真田太平記 (一)天魔の夏 (池波正太郎著 新潮社)
武田家の滅亡について読んでいて、その家臣真田昌幸に興味がわき、読んでみることにしました。
『・・[看経ノ間]というのがあり、信玄はこの仏間に先祖の位牌をまつり、経文をよむ。看経ノ間の奥に、信玄専用の厠がある。この便所は六坪であった。畳敷きにして十二畳ものひろさをもつ便所に信玄は朝と夜の二回、かならずといってよいほど入る。入って数時間は出てこない。領国の政治から、戦陣の研究、他国への外交など、いっさいの思案が便所の中でおこなわれる。
穴の中に飛び込んだ者が、飛び込みざまに板についた縄を引くと、板が穴の口をふさぎ、その上へ腐葉土がくずれてきて、穴を隠してしまうのだ。これは尾行者の目を晦ますためのものであって、忍び小屋の近くには、かならずもうけてあるものなのだ。
「ああ・・・」と、いまは隠居の身となった北条氏康がふとい溜息をもらし、箸を置いて、「・・・北条の家も、わしの代で終わってしまうのか」つぶやいた。 父の傍で食事をしていた氏政が愕然となり、「父上、それは、何のことでござる?」 「おぬしのことよ」 「何と、おおせられます」 「いま、おぬしが飯を食べているのを見ると、おぬしは一膳の飯に汁を二度もかけているではないか」 「はあ・・・・それが、何故・・・・」 「まだ、わからぬのか。人は毎日、飯を食べる」 「いかにも」 「なればよ。ばかものでないかぎり、食事については何百回、何千回もの稽古をしているわけじゃ。それなるに、おぬしは、一膳の飯へかける汁の分量もまだわからぬのか。一度かけて足らぬので、また汁をかける。まことに、おろかなことじゃ」 「・・・・・?」 「わしの申すことが、まだわからぬか。よいか、よく聞け。朝夕におこなうことを計り知ることができぬようでは、一皮へだてた他人の肚の内にひそむ考えをしることなど、とうていかなわぬことだわ。他人のこころがわからなくては、よい家来もついてきてはくれぬ。まして、敵と戦って勝てる道理がないではないか。なればこそ、北条の家も、わしの代で終わると申したのじゃ」 わが子を、厳しくいましめたという。
忍びの者には、それぞれの分担があって、それが忍びの[本道]なのである。闘争の技術に長じていなくとも、頭脳的な探索に携わっている者も多いし、武技にすぐれている者が、たとえば町民や漁師、僧侶などになりきり、長年にわたって敵中に潜入し、種々の情報を送るということは、「なるべく、避けなくてはならぬ…」のである。武技に鍛えられた肉体は、町民や僧侶にふさわしくないからだ。・・・戦場に出てはたらく忍びの者を、「戦忍び(いくさしのび)」とよぶ・・
なんといっても、整息の訓練は、忍びの術の[基本]である。おのれの呼吸を、それこそ、「自由自在に・・・・」あやつれるようにならねば、何事も為し得ぬ。忍ぶことも、走ることも、闘うことも・・・・・すべてが呼吸一つによって左右される。敵中へ侵入するとき、呼吸は最小限にとどめておかねばならぬ。おもいきり呼吸をすると、「躰から匂いが発し、気配が起こる」と、馬杉市蔵は、お江に教えている。それは、事実である。』
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