男の系譜 (池波正太郎著 新潮オンラインブックス)
いろいろと心に残る書でした。浅野内匠頭、大石内蔵助などについては新たな視点を得られました。
『戦国時代というのは、自分の国を守るためには周囲(まわり)をとってしまわなければ守れない、そういう時代ですよ。
信玄の場合は、一つの国を攻めてとると、そこをすっかり管理して、治世を行って、行き届いてから次へ移る。だから手間取って信長に先を越された。しかし、その点で信玄も偉いと思う。病気で死なないで、あと五年も生きていたら・・・・・・信長だって天下をとれたかどうかわからない。
信長は、最初から大きな家の息子じゃなしに、いわば最初は小さな十人か十五人の会社の社長みたいなものだった。そのときの独裁をそのまま持って行けたからあそこまでやれたんで、これが足利義昭とちがうんですよ。足利義昭なんていうのは、本来が大きな家に生まれた、天下取ろうと思ってあっちこっちやったけど、やっぱり足利資本という大枠にはめられてしまうから、なかなかそういうことができない。しかも実力のない資本。
「清潔な政治」だなんていう政治家は絶対信用しないね。汚いものの中から真実を通してゆく、それが政治家なんだ。そういう意味では、信長は確かに政治家だけれども、ずば抜けた政治的感覚を養うようなところにはそだってはいないんだよねえ・・・・・。
戦国時代というのは、むずかしいんですよ。この人が本当にやれる、誰がみてもこの人が断然有力だということになってから、その人の味方に付いたんじゃ遅い。もっと前に、その人が下の下にいるころに先を見究めて、ものそのときから味方して、その人が大をなす日までついてゆかなくてはね・・・・・・いざというときに、もらうものが少ない。
信長の死ぬ前と後では、戦国時代といっても違うわけだ。信長の死後は諸国の大名小名たちがちょっと先を見たり、うかつに猪突猛進して敵をやっつけるというふうにはなりませんね。・・・一番大事なときに実力を出さなければいけない、そうれを早まって、うかつに亡びてしまってはつまらない・・・・・・信長が一度天下を統一したんだから、・・・今こそ大事な時、今度しくじったらやり直しはきかないんだ、一番肝腎な、天下をとる人をよくよく見きわめて、その人のためにやらなければ損をする・・・・・・という気がある。だから天正十年を境にして、その前と後と、大名、侍、武士たちがだいぶ変わってくるわけだ。大将がそうだから、家来もそうなる。
槍というのは戦国時代に入ってから発達した。無論、支那から来たものです。鉾のようなものを日本人向きに洗練して使いやすいようにして育て上げたんだろうね。
特別にお相撲さんのような大きな侍というものは、めったにいなかったと思う。いま残っている鎧なんか見てもね、が、相当の体力はあった。精神力でしょうね。筋肉が引き締まっていたろうけれども、非常な大男は、鎧なんかから察してもいなかったろう。それに食べるものも粗食・・・・そんなものを食べてやりふりまわしていたんだから。やっぱり体力以上に気力だろうね。で、そう長生きできない。
・・そういうことを考えれば、いまと昔と、どっちがいいかといえば、いまのほうがいいにきまっているけれども、生命力の燃焼のしかたが違うわけだ明日死ぬかと思うのと、明日死なないと思う今日とは、今日が違う。
男が自分で包丁持ったりするようじゃ、男じゃない・・・・・と。ところが、これは江戸時代の道徳で、戦国時代の侍はみんな料理にかけてはうるさい。そのころのことだから、材料はないけれども。
とにかく料理であれ、なんであれ、どんなことでも、ちょっとでもゆるがせに、いい加減にしていたら、すぐ大変なことになる。そうじだいですからね、戦国時代は。そうしないとともなく家が治まらない。家が治まらないと家来が治まらない。家来が治まらないと国が治まらない。これが基本だからね。家というものが絶対中心なんだから。
人間的なつながりがあったということは、ひとつには、その当時は、上も下もほとんど生活の差がなかったからです。いかに昔の大名なんていうのが質素な暮らしをしていたか、徳川将軍でも三代の家光のころまでも足袋をはかないですよ、寒中でも。江戸城中で。家康の足なんてアカギレだらけですよ。
やはり、顔というのものはかわりますよ。もともとがよければ、これは変わらない方がいいけれども。まわ、若いうちからいい顔というものはない。・・だから役者なんかの場合は、やはり顔が変わってくるね。役者は役をこなすからね。そのたんびに劇中の人生を経験するわけだから、当然、かわってゆく。また、いい方に変わらない役者はダメになっちまう。
