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2013年6月23日 (日)

永遠の0 (百田尚樹著 講談社文庫)

200万部を超える超ベストセラーをようやく読みました。電子版になるのを待っていましたが、その気配もないので、紙の本を買う決心をようやくしたということです。500ページ以上ありますが、大へん読みやすく、引き込まれるように読みました。しかし、多くの人にとって、「感動的」「涙が止まらなかった」「人生観が変わった」という評判のものですが、私にとっては、それほど深い感動はありませんでした。理由は、私自身が第2次大戦の本をこれまで、長い時間をかけて多く読んできたため、この本に書いてある内容のかなりの部分を知っていたり、推察していたためでと思います。しかしながら、非常に良い本であることは間違いありません。多くの日本人に読まれることで、我々の今日の繁栄が、多くの先達の筆舌に尽くせぬ犠牲の上に成り立っていることが広く知られるようになったのは大へんよかったと思います。

『海軍の飛行機は陸軍の飛行機と違って、三点着陸が基本です。なぜなら尾部のフックを艦の制止索に引っ掛けないといけないからです。索はワイヤーでできていましたが、これにうまくかからないと空母の短い甲板には着艦できません。ところが三点着陸は尾部を下げるため機種が上がります。すると操縦席からは飛行甲板が機首に遮られて見えなくなります。見えない甲板に勘だけを頼りに下りないといけないのです。

一説には、ミッドウェーで多くの熟練搭乗員を失ったことが、日本海軍にとって一番の痛手だったと言われていますが、それは正しくありません。最後まで戦った「飛龍」の搭乗員はほとんどが亡くなりましたが、先に沈んだ三隻の母艦搭乗員の多数派救助されました。熟練搭乗員が大量に失われたのはその年の秋から始まったガダルカナルの戦いにおいてです。

これまで太平洋戦争のことなどろくに知らなかったぼくにとって、すべてが驚きだった。航空母艦の戦いといえど、結局は人間同士の戦いだった。戦力データの差だけが勝負を決めるのではない。勇気と決断力、それに冷静な判断力が勝敗と生死を分けるのだ。それにしても、当時の兵士たちはなんという非常な世界に生きていたのだろう。

坂井一飛曹は小隊長でした。・・小隊は三機編成です。坂井一飛曹は非常に優れた小隊長です。これまで列機を一度も失ったことがありません。坂井三郎さんに関しては何十機撃墜という話ばかりが脚光を浴びますが、私はそれよりも彼がただの一度も列機を死なせたことがないという方がずっと素晴らしいことだと思います。ちなみに西澤さんも一度も列機を失ったことがありません。彼が列機を失ったのは生涯最後の空戦においてだと聞いています。

仲間を失った悲しみを一番感じるのは、戦闘着後ではありません。夕食の食堂です。朝、一緒に飯を喰った仲間が夜にいないのです。夕食には必ず全員分の食事が用意されませす。食堂では、誰がどこに座るかは決まっていませんが、何とはなしの習慣から、各自座る位置は決まっていました。・・夕食の時間に空いている席があれば、そこに座っていた男は未帰還ということです。それが普段隣に座っている男だとたまりません。・・だから夕食の席では、冗談はまったくでなくなりました。

・・私は戦後ドイツの撃墜王の記録を見て驚いたことがあります。350機撃墜のハルトマンを筆頭に200機以上撃墜のエースが何十人といるのです。こんなことは日本海軍には考えられません。しかしそれは彼らがドイツ上空で戦うことが出来たからだと思います。これは大きな地の利です。なぜならたとえ撃ち落されてもパラシュード脱出できるし、発動機が不調でも不時着できます。ハルトマンも何度か撃墜されてパラシュート脱出しています。また迎撃戦というのも大きかったと思います。

関大尉以外の隊員たちもみんな死を前にして、自分なりの死の意味を考え、深い葛藤の末に心を静めて出撃したと思う。それが敵を発見できず、再び帰還するときの気持ちはいかばかりだろうか。再びわずかばかりの生を享受できることが、彼らにどれほどの苦しみを背負わせたことだろう。今宵はなき命と思っていた身で、再び夜を過ごすことがどれほどの苦しみを与えたことか。しかし関大尉を始めとする隊員たちは、わしらにそんな苦悩を決して見せなかった。何という偉い男たちだったかと思う。

