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2012年11月

2012年11月24日 (土)

2014年、中国は崩壊する (宇田川敬介著 扶桑社)

少し以前に読了しましたが、記録したい事項が多く、掲示が遅れました。非常に刺激的な内容です。

『世界の歴史を見てみると、長期ヴィジョンを見失った国は弱くなる。日清、日露戦争でいえば、清王朝とロシア帝国の劣化は抗いようもなく、ともに若き日本に敗れている。かくのごとく長期ヴィジョンは重要なものだが、現在の日本にそれがあるのか、と問われるといささか心もとないのも事実である。

・・中国の長期ヴィジョンは、「マルクス・レーニン主義的、そして毛沢東の理念に従った社会主義革命を行い、世界を社会主義に変えていくこと」だとわかる。その手順としては市場経済を導入し、「豊かになれる人から豊かになり、豊かになったら貧しい人を助ける」というのが方法論だ。・・とはいえ、国家は長期ヴィジョンのみで動いているわけではない。・・当然、中国は短期的なヴィジョンをこなしながら、長期ヴィジョンを実現しようとしている。短期的なヴィジョンでは、「鄧小平理論」が最も大きく作用している。13億もの中国人民を生活させるには、支配を拡大し経済の安定を図らなければならないからだ。

このまま短期ヴィジョンである経済発展路線を突き進む場合は、共産党政権が市場経済をコントロールし、計画経済の予測の範囲で経済成長が続くことを示さなければならない。・・そのために人民の政府である中国国務院はかなり無理をしている。その最たるものが、紙幣を大量に刷っていることだ。・・「8%成長」と決めれば、現在の資本に8%の成長分を上乗せし、そのうえ、海外流出分をさらに上乗せしなければ、「8%成長」は成し遂げられない。そして、その不足分を補うためには紙幣を刷るしかない。

中国は日本だけでなく他の国々や地域に対しても、まず不法侵入し、相手の反応を見ながら徐々に武力を行使し、そして最終的には自国の領土とする手段を使う。その手段において、中国共産党は「人」を使う。個人の人権よりも社会主義の維持や全体主義が重視される中国にとって、人を盾にも武器にも使うことは容易なことだ。

中国では代表者による独裁政治が行われているイメージもあるが、外交面での対応を見ているとそうでないことがわかる。共産党という集団によって独裁が行われているものの、その中にはさまざなま派閥があり、常に一つではないのだ。

・・中国共産党は「間違わない」ということが、求心力の一つとなっている。そのために、尖閣問題でも引くことはない。過去を否定するときは、その発言を行った人々の粛清を伴うからだ。つまり、中国は一度「尖閣諸島は中国の領有である」と主張した以上、それを否定し取り下げることはないのだ。これこそがメンツ社会中国であり、同時に共産党の求心力なのだ。

日本人を相手に仕かける場合は、まずは相手の身辺調査が行われる。調査を行う一方で、表からは普通に接触する。特に日本人の場合は、外観が同じものを信用しやすく、「まさか自分は騙されない」と考えているため、たとえば、中国人クラブで言い寄ってきた女性に気軽の情報を漏らすことがよくある。・・そして、用済みになれば躊躇なく捨てる。人が「余っている」中国において、人を重要視するという習慣はない。その点においては、日本人の美学とは正反対と言えよう。

中国は大国であるがゆえに慎重な部分があり、データのない相手に対しては、特に慎重に事を運ぶ。

中国は社会主義国家であり資本主義経済を選択していない。貨幣経済ではあるが、それはあくまでも「社会主義的市場経済」でしかない。・・中国共産党は共産党の保有している資産分を、国内で通貨として流通させている。つまり、共産党の保有する資産が多くなれば、その限度まで通貨を発行できる。逆に言えば、通貨発行が限度に達すると、どこかの資産を奪い取らねば通貨を発行できないのだ。

そもそも「中国人」という定義が難しい。中国で「中国人」という場合、チベットや新疆ウイグル自治区も含まれ、台湾も入る。「一つの中国」という概念を掲げている以上は、「中国とされる地域にいるすべての人」が「中国人」である。しかし、現実にはチベットや新疆鵜意義る自治区、台湾の人びとは自分を中国人だとは思わない。まず、彼らは「中国人」といいながら、満州族(女真族)やウイグル族(維吾爾族)など55民族を少数民族と呼び、彼らを人口の94%にあたる漢族が支配している。・・少数民族の文字や文化は中等教育までで、高等教育や大学教育では北京語以外の教育を認めていない。また、漢族を大量に少数民族居住地に入植させ、混血によって漢族化する「民族浄化作戦」が行われている。

