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2012年5月

2012年5月26日 (土)

護持院原の敵討 (青空文庫 森鴎外著)

山本九郎右衛門の見事さに大いに感動しました。しかし一方で、現代人である私は、この境遇に陥れば、山本宇平のようになるのではないかと思い、寂しさも感じました。

『九郎右衛門は倅の家があっても、本意を遂げるまでは立ち寄らぬのである。・・・・本意を遂げるまでは飽くまでも旅中の心得でいて、倅の宅には帰らぬのである。

「そうか。そう思うのか。よく聴けよ。それは武運が拙くて、神にも仏にも見放されたら、お前の云うとおりだろう。人間はそうしたものではない。腰が起てば歩いて探す。病気になれば寝ていて待つ。神仏の加護があれば敵にはいつか逢われる。歩いて行き会うかも知れぬが、寝ている所へ来るかも知れぬ。」宇平の口角には微かな嘲るような微笑が閃いた。「おじさん。あなたは神や仏が本当に助けてくれるものだとおもっていますか」九郎右衛門は物に動ぜぬ男なのに、これを聞いたときには一種の気味悪さを感じた。「うん。それは分からん。分からんのが神仏だ」・・・宇平は軽く微笑んだ。おこったことのないおじをおこらせたのに満足したらしい。「そうじゃありません。亀蔵は憎い奴ですから、若し出合ったら、ひどい目に逢わせてやります。だが捜すのも待つのも駄目ですから、出合うまではあいつの事なんか考えずにいます。わたしは晴れがましい敵討ちをしようとは思いませんから、助太刀もいりません。敵が知れれば知れるとき知れるのですから、見識人もいりません。文吉はこれからあなたの家来にしてお使いくださいまし。わたしは近いうちにお暇をいたす積りです。」』

静かな木 (新潮社 藤沢周平著)

藤沢周平氏の作品については、映画などは見たことがありましたが、本で読みのは初めてでした。しかし、一気に読めました。何か独特な読後感がある作風です。

『「甚之丞、この家の主はお前だ。」十左衛門はいかめしい顔つきで言った。「お前の思い通りにやればいいのだ。直の言うことなど聞くことはない。女子はもともと愚痴の多いものでな、いちいち聞いていてはきりがない。・・」

江戸にいる殿に申し上げたところ、殿は大層お喜びで、家老達が相談して片桐に手厚い褒賞をあたえよというお言葉をいただいた。「そこで河野大きさに鑑み、加増十石と決まった。兼松殿は、いま空席になっておる右筆組の頭に推してはどうかと言われたがわしは反対した。その意味は分かるな。口下手のことではない。そういう役には、そなたは不向きな人間だ」妻女の満江のほかに、藩中にもう一人権兵衛の小心を見抜いていた人物がいたことになる。

2012年5月24日 (木)

韓国人から見た北朝鮮 独裁国家のルーツ (PHP研究所 呉善花著)

電子書籍を購入しました。なかなか便利です。この本は、韓国、北朝鮮についていろいろ知ることができました。

『韓国では基本的に「北は怖い国ではない」という印象が、金大中政権下でしっかりと根付いてしまったのである。

北朝鮮の統治思想も、政治制度も、その過酷な政治支配のあり方も、みな李朝を「手本」としている。李朝の専制主義から、小中華思想、事大主義中央集権主義、攘夷思想、侮日観、父系血縁主義、美意識などに至るまで、見事なほどにその伝統を継承している。なおかつ、李朝の弱点を巧みに補強している。

今日のように北朝鮮経済が一気に破綻状態に陥ったのは、ソ連・東欧圏の崩壊によって、ソ連による援助貿易、東欧諸国との外貨不要の物々交換貿易が不可能となり、対外貿易の70%を占めていた「社会主義市場」をほぼ全面的に失ったためである。・・・北朝鮮は、ソ連を失ったことにより、世界的に最貧国のレベルにまで落ちてしまったのである。それほどソ連は、北朝鮮にとって偉大な存在としてあり続けた。それは李朝にとっての中華帝国も同様であった。

