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2013年12月22日 (日)

一夢庵風流記 (隆慶一郎著 新潮社)

紙の本を愛読していましたが、電子版が出たので買い直し、改めて読んでみました。やはり読後感爽やかな書でした。

『助右衛門は多くをしゃべらない。大方はうなるだけで藩士を進めてゆくという特技を持っている。およそ言葉というものを信用していない。対話とはお互いの心と心が理解し合うことだ。そして言葉は多くのばあい、心を隠す役しかしない。かたくなにそう信じている。

源右衛門は歴戦の戦国武士である。いかに主君の命令でも、没義道だと思えば断乎として拒否する骨の硬さをもつ。おそらく一言の下に拒否したに違いない。浪人はもとより、討ち果たされてもかまわぬ。一瞬にそれだけの決意をしただろう。

あっという間に眠り込んだ。これは慶次郎だけの特技ではない。戦場往来の『いくさ人』たちは、すべて、何時、どこでも眠ろうと思えば即座に眠れる。

戦士の屍を狼や山犬の餌食にすることは出来ない。深く掘って埋めてやることだけが自分も何時野たれ死にするか判らない『いくさ人』にとっての最低の作法だった。

「生きて都の花をみるのは、これが最後かもしれないよ。心ゆくまで味わっておいてくれ」 別段格別のことが起こる予感があったわけではない。慶次郎にしてみれば、これは戦士としての普通の覚悟にすぎない。それに明日はないと思うからこそ、今日が楽しいのではないか。

自分だけ愉しんでも面白いわけがない。一座の全員が愉しまなければ真の意味で愉しいとは云えなのを、慶次郎はよく知っている。だから一座に気を使い、気分を盛り立てようとする。

何故誰にもできないか。一切の欲を切り棄てなければならないからだ。あらゆる欲とあらゆる見栄を棄て去り、己の生きざまだけに忠実にならなければ慶次郎のようには生きられない。それだけではなかった。慶次郎のように生きるには天賦の才能が必要だった。

「それにしても治部は心が狭いな。茶人の一人や二人のさばっていても天下に変わりはないだろうに」 「それができないんですね、あのお人には。すべてがすっきり割り切れないと気がすまない。たとえ考えていることは正しくても、そのために逆に歪んでしまうことさえある。少なくとも、ひとにそうみられる。気の毒なお人です」・・慶次郎には石田三成の成り行く先が大方見えている。この手の男が運に乗れるのは、平和の中でだけだ。つまりは強権の庇護がある時だけだ。その庇護がなくなれば、ひとたまりもなく衰運に向かう。

「この博多の津はな、・・町の中に武士が住むことを禁じて完全な町人町にしたそうだ」

「その男に伝えろ。鉄弓をひくぐらいのことで偉そうな顔をするな、とな。実際の戦では鉄弓より並の半弓のほうが役に立つんだ。戦場では速さが勝負だ。・・」

悟洞は一瞬の躊躇いもなく『遠町筒』の引金をしぼった。こういう胸のすくような決断は殺し屋に特有のものである。

誰一人訪う人もないこの奥山に、たった一人きりで夏を凌ぎ、秋を迎え、冬の寒冷に耐えてきた剛毅な樹である。折々の淋しさも辛さも少しも色に出さず、この一時だけ狂ったように楽しく己を花咲かせる異能のものである。一年にたった一日とはいえ、共に酒を酌み、共に琴を弾ずる友がいてもいいではないか。

「それは違うな」 慶次郎は云うのである。 「悲しい奴は肩を寄せ合ってはいけないんだよ。みじめになるばかりだ。それにそんなことが出来ないのが悲しさじゃないか。みんな独り。それがいいのさ」

「何もとりたてて騒ぐとこではないのだ。父は子を愛し、また子に愛されると信ずるほうがおかしいのだよ。誰もが一匹の男だ。一匹の獣だ。それぞれの理由で牙をむくのが本来のさがだ。それをおそれて子の牙を抜けば、その子は他の獣の牙にかかるだけだ。親に叛く牙も持たぬ男に、何が出来る」

・・秀吉は病に倒れ、八月十八日、六十二歳で死んだ。 露とおち露と消えにし我が身哉 難波のことも夢のまた夢  それが秀吉の辞世と伝えられている。

「主馬に徳川殿が討てると思うか。人間の格が違う。たとえ枕許に立ったとしても、あやつには殺すことは出来ぬ」 これは正確な判断だった。一代の武将の中で忍びに殺された人物が一人もいないのはこの為である。

「ふとくたびれて、道端に坐る。ごろんと横になる。眠りこんでそのまま目覚めない。俺はそんな風に死にたい。お前のは手が込みすぎている。そういうのをじたばたすると云う」

・・おまつが云ったという言葉が・・現代語にすれば次のようなものだ。 「侍は家を立てるのが第一。母を思って家を潰すことはならぬ。つまるところは我を捨てよ」 我をすてよ、と云う凛呼たる言葉に、利長は負けた。

汚いやり口だと、秀康は吐き捨てるように云った。 「合戦に汚いも綺麗もないんだよ」 慶次郎は云った。 「勝つか負けるか、生きるか死ぬか、それだけのことさ。勝って生きのびれば、それでいいのさ。恥も外聞もない。ぎりぎりの決着のところがいくさなのだ。内府殿はそれをよく知っていられる。戦機と見ればなりふり構わず強引に仕掛けるのだ。さすがというべきだろう」 そうでしょうか、と秀康は不満そうに呟いた。 『直江状』は凛然として爽やかであろう。だがまさしくその爽やかさ故に、慶次郎は敗北を予感した。もっともそんなことはどうでもよかった。

再び眼を開けた時、慶次郎の顔が一変していた。既に『いくさ人』の顔になり切っている。死を決した、と云うようなものではない。『いくさ人』がそんな一見悲壮なようで実は馬鹿馬鹿しい覚悟をするわけがない。ただ生死の境に入ると覚悟するだけである。生死は天に任せると云うことだ。力の続く限り殺してくれようと思う。修羅に入るのである。

「で、では敵味方と云うことに・・・・・」 当たり前のことである。今更口に出す必要のないことだった。秀康の若さである。 「戦陣の慣(なら)い」 ずばりと切って捨てた。 「戦場でお目にかかるのを楽しみにしておる。遠慮は御無用」 ぶるっと秀康が震えた。武者震いである。異様なまでに気持ちが高揚してきた。

本来大名が転封される時には、何よりも先に先祖の墓を新領地に持ってゆくものである。大方が新しい寺を立てて菩提寺とし、ここに墓をおさめる。

地方の寺の住職は、その地方きっての文化人である。大方は若く京に学び、漢詩及び和歌の素養を受けている。たまに都ぶりの文人墨客に逢えば喜んで迎えるのはそのためだ。

直江兼続は三千の兵を率いて、自ら殿軍(しんがり)を務めた。味方を無事に退却させるために、殿軍は全力を挙げて戦い、全滅するか、それに近い状態に追い込められるのが常である。その役を総大将自ら引き受けたところに、武人直江兼続の誇りと廉潔さた歴歴として示されていると云えようか。』

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