大連市の小学校では「中国の文化や秩序を失えば妖怪になる。だから、しっかりといい人間になってください」と教える。しかも、「中国の外にいる人々は、中国を食べにくる妖怪かもしれません。十分に注意し、そして中国が強くなって、三蔵法師のように異国を安全に通れるように、中国を広げなければなりません。孫悟空のように力強く国を護らなければ、中国はいつしか妖怪の国になります。皆さんの時代にそうならないように、しっかりと勉強してください」と教育するのだ。

チベットや新疆ウイグルなどの自治区以外の少数民族があまり大きな声をあげないのは、中国共産党の力による支配に加え、政策や計画経済がその宣言通りに、貧富の差はあるものの何とか食べて行けるくらいに生活が維持できているという点にある。

大まかな法律は定められているものの、その法律を執行する明確な基準がなく、執行する人の「裁量権」が広すぎるために、日本人からすると「人治国家」に映るのだ。・・』中国人は自分にすべての裁量権があると信じて疑わない。権限があれあ、その裁量権を最大限に使うのが中国人の習性なのだ。

ダメもとですぐにわかる嘘をつくので「中国人はうそつき」というイメージが出来上がる。しかも、なかには諦めてしまう日本人がいるので、彼等にも嘘をついた方が得だという計算が働くのだ。そういった場合に嘘を封じる方法がある。それは、契約相手よりも上位の人間を立会人にすることだ。彼らは階級社会に生きていいるので、上位の立会人のメンツを潰すことはできない。・・逆に、階級構造の外にいる外国人には何をしても構わないというのが流儀である。

日本人は「メンツ」といえば、「面目」や「体裁」といった概念をイメージするだろう。しかし、中国ではそれが社会的な地位に直結し、権利と結びついて収入を左右する。

中国人が集まると、個人はその集団の相互監視にさらされる。集団内でのメンツを重視するあまり、急進的で過激な行動をとる人が出てくるのだ。

中国における下層民衆の形成は歴史が古い。中国を初めて統一した秦の始皇帝が王朝を開いたときから、王朝が替わるたびに上層部は入れ替わるものの、農民を中心とした下層民衆はそのまま綿々と現在まで下層民衆としての暮らしを営んできた。しかし、下層民衆は一方的に虐げられるだけの存在ではない。中国の歴史を繙くと、下層民衆が常に歴史を担い、節目節目に登場する。・・とはいえ、下層民衆は、「下層階級」として一体化しているわけではない。組織ごと、地理的な郷里ごと、商売別、または、前科者やアウトローなどの前歴ごとにさまざまなコミュニティを形成している。・・もちろん、彼等には「一般の中国人」との格差に不満がたまっている。しかしその不満という力は常に爆発するのではなく、何かきっかけがあったときに大爆発を起こす。

「・・人口は13億人、実際はそれ以上いると思うが、それだけの人びとを貧富の差はあっても最低限食べさせていく、生活させていくということはとても大変である。・・共産党独裁でなくてもいいが、それで生活が困窮するならば困る」というのだ。・・ほとんどの中国人がこう答えるのだ。共産党員がこう発言するのは誰でも想像できるだろう。しかし、共産党の幹部のみならず、貧富の差、身分の差、地域の差、生活水準の差に関係なく、ほとんどの中国人がこう答えるのだ。

一つ言えることは、文化大革命のように、他国との交流がなかった時代とは違い、中国マネーが世界各国を席巻し、また各国の企業が中国に投資している現在、バブルが崩壊すれば、その影響はリーマンショックを凌駕するものになるということだろう。

何よりも、中国人民は「生活に困窮しない」からこそ、共産党の一党独裁体制を消極的ながらも認めてきた。しかしバブル崩壊によって景気が大幅に後退し、生活が困窮する事態になれば、一党独裁体制を認めなくなる可能性がある。中国の崩壊はこの一点にかかっていると言えよう。

中国の経済は、「社会主義という一党独裁の政治体制という名の『コマ』が勢いよく回っていて、その上に『資本主義・自由競争経済』という不安定な高層ビルが立っている」図をイメージするといいだろう。しかし、そのコマである共産党一党独裁は、実際には文化大革命によって大きなダメージを受けている。・・文化大革命の直後は、日本が残した数々の工場施設や資源などで「夢の国」と言われていた朝鮮からも支援を受けていたほどである。今の中国の発展からは考えられない状態がそこにはあったのだ。

・・わが目を疑う光景を目にする。警察官二人は、なんと遺体の手と足をもって、田舎道の横にある崖の下に放り投げたのである。運転手に「なにがあったのか?」と聞くと、彼は「黒子だった」と言う。要するに「人ではなかった」のだ。そもそもこの世に存在していないので、轢いたところでついにならず、警察も「人」として扱うことはなかった。

