この人の本は大変わかりやすいです。アベノミクスを攻撃し、財政破たん、ハイパーインフレなどを唱えてきた、唱えている人は、「無知」か、「馬鹿」か、あるいは「悪意を持つ者」だと断言します。
『・・政府は、他の二つの経済主体」(企業、家計)と決定的に違う部分がある。それは、政府の場合、経世済民が「意識すべき」といったレベルの話ではなく、目的そのものであることだ。
・・主体的に「利益追求!」「黒字化追求!」をやってはならない経済主体が政府なのだ。政府は企業とは異なり、営利団体ではない。
そもそも、通貨発行権を持つ中央政府の「自国通貨建て」負債の残高を問題視する時点で奇妙な話なのだ。繰り返しになるが、中央政府は中央銀行に国債を買い取らせることで、負債の負担を消滅させることが出来る。政府はあくまで経世済民を実現できるか否か、すなわち国民を豊かにすることができるかどうか「のみ」を判断基準とし、予算執行や国債発行、さらには通貨発行を執り行えばいいのである。
例えば現時点では無駄に思えても、将来的には国民の生命を救う公共事業がある。というよりも、防災を目的として政府の事業は、基本的には「災害が発生しない限り、無駄」である。
別に、日本に限らず、バブル崩壊後の国では、特に民間企業が「借金返済」という直地区を優先することになり、投資が激減する。投資の激減は「その時点の需要」の現象であると同時に、「将来的な成長力」の毀損でもあるわけだ。
そして、根拠なき公共投資不要論に足を取られ、橋本政権が公共投資を減らし始めた途端、今度こそ日本経済はマイナス成長に突っ込み、デフレが深刻化していったのだ。「公共投資を拡大したのに成長しなかった」のではない。「公共投資を縮小したために成長しなくなった」
米軍に国土を焼け野原にされ、供給能力が極端に落ち込んだ1946年の日本であってさえ、最も需要が大きい首都東京で、物価が6倍になる「程度」のインフレでしかなかったのだ。
中央銀行の独立は、別に、「経世済民」の目的でも何でもない。というよりも、経世済民という目的を達成するための手段の一つが、中央銀行の独立なのだ。
2012年11月松に引退を表明した、民主党の藤井裕久最高顧問は、12月3日の講演で、自民党の「金融緩和と財政出動のパッケージ」という「正しいデフレ対策」について、「インフレを招く」「最大の問題は需給バランスの崩れ。需要を作らないといけない」「金融を全然勉強していない」と切り捨てた。当たり前だが、デフレ対策とは「インフレにする」ことだ。デフレ対策が成功すれば、国民経済はインフレになる。自民党が「デフレ対策で、インフレにする」との政策を掲げたのに対し、「インフレを招く」と反論しているわけだから、色々な意味で凄い。・・最後の「金融を全然勉強していない」については、むしろ自分の党(民主党)の議員たちに藤井氏はお説教して回るべきだろう。なにしろ、野田前総理をはじめ、ほとんどの民主党の議員たちは「買いオペ」と「直接引き受け」の区別がついていないうえに、日銀の独立性の意味すら理解していないのだから。
現在のユーロ圏は「究極的」に中央銀行(ECB)が独立してしまっている。なにしろ、各国の中銀は「政府の指示を聞いてはならない」という決まりになっているわけだから、徹底している。・・・結果的に、ユーロ各国でバブルが崩壊し、経済がデフレ化し始めた状況に対し、ユーロは「手も足も出ない」状況になってしまった。
スペインやギリシアの政府は、一応、国債発行で雇用創出を試みていたのだが、何しろ中央銀行のサポートがないため、長期金利が上昇してしまった。結果的に、各国個別の危機が原因で、「ユーロ全体」にシステマティックリスクが発生することが明らかになり、ECBは背に腹は変えられず、各国の国際買取に乗り出したわけである。
既に、世界の中央銀行の議論は、「そもそも中央銀行の役割とは、いかなるものなのか?」という段階に達しているのである。それにもかかわらず、いまだに日本国内では「中央銀行の独立性とは、侵さざる神聖な概念だ」などと、イデオロギー的なことを叫び続けている人が少なくない。はっきり言って、周回遅れだ。
