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2012年11月22日 (木)

それでもヤクザはやってくる 暴力団vs飲食店経営者のあくなき闘い (宮本照夫著 朝日新聞出版)

けっして経験したくはない内容ですが、長い人生の中で関わり合いにならないとも限りませんので、勉強になりました。

『「あんたの風格というか貫録というか、そんな雰囲気からすると、女をぶん殴るのは似合わないなあ」・・・ひどい怪我をしているようには見えなかったが、風格、貫録という言葉がどうやら効いたらしい。私はさりげなく男と女の間に立ち、男に向き直って・・こういう場合、男の神経を逆なでするのが一番いけなかった。男は強者、女は弱者。そうとばかりは限らない。・・修羅場には割り込み時、割り込み方というものがあるのだ。

奈津子の客には企業のトップやタレント、スポーツ選手など有名人が多い。そうだろう、彼らはいつも孤独だ。たとえば経営者。新規事業に乗り出すべきか、この株に投資すべきか、この会社と提携すべきか、いつも最終判断は自分がくださなければならない。一歩誤れば何百人何千人が路頭に迷ってしまう。意思決定には責任どころか恐怖すら伴う。だから占い師のところにやってくる。占ってもらうというより、意見を聞きに来るのだ。

ヤクザ予備軍の連中だから、警察で調書を取られたり裁判で証言台に立ったりするのは、できれば避けたいに違いない。

俗にニッパチと言われるように、二月と八月は客足が遠のく。・・さまざまな理由はあげられているが、本当の理由は私にもわからない。とにかく、遠のく。経営者には頭の痛い時期である。

ささいなことでも警察へ。それが暴力団や不良客を締め出す近道だと、私は自分に言い聞かせ、従業員にも教えてきた。私が、警察べったりの、虎の威を借る狐だというのではなく、実際、そうすることが経験から言っても一番の早道なのだ。

貴重品も、忘れ物と同じようにトラブルを起こす。というより、暴力団の手口は悪質だ。考えうるあらゆることを脅しや恐喝の材料にしてしまう。盲点をつく。要注意は女である。ヤクザの情婦や水商売崩れのなかには、本家本元のヤクザまで脱帽してしまうような手合いがいる。

一寸先は闇。これが飲食店である。現に私自身、川崎市で多いときはクラブやカラオケスナックを八店経営してきたが、今も当時もまま続いている店は一軒もない。

いったいにわが国の教育現場では、臭いものにはふたをしろ式のやり方が横行しすぎてはいないでしょうか。

国境がなくなったある日、日本が世界でいちばん、マフィアが暗躍しやすい国になっている可能性があります。昔であれば、たぶん任侠というものがその防波堤になったのでしょう。任侠道を一方的に称賛するのは危険ですが、昔はそのての、ある種の社会的仕組みというのがあったように思います。

・・「貧困」「差別」「偏見」「虐待」、この四つが暴力団という存在を生む下地だと私は思っています。

結局は、社会制度でも学校制度でもなく、煎じ詰めれば、親というものの問題になるのではないかと私は思っています。すべては親です。ちゃんとした親の元で育った子どもはヤクザになったりしません。

昔、日本のヤクザは、暴力団である以前に、任侠道というものを掲げて生きていました。任侠道は、武士道の裏側に咲いた、まあ、一種のあだ花みたいなものでしょうが、暴力団よりははるかに人間的でした。たしかに自分たちは、世間様一般の習いからは降りて博打だの喧嘩だのというしがない渡世を生きている。しかし、ただ一つ、義理と人情というものだけは外すわけにはいかない。そういう、ある意味ではきわめて人間らしい世界です。』

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