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2013年3月10日 (日)

松風の門 (山本周五郎著 新潮社)

時代小説の短編集でしたが、最後のものは、終戦後のお話でした。

『「それで達磨の悟がわかったのか」「はあ・・・・」「ばかに早いではないか。どう分かった」八郎兵衛はちょっと黙っていたが、やがて同じような平板な口調で答えた。「面壁九年ののち、達磨は結跏を解いて起ちながら、かように申した存じます、なるほど、ただ睨んでいるだけでは壁に穴は明かぬ」「なに、もう一度申してみい」「睨んでいるだけでは」と彼は繰り返した、「・・・・壁に穴を穿つことは出来ぬ、そう申したと存じます」宗利は声をあげて笑った。・・その時もし彼が、八郎兵衛の面を瞶めている大学の鋭い表情に気づいたとしたら、たぶんそんな笑い方はしなかったに違いない。

「いつぞや達磨の悟りの話をしていたことを、覆えておいであそばすか・・・・・お上はお笑いなされた、益もない者になったと仰せられた、然しあれは決して笑うような言葉ではございません、睨んでいるだけでは壁に穴は明かぬ、もういちどよくお考えあそばせ、彼が断乎として三人を切ったのも、即日腹を切って果てましたの、みな、この一語の悟りから出ているのです。農民たちの遺恨を背負って彼は死にました、もはや・・・・・お家は安泰でござります」

「そうです、わたくしはずいぶん世間を見てきました。なかには万人に一人も経験することのないような、恐ろしいことも味わいました。そして世の中に起る多くの苦しみや悲しみは人と人とが憎みあったり、妬みあったり、自分の欲に負かされたりするところから来るのだということを知りました。・・・・わたくしにはいま、色々なことがはっきりと分かります。命はそう長いものではございません、すべてが瞬くうちに過ぎ去ってしまいます、人はもっともっと譲り合わなくてはいけません、もっともっと慈悲を持ち合わなくてはいけないのです」

「・・・わたくしはその話を聞いたときに斯う思いました。すべて芸術は人の心を楽しませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのために誰かを負かそうとしたり、人を押し退けて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。・・・」

「人間なんて悲しくって、ばかで、わけの知れねえもんだ」老人はこう云って泣き出した。「人間なんてものは、みんな聾で盲目で、おっちょこちょいなもんだ。ざまあみあがれ」それから鳴き声をふり絞るようにどなった。「おめえたちにゃあ、ほんとのこたあ、わからねえ。・・・」

「爺さん」と旅装の客が云った。「いい話を聞かせてもらって嬉しかった。いい話だった。礼を云うよ」老人は泣くばかりだった。「だが、もうその話はしなさんな」とその客は云った。「その話が本当だったとすれば、高次という人は主人の恥を背負ったんだろう。自分が盗みの汚名を衣てまで主人の恥を背負ったんだ----そうだとすれば黙ってやるのが本当じゃないか、そうじゃないだろうか爺さん」「おめえなんぞになにがわかる」老人は俯伏したまま云った。「おらあ口惜しいんだ。ほんとのことも知らねえで、世間のやつらは、いまでも高次の悪口をいいやあがる。なんにもしらねえくせ、しやがって、おらあ、がまんがならねえんだ」「それでいいんだ、それでいいんだと思う」と旅装の客は云った。「高次という人は、そんなことは承知のうえだったろう。いつか本当のことがわかるとか、わかって褒められないなどとはこれっぽっちも考えてはいなかった筈だ。そう思わないか爺さん」

「・・・・・これは罪だ、一機命中なんて、これはもう戦争じゃあない、---たとえ、日本が勝って世界の、王様になっても、この罪だけで神や仏は赦すまい、・・・」

「罪は誰にある、千田二郎だ、あれだけ多くの特攻隊を、おれはこの手で送り出した、・・・・企画し、命じた者はほかにある、だが送り出したのはおれだ、おれたち基地の者だ、・・・」』

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