・・・うちを整えるのに一所懸命な人はたいしたことはない、そういうことは放り出しておいて外へ出歩いているほうがカッコイイという・・・・・ちかごろの考え方、あれはまったく間違いです。・・・作家というのものは浴びるほど酒を飲んで、それで絵空事を・・・・・・そういうことをいいますよ。それが作家だなんて、それは言語道断ですよ。それは昭和初期の作家、あの時代の人ですよ。その前の作家はそんな人はいませんよ。鴎外にしてもそうだし、藤村にしても、露伴にしても。・・・そんなことで作家のスケールをうんぬんするなんて大間違いだ。
人間というものは。大体、五歳から十歳くらいに間に全部決定されるわけですよ、そのときの生活環境でその人の一生が。
プロセスによって自分を鍛えてゆこうとか、プロセスによって自分がいろんなものを得ようということがない。だから、道が見つからないんですよ。・・・はっきりわかっている自明のことをやらないんですよ、最近。・・・下の仕事、人のいやがるようなことをもっと進んでやる、それが大事なんじゃないかと思いますよ。実際ね、これが一番面白いんだよ。
自分の仕事としてそれを楽しむことができない仕事なんて、ないですよ。
役人でも、会社員でも、身銭を切りなさいというわけですよ。仕事そのものにね。同僚と飲むことじゃないですよ。そうしないと実らないんじゃないかな、仕事が。しかし、いまの人は仕事に身銭をきらないねえ。職場で毎日お茶入れてくれる人がいるでしょう。そういう人に盆暮れにでも心づけする人が、まあない。いつもおいしいお茶をありがとう・・・・・・そういってちょっと心づけをする。こりゃ違いますよ、次の朝から。当然その人に一番先にサービスする。そうすると気分が違う。気分が違えば仕事のはかどりがまるで違ってくる。こういう風に、自分の仕事を楽しみにするように、いろいろ考えるわけですよ。楽しみとしてやらなきゃ、続かないよ、どんな仕事だって。「努力」だけではだめですよ。ガムシャラな努力だけでは、実らないかったら苦痛になる、ガックリ来ちゃって。
人間の形成というものは、生まれついてから五歳くらいまでが最も大事で、そのときの家庭生活というものが全部、一生影響してきますよ、絶対。そう思う。
持続ということは美徳だったわけです、つい十年くらい前までは。物事を持続するということが立派な美徳だった、人間の世界の。それがなければ、努力の積み重ねというものも意味をなさないんだから。
自分の息子も、その友だちも、少しも分け隔てなく可愛がることが出来た、そういう心の温かい、本当に情のある人だった、清正の母親は。
強いばかりではない。清正の軍は、軍紀が厳正なことも知られている。そういう厳正な人物だったということですよ、清正。
三成は秀吉の好調時代に秀吉のそばにくっついていて、常に権力の座にいたけれども、順境しか経験がない。清正みたいに異国の地で生命がけで敵と戦いぬいた、壁土まで食いながら頑張ってのけた、そういう体験をしていないでしょう。こういう、逆境に沈んで苦しみ抜いたことのない人間は、だいたい駄目なんだ。人を見る目もできていないしね。
すべてはそうではないが、大半は政治家と呼ぶに値しない、とぼくは思うね。少しは歴史を研究して清正や家康の人物を勉強するといいんだよ。この両者の虚虚実実の駆け引き、そこに政治家の一つの在り方を見ることが出来るんじゃないか。党利党略とか、党内での派閥争いとか、それだけでしょう、現在(いま)は。これは、どの党を見ても全部同じだよ。
加藤清正の立場としては、あくまでも関東(徳川)に乗ずる隙を与えてはならぬ、このことに尽きる。徳川家康がねらっている開戦の機会を絶対にあたえてはならない・・・・・・そのためには、いさぎよく頭を下げるべき時は下げねばならない、と、こう考えているわけですよ。
家康に対してわれわれが感心するのは、あれほどの権力者になっても、自分の生活はきわめて質素、それでなくては下の者たちはついて来ないということをよく知っていて、それを最後まで実践したことだろうね。これは、上に立つ人間の取るべき万古不易の姿だから。
そういうように自ら率先して日常の行動そのもので納得させる、これが指導者であって、家庭の主にしてもそうですよ。
一緒になってからは、たいてい夫婦仲がこまやかになるな、戦国時代の政略結婚は。実際は、そういう方が多いくらい。結婚してから恋愛に入るわけですよ。だから、年月がたつほど深く心が通い合って夫婦仲がよくなって行く・・・・・・。
