竜馬がゆく (三) (司馬遼太郎著 文春ウェブ文庫)
『これが京のいいところだ。紹介のないいちげん客はにべもなくことわるが、一度でも来れば何年でも覚えてくれて、ちゃんとそれなりに待遇してくれる。
・・薩摩隼人の奇妙さは、いかなる場合でも、自分の押し殺しての名誉をまもる、ということにあった。七百年、日本列島の西南端で心胆を練り続けてきた、この国の異風である。殺気は、カラリと乾燥している。
原則として、一年は江戸、一年は国もと、というぐあいにすみわけさせる制度である。諸大名は多勢の家来をつれて、江戸、国もとのあいだを往来するために、莫大な経費がかかった。かれらはしだいに疲弊し、幕府に反抗できるような財力も武力も持てなくなった。
剣は、詰まるところ、技術ではない。所詮は、境地である。技術という点では、貞吉は、古今の名人にすこしも劣らない、と自分で思っている。劣るのは境地である。それが、この齢になって、やっとわかり、わかった瞬間から、貞吉の剣がかわった。
・・聖フランシスコ・ザビエルが、同じ観察をしている。上陸後、すぐ耶蘇会に報告書を送り、「非キリスト教国のうちいまだ日本人に勝る国民を見ない。行儀よく温良である。が、十四歳より双刀を帯び、侮辱、軽蔑に対しては一切容赦せぬ」とかき、また日本制服の野望のあったスペイン王に忠告し、「かれらはどんな強大な艦隊でも辟易せぬ。スペイン人を塵(みなごろし)にせねばやめないだろう」 幕末にきた外国勢力も、おなじ実感をもったわけである。
「蘭学は小唄や三味線をならうようにはいかない」と箕作(阮甫)はいったというし、また、「私の塾の連中の勉強ぶりをみていると、将来国家をになうのは田舎者で、旗本八万旗の子弟ではないような気がする」ともいったという。
攘夷論者の中には、そういう宗教色をもたない一群があった。長州の桂小五郎、薩摩の大久保一蔵(利通)、西郷吉之助、そして坂本竜馬である。宗教的攘夷論者は、桜田門外で井伊大老を殺すなど、維新のエネルギーにはなったが、維新政権はついにかれらの手ににぎることはできなかった。
世の中の 人は何とも云はばいへ わがなすことは われのみぞ知る とは、父親の八平にさえ「ついに廃れ者になるか」と嘆ぜしめた竜馬の十代のころにつくった歌である。
竜馬をはじめ、動物にちなむ名が多いのは当時の土佐の風習で、動物の精気をうけて子供が丈夫にそだつように、という土俗信仰から出ている。
竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。もし議論に勝ったとせよ。相手の名誉を奪うだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。
所詮は、武市のやることは手品であり、あとですぐ尻の割れる「奇策」である。真の奇策とは、もっと現実的なものだ。
竜馬は、「人生は一場の芝居だというが」と、かつていったことがある。「芝居とちがう点が、大きくある。芝居の役者のばあいは、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で、自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ」
藩の同志たちも、いや武市半平太でさえもときに、「足軽」といった眼で以蔵を見る。以蔵にはそれが敏感にわかるのだ。(ところが、坂本さんだけはしなさらん。あのひとはかってわしにいったことがある。--人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾り物である。天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ。事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ)
・・「人斬り三人男」といわれた土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛、肥後の河上彦斎(げんさい)といった連中で、
ちなみに、竜という字は、正しい漢音はリョウであり、ちなみにリュウは俗音である。江戸時代、江戸ではリュウとよみ、京から西の諸国ではリュウとよみならわした。
竜馬自身がひそかに書きとどめた語録では、「世に生を得るは事を成すにある」ということばになっている。「人の跡(事績)を慕ったり人の真似をしたりするな。釈迦も孔子も、、シナ歴朝の創業の帝王も、みな先例のない独創の道をあるいた」「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算にいれてはいけない」
』
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