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2012年6月29日 (金)

政治家・官僚の名門高校人脈 (横田由美子著 光文社新書)

かつてのエリートコースについてはっきり知ることができました。

『それこそ戦前は、一中→一高→帝大、戦後は番町小学校→麹町中学→日比谷→東大というのが日本のエリートのたどる典型的なコースだった。文学界のみならず、政界でも、一時は麻布と勢力を二分するほど豊富な人材を輩出していた。

日比谷の校歌は別名「星陵歌」とも呼ばれている。そこから取って、永田町の国会議員を中心に「永田町星陵会」という組織が発足した。

官の中の官という称号をもつ旧大蔵省では、事務次官を務めた長沼弘毅から始まり、日比谷でなければ本流ではない、次官にはなれないという雰囲気するあったという。次官経験者でも本流と亜流がいるのが旧大蔵省の凄いところだ。少し追っただけでも、日比谷出身は、本流を歩く次官ばかりだった。

日比谷の場合は麻布同様、育ちのよい秀才も少なくないが、全般的に気骨あふれるタイプといった印象だ。友人同士の濃いつながりを好まない、群れないことが逆に彼らのポリシーのようにも見える。

昭和30年代当時、日比谷の名物は100分間授業だった。クラス分けにも特徴が出ていた。8人の教師の前に生徒が勝手に並ぶ。つまり、生徒が教師を選ぶのだ。すると人気のある教師とない教師の列は一目瞭然となったという。そういう環境に身をおけば、教師自身も切磋琢磨していく。』

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