 太平洋戦争 第2次大戦
50 2013/2/23 新聞記事 (古田博司) 朝鮮関連
51 2013/2/17 雑誌記事  その他
52 2013/2/16 新聞記事 その他
53 2013/2/2 武田信玄 山の巻 戦国時代
54 2013/1/30 新聞記事 (但木敬一) その他
55 2013/1/25 新聞記事 (北村晴男) その他
56 2013/1/25 新聞記事 (西原正) その他
57 2013/1/24 新聞記事 (豊田泰光) その他
58 2013/1/3 樅の木は残った (下) 時代小説
59 2012/12/30 樅の木は残った (中) 時代小説
60 2012/12/28 樅の木は残った (上) 時代小説
61 2012/12/23 武田信玄 火の巻 戦国時代
62 2012/12/9 八日目の蝉 現代小説
63 2012/12/8 新聞記事 (適菜収) 政治
64 2012/12/4 新聞記事 自己啓発
65 2012/11/24 2014年、中国は崩壊する 中国関連
66 2012/11/22 それでもヤクザはやってくる 暴力団vs飲食店経営者のあくなき闘い その他
67 2012/11/19 新聞記事 (佐伯啓思) その他
68 2012/11/11 武田信玄 林の巻 戦国時代
69 2012/11/10 男の作法 その他
70 2012/10/30 新聞記事 自己啓発
71 2012/10/27 新聞記事 英語
72 2012/10/24 陰陽師 時代小説
73 2012/10/22 新聞記事 (偉人) その他
74 2012/10/13 空飛ぶ広報室 現代小説
75 2012/10/8 三橋貴明の日本経済の真実がよくわかる本 経済
76 2012/10/1 新聞記事 その他
77 2012/9/3 風の果て (上・下) 時代小説
78 2012/9/25 隠し剣秋風抄 時代小説
79 2012/9/23 新聞記事 その他
80 2012/9/22 40代からの勉強法 やる気・集中力をどう高めるか 自己啓発
81 2012/9/20 新聞記事 (古森義久) 中国関連
82 2012/9/16 忘れ得ぬ翼 第2次大戦
83 2012/9/15 警視庁情報官 トリックスター 現代小説
84 2012/9/12 新聞記事 (偉人) その他
85 2012/9/9 毛利元就 戦国時代
86 2012/9/6 武田信玄 風の巻 戦国時代
87 2012/8/10 新聞記事 (ハロラン) 朝鮮関連
88 2012/8/4 隠し剣弧影抄 時代小説
89 2012/7/27 新聞記事 (偉人) その他
90 2012/7/25 濹東綺譚 古典小説
91 2012/7/23 三屋清左衛門残日録 時代小説
92 2012/7/14 雪明り 時代小説
93 2012/7/13 秘太刀馬の骨 時代小説
94 2012/7/5 新聞記事 (石平) 中国関連
95 2012/7/2 新聞記事 (石原慎太郎) その他
96 2012/6/29 政治家・官僚の名門高校人脈 その他
97 2012/6/20 新聞記事 (福地重雄) 組織論
98 2012/6/17 麦屋町昼下がり 時代小説
99 2012/6/16 蝉しぐれ 時代小説
100 2012/6/9 海軍乙事件 第2次大戦
101 2012/6/8 新聞記事 (新・関西笑談) その他
102 2012/6/7 新聞記事 (石平) 中国関連
103 2012/6/3 新聞記事 (ハロラン) 安全保障
104 2012/5/26 護持院原の敵討 古典小説
105 2012/5/26 静かな木 時代小説
106 2012/5/24 韓国人から見た北朝鮮 独裁国家のルーツ 朝鮮関連
107 2012/5/21 新聞記事 (楊海英) 中国関連
108 2012/4/28 華岡青洲の妻 時代小説
109 2012/4/21 世界の変化を知らない日本 アメリカは日本をどう見ているのか 安全保障
110 2012/4/14 雑誌記事 (イングリッシュ・ジャーナル) 英語学習
111 2012/3/5 SAS・精鋭部隊実戦訓練マニュアル 安全保障
112 2012/2/6 新聞記事 (指導者考) リーダーシップ
113 2012/1/29 新聞記事 中国関連他
114 2011/12/24 新聞記事 その他
115 2011/12/23 「東大」「ハーバード」ダブル合格16倍勉強法 自己啓発
116 2011/12/17 教科書・日本の安全保障 安全保障
117 2011/11/27 新聞記事 (石平) 中国関連
118 2011/11/22 英語力を上げる実践勉強法 英語学習
119 2011/11/12 新聞記事 (石平) 中国関連
120 2011/11/6 決断できない日本 安全保障
121 2011/10/10 西郷隆盛 幕末