海に面している土地が少ない中国にあって塩は重要で、海の塩と、チベットなどにある岩塩が政府によって販売されるようになった。

・・2001年の建党祝賀大会で資本家や企業家が共産党員になることを認める演説によって成し遂げられる。中国共産党がプロレタリア革命を捨て、ブルジョアジーを政治体制の中に組み込むことを正式に認めたのだ。これによって中国共産党支配下にあった国有企業は、共産党から一定の権限を与えられた企業資本家として活躍するようになった。

政治権力を背景にした経済は著しい発展を遂げたが、一方で権限や権力を持たない者、またはドロップアウトした者に対しては冷酷な競争社会となり、その所得と権限、ステータスの格差は広がる一方だった。この格差の拡大が現在のバブル経済の実態である。

・・中国の国土にあるすべての物品や不動産が通貨発行のもととなっているのである。ここで、「すべての物品や不動産」と書いたのには理由がある。中国の場合、私有財産を認めていないので、そこにあるものはすべて国家のものになる。「接収」という概念があるということは、所有権の放棄を命令できる権限を持っているということだ。

中国の地下経済社会は独立した経済圏だ。とはいえ、自給自足でも独立国家のような経済ではない。この「経済圏」は、物理的に一般社会と離れているのではなく、階級的または人的に上下に分離しているのである。そして、二つの経済圏は別々の規則と習慣で運営されているというのが正しい解釈だ。

地下経済においては、一般社会のルールではなく、下層社会のルールがある。その下層社会のルールは、驚くことに中国共産党による価値観にのっとっていない。あくまで下層社会のなかで決められた独立したシステムであり、その社会には共産党といえども刑事事件などがない限りは介入することができないのだ。

下層社会は中国共産党よりもずっと前、秦の始皇帝の時代から続いている。その間、為政者は下層社会を完全に支配できず、国家内における別組織のように扱ってきた。中国内部には、国家に必要でありながら、政府が支配できない大多数の人々が存在しているのだ。

国際社会の常識を無視してでも政権維持に努めねばならない。為政者の政治が間違っていないことをしょうめいしなければ、下層社会に突き上げられ、暴動や政権転覆の口実を与えられてしまうのだ。そのようの基本的な構造に「メンツ」が相まって中国の社会と経済を形作っている。

下層社会には巨額の資金が循環する経済システムがあるため、ボスなどの幹部を数人逮捕したところで崩壊はしない。経済システムは一般の社会にとっても必要で、重慶市の政府であっても地下経済を利用しなければならない。改革するためには、下層社会の構造自体を崩壊しなければならないが、大多数を占める人民からは歓迎されない。

中国の人民にはさまざなま不満がある。特に下層社会は、なぜ自分たちが下層なのかという不満を抱いている。インターネットで欧米や日本の情報に触れ、成功する機会の少なさにいらだちを感じているのだ。また、存在自体を否定されている「戸籍のない者」の不満は根強い。

基本的な構造として人民解放軍は、下層社会でもある郷里を敵に回すことができない。現在の人民解放軍は、このようなことを避けるために、出身地から遠く離れた部隊に所属させるシステムになっているが、実際は、郷里の関係者がいることを理由に群立に背く者が後を絶たない。また、軍の幹部も、よほどの上層部でなければ自分にも郷里があるので、部下の違反に寛容な態度にならざるを得ないのだ。

下層民衆を制御する手立ては経済の発展以外にない、と書いた。経済の発展こそ、現在の中国人民の支持を得られる唯一の解である。

逆の見方をすれば、領土を拡大しなければならないほど、8%成長を継続することは困難になっている。しかし、下層民衆の政治不信をおさえるためには、経済を成長させ続けなければならないというジレンマに陥っているのだ。

・・領土拡張の試みは、方々で理不尽な歪みと軋轢を生んでいる。まさにナチス・ドイツが国家社会主義を唱えながら産業革命と軍拡を行い、経済的な矛盾を解消するために戦争を始めたのと同じで、周辺国の警戒と世界各国の反発を招いている。そのために、軍備を拡大しているが、その状況もまたナチス・ドイツと同じなのだ。

筆者はこれらの理由から、下層民衆が中心となって中国共産党政府と対立し、欲望のままに拡大主義を自主的に進めると予測している。現在の体制が続く限り、よほどの画期的な改革がなければ、チベットや内モンゴルなどの地方自治区の反乱、人民解放軍による内乱、あるいは、下層民衆をはじめとする中国人民によるあらゆる手段を使った政府転覆の企てによって、共産党体制は倒されるだろう。