デフレの国でなぜ需要が不足するかと言えば、もちろんバブルが崩壊したためだ。バブルが崩壊するということは、民間(日本の場合は企業)が「借金をして買った資産(不動産など)の価格が暴落した」という話になる。・・・というわけで、バブル崩壊後の民間企業や家計は、所得から借金返済という「貯蓄」に回すお金を増やしていく。当たり前だが、借金返済は消費でも投資でもない。
また、企業が投資を減らすと、雇用環境が悪化していく。失業率が上昇傾向にあると、家計は消費を減らし、住宅投資を「先送り」しようとしてしまう。消費や投資を減らし、どこにお金を回すかと言えば、もちろん銀行預金(やはり貯蓄)だ。
構造改革の代表的な性差kが、民営化や規制緩和になる。民営化や規制緩和は、ある市場のプレーヤー(企業)を増やし、競争を激化させ、企業努力(設備投資など)を引き出し、国民経済の供給能力を高めようという政策だ。デフレの国が規制緩和や民営化といったサプライサイド政策(供給能力を高める政策)を実施しても、デフレギャップ拡大で失業者が増え、状況を悪化させるだけの話なのである。
現在の日本は稼ぐ力の源である供給能力は「十分にある」のである。供給能力があるにもかかわらず、需要が不足しているからこそデフレが継続しているのだ。・・・デフレ期の企業の廃業は、国民経済全体のデフレという病を深刻化させるため、自己責任などと言って切り捨てられるものでは無い。
ミクロレベルでの合理的な行動が、マクロに合成されると予期せぬ事態を引き起こす現象を「合成の誤謬」と呼ぶ。デフレ期には「稼ぐ力」を強化するというミクロレベルでの合理的な行動が、マクロに合成されると「デフレ深刻化」という予期せぬ事態を引き起こすのである。
1998年の日銀法改正は、二つの「致命傷」ともいうべき欠陥を含んでいる。・・政府と日銀の役割分担が不明確で、さらに総裁罷免権を「誰も持たない」異様な状況になってしまっているということである。・・ある意味で、日本銀行総裁は内閣総理大臣よりも権力が強いと言える。
右の記事は毎日新聞の「社説」である。会社の論説である社説において、毎日新聞は日銀への「政治介入」について批判しているわけだ。正直、「毎日新聞、正気か!?」という感想が浮かんできた。・・日本国家の最高機関は「国民に選ばれた政治家」が判断を下す国会であって、日本銀行ではない。・・そもそも、毎日新聞は、「政治介入」について、あたかも「よくないこと」であるかのごとく印象操作を行っているが、実際には政治介入こそが政治家の仕事である。たとえば、官僚が作った法律の草案に対し、「国民主権の束」を背負っている政治家が介入し、自らが代表する「国民」のために圧力をかけ、変えさせる。これが、そもそも政治家の仕事なのだ。・・毎日新聞の社説に限らず、昨今の「政治介入批判」が問題だと思うのは、民主主義の根本を理解していないためだ。
日本銀行は2011年3月11日の東日本大震災発生以降、確かに方向的には金融緩和を実施している。とはいて、「なぜか」時折マネタリーベースの縮小、すなわち金融引き締めを実施し、07年1月比では1.5倍にも達していない。FRBやECBと比較すると日銀の金融緩和ペースはもの悲しさを覚えてしまうほどに遅い。
日本銀行は2012年8月に「日本の人口動態と中長期的な成長力:事実と論点の整理」という「トンデモ」レポートを出している。本レポートは、要するに「生産年齢人口減少がデフレの原因である」という妄想を正当化するために、懸命にデータをいじくり、事実を歪めて書き上げられたものである。・・日本銀行はデフレの責任を追及されることを恐れ、「人口が減っているからデフレになっている」という、奇妙な理屈に救いを求めているわけだ。