122 2011/10/9 公安は誰をマークしているか 安全保障
123 2011/9/30 新聞記事 (石平) 中国関連
124 2011/9/25 心の操縦法 真実のリーダーをマインドオペレーション リーダーシップ
125 2011/9/23 国会議員の仕事 職業としての政治 その他
126 2011/9/17 新聞記事 (石平) 中国関連
127 2011/9/12 発電する家 「エコだハウス」入門 その他
128 2011/9/2 新聞記事 (石平) 中国関連
129 2011/8/28 新聞記事 (新・関西笑談) その他
130 2011/8/27 亡国の本質 日本はなぜ敗戦必至の戦争に突入したのか 第2次大戦
131 2011/8/21 雑誌記事 (ナンバー) その他
132 2011/8/20 警視庁情報官 ハニートラップ 現代小説
133 2011/8/17 西の魔女が死んだ 現代小説
134 2011/8/14 中国人の正体 中華思想から暴く中国の真の姿 中国関連
135 2011/8/13 スイスと日本 国を守るということ 安全保障
136 2011/8/7 勝海舟の人生訓 その他
137 2011/7/30 漢字廃止で韓国に何が起きたか 朝鮮関連
138 2011/7/22 新聞記事 (石平) 中国関連
139 2011/7/18 役にたたない自衛隊、だからこうする 安全保障
140 2011/7/9 失敗学 実践講義 危機管理
141 2011/7/8 新聞記事 (石平) 中国関連
142 2011/7/3 「うつ」は食べ物が原因だった! 健康
143 2011/6/25 世界の経済が一目でわかる地図帳 経済
144 2011/6/24 新聞記事 (石平) 中国関連
145 2011/6/19 新聞記事 (古森義久) 中国関連
146 2011/6/11 石油がわかれば世界が読める 経済
147 2011/6/9 新聞記事 (石平) 中国関連
148 2011/6/7 新聞記事 (新・関西笑談) その他
149 2011/6/5 同盟国としての米国 安全保障
150 2011/6/4 長寿遺伝子をオンにする生き方 健康
151 2011/6/1 新聞記事 (古森義久) 中国関連
152 2011/5/29 未来兵器の科学 安全保障
153 2011/5/26 新聞記事 (石平) 中国関連
154 2011/5/22 小部隊指揮官バイブル リーダーシップ
155 2011/5/21 インテリジェンスと国際情勢分析 安全保障
156 2011/5/20 新聞記事 その他
157 2011/5/15 ドイツ参謀本部 その栄光と終焉 安全保障
158 2011/5/14 文明の衝突 安全保障
159 2011/5/10 新聞記事 (新保祐司) 日本文化
160 2011/5/8 戦後五十年目の総括 日本帝国海軍はなぜ敗れたか 第2次大戦
161 2011/5/5 知らないではすなまい中国の大問題 中国関連
162 2011/5/4 日米同盟崩壊 もう米軍は日本を中国から守らない 安全保障
163 2011/5/3 甲陽軍鑑 (その2) 戦国時代
164 2011/5/2 戦略の格言 戦略家のための40の格言 安全保障
165 2011/5/1 飛行機の操縦 機長はコックピットで何を考えているのか その他
166 2011/4/29 できる人の超速勉強法 自己啓発
167 2011/4/26 たった3ヶ月で英語の達人 英語学習
168 2011/4/24 日本海軍の戦略発想 第2次大戦
169 2011/4/22 明治天皇御製 日本文化
170 2011/4/21 新聞記事 (畑村洋太郎) 危機管理
171 2011/4/19 帝国陸軍の〈改革と抵抗〉 安全保障
172 2011/4/16 くじけないこと その他
173 2011/4/15 人を見抜く技術 その他
174 2011/4/14 わが祖国 中国の悲惨な真実 中国関連
175 2011/4/10 野村ノート リーダーシップ
176 2011/4/9 経済ニュースが10倍よくわかる日本経済のカラクリ 経済
177 2011/4/7 黒川伊保子女史 自己啓発
178 2011/4/6 新聞記事 その他
179 2011/4/5 新聞記事 安全保障
180 2011/4/3 エースの品格 一流と二流の違いとは リーダーシップ
181 2011/4/2 雑誌記事の備忘 その他
182 2011/4/1 私の履歴書 安藤忠雄 日本文化
183 2011/3/31 ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方 自己啓発
184 2011/3/29 最高指導者の条件 リーダーシップ
185 2011/3/28 最強の勉強法 自己啓発
186 2011/3/26 好きな言葉集 その他