崩壊といった場合、天安門事件のような武力衝突がきっかけになるとは限らない。・・むしろ、市政府など地方政府に経済的な圧力をかけて買収し、無血革命のようなかたちをとりながら、一党独裁体制を切り崩していく。そして、それは現在、進行中だ。それでも、デモ行動や武力衝突が起きるのは、社会全体の「歪み」が顕在化し、下層民衆への同情が中国国内に伝播していった場合だ。そうなればまた、天安門事件が起きるかもしれない。しかし、それは一つの象徴的な事象ではあるが、それがきっかけで崩壊に至るのではない。これらは崩壊の過程にあって先鋭化した活動家が行うものだ。武力衝突は崩壊の象徴として行われ、体制が崩壊する過程であることを表しているのだ。

現在の一党独裁が崩壊しても、どの方向に国家が向かっていくのか、誰がどのような国家をつくるのかはまったくわからない。それは中国の歴史そのものがそうしたことの繰り返しであり、内乱も長期ヴィジョンや国家観に基づいたものではないからだ。

わが国は資源だけでなく食料も中国への依存度が高い。冷凍食品の多くは中国産が多く、原材料がほかの国であっても加工工場は中国という現状がある。今後は中国に原材料を供給している国に対して原材料の確保を行うと同時に、それらの加工を日本でも行えるようにしておかなければならない。

他方の可能性は戦争である。中国が現在のまま国家社会主義を推進しながら市場経済を発展、継続させるには「拡大主義」以外にはありえない。国境をめぐる紛争はもちろん、アメリカ、ロシア、インドなどと戦争が始まってしまえば、中国は外部の敵に対峙するという意味で、内部からの崩壊を免れることができる。もちろん、これはソフトランディングではないが、中国の崩壊を避ける一つの手段であることに違いはない。』

2012年11月22日 (木)

それでもヤクザはやってくる 暴力団vs飲食店経営者のあくなき闘い (宮本照夫著 朝日新聞出版)

けっして経験したくはない内容ですが、長い人生の中で関わり合いにならないとも限りませんので、勉強になりました。

『「あんたの風格というか貫録というか、そんな雰囲気からすると、女をぶん殴るのは似合わないなあ」・・・ひどい怪我をしているようには見えなかったが、風格、貫録という言葉がどうやら効いたらしい。私はさりげなく男と女の間に立ち、男に向き直って・・こういう場合、男の神経を逆なでするのが一番いけなかった。男は強者、女は弱者。そうとばかりは限らない。・・修羅場には割り込み時、割り込み方というものがあるのだ。

奈津子の客には企業のトップやタレント、スポーツ選手など有名人が多い。そうだろう、彼らはいつも孤独だ。たとえば経営者。新規事業に乗り出すべきか、この株に投資すべきか、この会社と提携すべきか、いつも最終判断は自分がくださなければならない。一歩誤れば何百人何千人が路頭に迷ってしまう。意思決定には責任どころか恐怖すら伴う。だから占い師のところにやってくる。占ってもらうというより、意見を聞きに来るのだ。

ヤクザ予備軍の連中だから、警察で調書を取られたり裁判で証言台に立ったりするのは、できれば避けたいに違いない。

俗にニッパチと言われるように、二月と八月は客足が遠のく。・・さまざまな理由はあげられているが、本当の理由は私にもわからない。とにかく、遠のく。経営者には頭の痛い時期である。

ささいなことでも警察へ。それが暴力団や不良客を締め出す近道だと、私は自分に言い聞かせ、従業員にも教えてきた。私が、警察べったりの、虎の威を借る狐だというのではなく、実際、そうすることが経験から言っても一番の早道なのだ。

貴重品も、忘れ物と同じようにトラブルを起こす。というより、暴力団の手口は悪質だ。考えうるあらゆることを脅しや恐喝の材料にしてしまう。盲点をつく。要注意は女である。ヤクザの情婦や水商売崩れのなかには、本家本元のヤクザまで脱帽してしまうような手合いがいる。

一寸先は闇。これが飲食店である。現に私自身、川崎市で多いときはクラブやカラオケスナックを八店経営してきたが、今も当時もまま続いている店は一軒もない。

いったいにわが国の教育現場では、臭いものにはふたをしろ式のやり方が横行しすぎてはいないでしょうか。

国境がなくなったある日、日本が世界でいちばん、マフィアが暗躍しやすい国になっている可能性があります。昔であれば、たぶん任侠というものがその防波堤になったのでしょう。任侠道を一方的に称賛するのは危険ですが、昔はそのての、ある種の社会的仕組みというのがあったように思います。

・・「貧困」「差別」「偏見」「虐待」、この四つが暴力団という存在を生む下地だと私は思っています。

結局は、社会制度でも学校制度でもなく、煎じ詰めれば、親というものの問題になるのではないかと私は思っています。すべては親です。ちゃんとした親の元で育った子どもはヤクザになったりしません。

