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2011年11月

2011年11月27日 (日)

新聞記事から(【石平のChina Watch】「中国金融革命」が始まった 産経新聞23.11.24)

ほぼ毎回掲載させてもらっている、石平氏のコラムです。世界経済はますます混乱に陥ることでしょう。その混乱から第2次大戦の当時のように世界的な戦争の時代に突入しないことを祈っています。

今月10日、新華社通信がある重大な意味を持つニュースを配信した。中国人民銀行(中央銀行)の責任者が新華社からの取材を受ける中で、今や話題となっている「民間金融」のことを取り上げ、その「合法性」と「正規金融への補助的役割」を認めた上で、中央銀行として民間金融の存在と活動を容認する姿勢を示したのである。

 「社会主義国家」の中央銀行が、「あしき資本主義の権化」とされてきた民間金融の合法性と存在意義を公認したのは、中華人民共和国始まって以来、初めてのことであろう。

 こうなった背景には去年秋以来、政府がインフレ抑制のために実施してきた金融引き締め政策がある。引き締めの中で、全国の中小企業が融資難から生じた経営難に陥っており、中小企業を対象に高金利融資(高利貸)を行う民間金融が雨後のタケノコのごとく成長して中国の金融市場を席巻する勢いとなっている。

 それに対し、何らかの対策を迫られているのが政府の方である。中国経済の6割を支えている中小企業が民間金融に頼り切っている現状からすれば、今さら「高利貸」を一掃するような荒業を政府ができるわけもない。結局政府は、民間金融の活動に一定の制限を加えながらもその存在自体を公認せざるをえなかった。その結果、今まで「地下金融」と呼ばれてきた民間金融が一挙に市民権を手に入れ、表舞台に堂々と登場し、わが世の春を迎えようとしているのである。

 トウ小平の改革開放以来、中国政府は高度成長推進のために、私営企業などの「私有経済」の拡大をずっと容認してきている。だが政府は、「社会主義」の最後の砦(とりで)として金融部門をしっかりと掌握して私有経済に対する国家の優位を保ち、国民経済全体への支配を不動のものにしている。

 しかし今回、政府として民間金融の活動を公認することとなると、それはすなわち、国家による経済支配の本丸の一部を民間に明け渡すようなことにほかならない。そして各国の「資本主義発展史」を見れば分かるように、民間の金融資本はいったん経済に根を下ろして定着すれば、それはやがて国家と対抗できる強大な力を持って政治的主張を強めていくものである。

 とくに今の中国の場合、民間金融は今後、高い預金金利を武器にして大量の資金を募って急成長を成し遂げるに違いない。その時、巨額の負債返済に苦しんでいる全国の地方政府や建設資金の不足で困っている鉄道省関連の国営大企業などが競って彼ら民間金融のお世話になってその債務者となる可能性が大だ。

 その結果、政府と民間との立場の逆転が起きてしまい、独裁体制の基本である政権の民間に対する優位が一気に崩れてしまう。少なくとも、経済などに関する政府の意思決定に対し、民間の金融資本が大きな影響力を持つようになるのは必至であろう。

 そうなったとき、もし政権が一党独裁維持の視点から金融資本の政治的主張を封じ込める行動に出ればそれが結局権力と資本との対立構造を作り出してしまい、場合によっては正真正銘の革命の発生を招くかもしれない。逆に政権がそれを恐れてどこまでも金融資本との妥協をはかっていくのであれば、それはまた独自の意思を持つ民間勢力のますますの強大化と独走を許してしまうことになる。

 いずれの場合も、金融資本の成立は確実に、中国共産党の絶対的支配体制の終焉(しゅうえん)を意味する革命的変化を起こすものとなる。今年の11月をもって、金融領域から発した「中国革命」がすでにスタートを切った、といえるであろう。』

2011年11月22日 (火)

英語力を上げる実践勉強法 (石井辰哉著 ペレ出版)

今英語能力向上を目指しています。来年中にはTOEIC900点を超えるようになりたいです。本書は、TOEIC990点(満点)をとった著者によるもので、なるほどというところが多数ありました。

『・・「うまく話せる・聞き取れる・書ける・読める」という英語力の習得というのは知識の蓄積ではなく技術の獲得に他ならないということです。

「英語は『現国・古典・数学・化学・生物・歴史」のグループと「美術・体育・技術家庭・音楽」のグループの中間にある・・確かに、英語はスポーツなどと同じ美術の習得なのですが、ある程度は体系的に文法を学び単語を暗記しなければなりません。その点で、二つのグループのどちらの要素も兼ね備えていると考えます。