西澤飛曹長は敵戦闘機から敷島隊を守りきり、対空砲火の猛火の中でその突入を見届けたうえ、追いすがるグラマンF6Fを2機撃墜して、セブ島の基地にたどり着いたのだった。これは後にセブ島の基地にいた搭乗員から聞いた話だが、零戦から降り立った西澤飛曹長まとう異様な殺気に誰も声をかけられなかったという。ちなみに終戦まで行われた航空特攻作戦だが、この時の攻撃が最大の戦果をあげたものだった。米軍の意表を衝いたことがもっとも大きな成功要因だったが、西澤という日本海軍随一の戦闘機乗りが援護したということも大きな理由だったのだろう。皮肉なことに、この時の大戦果が軍令部に「特攻こそ、まさに切り札」と信じさせたのかもしれない。

関大尉は軍神として日本中にその名をとどろかせた。関大尉は母一人子一人の身の上で育った人だった。一人息子を失った母は軍神の母としてもてはやされたという。しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として、人々から村八分のような扱いを受け、行商で細々と暮らし、最後は小学校の用務員に雇われて、昭和28年に用務員室で一人寂しく亡くなったという。「せめて行雄の墓を」というのが最後の言葉だったという。戦後の民主主義の世相は、祖国のために散華した特攻隊員を戦犯扱いして、墓を建てることさえ許さなかったのだ。

わしは自分で商売することを決めた。様々な商売に手を出した。何度も騙され、何度も裏切られた。戦後の人びとは戦前の人びととはまるで違う人たちだった。人にだまされた夜、戦争で死んだ戦友たちを思い出し、彼らのほうが幸せかもしれないと思ったこともあった。こんな日本を見なくて済んだ彼らの幸運を羨んだ。しかしそれは終戦直後の混乱と貧困による一時的なものだった。多くの日本人には人を哀れむ心があり、温かい心を持っていた。・・本当に日本人がかわってしまったのはもっとずっと後のことだ。日本は民主主義の国となり、平和な社会を持った。行動経済成長を迎え、人々は自由と豊かさを謳歌した。しかしその陰で大事なものを失った。戦後の民主主義と繁栄は、日本人から「道徳」を奪った---と思う。今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている。六十年前はそうではなかった。

実は本当の特攻第一号は同じレイテの大和隊の久納好孚中尉です。・・関大尉の敷島隊が突入したのは十月二十五日ですが、久納中尉の大和隊が突入したのは二十一日です。この日、大和隊も敷島隊も接敵できず、全機基地に引き返したのですが、久納中尉だけは帰還することなく、単機で敵を追い求め、ついに戻らなかったのです。本当は久納中尉こそが特攻第一号ですが、その栄誉は彼にあたえられませんでした。戦果確認ができなかったこともありますが、もう一つの大きな理由は、久納中尉が予備学生出身の士官だったからです。海軍としては「特攻第一号」の栄誉はやはり海軍兵学校出身の士官にしたいということで、関大尉が第一号として発表されたのです。

しかし今、確信します。「志願せず」と書いた男たちは本当に立派だった---と。自分の生死を一切のしがらみなく、自分一人の意思で決めた男こそ、本当の男だった思います。私も含めて多くの日本人がそうした男であれば、あの戦争はもっと早く終わらせることが出来たかもしれません。

B17はドイツ空軍の激しい迎撃にあり、毎回四十%以上の未帰還機を出したのです。四度の出撃を生き延びる搭乗員はいなかったといわれています。それでもアメリカはヒットラーとナチスを倒すために、昼間爆撃をやめませんでした。そしてアメリカ軍の兵士たちもまた勇敢にドイツの空に突入しました。B17の搭乗員の戦死者は五千人を超えているのです。この数は実は神風特攻隊の戦死者四千人を上回るものです。

・・戦後、米軍が日本の戦闘機の性能テストをした時、陸軍の四式戦闘機に米軍の高オクタンのガソリンを入れると、P51ムスタングよりも高い性能を示したという。P51は第二次大戦の最強戦闘機を云われている飛行機だ。その話を聞いたとき、つくづく戦争とは総合力だと思った。一つ二つが優れていても、どうにかなるものではない。

戦後、俺は何度も賭場を開いたが、素人ほど熱くなる。有り金のかなりをすってしまうと、頭に血が上って、僅かばかりの小金を残していても仕方がないと、全部をかけてしまうのだ。軍令部の連中にとったら、艦も飛行機も兵隊も、ばくちの金と同じだったのよ。勝ってるときは、ちびちび小出しして、結局、大勝ちできるチャンスも逃した。それで、今度はじり貧になって、負けだすと頭にきて一気に勝負。まさに典型的な素人ばくちのやり方だ。』

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