2014年1月 3日 (金)

悪韓論 (室谷克美著 新潮社)

話題だった書の電子版が出たので、購入し読んでみました。知らなかったことをたくさん知ることができました。ますます彼の国とは距離を置くべきだと感じました。

『日本人は、大体のところ「滅私奉公」という価値観に染まっている。・・これに対して、李麟栄が体現してみせた価値は「滅私奉公」とは全く逆、言うならば《滅公奉私》だ。韓国人にとって最も大事なものは、自分自身と家族、そして先祖と一族だ。これは儒教に基づく。韓国人にとって企業とは、自分が所有するものでない限り、自分が勤務する企業であっても「他人の私物」に他ならない。

韓国人にとって重要なのは、どんな汚い術(て)を使おうと勝ち上がることだ。そして、絶対の王者として君臨してしまえば「尊敬」の対象になり、その下に馳せ参じようとする人々で溢れるのだ。わかりやすい例を挙げれば、すっころんでも金メダルの金妍児だ。外国のアイスショーからはお呼びが掛からないが、たちまち百億ウォン長者になった。

「では、良い職とは」と尋ねると、八割ぐらいが、「大きな財閥の社員か銀行員」、あるいは「公務員か教師」と答える。大学を卒業して大手財閥系や、非財閥系でも製鉄大手のポス古などに入社すると、初任給からしてレベルが違うのだ。

簡潔に表現すれば、「大卒以上でなければ人間扱いされない」となるのだろう。この表現は私の言葉ではない。朝鮮日報の特集記事「追い詰められる大学生」(11.3.13)の本記の主見出しだ。

韓国人は何事につけても、明確な格差を設けることが好きだ。それをマザマザと見せつけてくれるのが社屋内の部屋のスペースだ。

韓国の左翼とは、どこまでも、「親北派」だ。時に「労働者の味方」の顔を作っても、その本質はマルクス主義者とは似ても似つかぬ「王党派」「王朝主義者」だ。

日本人の目から見ると、韓国とは異様な「留学大国」だ。・・米国にも「韓国人専用」の教育施設が、「大学」として存在するようだ。

・・韓国の男子留学生が韓国に逃げ帰っても、フィリピン女性は出産する。こうして生まれた子供を「コピノ」と呼ぶ。コリアンとフィリピーノの合成語だ。コピノはフィリピン社会で差別の対象になっている。その数は、「〇三年には一千人程度とされたが、〇八年には一万人を超えたと推定されている」(韓国日報08.12.12「父なしコピノ一万人 韓国の男は悪い」)

「大卒新入社員の平均年齢が二十八歳」になる最大の要因は兵役を終えて大学を卒業しても就職先がないことだ。二〇〇〇年代に入ってから毎年、大学卒業者のうち、就職浪人の悲哀を味わうことなく就職できたのは、ほぼ半数だった。

