人斬り半次郎 幕末編 (池波正太郎著 角川e文庫)
幕末から明治維新のドラマに再び興味がわいてきました。
『だが、薩摩男の夜這いは女の部屋で朝を迎えてはならぬという掟がある。
人物も立派なのだが、何しろ、見るからに偉人の風貌をそなえているから、することなすこと、すべてに信頼をもたれる。もしも、西郷隆盛が、[きりぎりす]のようにやせた男であったら、西郷は、あれだけの仕事をなしとげられなかったであろうし、上野の山に銅像もたたなかったであろう。この点、大久保市蔵は大分に損をしていると言えそうだ。人間というもの、姿かたちも大切なものなのである。
偉さにもいろいろあろうが、西郷吉之助という人物は、この動乱期を切り抜け、最後まで生き残って出世しようとか、名誉を得ようとか、そんな気持ちがみじんもないのだ。事に当たって計算をしない。自分が死んでも、これをやるべきことだと思ったら、いささかのためらいもなく死地に飛び込んでしまう。
悠々と腰をおろし、菓子をつまみ、うす茶を味わっていると、(ふむ。俺も、これで、やっと一人前の侍になれた) 何となく出世をしたような実感もわいてくる。
青蓮院は、比叡山・延暦寺の別院である。寺格も高く、天台宗の門跡寺だ。門跡寺というのは--むかし、宇多天皇が住居せられた仁和寺の御所を天皇崩御の跡に[跡門]とよん、これが、その起こりであると言われている。以来、法王、王子、皇族が住職となられる寺を定めて、門跡寺と呼んだ。
字は[六月火雲飛白雪]というのだ。六月の火雲(かうん)白雪(はくせつ)を飛ばす、とよむのである。つまり、夏の雲が雪を降らせるというわけであった。・・つまり、世の中の常識というものにとらわえてはいけない。夏に雪をふらせるというほどの自由自在な機能をもつということが人間にとっては大切である。言い換えれば、常識というものの中にある馬鹿馬鹿しい考え方からはなれて事にのぞむことも、ときには必要なのだという意味をこの言葉は語っているのだと、法秀尼は教えてくれた。
「ま、手本もええが、折あるごとに、他人の書いた手紙やら、書やら、上手やと感じたものをようお見やして、その書体やら読み方やらを、納得のいくまでおぼえこむことや。・・
・・もしも革命成功となれば、どんな出世がまちうけているか知れたものではない。いや、そのことよりも、腕力をふるってあばれまわり、大名でも将軍でも震え上がらせるという痛快さは筆にも口にもつくしがたいものがあったに違いない。日本の危機のためにはたらこうと叫ぶ、その裏側に、こうした人間の本能が強烈にうごいていることはいつの時代でも同じことだ。これだから無益の血が流れる。これだから人間の集団は、おそろしい動きをするものなのである。
中川宮邸にいたころ、つとめて長州藩士に近づき、彼らの言動にふれようとしたのも、長州藩の動きを少しでも感じたかったからだ。
(いまの一年は、おいどんが島流しにおうたころの十年にもあたっている。世は、今や変わろうとしつつあるのじゃ。その変りかける頂にあるのじゃ。このときに、中央におらなんだら、何も出来ぬ)
「人間な、いつかは死ぬものごわす」・・「早いか、おそいか、それだけのことじゃ」・・「そのことな、忘れちゃいかぬ」・・「そのことな忘れずにおれば、つまらぬ、小(ちっ)ぽけな、欲張りな、厭な人間にならずにすみもす」
ああでもない、こうでもないと、戦力もなくなったくせに、幕府の閣内は蜂の巣をつついたようにやかましくなる。実行がともなわず、口だけがやかましくなるのは、すでに衰亡のきざしが見えたのも同然であった。』
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