李朝がその末期に国家的な疲弊に陥った主な原因の一つは、国民の自由な経済活動、生産活動、社会活動を極端に制限し続けてきたところにある。北朝鮮もそれと全く同じことをやって疲弊に陥った。ただ根本的に異なるところが二つある。一つは、李朝が軍事的な弱体化をきたしていて飢餓状態が広がる中で農民暴動が頻発していたのに対して、北朝鮮は巨大な軍事力をもって国内の不満を押さえ込んできたことである。そして二つには、李朝では欧米列強の進出に対して日本のように大きく民族意識が勃興することなく、国内勢力がバラバラな不統一状態にあったが、北朝鮮は強固な民族主義の浸透によって国内のまとまりを形作ってきたことである。

北朝鮮は人口が韓国の二分の一であるのに、兵力も装備も韓国の二倍という強大な軍事力をもっている。その軍事力がなければ、北朝鮮はとっくに民衆の反乱によって崩壊している。またあれだけの強固な民族主義の浸透がなければ、国内を一つにまとめることはできない。

北朝鮮が、自国をことさらに偉大な国であると、また強固な主体性、自主性をもった国であると強調するのは、かつての事大主義の裏返しだといってよい。

自らはより文明の中心である中華に近く文化的であり、隣国の日本はより遠く野蛮である。この日本との文化的・地理的な距離の差異によって、朝鮮半島諸国は伝統的に日本に対する優位性の意識を保持し続け、したがって日本蔑視の観点を持ち続けてきた。そのために朝鮮半島では、日本を侵略的で野蛮な、文化的に遅れた国として蔑視する華夷秩序の世界観が、延々と近・現代に至るまで続いたのである。それはけっして日本の植民地統治への反発に始まるものではない。現在の韓国と北朝鮮をめぐる世界情勢では、私はとくにここのところが最大のネックになっていると思う。韓国と北朝鮮がこの歴史的な侮日観を克服して日本に胸襟を開かない限り、北朝鮮問題がソフトランディングの結末を迎える可能性は少ない。

客観的には分裂の根拠をもたない韓国の集団間の争いは、えてして、潜在的な多数派を敗北させて少数派に転落させてしまうのである。

歴史にはさまざまな観点があり得る--ということは、長い間私の意識の中にはなかった。歴史には一つの見方しかないと思っていた。少なくとも日本にくるまではそうだった。・・・つまり、「歴史についての一つの観点」を学ぶことが、韓国では歴史を学ぶことである。そしてその観点から歴史的なさまざまな物事を理解していくことができなければならない。・・このようにして歴史を学んでいくと、他の観点で歴史を見ていくことは歴史を踏み外すことにほかならなくなる。

李朝ではハングルを排斥して漢字だけを正字として用い、韓国・北朝鮮は漢字を排斥してハングルだけを正字として用いた。そこに共通しているのは、朝鮮半島には外来の漢字に加えてすべての朝鮮語音を表現できるハングルがあるという現実を認めず、破壊して、これこそが正当だというかたくなな理念に基づいた一元的な統一性志向なのである。

(今の韓国人が)心底恐れているのは、北朝鮮が崩壊してしまうことである。崩壊した後、2000万人を越える北の一大貧困集団を丸ごと抱え込んでいかなくてはならないということ、これが韓国人にとっての最大の脅威なのである。

金大中政権以後の韓国は大きなジレンマを抱えることとなった。崩壊しようとしている北の体制を支えて崩壊させないようにするという、まったく展望の開かれようのない状況に陥ったのだ。

韓国がやるべきことは、北朝鮮崩壊を前提とした市場経済化のシミュレーションを緻密にやってみることである。韓国はこれまでに、そうしたとうぜんやるべきことをまったく怠ってきた。』