昔、日本のヤクザは、暴力団である以前に、任侠道というものを掲げて生きていました。任侠道は、武士道の裏側に咲いた、まあ、一種のあだ花みたいなものでしょうが、暴力団よりははるかに人間的でした。たしかに自分たちは、世間様一般の習いからは降りて博打だの喧嘩だのというしがない渡世を生きている。しかし、ただ一つ、義理と人情というものだけは外すわけにはいかない。そういう、ある意味ではきわめて人間らしい世界です。』

2012年11月19日 (月)

新聞記事から (【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 古典軽視 大学改革の弊害  24.11.19 産経新聞朝刊)

やはり、古典をもっとしっかり読まなくては、と思いました。

『11月1日は「古典の日」であった。「古典に親しもう」ということをわざわざキャンペーンしなければならないのが、いささかつらいところではあるが、致し方あるまい。本来、「古典」とは、われわれの日常生活のなかに組み込まれた知恵であったり、子どものころに簡略版で読んだりしたものだが、もはやそういう習慣も失われてしまったのだから。

 それが一般社会であればともかく、大学となるといささか問題である。先日、数人の学生と話したおり、漱石の「草枕」の例の有名な冒頭を述べたところ、ほとんど誰もそれを知らなかった。漱石を読んだという者もほとんどいなかった。「どうしてか」と問うと、「僕らの時代とは時代感覚が違い過ぎる」というのである。

 これでは「古典」など読むはずもなかろう。「時代感覚が違う」のである。

 となれば、同時代のものしか読まない。しかも、自分の生活実感にあったものしか読まないだろう。言いかえれば、今の自分にあてはまるものにしか関心がないのだ。この方向を延長すると、今ここで役にたつものにしか関心が向かないだろう。

 これは困ったことである。しかし実は、この心理にお墨付きを与えてきたのが、この十数年の大学改革であった。大学教育の基本方針を「社会にでて役にたつ学生をつくる」という方向で推進してきた。同時に、教育・研究上の短期的で可視的な成果主義を重視し、その評価を大学の事実上のランク付けとし、時には大学の予算にまで影響を及ぼすようなシステムを作り上げてきた。

 このなかで、十数年にわたる「教養教育」の解体も進められてきた。「社会に役立つ」からすれば「教養」などというものは無用の長物であって、大事なことは「専門的知識」を受け付けることである。したがって、「教養」と呼ばれるものは、「専門の導入」や「社会へでて役立つ知識」でよいではないか、というのである。

 ところで、最近出された藤本夕衣さんという教育学研究者の書いた『古典を失った大学』という好著を読んだ。この書物のなかで、藤本さんは、今日の大学教育の混迷の根本的な理由を「ポストモダンの大学」に求めている。「ポストモダン」とは何か。それは、人々の共有する価値が見えなくなり、何が大事かという順位づけさえできなくなってしまった時代である。ということは、書物や知識においても、何が大事な書物で、大事な知識か、という議論そのものが成立しなくなったということだ。すると、「古典」という権威はなくなってしまう。すべてが相対化され、「何でもあり」となる。

 となればどうなるか。漱石も鴎外ももはや権威でも何でもない。「源氏物語」も別に日本人が誇るべき古典などというものでもない。もちろん古典は日本に限ったことではない。プラトンだってマキャベリだって、別に特権視するにはおよばない。それよりも、最近の流行作家を読めばいいし、「何とかムック」あたりですませばよい。あるいは「社会にでて役にたつ」簡略版の専門書だけ読んで単位をそろえればよい、ということになろう。

 しかし、「古典」とは何であろうか。「古典」とは、人間の生の充実や社会の規範や世界の見方などを模索するそのきっかけを与えてくれるものである。確かに時代は違う。したがってそこから直接的に「役に立つ」答えを得られるものではなかろう。だが古典に書かれている問題は普遍的であり、そこで扱われているテーマはわれわれの時代と共有できるものなのである。それこそが古典が長く読み伝えられてきた唯一の理由であろう。

 今日の時代は、さまざまな事項がいり乱れ、交錯した複雑な時代である。たいへんに生きにくい時代である。だからいくら「専門的知識」ばかり身につけても決して「生」が充実するわけではないのだ。むしろ「専門的知識」の独り歩きこそが人間を偏ったものにする危険は大なるものがある。大事なことは、何が重要かという問いを自分に発する能力であり、ものごとを自分で考える力である。そして「古典」とは、その手助けであり、その訓練となる。

 かつては、それは「人格陶冶」としての「教養」とされた。戦後の教育改革のなかで、それは「一般教育」と呼ばれるようになった。そして今また、それは専門教育への単なる準備や実践的知識の伝授に貶(おとし)められようとしている。

 先にあげた藤本さんが述べているが、1980年代に教養教育の意味づけについて大論争(「文化戦争」と呼ばれた)のあったアメリカで、それぞれ対立する立場に立つ2人の哲学者が、それでも「古典を読む」ことこそが大事であり、それこそが大学の意義だ、という一点において一致している、と指摘している。