九十年代中盤から、「学歴過剰大国」では、こんな事態が展開されてきた。高卒資格の公務員職に、大卒、大学院卒が押し掛けるのはもはや常識。大学を出て留学経験もあるのに正規職では入社できないままアルバイトを転々とし、ついには”諦め型挫折人生”を決め込む中年男性は珍しくない。

「漢江の奇跡」と称された韓国の高度成長期があった。一九七〇年代後半のことだ。「奇跡」のカラクリは、対外債務の累積を伴う経済基盤の拡張だったが、この時代は「スカウトされないような奴は無能」と言われ、職場定着率は極めて低かった。その後、韓国はアジア金融危機に伴い経済破たんを経験したが、職場定着率の低さは若年層を中心にして変わらなかった。

半島には、物づくりをする人間を蔑視し、生産現場を卑しむ文化があった。それが今も続いている。異様なまでの学歴崇拝と、職種に対する強烈な貴賤意識が形づくる現代韓国の事実上の身分制度は、それ自体が「差別の文化」と言える。

ここはこうして、仕上げはこういう風にする、といったことは熱心に学ぶ。しかし、何故こうするのかについては、全然興味を示さない。・・精緻な技術マニュアルも、手順だけ習得すれば、もう不要。あとは手抜きを重ねて、マニュアル通りにしたよりも、「早く」出来上げる劣化コピーの完成で大満足する。その製品が技術提供先との協約をする抜けて第三国に輸出できたなら、今度は「わが民族の偉大さ」を実感するのだ。

しかし、私の体験的知見で言えば、何の利益がなくても、いや、それどころか損をすることになろうとも、自らを着飾ってみせ、自己陶酔するのが韓国人だ。着飾ってみせるためなら、嘘を吐くことぐらい、ほとんど躊躇しない。これは、個人のレベルでも、企業のレベルでも、政府のレベルでも同じだ。

《外華内貧》とは半島で創作された数少ない四字熟語の一つだ。・・中身はボロでも、とりあえず外観を飾り立てたい。そのためなら嘘を吐くぐらいかまわない。それが《外華内貧》のマインドだ。私は、歓呼k人とは何もかを示す最も的確な言葉が《外華内貧》だと思っている。

・・韓国の高齢者自殺率は、どうだ。OECD加盟国の中で断トツの一位なのだ。日本も自殺率が高い国だが、高齢者に限ってみると全く違う。・・十万人当たりの自殺者数はこうだ。▽韓国 六十五~七十四歳では、81.8人、七十五歳以上では160.4人   ▽日本 六十五~七十四歳では17.9人、七十五歳以上では14.6人

「息を吐くように嘘を吐く」と「非を認めず謝らない」「相手には誤らせたい」が合体したような国民性だ。しかも、韓国とは世界屈指の「飲酒大国」だ。世界保健機関(WHO)の統計によると、韓国人の飲酒量は世界十三位でアジア一位(上位十二カ国はいずれも東欧圏)だが、度数の高い酒に限ってみると、韓国が消費量世界一位であり、・・

「・・・摘発されたのは、『太平洋戦争犠牲者遺族会』『民間請求権訴訟団』など対日請求や反日集会・デモを展開してきた団体。古くから活動家で日本でも知られる梁順任・遺族会会長(67)にも容疑がむけられており、対日補償請求運動にもブレーキがかかりそうだ」黒田記事は触れていないが、梁順任会長とは、「従軍」慰安婦の火つけ記事を書いた植村隆・朝日新聞記者の義母にあたる。日本の慰安婦報道の胡散臭さの源がここにある。

「国内の地下経済規模が、相変わらず国内総生産(GDP)の最大三〇%に達するという報告書が出た。こうした比率はOECD加盟国のうち最も高い水準だ。大韓商工会議所は報告書『地下経済の推移と示唆点』で、国内の地下経済規模は最大三百五十兆ウォン(約27兆円)と推定される、と明らかにした」(中央日報08.1.17)

