竜馬がゆく (六) (司馬遼太郎著 文春ウェブ文庫)
『西郷のすきな人物は、先君島津斉彬は別格として、楠木正成、石田三成、ナポレオン、ワシントンであった。
古来、薩摩藩は一種の秘密国家で、他国人をいっさい入れない。江戸初期の幕威のさかんなころでさえ、幕府の隠密でこの藩に入国できた者はまずない。追いかえされたり、関所役人にひそかに斬殺されたりした。そのため、江戸では、行って帰らぬことを「薩摩飛脚」といったほどであった。
西郷にいわせれば、こういう複雑な問題はあたら愚人どもに相談したりするとかえって事が複雑化し成る話もならぬことがある、というのである。
攘夷というのはもはや、初期の単なる外国人嫌いから複雑化し、そのような幕府の貿易独占態度への反発、それに幕府いじめや討幕の単なる口実としての攘夷といったようないわば経済・政治的意味をもつまでになっている。
余談だが高杉の暗殺を計画していたのは、維新後、兵部大輔大村益次郎を京都の宿にふみこんで斬った長州人神代直人であった。
下関は、話題が多い。西日本きっての海港だから、天下の情勢を知るにはこれほどいい場所はすくない。長州藩士が時代に敏感になったのは、ひとつには海上交通の要衝である下関を領内にもっているからだろう。
余談だが、土佐人は山岳型と海洋型にわかれているといわれる。普通、山岳型の代表的人物を中岡慎太郎とし、海洋型のそれを坂本竜馬としている。きちょうめんで計画性にとんでいるが、輪郭が明瞭すぎてひろがりがなく、融通がきかない、というのが山岳型。
「人の運命はわかりませんな」「それはちがう。人の運命は九割は自分の不明による罪だ。なににせよ、藤堂平助などは、いまとなっては道をひきかえすわけにはいくまい」
このことについて、桂に随行している長州の品川弥二郎は、維新後、こう語っている。「木戸(桂)の言い分と態度は、そばで聞いていたわれわれ長州人でさえずいぶんと非の打ちどころがあると思った。薩州側に立って言い分をつくるつもりなら、いくらも反駁できたに違いない。しかるに、洵(まこと)に御尤も、と一語を発しただけで頭をさげていた西郷は、さすがに大人物といわざるをえない」
・・竜馬は、「図に乗って淫談戯論をするうちに、どうしてもその語中に見下げられるところが出て来る。年配者は、おもしろがりながらも心中、軽侮する」 猥談の節度がかんじんだ、その節度の感覚のある男ならなにをやっても大事を成せる男だ、わしのみるところ西郷は達人だな、と妙なことで西郷を褒めた。
「幕兵がもし押し寄せてくれば、島津七十七万石の実力と名誉にかけて一歩たりともいれるな」と厳命した。島津七十七万石の実力にかけて、と言うが、藩邸で居残って幕兵をふせぐべき人数は、一人であった。一人にこれほどの「大命」を凛凛とあたえるところが、薩摩の家風をほうふつさせておもしろい。
彦八は、西郷と同町内の鹿児島城下加治屋町に屋敷をもっている。この一角七十余軒の貧乏武家町から、西郷隆盛、同従道、大久保利通、黒木為楨、東郷平八郎、大山巌などがでている・・
西郷のいう「傷にきく温泉」とは、霧島山の山ふところにかもまれた塩浸(しおひたし)温泉のことで、「薩摩者で傷をしたものは、医者どんにはかかり申さん。塩浸に行もさ」といった。
「おりょうよ、世間のすべてはこうだ、遠きに居るときは神秘めかしく見えるが、近づいてみればこのたぐいだ。将軍、大名のたぐいもこれとかわらない」
武士の道徳は、煮詰めてしまえばたった一つの徳目に落ちつくであろう。潔さ、ということだ。
「五平太はどのくらいあるかね」人の名前ではない。石炭のことだ。北九州で初めて石炭を掘りだした男の名がこんな新規な燃料の名になってしまった・・
薩人の酒宴というのはおのおの酒量に応じて泰然と飲む、というやりかたである。土州人のやりかたは、唄をうたってたがいに鼓舞しながら騒がしく飲み、たがいに強制しあい、箸拳などをして飲み比べをし、ついには動けなくなるまでやりあう。酒宴を闘争の場と心得ている。おなじ南国人でも薩摩と土佐とは、その点がちがっているようであった
古来、英雄豪傑とは、老獪と純情のつかいわけのうまい男をいうのだ 』
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