 その通りだと思う。大学が学生に提供すべきことは、さして役にもたたない専門をただの知識として授けることでもなければ、ともかくも単位を与えて企業へ送り出すことでもない。重要な問題を自分で見つけ、考える習慣を身につけることである。そして、それを可能ならしめるためには、「古典は時代感覚が違うから読んでも意味がない」という相対主義の思い込みから解放されねばならない。

 数年前に政府が「社会人基礎力」といった。大学においても、企業で活躍できる人材を育成する教育の効率化が求められる、ということである。こうして「改革」が毎年のように続行される。しかし、1冊の「古典」も読まず、自分の愛読書ももたない「学士」がいったい「社会人基礎力」を持ちうるのであろうか。』

2012年11月11日 (日)

武田信玄 林の巻 (新田次郎著 文春ウェブ文庫)

この巻ではいよいよ織田信長の登場や最大の川中島の戦いがありました。

『高白斎は眼をつぶった。軍紀のきびしい甲軍であっても、落城の際はいたし方はないのだとあきらめていた。みんな血に狂っているから止めようとしても止められるものではなかった。

敵地を攻略すると、まずその地の治安に取りかかり、その地が名実共に武田になびいたところで、更に前進するという作戦を取った。そして、その前進基地には、彼のもっとも信頼する武将を置いて守らせた。

そして雪斎は三国同盟論をはじめたのである。「三国同盟を結んで一番得するのは誰かな」 聞き終わると晴信はひとこと皮肉を言って置いて「まあいい。誰が得をするかは、ずっと先にならないと分からないこと」 そう云って笑った。そのとき晴信は心の中では、おそらく近い将来には三国同盟は反古となり、その時は、駿河は武田の支配下になっているだろうと考えていた。

死の足音が、すぐそこまで近づいているというのに、いささかの乱れもなく、なにもかもきちんと身のまわりをととのえられて、その日を待っている湖衣様を見ると、こらえている涙がついに出てしまいました。その私を見て、湖衣様は、里美どの、なにを悲しむことがございましょう。人間はいつかは死ぬるものです。その早いか遅いかということで、それほど嘆かれることがどこにありましょうと申され、かえって私がなぐさめられうような始末・・

生きるがためには---先祖伝来の地を守り続けるためには、機に敏感でなければならなかった。常に強い者に味方して勝ち残っていくのが地方郷士の生きる道であった。

「いくら金がかかったとしても、調略によって敵をくだす方が、戦にくらべてはるかに安上がりだ」これは晴信の根本理念であって、この考え方が、上層部の諸将にしみこんでいた。これに対して、長尾景虎は、戦は干戈を交えて決するものであり、調略などという姑息な手段は使うべきものではないと思っていた。

「およそ、将たる者で、人の心の読めないものはない筈だ。読めないものはすでに将たる資格を失った者であろう」

越軍が信濃を去り、甲軍も古府中に引き上げてから、晴信は武将たちを集めて、この年の戦いの敵味方の軍事行動全般についての検討会を行った。武将たちに自由な発言の機会を与えた。「善陣は戦わず、善陣は死なず。いまだ備え定らざるところを撃ち、小衆なりといえども、備え厚きは思慮すべきなり」 晴信は詩でも吟ずるように三度唱えて締めくくりをつけた。

勘助には別に反対する理由はなかった。彼の目的は、織田の領地にとどまって、調べることであった。まず民情を調べ、それから、徐々に支配階級に近づいていかねばならない。急いではならないのだ。

梅雨の間は戦は比較的緩慢だった。既に、鉄砲を主力の武器とする時代に入ったから、鉄砲の使えぬ(当時は鉄砲の筒先から火薬、弾薬を装てんして、火縄で着火したから雨の日はほとんど実用不可能だった)雨の日は双方共衝突を避けた。今川義元が桶狭間で敗死した原因は、豪雨の中で、鉄砲が使えなかったからである。織田信長勢の来週を見つけた前哨の兵が、ぽんぽん鉄砲を撃ち上げれば、本陣で敵の来週を知ることができ、従って防戦の準備ができたのだが、鉄砲が使えないために、むざむざ信長の旗本八百余名の潜入を許したのであった。

直江実綱の雪の国境越えは、小田原に戦線を縮小している北条軍にも、衝撃を与えた。越軍自らが、雪の壁を破って、補給路を確保し、越軍が冬においても、関東に進撃可能であることを実証した意義は重大であった。武田信玄もこの報を受けてかなり驚いた。