戦国時代の価値観というか、結婚観から言えば、何よりもまず大切なのは”国を守る”ということだ。その上で初めて結婚も幸福も成り立つんだから。根替え方の根本が違う。そうなると、男に対する見方も違ってくる。男Rは顔だのなんのじゃないんだ、男というものは働きなんだ、という風に基準が違うわけですよ。
戦国時代に女が蔑視されていたということの一つの例として系図に女の名前をださないということがいわれるでしょう。あれなんかもね、女性蔑視とみるのは間違いなんだ、戦国時代の場合は。つまり、名前を書いちゃうと、後難のおそれがあるわけですよ。男が負けた場合、一族郎党残らず殺されてしまう。そのとき、女をかばう気持ちが、ああいう系図の書き方に表れているのだ。これは必ずしも女性蔑視というのではないんだよ。
そのころ江戸の町というのは急激な発展期にさしかかっている。幕府が玉川上水の敷設を許可して費用を与えたのが承応二(一九五三)年でしょう。水道がひける。手紙なんかも早飛脚の制度ができて江戸と京都の間を半月もかかっていたのが三日で行く、五日で来る。米や麦もこれまでより余計に穫れる。だから団子なんかも売っているということになる。宿屋へ行っても自分で米を炊かないで済むようになる。すべて、戦争がなくなったおかげだ。終戦後の日本と同じだよ。生産力が飛躍的に拡大されて電気製品が普及して来るというのと同じで、なれてしまうとありがたいとも思わない。・・その結果はどうなるかというと、諸事万端、形式ばってくる。これは徳川幕府の場合もそうだった。万事が次第に贅沢になったがために、現在の結婚式と同じようなことで、何かの儀式が何万両、何十万両かかるというようなことになってくる。
江戸の元禄と、昭和の元禄、必ずしもそっくり同じではないが、確かに共通するところがある。それはどういうところかというと、つまり「戦後の社会が繁栄した」ということだ。そこが一番よく似ている。
それまでは、女はほとんど政治にくちばしを入れることがなかった。幕府の閣僚、大老、老中、むろん将軍もそうだが、女には一切口を出させず、全部男がとりしきってきたものだ。それが、綱吉の時代になって、綱吉の生母である桂昌院が将軍の母親として権力を拡張したがために、ここに大奥の権力というものが生まれたわけだ。
戦国時代には「余剰」というものがない。物資の面でも時間の上でも。戦争のためには、食い物だってなんだってできるだけ切り詰めて、武器をつくり大砲の弾つくりをしなければならないだろう。人口も少なかった。それが戦争がなくなると、戦争に使っていた人手が余る。
元禄時代から見れば現代は大変な贅沢だけれども、戦国時代から見ると元禄時代はもっと贅沢だった。夢みたいな、とんでもない贅沢だったわけだよ。それほど戦争というものはエネルギーを食っちゃうんだよ。
自分では動物を愛護しているつもり、母親に孝養をつくしているつもりなんだ、綱吉は。・・仁義礼智、孝行の道というのがあるでしょう、論語に。それを自分が実行しているつもりでいる。だから手前だけの学問なんだ。世の中のことが何もわからない人が学問するとこういうことになってしまう。蚊をつぶして島送りになった侍に親がいて、どんなに悲しむか、そんなことは知っちゃいない。
戦国末期でも豊臣秀吉の時代でも、何十万国という大名である加藤清正、福島正則、こういう殿様でも朝飯のおかずは塩だの、焼き味噌、板に味噌を塗って比で焙ったものだが、せいぜいその程度なんだ。それにおそらく麦飯だろう。
自分よりも家来を可愛がらなければ、家来たちがよくやってくれない。家来たちがちゃんと働いてくれなければ国がおさまらない、ということだから、自分のものは節約しても家来たちに与えるようにした。そうでないと侍社会というものは成り立たない。大名社会というものは。
・・・封建時代は。米がとれなくては国が成り立たない。だから、封建時代の百姓はいじめられて可哀そうだとよくいうけど、実際は、殿様のほうがよっぽど苦しい質素な生活をしていたんだ。大名が何百というほどいて、その中で数えるほどですよ、殿様が自分勝手な贅沢をして民百姓を苦しめたというのは。
火事というのは、戦争がない当時、何より恐ろしいんだ。営々として築き上げて来たものが一夜にしてはいになっちゃう。・・「火消しの演習の中には、武士たるもののすべてが含まれておるとおもいくれるよう。・・・」(「おれの足音=大石内蔵助」より)