英語力の習得は技術の習得です。知識のつめこみではありません。知識の蓄積は試験前の徹夜勉強のように頭に詰め込めば短時間で何とかごまかせるかもしれませんが、技術の習得はスポーツやピアノなどと同じように、体で覚えるしかないのです。そして、体に覚えさせるためにはまとまった時間と練習が必要なのです。

私は英語の伸びについて次のような関係が成り立つと考えています。                英語力=かけた時間(時間)×平均集中度(%)×学習法の効率(%)×才能(0.8~1.2)×頻度    才能は普通の人は1.0、頻度は平均の一月(30日)のうち何日勉強したか

時間がない人のコツ ・いかに長くやるかよりも「いかに速くスタートできるかにかける・いつでも・どこでもすぐに練習できる環境を整えておく。 ・細切れの時間をかき集める→1回数分でかまわないので、一日数回とる。 ・何かをしながらできないかどうかを確認→通勤時間・炊事・洗濯・トイレ・お風呂などは数分ぐらいならとれそうなもの。

本当に自分のものにしたければ、頭に入れる段階でouput、つまりどのように使うのかをイメージして覚え、さらに使いながら覚える必要があります。単語一つとっても、自分ならどんな場面で、どんなセンテンスの中で、どのように使うのかをイメージしたり、文法なら例文を見てどんなシチュエーションで使えるのかを思い描いたりして、自分が使っているところを想像して、その項目を使った文章を作ってしゃべっているつもりで口に出してみたりすることが必要です。

正しい文章を話すよりも、すばやく発話するほうがコミュニケーションに役立つことが多々あるのです。・・とりあえず口に出してください。相手がわからないような顔をしていたら理解できるまで話し続ければいいのです。・・スピーキングができる人とできない人の決定的な差は、スピーキングのできる人は「言えないことは言わない」ことにあるのです。これは、決して言いたいことがあっても難しそうだったらいわないということではありません。そうではなくて、難しいことをいろんな方法で簡単にして話すのです。

①スピーキングはネイティブと話をしなくても上達する。②スピーキングはいかにたくさん口に出すかがすべてであって誰に話したかはさほど重要ではない。③一人で壁に向かって話をしても上達する。

リスニングに必要な4つの能力 ①発音された音自体を正確に聞き取る能力 ②音を聞き取り、さらにどの単語を発音しているのか認識する能力 ③文章の意味をとる能力 ④長い文章を聞いて、それぞれの文章の意味を理解しながら、内容を保持する能力

単語を認識する能力を改善させるために必要なことは次の3点。①単語の正しい発音を理解すること ②音の連結に慣れること ③音の脱落に慣れること

・・・文頭に集中することです。どんなときにも、S+Vを聞き落とさない習慣が必要になります。逆に言えば、英語は重要なS+Vが最初にあるので、それを聞けば何とかなることも多くあります。

リスニング練習でもっとも大切なのは「短い時間でも全神経集中して聞く」ことです。リスニングはたくさん聞けば上達するといわれますが、単純に耳に入る英語の量を増やせば自動的にリスニング力がアップするわけではありません。リスニング力は、聞いた量ではなく分析した量で決まるのです

ディクテーションの目的は「何度聞いても聞き取れないものを徹底的に反復して聞き、耳と脳にその音を焼き付ける」ことにあります。・・数回聞いたぐらいですべて書き取れるものはこの練習には簡単すぎます。逆に、ほとんど聞き取れなくても「聞こうとする」ことに意義があるので、出来が悪くてもまったく問題ありません。・・たった3文でもいいから、完璧に聞き取ろうとしてください。たった3文に1時間使えば、相当な量の反復練習ができます。聞き取れないものをテープがすり切れるまで反復して聞き、それを頭の中で再生できるまで焼き付けるのが目的なのです。

ディクテーションの実践:テープを一通り聴いて、どんな話なのかアウトラインだけつかんだら、あとは数語ずつ聞いて書き取っていく。わからない箇所は何回も巻き戻して繰り返し聞く。最低、50回~100回ぐらいは聞き返すこと。この練習の目的は、聞き取れるかどうかをみるものではなく、現時点で聞き取れないものを何十回と聞いて耳に焼き付けることにある。したがって何回か聞いたぐらいであきらめて台本を見てしまっては、何の意味もない。反復することに意義があると考え、ひたすら聞き返そう。