当時、能は、諸国の権力者の間にもてはやされていた。能を知らない武将は能なしと呼ばれ田舎者とされていた。田舎者にされないために、高額な金を積んで、京都から、能役者を呼んでいる地方大名が多かった。・・だが、関東諸将のなかには、能などということには関心のない武将もいた。扇を持って、愚にもつかないことを唸り廻ってなにが面白いのかと批判的な眼を向ける者が少なくなかった。

当時の武士は、しばらくの間にも、居眠りができる訓練が積まれていた。合戦に明け暮れしている時代だから、短時間の間に休養を取ることが必要だった。立ったまま居眠りが出来る者もいたし、歩きながら居眠りできる者もいた。

陣僧というのは、その字のとおり、従軍僧のことである。武将の側近にあって、祐筆、使者の役を務め、仏閣に戦勝を祈願するときは僧本来の姿になる。平時は、武将の側にいることもあり、寺にいることもあるが、使僧として、隣国に使いに行くこともあるし、武器を持たざる間者として、他国の動静を探るための行脚もするのである。

太郎義信は若かった。二十三歳の義信はいままで、敗戦の経験がなかった。戦いは必ず勝つものだと思っていた。 「義信、言葉が過ぎるぞ。戦いは、口でするものではない。馬と槍と刀と鉄砲でするものだ」 信玄がそう云って義信をたしなめると・・

信玄は眼をつぶった。(おれの心の中にも信繁と同じような、安全作戦を求める心があるのだ。安全作戦こそ、信玄の軍法だった。勝てる戦でないとやらないのが武田の軍法であった。だが、戦はそれだけであってはならない。天下を望む者は、時には冒険を敢えてしなければならぬ。天機を掴むべきとき掴まねば、躍進はないのだ。いまこそその天機なのだ。勝負をかけなければ、越軍撃滅は達成できないのだ。越軍を信濃から追い出さない限り、甲軍が、東海道に出て、京都に向かうことは絶対に不可能である) 信玄は眼を開いた。

戦の最中だから、いつ敵襲があるかもしれないから、いざというときに、武具をすぐ手が届くところにおくのは武士のたしなみの一つであり、出撃と決まると、乾飯(ほしいい)に竹筒の水を入れ、それにごま塩をふりかけて流し込んで腹を満たすのもごく当たり前のことであった。』

2012年11月10日 (土)

男の作法 (池波正太郎著 新潮文庫)

紙の文庫本を持っていましたが、本が多すぎるとの家族の苦情を受け、なくなく処分していました。このたび電子書籍が出ましたので、喜んで購入し再読しました。やはりいろいろとためになる本です。

『人間とか人生とかの味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒との間のとりなしに。その最も肝心な部分をそっくり捨てちゃって、白か黒かだけですべてを決めてしまう時代だからね、いまは。

やはり、顔というものは変わりますよ。だいたい若いうちからいい顔というものはない。男の顔をいい顔に変えていくということが男をみがくことなんだよ。いまのような時代では、よほど積極的な姿勢で自分をみがかないと、みんな同じ顔になっちゃうね。

何の利害関係もない第三者の目に映った自分を見て、普段なかなか自分自身ではわからないことを教えられる、それが旅へ出る意味の一つですよ。

人間という生きものは矛盾の塊なんだよ。死ぬがために生まれてきて、死ぬがために毎日飯を食って・・・・そうでしょう、こんな矛盾の存在というのはないんだ。そういう矛盾だらけの人間が形成している社会も矛盾の社会なんだよ、すべてが。

・・本来の目的以外のことは何も僕はしないんです。・・結局それでは躰も疲れるし、どこかで無理をするから、本来の取材なら取材という目的が充分に果たせないということにもなる。あぶはち取らずになりかねないんだよ。

人間というのはやっぱり、一つまいた種がいろいろに波及していくわけだよ。外にも波及していくし、自分にも波及してくる。

何がいいと決めないで、その土地土地によってみんなそれぞれ特徴があるんだから、それを素直に味わえばいいんですよ。どこそこの何というそばでなければ、そばじゃないなんて決めつけるのが一番つまらないことだと思う。

身だしなみとか、おしゃれというのは、男の場合、人に見せるということもあるだろうけれども、やはり自分のためにやるんだね、根本的には。自分の気分を引き締めるためですよ。

ポイントをどこに置くかというと、自分はどういう形のものを主張したいのか、それをまず考えりゃいいんだよ。

自分はこういう顔なんだ、こういう躰なんだ、これだったら何がいいんだということを客観的に判断できるようになることが、やはりおしゃれの神髄なんだ。

持ち物というのは、やはり自分の職業、年齢、服装にあったものでないとおかしい。

お椀のもおのが来たらすぐそいつは食べちまうことだね。いい料理屋の場合はもう料理人がないちゃうわけですよ熱いものはすぐ食べなきゃ。

手紙を書くのは話しているように書けばいいんだ、その人と話してるつもりになって。初めてのとき、手紙を見ただけで会ってみようという気になることもあるし、逆の場合もある。だから、手紙は大事だね。書き方は、結局、気持ちを素直に出すことですよ。あくまでも相手に対面しているというつもりでね。そのときにおのずから全人格が出ちゃうわけだ。それで悪ければしょうがない。