いろんな儀式が華美になってくる。着るものでもなんだも。何にしなくてはいけないとか、何の日には大紋をつけろ、何の日には長袴にしろとか、うるさくなってきた。江戸にいる間は従わないわけにはいかない。しかし、国へ帰れば殿様みんな質素だったわけだ。江戸だけを見て判断すると、こういうところを間違いやすい。
今は東京の風潮が、あっという間に日本全国にひろがる。交通がこうなってきたし、テレビもあるし。そこが昭和元禄と元禄時代の違いなんだよ。いまは東京で贅沢三昧の風潮が起きれば、すぐさま全国に波及する。あの当時は、そういうことはない。侍の生きかたというものについては。
武士階級が二分化して、官僚化した武士は贅沢に走り、武士たるものの本質を守り抜こうとする者は依然として質素だった。その境い目にあの事件(赤穂浪士の討ち入り)は起きた。だから、単なる個人と個人の喧嘩ともいえない。
あれだけ祖父さんお遺風を守って営々と努力してきた内匠頭の身になって考えれば、それは残念だったろうと思う。だけど、男の意地というものがある。それが爆発しちゃったんだからしかたがない。現代の人間は意地を忘れ、怒ることを忘れているから、ばかだと思うんだよ。内匠頭のことを。内匠頭の辞世の句、知っているだろう。あれ一つ見ても、内匠頭という人が察せられるじゃないか・・・
風さそふ花よりも猶我はまた 花の名残をいかにとやせん
だけど、戦国時代には、こんなことはざらにあった。自分の意思が通らないときに死を覚悟でやるんだね。それが武士というものだった。内匠頭の刃傷は、そういうことをするのはバカな人間だということになりかけている時代に起きた。官僚の時代だから。綱吉のころは、もう。官僚の社会というのは、自分の生命をかけて何かをするということじゃない。いかに自分の生命を長引かせるかということのために何かをする。それが官僚の本性なんだ。
今の男は気がまわらな過ぎるんだよ。内蔵助の神経のつかいかたと比べないまでも、あまりにも現代の男は気がまわらなくなっている。
だから、男というものは宰領しなくてはいけない。食いもののこと、家族の付き合いのことのみならず、すべてに関して。男がそれをしないと、全体的に家というものがくずれてくるんだよ。そして、家というものがくずれると、その男は不幸になっちゃう。家庭が駄目になっても、その男だけが立派だなんていうことは絶対にありえないんだ。
・・農作物というのは年ごとに出来、不出来があるでしょう。・・そうした場合に、すぐ貿易で食料を輸入するから、何でもない。ところが江戸時代は鎖国をしていて、外国との交際がない。凶作だったらもうどうにもならない。
あの中で、真面目に戦ったのはただ一人だけです。他の、大臣とか政治家、軍人、みんな口では、駄目だ駄目だ、陸軍の横暴を何とかしなきゃいかんっていってましたがね、本当に戦ったのはたった一人しかいない。・・天皇ですよ。日本の敵・陸軍の横暴というものに対して、たった一人敢然として戦ったのは天皇なんです。ぎりぎりのところまで戦い続けている。政治上の独裁権がないにもかかわらず。だけど、その天皇を援けるやつが一人もいなかったんだ、命がけでやるやつが。始めから最後までもう、しっかりとした見通しを持ち、日本の将来というものを賢明に予見して、正しい考えをつらぬいたのは天皇一人だけ。・・あれほど英邁な君主がいながら、時のながれというものは結局どうしようもなく、日本はバカバカしい戦争に突入した。このことは、ちゃんと覚えておいた方がいい。
(桜田門外の変について)こういうことが、こういう場所で起こるという、そこにも将軍家というものの権威がいかに落ちていたか、よく表れていますね。昔の将軍家の威光と言ったら、それは大したものだからね。考えられないわけだよ、こんな事件が起きるなんて。結局、八代吉宗以降、だんだん将軍家の薄れていったんだな。中には利口な将軍もいたけどね。それで当然、独裁政権であるだけに、ひとたび威光が薄れだしたらもう、どうにもならないんだ。やむを得ず合議制になってくるわけだ、政治が。
本当の大名というものはどうであったか、井伊さんを見ていると分かる。自分のことなんか考えていないんです。ところが明治維新で成り上がったやつにはそういうところがない。利権を漁る、地位を漁る、というやつのほうが多くなっちゃった。明治維新以降の政治家は。
