隠し剣孤影抄(藤沢周平著 文春ウェブ文庫)
この作品でも、各剣士の見事さ、男女の間の機微を感じました。
『・・・満江はふと目覚めたように一人の男の姿を思い出していた。もの悲しげな細い眼をし、手足は黒く日に焼け、白黒斑な皮膚をして、城と家の間を往復している男の姿だった。ひたすらに、生まじめに世を渡っているだけの小心な男。貧相な、その夫の姿が、なぜか泣きたいほど懐かしく、胸をしめつけてくるのを満江は感じた。
・・・-このような場所にも、人が住むか。ゆっくり林にむかって歩きながら、宗蔵はそう思った。狭間弥市郎の上を通り過ぎた過酷な月日を思い、狭間が牢を破って討手をもとめた気持ちが、少しわかりかけたような気がした。郷入りの咎人は、特赦を得て城下にもどる例がまったくないとは言えないが、大方は幽閉された土地で生涯を閉じるのである。罰した後、藩は大方その囚人を忘れた。
・・背中で邦江が呟くように何か言った。「え?何と言った」「家へ、帰りましたら・・・」「うむ」「去り状を頂きます」「馬鹿を申せ」と俊之助は言った。だが、邦江は長い間この一言を言いたいと思ってきたのだな、と思った。それが、いまやっと言えたのだ。「これまでのことは許せ。おれの間違いだった」 邦江は答えなかったが、俊之助は首に回した邦江の手に少し力がこもり、首筋がおびただしい涙でぬれるのを感じた。「仲良くせんとな」俊之助は自分にも邦江にも言い聞かせるようにそう言い、傷にひびかないように、そっと妻の身体をゆすりあげた。背中の邦江の身体が重かった。快い重みだった。
「男には、女子(おなご)にわからぬ家の外の暮らしがある。そこでは、おのれが一分を立てるために、男は死を賭さねばならんこともある」「昔から、ずっとそう言い続けてこられましたな。男のことは女子にはわからぬと」
・・その変幻の走りから、突如として十太夫は疾走に移った。伊部の構えの、一瞬の遅れを見た疾走だった。』
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