いろんなことができる時代なんだからね、若いころというのは。つまり、自分に対して将来役立つような投資をする時代なんだよ。

「すべて前もって前もって・・」と、事を進めて行くことが時間の使いかたの根本なんだよ。あまりそういうことに気を遣いすぎていてはのんびりできないというかもしれないが、クセになれば少しも気ぜわしくないんだ。余裕をもって生きるということは、時間の余裕を絶えずつくっておくということに他ならない。

・・戦争に出て行って戦死するかもしれない。あるいは生き残って帰ってくるかもしれない、その率は五分五分なんだ。すべてが五分五分なんだ。そういう人生観、というのは大げさだけれども、だから落ちたからといって、ガックリはしない。もう、すぐその日から仕事ができる。その考えでいかないと、時間というものがロスになってしまう。なぜというに、ぼくらと一緒に出て行った連中が、一回落ちると二年ぐらいかけないで、みすみす才能がある人がずいぶん討死をして、ついに世に出られなかった人が多いんだよ。だから、すべて五分五分という考えかた、これがやっぱり大事なんだと僕は思うね。

この「時間」の問題というのは、もう一つ大事なことがある。それは、自分の人生が一つであると同時に、他人の人生も一つであるということだ。・・他人に時間の上において迷惑をかけることは非常に恥ずべきことなんだ。

苦しみが少なくて、眠ったように大往生する。夜、いつものように寝て、朝、気がついてみたら息が止まってた。これが大往生で、人間の理想はそれなんだ。それがために健康に気をつけるんだ。大往生を遂げるために。

戦前の小津安二郎の映画なんか観てごらんなさい。自分の親に対してのことば遣い、きれいですよ本当に。・・そういうことばを使うことによって自然に女らしい感情が出てくるわけですよ。

むろん例外はあるけれども、だいたいにおいてその人の幼児体験というものが、一生涯、つきまとうものだと思っていい。

世の中に余裕があったというのはどういうことかというと、自分の小遣いを持っていたわけだよ。金高の大小にかかわらず。つまり、家庭の生活以外の小遣いというものが、それぞれ分相応にあったということですよ。いまはそれがなくなってしまったから、世の中が味気なくなってしまった。・・小遣いがなくなると同時に、世の中全体から余裕というものが失われてしまった。

多勢の人間で世の中は成り立っていて、自分も世の中から恩恵を受けているんだから、「自分も世の中に出来る限りは、むくいなくてはならない・・」と。それが男をみがくことになるんだよ。

隅から隅までよく回る、細かい神経と同時に、それをすぐ転換出来て、そういうことを忘れる太い神経も持っていないとね。両方、併せ持っていないと人間はだめです。

人間の一生は、半分は運命的に決まっているかもしれない。だけど、残りの半分はやっぱりその人自身の問題です。みがくべきときに、男をみがくか、みがかないか・・・結局はそれが一番肝心ということですよ。それならば、男は何で自分をみがくか。基本はさっきもいった通り、「人間は死ぬ・・・」という、この簡明な事実をできるだけ若いころから意識することにある。もう、そのことに尽きると言っていい。何かにつけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくるんだよ。

仕事、金、時間、職場や家庭あるいは男と女のさまざまな人間関係、それから衣食住のすべてについていえることは、「男のみがき砂として役立たないものはない・・・」ということです。

天中殺にしろ、運勢にしろ、あまりこだわってはいけないが、そんなのは迷信だとかたづけるよりも、積極的に利用していったほうがいいということですよ。手相でも、人相でも、それによって自分のためになる習慣を身につければ、こんないいことはない。

だからいうわけですよ、役人でも会社員でも身銭を切りなさい、と。仕事そのものにね。同僚と酒を飲むことじゃないんだよ。

こういうふうに、「自分の仕事を楽しみにするように・・・」いろいろ考えるわけだ。たのしみとしてやるのでなかったら続かないよ。どんな仕事だって。努力だけじゃダメなんだということ。・・仕事というものはそれが何であれ、一種のスポーツのように楽しむ。そうすることによってきっと次の段階が見つかり、次に進むべき道が見えてくるものですよ。

男というものは、よほどの悪妻でない限り、何十年連れ添った女と離別してほかの女と結婚するということはまず、あり得ないんだから、そこのところを妻たる者は考えていないと、カーッとなったときに、もののはずみで取り返しのつかぬことになる・・』

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