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2011年12月17日 (土)

教科書・日本の安全保障 (田村重信・杉之尾宜生著 芙蓉書房出版)

長く、更新しないままでおりました。繰り返しチェックしてくださっていた方々には失礼しました。今回は、安全保障の本です。最後の章の「軍事古典としての「孫子」と「戦争論」」は大変勉強になるものです。

『アメリカ軍が本格的に軍事古典を学習し始めたのは、ヴェトナム戦争が終結した後のことであった。その契機は、世界で最強の物理的な軍事力を保有していると自他ともに認められていたアメリカ軍が、ヴェトコンや北ヴェトナム軍との個々の作戦・戦争では敗北していないのに、気がついてみたら不名誉な撤退を余儀なくされていたことにあった。

春秋・戦国時代の収支を通ずる約550年(紀元前770~221年)の動乱の時代にあっては、いかなる強大な国家であっても自国の「生存・生き残り」のための安全保障こそが重大な関心事であって、国家目的も周王朝にとって代わって天下を統一しようといったような遠大なものではなく、当面する「生存・生き残り」を確実にしようとするものであった。このような時代にあっては、戦争は征服や統一のためではなく、本質的には自国の「生存・生き残り」という安全保障のために、望むべくは回避・抑止し、それができなければ最小限の損害を持って対応すべきものであった。

まず武力戦の能力は、自分の支配領域、勢力圏内の農耕地を農民を奪われないための防衛保全の役割を果たすことが、第一の役割であった。次いで自ら積極的に武力を行使する場合の戦の性格は、より以上の繁栄を追求するために辺境の農耕地と農民を獲得するための制限戦争であって、相手を殲滅し滅亡させるようなことは論外であった。そこでなるべく武力を行使することなく、権謀術数を尽くす謀略的外交を主体とする「不戦屈敵」の戦争観が培養されることになっていった。

・・彼(クラウゼビッツのこと)は一貫して次の2点を主張している。一つは「戦争は他の手段をもってする国家政策の継続に他ならない」ということが、明確かつ厳正に確立されなければならないことであり、二つ目は”二種類の戦争”という視点をもっと明確にするということであった。

”二種類の戦争”とは、第一は敵の完全なる打倒を目的とする戦争であり、第二は敵国の国境付近において敵国領土のいくばくかを奪取しようとする戦争であると区分している。

「国家の生存・生き残り」を、国家存立の至上命題とすることは至極当然のことであり、改めて論ずるまでもないことであるが、クラウゼビッツは、「相手にわが意思を強要する」ことが至上の「戦争の目的」であり、「敵を無力化する」ことが「軍事行動の目標」であるとするのに対し、「孫子」では「武力の行使」を行うことなくして「国家の生存・生き残り」を図るのが「善の善なるもの」(Best way)であるとするのである。

「孫子」においては、「百戦百勝は善の善なるもの非ざるなり」(謀功篇3)として、「武力の行使」による脅威排除を最善の対応の方策とはしないと力説してははいるが、「伐謀、伐交」の「不戦屈敵」を具現するための前提条件として、平素から厳正なる教育訓練によって「百戦百勝」し得る精強な軍隊を練成しておかなければならないとするものである。

武力戦を、孫武、孫ピンは已むを得ざる場合の国家的な対応策と考えたのに対し、クラウゼビッツは政治的な目的を達成するための手段と規定したところが、両者の基本的な相違点である。

・・・「絶対戦争」の視点から、「現実の戦争」の視点に転換して、原稿大修正の企図を明示している。しかしクラウゼビッツの後継者たちは、彼の注意喚起に気づかずにか、あるいは故意に無視してか、その後の軍事科学技術の驚異的な発展との相乗効果の上に、ひたすらに「概念の戦争」である「絶対的戦争」を現実の世界に顕現させようと努力したのである。「孫子」における戦争の理解認識は、クラウゼビッツの後継者たちとは全く対照的であった。孫武・孫ピンたちは、クラウゼビッツの後継者達が不純物と見做して取り除いたものを、戦争と不即不離の不可分な一体的なもので、戦争そのものを規定する基本的な要素であると考えていたのである。

(クラウゼビッツは)「防衛力の運用」に関連するものと、「防衛力の整備」に関連するものとを旗幟鮮明に区別したのである。今日では、これら両者をも一体的に含めて戦略の対象としていることはいうまでもない。現在では平時における防衛力の整備が有事における防衛力の運用による対処機能を発揮するための基礎的な前提条件であるだけにとどまらず、平時における抑止機能そのものであることを疑うものはいない。

「孫子」は兵法書でありながら、「不戦」により「政治目的」を達成することを最善としたが、クラウゼビッツは武力戦の本質や特性について論じており、「武力を用いないで政治目的を達成する」という分野は政治の仕事であるとして、「戦争論」の直接的な研究対象には加えていないのが特徴である。

「戦争論」と「孫子」の最も大きな相違点は、前者が政治と軍事とを明確に区分して両者の相関関係、あるいは武力戦そのものを分析研究しようとするのに対し、後者にあっては政治と軍事の境界が必ずしも明確ではなく、分析の手法が不明瞭であるという批判がないわけではない。しかし、この曖昧な研究の性格こそ、「孫子」兵法の極めて貴重な特性である。戦争のような複雑多岐にわたる大規模な社会現象にあっては、分析的な観察研究の重要性は当然のことであるが、それだけに「猟師、鹿を追って山を見ず」の弊に陥らない配慮も見逃すことはできず、より包括的に全体像を把握しようとする物の見方考え方に比重が置かれていることは貴重である。

「孫子」は、戦争目的、戦争終末構想、戦力整備、投入戦力、開戦時期の決定等の戦争指導に関わる事項は、最高政治指導者たる君主が主催すべき事項であるが、作戦・戦闘における指揮・運用をも含む武力戦指導に関わる事項は、最高軍事指導者たる将軍の専決事項に属するべきものであって、君主が容喙・干渉すべきものではないことを一貫して論じている。』

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