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2012年1月

2012年1月29日 (日)

新聞記事から

今月中旬の産経新聞記事から、印象に残ったものを三件書き残しておきます。

まず、拓殖大学大学院教授・遠藤浩一の「正論」「基本理念なき改造に空しさ漂う」(24年1月16日)からです。

「政治家の行動を支配する動機は、第一に理論、第二にそろばん、第三が人情と極言してもよい」と、三木武吉は喝破した。

 「機略縦横の政治家」らしい言い回しだが、その三木にして、「純理論というのは政治家にとって一番大切なもので、人情義理を超えて考えるべきである」と強調している。』

二件目は、【次代への名言】受難と復興の日誌編(42)(24年1月17日)からです。

 《考へて見ると人間といふ動物は、初(はじめ)はお国の為(た)め、公共のためと思つて動いてゐる中に自分の面目とか、野心とかいふ問題が混入して、終(しま)ひには、その方が重点になり易い。私の行動にも矢張(やは)りさういふ点が明白に認められる。』

今年2012年、中国経済の展望はいかなるものか。これに関しては、中国国内で今、悲観的な見方が主流となりつつある。

 たとえば昨年12月29日に開かれた国務院国有資産監督管理委員会主催の関連会議で、同委員会の黄淑和副主任は全国の国有大企業に対し、「これからの3年から5年、われわれは『寒い冬』を越すことになろう」との警告を発したのがその一例である。

 「寒い冬」とはいかにも言い得て妙のたとえだが、年明けの1月9日、別の人が同じたとえを使った。国有大企業の代表格である中国首都鉄鋼集団の朱継民董事長は「中国鉄鋼業界にとって2012年は冬の始まり。全業界が一層困難な状況に備えて準備を行うべきだ」と述べた。

 「冬」を迎えたのは何も国有大企業だけではない。広州市の地元新聞の『広州日報』は1月3日付の記事で「輸出の低迷と国内の人件費・原材料費の高騰」が原因で、「広東省内の輸出向け服飾企業の倒産ラッシュが起きている」と報じた。記事はさらに業界の話を引用して「年内に3割程度の企業が倒産するだろう」との予測を行った。

 状況の厳しさは中国の全産業に行き渡っている。1月8日、国務院発展研究センター企業研究所は「中国企業発展2012年報告」を発表し、その中で「2012年は中国企業にとっては今世紀以来もっとも困難な1年となる」と指摘した。その理由はやはり、「内外市場の低迷と生産コストの上昇」である。

 つまり、金融引き締め政策の実施による投資の縮小が国内市場の低迷をもたらし、欧州金融危機の発生が外需の減少をもたらした中で、おりからのインフレの高進が人件費などの生産コストを押し上げた。その結果、今まで「投資と輸出の拡大」と「安い人件費」によって支えられてきた中国の産業発展が凋落(ちょうらく)の道をたどり始めたのである。

 産業が低迷すれば経済の成長率も当然落ちてしまう。1月6日付の『経済参考報』の掲載論文が専門家の見解を援用して「中国経済は2012年から低成長期に入る」と論じたように、今の中国では、2012年からの経済減速はすでに織り込み済み事項として語られている節がある。

 こうした中で、政府が今の金融引き締め策さえやめてしまえば経済が回復に向かうのではないか、との声が国内からも上がっているが、インフレの傾向が依然強い状況下では、政府にはそんなことができるはずもない。

 実際、先月から今月にかけて、中国の金融政策の要である中国人民銀行(中央銀行)は5回にもわたって「穏健な貨幣政策の継続」を強調しているし、同銀行の周小川総裁も1月4日、経済誌の『新財経』の取材に応じた中で「2012年にはインフレのことは油断してはならないから貨幣政策の変更は簡単にできない」と語っている。

 温家宝首相が元日から行った地方視察の中でも、「中央としては引き続き穏健な貨幣政策を実行する方針を明確にした」と発言した。インフレの高進を恐れるあまりに、多少の微調整を行いながらも金融引き締め政策をおおむね継続していくというのは中国政府の明確な意思である。

 そして金融引き締め政策が継続されていくことの結果、投資の低迷による産業の不振も現在進行中の不動産バブルの崩壊も避けられないから、中国の国内企業と経済はまさに今から「寒い冬」を迎えるしかない。

 中国の先人たちが「昇竜の年」と名付けた辰年の2012年、中国経済がむしろ「落龍の勢い」となってしまうとは、なんという皮肉の結果なのだろうか。』

この新党は「民主党」と命名され、1カ月後に迫った戦後2度目の総選挙に臨むことになった。このころ、芦田は興味深い一節を日記にきざんでいる。

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