・・世界には人口が減っている国々(ほとんどが日本以上の減少率である)が20か国以上あるにもかかわらず、デフレに陥っているのは日本だけだ。なぜ、日本だけがデフレなのか、もちろん、1990年にバブルが崩壊し、その後、政府がまともなデフレ対策を打っていないためである。逆に、他の人口減少国は、バブル崩壊を経験していないから、デフレ化していない。ただ、それだけの話だ。さらにいえば、人口減少デフレ論は当の日本政府の「ある省庁」までもが明確に否定している。ある省庁とは、内閣府だ。
人口減少デフレ論の元祖は、・・藻谷浩介氏(日本総合研究所調査部主任研究員)であろう。
・・人間がかかわっている限り、どんなシステムであってもやがては根が腐り、不公正や歪みが蓄積されてくる。人間をなめてはいけない。
デフレギャップを抱える国が生産性を高めると、「労働者が解雇される」という事態を招く。労働者が失業者になると、当たり前の話として消費を減らす。結果的に現実の需要が縮小し、デフレギャップはさらに高まってしまう。
2012年12月12日 ロイター通信「総選挙こうみる:アベノミクス実施なら半年後に株高・円安=トヨタAM濱崎氏」・・「金融緩和強化と積極財政によるデフレ脱却を目指すのは正しい方策と考えている増税による財政再建と構造改革を中心として成長戦略では『失われた30年』になろう。消費税増税の3党合意は、『成長が不十分』という理由で3年程度延期してもよいのではないか」「累積デフレギャップが膨大なため、物価は簡単には上昇してこない。初年度の13年度はCPIコアコア(食料とエネルギーを除いた消費者物価指数)で前年比プラス0-0.5%。アベノミクス実施でなら、13年度の実質GDP成長率は2%台、名目も同程度が予想される」「最初の3年間は『集中回復機関」として、景気回復を軌道に乗せるべく、弾力的な財政運営が必要。無駄な公共投資をなくすため、『公共投資透明化法』を成立させ、プロセスをガラス張りにすることが大事だ」「金融政策の判断指標をCPIコアコア指数に変更すること。前年比1-2%で安定的に推移するまで建設国債増発相当の大半を輪番オペで買い上げるアコードを締結させる。安定的とは1年程度だろう。」「法人税を20%程度へ引き下げ、その代わりに低率の外形標準課税を導入することによって、税制面で企業活動をバックアップすることが必要だ。3年間の『集中回復期間』の3年目で景気回復が木戸に乗っていたら、改めて規制緩和、社会保障対策、消費税増税を検討する。増税については、経済成長による自然増収で賄えるならば無理に実施しない方がいい」
記号経営者であった以上、無理もない話だが、松下幸之助氏のような偉人でさえ、『企業経営』と「国民経済」を混同し、経世済民について全く理解していなかったことがうかがえる。
通貨発行権を持つ中央政府は、いわば家計や企業で構成された「自動車」の「外」にたつエンジニアだ。国民経済という自動車のエンジンがオイル不足でうまく動かないときは、自動車の「外」からオイルを注入してやる。あるいは、電力系に異常が生じていたならば、これまた自動車の「外」から修理する。政府と民間(企業、家計)は、次元が違うと表現してもかまわないほどに、役割や目的が異なっているのである。
昨今のわが国の書店では、「財政破たん」「国債暴落」系の書籍がますます増えてきた。・・(辛坊次郎・辛坊正記著)、・・(長谷川慶太郎・森本亮著)、・・(小黒一正著)、・・(山崎養世著)、・・(石角莞爾、田代秀敏著)、・・(須田慎一郎著)、・・(藤巻健史著)、・・(朝倉慶著)、・・(松田千恵子著)、・・(中原圭介著)、・・(浅井隆著)・・・彼ら、財政破たん論者たちが許しがたいのは、さんざんに「国債暴落」「円暴落」「日本経済破たん」などと国民をあおりつつ、印税は普通に日本円でもらっていることだ。恥ずかしくないのだろうか。・・要するに、彼等財政破たん論者のやっていることは、ノストラダムスの大予言と同じ「カタストロフィ・ビジネス」なのだ。』