真田太平記 〈五〉 秀頼誕生 (池波正太郎著 新潮社)
『昌幸は、真面目顔に、「獣と人とは、扱い方が、まるで違うのじゃ。また、同じ獣にしても、猿と馬とではまたちがう。牛とも違う。わしの目からみると、人よりも獣のほうが大分に利口のようにおもえてならぬわ」 そういったものである。
人間という生きものは、悲しみにも弱いが、よろこびにも弱いものなのだ。
現代の四十七歳ではない。およそ四百年も前の、そのころの人びとの精神の成長は、現代人とはくらべものにならぬほど早い。身分の上下、男女の性別なく、年少のころより[大人の世界]へ入って行き、立ち働かねばならなかったからだ。
しかし、人の言葉というものも、まことにたよりないものなのだ。なまじ、言葉に出してしまったがために、その自分の言葉に責任(せめ)を感じ、おもわぬ方向へ自分が歩き出してしまうことさえある。また、おのれが吐いた言葉の消滅を願うあまり、知らず知らず、わが身を破滅させてしまうこともある。また、そのために、かえって栄達や幸福をつかむこともある。
便利な世の中になったことはいうまでもないのだが、それだけにまた、世の中の仕組みも複雑となってきた。 「このような世になると、人のこころまで変わるぞよ」 こういったのは、ほかならぬ真田昌幸である。
・・幸隆は、「疑うて失敗(しくじり)をいたすより、信を置いてなお、破れるほうがよい。疑うて破れたときはなかなかに立ち直れぬものじゃが、信ずるがゆえに過ちを見るときは、かならず立ち直ることができる。なれど源五郎、これは男のことよ」 いいさしてから、 「女は別じゃ。女は男の場合と、何事にも逆様(さかしま)になるのじゃ」 にんまりと笑った。その父の顔を、今も昌幸は忘れることができない。
数人の敵の刃や槍に囲まれ、(もうこれまで・・・・)死ぬる覚悟をさだめたとき、与七は、「まず、笑うてみよ」と、いうのである。笑えるわけのものではないが、ともかく、むりにも笑ってみる。すると、その笑いが、おもわぬちからをよび起してくれる。むりに笑った笑いが、「なんの。ここで殪(たお)れてなるものか」という不適の笑いに変わってくる。ともかくも、まず、些細な動作を肉体に起こしてみて、そのことによって、わが精神を操作せよというのだ。
この、いわゆる[お歯黒]は、もともと女子の化粧の一種であったが、白河上皇の時代から男子にもおよび、宮中や公家の風俗ともなっていた。』
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