私債は、朝鮮半島伝来の金融手法だ。新羅王朝が、飢饉の時に庶民に雑穀を貸し与え、次の収穫の際に利子分を上乗せさせて返却させたあたりに起源があるのだろう。李王朝が消滅し、貨幣経済が行き渡ると、それは高利資金の私的貸借となり、いつしか資金の出し手(金主)と借り手を仲介する専門業者が現れ、ヤミのつまり脱税を前提として金融手法として広く定着したのだ。・・・弱者こそお得意様であること、そして脱税資金であることこそ、私債の本質だ。そうした私債を、「先進国」を自称しつつ、いっこうに絶滅できない国が韓国なのだ。

韓国の金持ちは、なぜ躊躇なく私債の金主になるのだろうか。根底にあるのは「ちょっと違法なことぐらいしても儲かればいい」というマインドだろうが、私は韓国人が「博打好き」であることも大きな要因だとみている。・・韓国文化観光研究院が〇八年に行った調査によると、「韓国人の賭博中毒有病率、すなわち賭博による問題を経験した割合は9.5%」(朝鮮日報09.1.3)。これは、世界一の高率だったという。・・・韓国は「ネット大国」と自称しているが、その主流派ゲームであり、中核はオンライン賭博なのだ。

中央日報(13.2.8)は李明博政権を振り返って、こう書いている。「李大統領は為替レートを自ら管理した」「大統領自身が輸出単価を左右する為替レートの重要性をよく知っていた。原因は複合的だが、韓国経済はこの五年間”ウォン安”を満喫した」まさに輸出企業(財閥)のための大統領だったのだ。この期間、サムスン電子も現代・起亜自動車も海外で大売れしなければ可笑しかったのだ。しかし、米国の強い警告により、見え見えの為替操作はできなくなり、十二年秋からウォンの静かな上昇が始まった。そして、十二年暮れからは、行き過ぎた超円高の修正が重なる動きになった。

KTXと同じだ。国産化率が高くなるほど事故が起きているのだ。そして、原因不明のまま、関連部品だけを交換して再稼働・・・・。ああ、恐ろしい。日本の観光庁幹部は中央日報とのインタビューの中で、「日本の大気中の放射線物質の量は少ないほうだ。数値では東京や仙台はソウルの半分程度にしかならない」(12.3.10)と述べている。これまで放射能漏れ事故がないことになっているソウルが、東日本大震災後の仙台より二倍も放射性物質量が多いというのだ。韓国の当局は、私がウォッチしている限りでは、この件について何も言っていない。「韓国女性の甲状腺がん発症率は日本の十四倍」(中央日報12.11.2)韓国の原発は本当に大丈夫なのだろうか。KTXと同様、韓国の原発専門家、技術者らはどうやらシステムの深奥の理解にいたっていない。だから、韓国では原発の核心部品を製造できない。

関連してみなくてはならないのが、日本で展開されている「原発ゼロ」運動だ。この運動の目標が実現したら、日本は高コスト国になり製品は輸出競争力を失う。そして、日本の原発専門家・技術者は、韓国、もしかしたら北朝鮮にも流れるだろう。「原発ゼロ」運動には在日韓国・朝鮮人グループが介在していることの傍証は、既に様々と挙げられている。「原発ゼロ」運動そのものが、実は日本の原発専門家・技術者を半島に招き入れる目的を、伏流にしているのではあるまいか。

「底なし汚職帝国」の特徴は、教育をする人間、取り締まる人間、そして裁く人間まで、汚職に染まっていることだ。・・底なし汚職の国は、「恩赦大国」でもある。大部分は道交法違反による免許取り消し・停止者、あるいは食品衛生法など行政関係法の違反者とされるが、九十八年に五百五十二万人を恩赦したのに、その七年後にはまた恩赦すべきと判断される対象者六百五十万人溜まっているというのだ。この時点で韓国の人口は五千万人弱。もちろん、寝たきりの人も児童もいる。その中で六百五十万人が恩赦対象であり、他にも恩赦の対象にならない服役者、未決拘留者などがいる。「恩赦大国」の前に、「犯罪者大国」なのだ。

