大空のサムライ (坂井三郎著 光文社)
かなり前から知っていた書でしたが、今回初めて読みました。実際の戦闘の様相がよくわかりました。また、坂井氏は艦載機の搭乗員と勝手に思い込んでいましたが、そうでないことを知ることもできました。
『・・零戦を操縦して戦う私たちには、さらにもう一つの意地がありました。それは、みずから先進国と豪語する敵の飛行機と操縦者、とくに敵の戦闘機には、絶対に負けてはならない、たとえ総合力で日本が敗れることがあっても、われわれ戦闘機隊は負けてはならないという考えでした。これが日本海軍戦闘機のりの心意気だったのです。
「まず事故(ピンチ)に直面したとき、第一になにをなすべきか。それは何をさておいても、落ち着くことである。〈しまった、しまった〉と、過去を恨み、自分の不運を嘆き、心を乱す考えを起こすことは、この時点においては、マイナス以外のなにものでもない。まず落ち着いて処置方法を考え、もっともよいと思った方法を、迷わず断行することである。その間、一秒のムダがあってもならないのだ。何度もいうが、まず落ち着くことが、その場合の最大のポイントである」 ここまで聞いて、私は、不時着法は、技術よりその心構えがどんなに大切であるかということを、心に強く感じさせられた。
私はその落ち着く方法として、いろいろ考えたが、危機に直面したらまず深呼吸を三回せよ。三回する時間がなければ、二回、いや一回でもよい。一回も出来ないときは、深呼吸をするんだということを考えよ!これでまず心は落ち着くと考え、つねにそれを実行してきたし、また後輩たちにもこれを教えてきた。
その瞬間、こと飛行機を本当に狙い撃ってもよいのであろうか、というような疑問が、私の脳裏をかすめた。悪いことに手を出しかけた自分を、自分の良心が制止するひらめきである。これはふつうの人間としての良心ばかりではなく、はじめて戦場にのぞむ、はじめて実的を狙い撃つときに初心者が感ずる、戦闘機パイロットとしての良心なのだ。
大編隊飛行による燃料消費試験が行われた。隊形を整えるのに、少数機のときより余分の燃料がいるからである。
われわれが行った燃料消費節約に対する努力と研究は、空戦以上のものがあったといえる。そして、この試験の結果に得られた好成績は、基地航空部隊(第十一航空艦隊)司令長官塚原二四二中将をはじめとして、全部隊に大きな自信を抱かせた。もはやわれわれにとって、空母は不要であった。
米軍はただちに全部のB-17に尾砲をつけ、さらには機内にゴム板をはりめぐらせて、被弾した場合には、自動的に弾丸の穴をふさいで火災を防止する方法を講じた。このあたりは、アメリカらしい決断のよさで、日本側が劣勢になってからでもぐずぐずしていて、航空機の改良を怠っていたのといい対照である。
・・戦闘機乗りとしての節制にひたすら務めた。(いまでも私が酒をのまないのはそのためである)。
・・飛行機乗りの常識として、積乱雲の中に巻き込まれた飛行機は絶対に助からない筈である。私自身も、かつてその中にちょっと飛び込んで、ひどい目に遭った経験を持っている。なにしろ上昇気流と下降気流とが、ものすごい力で渦巻いていて、その力は、ときに一式陸攻やダグラスのような機さえ揉みくちゃにして、、完全にバラバラに分解させるだけの力を持っている。
生も死も、戦場ではほんの紙一重の差である。運命とはなんと不思議なものだろうか。
飛行機乗りの運命は、誰の胸の底にも、わかりすぎるほどわかっている。今日の本田の運命が、あすの自分の運命でないと誰が言えようか。こう割り切っているわれわれは、何事にもくよくよしない癖がいつのまにか養われていた。
これは戦闘機乗りに共通した心理とは思うが、われわれ戦闘機乗りは、敵の爆撃機と戦闘機とを同時に見た場合には、不思議に敵愾心は戦闘機のほうにだけはたらき、どうしても戦闘機のほうに挑みかかりたくなるのである。
だが、だからといって、そのころの毎日がいかに不幸の連続であっても、われわれはその不幸な事実に慣れることも、怖れることもまた特別の不安も、特別の苦悩も抱かなかった。いや、苦悩どころか、戦友の屍を乗り越えてわれわれは戦うので、死ぬことは初めから覚悟している。ただそれが早いか遅いかだ。それだけに毎日毎日の空戦に全力をかけた。
きわめてわずかな健康上の狂いが、空戦においてはただちにその人の生命を左右する。そういうことだから、わが海軍においては、優秀な搭乗員の多くは、平時戦時を問わず自己のコンディションをいつでも最良の状態におくために、あらゆる誘惑に打ち勝って節制に努めたのだ。
人間ひけ目になるとそういう言葉までが癪にさわってくる。なにも俺の前でそんな言葉を使わなくてもよさそうなものだとひがんだ気持ちになる。
私たちと同じ人間であるはずの一人の人間が、指揮官という立場に立つと、まるで将棋の駒を動かすように、他の人間の生命を無造作に死に投げ込むことができる--そういった軍隊の組織が持つ不条理が、慣れきった日常の通念を突き破って、いまさらのように心を疼かせる。
昔から、武術やスポーツにおいて、危機一髪とか、太刀先三寸にして身をかわすとか、いわゆる美技(ファインプレー)を名人芸のように考える人が多いが、きわどい技で敵をたおす場合には、きわどいということ自体が、すでに自分もきわどい危険に身をさらしていることであって、ちょっとのミスが命取りになるものなのである。
どんなに困難の状態にあっても飛行機乗りは、空中において一つのことにきをとられてしまっては駄目なのである。人間は同時に二つ以上のことは考えられないと言われているが、私は〇・何秒かずつずらしていけば、いくつものことを、ほとんど同時の考えることができると思っている。そこで私は、地上、空中を問わず、いろいろのことを訓練した。その結果、文章を確実に読みながら数学の計算をし、同時にラジオを聴き、その上、、人の会話の内容を聞き取り、それを頭の中で整理することさえ可能になった。・・止まっているトンボ、飛んでいるトンボを素手でつかむ練習、ハエも同様で、この訓練を重ねた蹴った、しまいには止まっているハエなどはほとんど百発百中でつかまえられるようになった。・・また、息を止める稽古もした。普通は四、五十秒だが、私は二分三十秒の記録を持っている。一番つらいのは一分目ぐらい、こんなことをしていては心臓がとまりはしないか、このまま死んでしまいはしないかと思うが、それを我慢すると、一分十五秒あたりからずっと楽になってくる。なんでもこれと同じで、辛いと思ったとき、そこを踏み越えなければ勝てない。生理的にも精神的にも、そういう訓練をやって、非常につらいときに、まだまだ余裕があるということを発見した。
人間のもって生まれた先天的性能というものは、何万分の一と言われるような天才や奇人は別として、私たちのような普通の人間は、ほとんど同じだと私は考えている。しかし、人間の後天的な性能というものは、その人の環境や職業、生命の危機に遭遇する危険率、その他いろいろ自己にかかってくる外力と戦う必要にせまられた場合には、自分で考えてもいなかったような力が出るものである。その力も、日ごろから考えて、その必要に応ずるための訓練を、たゆまず行った場合には、さらにその力を向上させることができるものである。』
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