薩摩・長州が革命運動の主軸になった理由というのは、要するに、まず金があったということ。それとやっぱり地理的な条件だね。あんな日本の端っこでしょう。幕府の眼が届かないわけですよ。何かやってるなと思ったって手の出しようがない。
正之が幕府の閣僚たちと一緒に改定した「武家法度」二十一カ条というものを読むと、これはむろん徳川政権の安泰を願うためのものではあるけれども、行文には、おのずからなるきびしさがみなぎっている。つまり、幕府も大名も互いに歩調をそろえて、「世を治めるものは、みずからをきびしくいましめねばならぬ」という意気込みが、はっきり出ているいるわけです。
それでも、最後に松平容保が断をくだした。「この上は義の重きにつくばかりで、他日のことなど、とやかく論ずべきではない。君臣もろともに京都の地を死に場所としよう」殿様にここまで決心されたら、もう、家臣たちも何もいうことはないわけだ。こういう覚悟で京都に行ったんですからね、容保は。天下のために、世の中を鎮めるためには、自分はどうなっても構わない、と。
一般の浪士は騒ぎ立てること自体が目的なんだよ。というのも、みんな食いつめているから、下積みの生活で。騒ぎがあれば、なんとかどさくさにまぎれて、そこで食べて行ける。・・もう、半分はやけっぱちで、いつ死んでもかまわない、世の中を騒がせるのが面白くてやっているということなんだ。
・・幕末の動乱を勤王革命、明治維新と美化していうでしょう。あれは封建制度を打破して近代日本を誕生させた正義の革命である、と。しかしねえ、あれは民衆の革命じゃないんだ。武士階級の、特権階級の政権交代に過ぎないんです。・・支配権が徳川幕府から薩長連合に移ったというだけのことなんだ。・・みんなが幕府を援けるようにして明治維新政府をつくっていたら、もっとあかぬけていますよ。・・幕府のほうには優れた人材がいっぱいいたんだから。そういう人材がみんな埋没しちゃった、敗けたばっかりに。それで新政府は田舎っぺばかりになっちゃった。
西郷隆盛の本質は教育者であり詩人なんだ。そういう多情多感な、理想主義的な男が時代の奔流に包み込まれて歴史の舞台に登場せざるをえなかったということですよ。
西郷吉之助の勉学が目ざましく進み始めたのは、この右腕の負傷が動機だったというから、少年時代の出来事というものが人間の一生にいかに大きな影響をもたらすものか、つくづく思い知らされるね。
旧幕時代から続いている旧対馬藩の出張所のようなものが朝鮮の釜山にあって、これを倭館(やまとかん)と呼んでいた。そこに日本の外交官や居留民がいたわけですよ。
版籍奉還とか廃藩置県とかを推進して、かつての主君である島津久光が激怒したって平気だし、きのうまでの仲間である士族たちが没落したって一向気にしない。そこが大久保の大久保らしいところであり、西郷隆盛と違う点でしょうね。
大久保利通を中心とする新政府が、とうとう西郷を死に追い詰めたといっても間違いではない。だけど、政府が追いつめたというよりも、西郷みずからが追い込まれていったという方がもっと正確でしょうね。そこが政治家でもなければ軍人でもない、西郷の西郷らしいところなんだ。情に負けてしまったわけですよ、自分のかつての部下たちの。
山縣有朋なんかでもね、政治家あるいは軍人としての山縣は、ぼくはあんまり好きじゃないけど、詩人として漢詩は大したものですよ。これはもうものすごく感情が激しい人なんだ。だから詩はいいんだよ。』
« 太平洋戦争 (児島襄著 中公文庫) | トップページ | NHK さかのぼり日本史 ⑦戦国 富を制する者が天下を制す (小和田哲夫著 NHK出版) »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略 (廣瀬陽子著 講談社現代新書)(2022.07.09)
- 賢者の書 (喜多川泰著 ディスカバー・トゥエンティワン)(2022.05.30)
- ウクライナ人だから気づいた 日本の危機 ロシアと共産主義者が企む侵略のシナリオ (グレンコ・アンドリー著 育鵬社)(2022.05.29)
- 防衛事務次官 冷や汗日記 失敗だらけの役人人生 (黒江哲郎著 朝日新書)(2022.05.16)
- 古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社)(2022.05.08)
« 太平洋戦争 (児島襄著 中公文庫) | トップページ | NHK さかのぼり日本史 ⑦戦国 富を制する者が天下を制す (小和田哲夫著 NHK出版) »
コメント