2012年5月21日 (月)

新聞記事から(産経5月21日 夕刊 「尖閣諸島問題 モンゴルと同じ轍を踏むな」 楊海英氏)

久しぶりの更新ですが、新聞記事からです。われわれ日本人は、いい加減に目を覚ますべきです。

『東京都の石原慎太郎知事は、日本の固有の領土である尖閣諸島を都が購入する、と宣言した。当然の主張であるが、北京の政治家や軍人たちはすぐさま、「漁政」の文字が塗られた粗末な船を前よりも頻繁に日本側領海に出没させるよう対策を取った。また、南シナ海では中国とフィリピンが軍艦を並べて相対峙(たいじ)し、一触即発の状態が続いている。

 このような現代の「海洋上のコンフリクト」を東アジアでの中華植民地支配の建立過程と比べると、その根深さと本質が見えてくる。

 尖閣諸島近くの東シナ海のガス田・樫(かし)で、中国が強引に単独で開発を続けている。こうした独善的な資源略奪の現象は、内モンゴル自治区など少数民族地域における中国の行動と重なって見える。

                   ◇

 モンゴル人の私は、小さい時から草原に住んでいた。1960年代初頭の内モンゴル自治区は牧野が果てしなく広がり、ヒツジやウマが放たれた、のどかなところだった。十数キロ離れた場所に植民してきた中国人(漢民族)が、数家族住んでいた。彼らはいつもモンゴル人とまったく異なる行動を取っていたのが印象に残っている。

 たとえば、燃料である。モンゴル人は乾燥した牛糞を燃やす。冬になったら、わずかに枯れた灌木(かんぼく)類を拾うこともある。しかし、中国人たちは季節と関係なく、手当たり次第に灌木を切っていく。しかも、必ずといっていいほどモンゴル人の縄張り範囲内に入り込んで伐採する。

 そのような「小さな利益」を貪(むさぼ)る中国人たちをモンゴル人は寛容に放置していたが、ふと気がつけば、自分の草原内にところどころ砂漠ができていた。

 降雨量の少ない北・中央アジアでは、植被を失った草原はたちまち砂漠に化してしまうので、モンゴル人は大地に鋤(すき)や鍬(くわ)を入れる行為を忌み嫌う。そのため、モンゴル人は中国人を「草原に疱瘡(ほうそう)をもたらす植民者」と呼んできた。

 私の経験は決して個別の事例ではない。

 いつの間にか、内モンゴル自治区では先住民のモンゴル人の人口がたったの400万人にとどまり、あとから入植してきた中国人は3千万人にも膨れ上がり、地位の逆転が完全に確立されたのである。

 ウイグル人が住む新疆と、チベット人の暮らす「世界の屋根」においても、中国人による植民地開拓のプロセスは基本的に同じである。いざ、人民解放軍が怒濤(どとう)のように侵攻してきた時に、そこには既に無数の中国人植民者たちが内応に励んでいたのである。

                   ◇

 中国に一方的に採掘されているガス田の樫は、日中中間ライン上に位置する。「ストロー吸引」により、日本側の海底地下に眠る資源も当然、吸い上げられている。中国の少数民族の政治的変遷を研究している私からすれば、わざわざモンゴル人の草原内に侵入して灌木を切り倒す植民者たちの活動とその性質が共通している。

 善良な日本人は「ストロー吸引」を「小さな利益」だ、とかつての純朴なモンゴル人のように気前よく理解しているかもしれないが、「大人(たいじん)」の中国は今や尖閣諸島周辺を自国の「核心的な利益」だと位置づけている。

 「核心的な利益圏」は今までに主としてチベットや新疆ウイグル自治区、それに南シナ海について適応してきたが、放置されれば、尖閣諸島や沖縄周辺も住民の人口と政治力の逆転が生じる危険性がある。中国の少数民族の轍(てつ)を踏まないことを切に願っている。』

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