男の作法 (池波正太郎著 新潮文庫)
紙の文庫本を持っていましたが、本が多すぎるとの家族の苦情を受け、なくなく処分していました。このたび電子書籍が出ましたので、喜んで購入し再読しました。やはりいろいろとためになる本です。
『人間とか人生とかの味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒との間のとりなしに。その最も肝心な部分をそっくり捨てちゃって、白か黒かだけですべてを決めてしまう時代だからね、いまは。
やはり、顔というものは変わりますよ。だいたい若いうちからいい顔というものはない。男の顔をいい顔に変えていくということが男をみがくことなんだよ。いまのような時代では、よほど積極的な姿勢で自分をみがかないと、みんな同じ顔になっちゃうね。
何の利害関係もない第三者の目に映った自分を見て、普段なかなか自分自身ではわからないことを教えられる、それが旅へ出る意味の一つですよ。
人間という生きものは矛盾の塊なんだよ。死ぬがために生まれてきて、死ぬがために毎日飯を食って・・・・そうでしょう、こんな矛盾の存在というのはないんだ。そういう矛盾だらけの人間が形成している社会も矛盾の社会なんだよ、すべてが。
・・本来の目的以外のことは何も僕はしないんです。・・結局それでは躰も疲れるし、どこかで無理をするから、本来の取材なら取材という目的が充分に果たせないということにもなる。あぶはち取らずになりかねないんだよ。
人間というのはやっぱり、一つまいた種がいろいろに波及していくわけだよ。外にも波及していくし、自分にも波及してくる。
何がいいと決めないで、その土地土地によってみんなそれぞれ特徴があるんだから、それを素直に味わえばいいんですよ。どこそこの何というそばでなければ、そばじゃないなんて決めつけるのが一番つまらないことだと思う。
身だしなみとか、おしゃれというのは、男の場合、人に見せるということもあるだろうけれども、やはり自分のためにやるんだね、根本的には。自分の気分を引き締めるためですよ。
ポイントをどこに置くかというと、自分はどういう形のものを主張したいのか、それをまず考えりゃいいんだよ。
自分はこういう顔なんだ、こういう躰なんだ、これだったら何がいいんだということを客観的に判断できるようになることが、やはりおしゃれの神髄なんだ。
持ち物というのは、やはり自分の職業、年齢、服装にあったものでないとおかしい。
お椀のもおのが来たらすぐそいつは食べちまうことだね。いい料理屋の場合はもう料理人がないちゃうわけですよ熱いものはすぐ食べなきゃ。
手紙を書くのは話しているように書けばいいんだ、その人と話してるつもりになって。初めてのとき、手紙を見ただけで会ってみようという気になることもあるし、逆の場合もある。だから、手紙は大事だね。書き方は、結局、気持ちを素直に出すことですよ。あくまでも相手に対面しているというつもりでね。そのときにおのずから全人格が出ちゃうわけだ。それで悪ければしょうがない。
いろんなことができる時代なんだからね、若いころというのは。つまり、自分に対して将来役立つような投資をする時代なんだよ。
「すべて前もって前もって・・」と、事を進めて行くことが時間の使いかたの根本なんだよ。あまりそういうことに気を遣いすぎていてはのんびりできないというかもしれないが、クセになれば少しも気ぜわしくないんだ。余裕をもって生きるということは、時間の余裕を絶えずつくっておくということに他ならない。
・・戦争に出て行って戦死するかもしれない。あるいは生き残って帰ってくるかもしれない、その率は五分五分なんだ。すべてが五分五分なんだ。そういう人生観、というのは大げさだけれども、だから落ちたからといって、ガックリはしない。もう、すぐその日から仕事ができる。その考えでいかないと、時間というものがロスになってしまう。なぜというに、ぼくらと一緒に出て行った連中が、一回落ちると二年ぐらいかけないで、みすみす才能がある人がずいぶん討死をして、ついに世に出られなかった人が多いんだよ。だから、すべて五分五分という考えかた、これがやっぱり大事なんだと僕は思うね。
この「時間」の問題というのは、もう一つ大事なことがある。それは、自分の人生が一つであると同時に、他人の人生も一つであるということだ。・・他人に時間の上において迷惑をかけることは非常に恥ずべきことなんだ。
苦しみが少なくて、眠ったように大往生する。夜、いつものように寝て、朝、気がついてみたら息が止まってた。これが大往生で、人間の理想はそれなんだ。それがために健康に気をつけるんだ。大往生を遂げるために。
戦前の小津安二郎の映画なんか観てごらんなさい。自分の親に対してのことば遣い、きれいですよ本当に。・・そういうことばを使うことによって自然に女らしい感情が出てくるわけですよ。
むろん例外はあるけれども、だいたいにおいてその人の幼児体験というものが、一生涯、つきまとうものだと思っていい。
世の中に余裕があったというのはどういうことかというと、自分の小遣いを持っていたわけだよ。金高の大小にかかわらず。つまり、家庭の生活以外の小遣いというものが、それぞれ分相応にあったということですよ。いまはそれがなくなってしまったから、世の中が味気なくなってしまった。・・小遣いがなくなると同時に、世の中全体から余裕というものが失われてしまった。
多勢の人間で世の中は成り立っていて、自分も世の中から恩恵を受けているんだから、「自分も世の中に出来る限りは、むくいなくてはならない・・」と。それが男をみがくことになるんだよ。
隅から隅までよく回る、細かい神経と同時に、それをすぐ転換出来て、そういうことを忘れる太い神経も持っていないとね。両方、併せ持っていないと人間はだめです。
人間の一生は、半分は運命的に決まっているかもしれない。だけど、残りの半分はやっぱりその人自身の問題です。みがくべきときに、男をみがくか、みがかないか・・・結局はそれが一番肝心ということですよ。それならば、男は何で自分をみがくか。基本はさっきもいった通り、「人間は死ぬ・・・」という、この簡明な事実をできるだけ若いころから意識することにある。もう、そのことに尽きると言っていい。何かにつけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくるんだよ。
仕事、金、時間、職場や家庭あるいは男と女のさまざまな人間関係、それから衣食住のすべてについていえることは、「男のみがき砂として役立たないものはない・・・」ということです。
天中殺にしろ、運勢にしろ、あまりこだわってはいけないが、そんなのは迷信だとかたづけるよりも、積極的に利用していったほうがいいということですよ。手相でも、人相でも、それによって自分のためになる習慣を身につければ、こんないいことはない。
だからいうわけですよ、役人でも会社員でも身銭を切りなさい、と。仕事そのものにね。同僚と酒を飲むことじゃないんだよ。
こういうふうに、「自分の仕事を楽しみにするように・・・」いろいろ考えるわけだ。たのしみとしてやるのでなかったら続かないよ。どんな仕事だって。努力だけじゃダメなんだということ。・・仕事というものはそれが何であれ、一種のスポーツのように楽しむ。そうすることによってきっと次の段階が見つかり、次に進むべき道が見えてくるものですよ。
男というものは、よほどの悪妻でない限り、何十年連れ添った女と離別してほかの女と結婚するということはまず、あり得ないんだから、そこのところを妻たる者は考えていないと、カーッとなったときに、もののはずみで取り返しのつかぬことになる・・』
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