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2013年2月23日 (土)

太平洋戦争 (児島襄著 中公文庫)

久しぶりに書棚から出して読んでみました。英霊、戦没者の苦難、生命をかけて得られた教訓を決して無駄にしてはならないと改めて思いました。

『参謀本部に戦争決意をうながした直接の原因は、独ソ戦だった。長期化する日華事変に国民は疲れ、参謀本部は陸軍の威信を維持するためには、新局面の展開を求めていた。

では、参謀本部がかくも強く開戦を主張したのは、なぜか。作戦に自信があったからである。・・もっとも、これはあくまでも第一段作戦についてである。海軍側は「日本海軍としては開戦二カ年の間は必勝の確信を有する」が、米英の本土を攻略する力はない。相手が動員体制をととのえて反攻してくるだろう三年目以降は、「遺憾ながら予見し得ず」という。

要するに、当時の日本海軍では、戦いの相手は軍艦であり、基地、施設は二の次という考えがあったことがうかがわれる。近代戦は総合的戦力の戦いであり、単純な戦闘の集積ではない。しかし、当時の日本海軍にはその認識はなかった。

このコタバル上陸は、真珠湾攻撃に先立つこと一時間二〇分。すなわち、太平洋戦争は、コタバルを守る第3/17ドグラス大体の一発で火ぶたが切られたわけである。

開戦からジャワ攻略までの第一段作戦において、日本軍の上陸が阻止されたのは、このウェーキ島第1次戦だけである。しかも日本軍は、三つの砲台とわずか四機のグラマン機の反撃により、駆逐艦二隻を失い、駆逐艦二隻と輸送船一隻を小破された。・・・このウェーキ島の戦闘は、太平洋戦争における最初の離島攻防戦であった。制空、制海権を獲得した優勢な兵力による攻撃、砲爆撃による施設と指揮系統の破壊、しらみつぶしの陸上陣地攻略。そこには、小規模ながら、島嶼攻撃に必要な合理的戦術の数々、のちにくりひろげられる太平洋の死闘の原型が示唆されている。・・だが、勝利の中に敗北の教訓を見出すことは難しい。

輸送船攻撃の軽視は、真珠湾において工廠、石油タンク破壊を見逃したことと軌を一にする。空母を恐れたのは航空機の威力を感知したからだが、かといって飛行場破壊には思い及んでいない。目先の戦術的効果にとらわれ、被害意識にとらわれ、戦略的積極性を欠いた、といわざるをえない。その後も、効果が大きい艦砲による飛行場攻撃も徹底を掻き、”ガ島の悲劇”の大きな原因のひとつになった。

米国は太平洋戦争開幕の前から、対日戦にそなえて日本語を介する情報員の養成を始めていた。

山本長官も、ガ島の勝敗が輸送の成否にかかっていることは承知していた。

古宮大佐は副官とともに、・・負傷した身体が刻々に弱まるのをさとり、自決した。軍旗は切り裂いて土中に埋めた。大佐の遺体は海兵隊に収容されたが、その海中に次のような意味の遺書があった。「・・吾人は火力を軽視すべからず。火力十分なれば兵の行動は果敢となり、その気力もまた充実するも、火力不足なれば、消極的ならざるを得ず。・・」

こうしてガ島の戦況は、深刻の度を加えていたが、そのころ参謀本部はもうひとつの難題に直面していた。船舶問題である。・・おかげで、せっかく手に入れた南方の石油その他の資源が十分に運べない羽目になった。

参謀本部は、ガ島戦を機会に、むしろ自信をもち直すとともに、国力増強の必要に目覚めて、大東亜共栄圏づくりという政略に熱中しようとするのだが、東条首相は注意した。「参謀本部は統帥部たる本質にかんがみ、国内問題、軍政問題に頭を突っ込まざるよう補佐すべし」。しかし、・・・「政略部門を等閑に付すること能わざるは亦、近代戦の要請なり」と、軽く一蹴された。東条首相も、それ以上は強い態度を示さなかったが、首相の不安はきわめて予言的だったといえる。スピードと多様性を基本とする近代戦においては、戦略の遅延はその不在に等しい。その結果は、いたずらにその場その場の遭遇戦に終始し、ただ疲れ果て敗北に終わりかねない。そしてその徴候はすでに現れはじめていた。

ステルウェル中将は、・・米国人らしい能率的仕事ぶりで任務にまい進したが、ことごとに中国側とテンポが合わず、蒋介石大元帥とも意見が対立した。とくに中将にとって不愉快だったのは、積極的に日本軍と戦おうともしないくせに、なにかといえば援助を要求する中国側の態度だった。・・「・・(中国政府は)自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、ただただ金、権力、そして地位だけだ・・・・手に入るものには何でも頭を下げ、自分は戦わないように心掛ける・・・われわれはこの腐敗した政府を支援し、その偉大なる愛国者兼戦士である”南京豆”に栄光をあたえるために、戦おうとしているのだ。おお、神よ!!」

B29は3万フィート以上をとぶ。高射砲弾の心配は少なく、戦闘機の迎撃も困難な高高度である。・・いわばサイパン攻略は、日本に対する新しいタイプの攻撃、新戦略のために実行されることになったのである。

参謀本部からは、高級責任者は南方視察に出かけても、中部太平洋にはトラック空襲以来出張せず、防備の状況は確かめていなかった。これで大丈夫だというのは、指令さえ出せば万事解決と考える官僚式自信に過ぎない。

加えて、(サイパン守備の責任者)斎藤中将の不安の種は、約2万5000人の一般市民(うち島民約4000人)の存在だった。中将のみるところ、繁華を誇る町の市民生活との接触で、サイパン守備将兵の士気はしでにゆるみがちだったが、いざ戦闘となれば、多くの市民は必ずや直接の足手まといになる。中将は、サイパン防備が内側から崩壊することを恐れた。

米兵たちは、日本人を憎んでいた。その憎悪が苛責ない掃討戦法を支えていた・・

体当たり攻撃は、日本軍にとって目新しいことではない。現に台湾沖航空戦で有馬少将が体当たりを行っている。ただ、有馬少将の攻撃は、結局は個人行動である。大西中将はそれを公式の戦法にしようという。

サイパン戦において端緒的にみられ、沖縄戦において本格化したごとく、戦闘は直接、市民=非戦闘員に頼る国民戦争に転化しつつかったが、統帥部にはこの種の”新しい戦争”にたいする認識も用意もなかった。』

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