・・政府の手による初の売春実態調査が実施された。その結果、明らかにされた点は、中央日報(03.2.6)によれば、次のようのものだった。 (1) 売春産業は年間二十六兆ウォン(約二兆六千億円)台の規模であり、〇一年の国内総生産(GDP)五百四十五兆ウォンの五%に当たる。 (2) 「専業」女性はおよそ二十六万人で、満二十歳から三十四歳までの女性(〇二年、統計庁)人口の四%にあたる。・・「専業」とは、公娼館、あるいは私娼窟にいる女性のことだ。・・すなわち、「副業売春婦」がいる。簡単に言えば、酒を飲む店で、客の隣に座り酌をする女性は、韓国の常識では「頼めば出来る存在」なのだ(専業よりずっと高いが)。当時、売春禁止運動を進めた女性団体は、専業・副業合わせて八十万人という数字を挙げていた。満二十~三十四歳の女性の一割超が・・・・ということだ。

韓国人の海外進出売春全体の中でみると、日本は特殊なケースらしい。「現地の暴力団と癒着しているため、取り締まりや処罰されるケースがほとんどない。地方都市の風俗街では韓国人女性が集団で風俗店を経営しているケースもある」(朝鮮日報) その「現地の暴力団」の三割が在日韓国・朝鮮人であることを、韓国のマスコミは伝えたことがない。

これほど「風俗インフラ」と人員が整っているのに、韓国は「強姦大国」でもあるから不思議だ。朝鮮日報(12.12.18)は最高検の「犯罪分析(十二年)」を引用してこう報じた。「十一年に捜査機関(検察や警察など)が摘発した性犯罪の件数は二万二千三十四件で、一日平均では60.4件となった。〇七年の摘発件数(一万三千六百三十四件)に比べると、四年間で61.6%も増加した」「専門家たちは通常、統計に表れない性犯罪の発生件数が、実際に摘発された件数の九倍程度に上ると推定している」

韓国は、経済がいよいよ行き詰れば、再び日本にオファーを仕掛けて来るかも知れない。そうした場合は、彼の国の国技であるロビー工作が展開されないよう、厳重に見張る必要がある。

2014年1月 1日 (水)

真田太平記 (七) 関ヶ原 (池波正太郎著 新潮社)

『合理を重んじる三成の脳裏には、どうしても、兵力において味方が劣っていることが消えない。劣っているといっても、宇喜多秀家の軍団が大垣へ入ったいま、それほどの差はない。だが、そのわずかの劣勢が気にかかって、(家康との決戦の前に、兵を損じてはならぬ・・・・)と、おもうあまりに、勇将・島津義弘の怒りを買い、たのもしい味方の宇喜多秀家に愛想をつかされ、みすみす、味方の士気の衰弱をまねいてしまった。

・・陣所へ引き上げて来た小西行長は、侍臣の山口又七郎へ、こう漏らしている。「治部殿は、何から何までぬかりなく運ぼうとする。平時の折には、それも結構であるが、戦には魔性があって、この魔性に立ち向かい、戦機を得るためには、書状をいじりまわし、政令を案ずるようにはまいらぬのじゃ」

家康の侍医として、この戦役に従って来ている板坂卜斎は、こういっている。「・・・関ヶ原の戦が終わるまでは、内府公(家康)を主とは大名衆も存ぜられず、ただ、天下の御家老として敬っていたのである。天下の主は大坂におわす豊臣秀頼公のみと心得ていた。これは大名衆のみならず、諸人下々にいたるまでの常識というものであった」

立花宗茂のように、たとえ敵方へ与した大名であっても、だれの目にも清廉な言動に終始した人物は、敗北の後も、ふたたび世に出ることが多い。このような人物なら、「味方にしても安心・・・・」であるからだ。それに引きかえ、裏切り行為によっていったんは戦功を得たものは、しばらくすると、その大半が悲運に見舞われることになる。「味方にしても、いつ、裏切られるか知れたものではない」からだろう。これは家康のみならず、秀吉・信長にしてもそうであった。』

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