映画を見ることの実践:まずは日本語で見る。できれば日本語のせりふを聞きながら、英語でなんと言うのか漠然と考えてみよう。「どうしても英語で聞き取ってみたい」と思うようなせりふが出てきたら、ビデオのテープカウンターを控えておく。一通り見たら、副音声にしてもう一度見る。別に最初から最後まで絶対に見ないといけないわけではない。おもしろかったところや、英語で聞き取ってみたいところだけを聞けばよい。

リーディング:英語を日本語に訳して考えるというのは長年の癖ともいえます。・・しかし、癖は直そうと思えば必ず直ります。どんなときでも、英文を読むときには「日本語を頭に浮かべない」という意思を持っていてください。

もう一つ、リーディングに大切なことは「構造を考えながら読む」ということです。つまり、「S+Vは何か」、とか「ここからここまでが一つのパーツだ」とか、「このパーツはあのパーツを説明している」とか、文章の成り立ちや構文、語順や構造を考えて読んでいるかどうかが、内容が正確に理解できるかの大きなポイントになります。』

2011年11月12日 (土)

新聞記事から(産経新聞 23.11.10 【石平のChina Watch】不動産バブル崩壊が始まった)

備えましょう。

中国では今、不動産価格の急落が進行している。

 たとえば北京近郊の通州市では、今年8月に1平方メートルあたり1・7万元(約21万円)だった分譲住宅の平均価格が9月には1・6万元、10月には1・5万元に下がった。そして10月末、市内で発売中の「東亜逸品閣」という新規物件の販売価格はとうとう1・2万元に下げられた。

 北京市内の場合、今年9月4日までの1週間で分譲住宅の平均価格が12・4%も下落したのに続いて、10月発売の新規分譲住宅のほとんどが、周辺の古い物件より20%程度値下げして売り出されている。

 今月4日、中国各紙のネット版は3日付の『京華時報』記事を一斉に転載して、不動産価格下落の動きは既に全国の地方都市に広がっていると伝えた。たとえば杭州の住宅価格の値下げ幅は10~20%、成都は5~10%、南京は約10%、天津は5~15%であったという。

 価格の急落が突出しているのが経済の中心地・上海である。10月24日から30日までの1週間、上海市内の分譲住宅の平均価格は前の週より10・5%も下がったことが専門機関の調査で判明している。

 たとえば上海市浦東地区にある「中海御景煕岸」という名の分譲物件は販売価格を当初の1平方メートルあたり2・2万元からいきなり1・6万元に値下げした。嘉定区の「龍湖麗城」、閔行区の「星河湾」「長泰別荘」などの分譲物件もそれぞれ、20%から40%ほどの値下げを実施したと報じられている。

 そのうちの「龍湖麗城」は販売の途中で価格を約3分の1も下げたことから、値下げ前に購入した人々が販売センターに押し寄せて打ち壊しの大騒ぎを起こしたことが話題となった。

 このようにして、10月の1カ月間、中国メディアがいう「飛込式」の不動産価格の急落が全国で見られた。それは単なる序曲にすぎない。10月3日、国営の新華通信社が関連記事を配信して「全国の不動産価格は年内に大暴落の可能性もある」との予測を行ったのに続いて、済南大学経済学院副院長の張偉教授が最近、不動産価格は今後「40%以上も暴落するだろう」との不気味な予言を口にした。

 そして10月18日、中国銀行監査委員会の劉明康主席が「全国の不動産価格が40%落ちたとしても、銀行はそれに耐えることができる」と放言したため、「不動産価格40%暴落説」はいよいよ真実味を帯びてきたのである。

 暴落をもたらした最大の原因はやはり、中国政府がインフレ抑制のために実施してきた金融引き締め政策である。中国人民銀行は10月28日、銀行の不動産業者や住宅購入者向け融資が1~9月には前年同期比43%も減少したと発表したが、まさにその結果として、不動産への投機資金が急速に枯渇して価格の暴落が起きる事態となった。

 今年3月3日掲載の本欄は「史上最大の不動産バブルが膨らんできている中、本格的な金融引き締め政策の実施は、いや応なくバブルの崩壊を引き起こすに違いない」との予測を行ったが、8カ月後の今、状況はまさにこの「石平予言」の通りとなっている。

 そして今後においてもインフレの傾向が続くだろうから、政府としては今までの金融引き締め策をおおむね堅持していくしかない。

 そうすると、不動産価格の暴落はもはや誰も止められない。世界経済史上最大の崩壊劇は今、われわれの目の前で演じられているのである。』

2011年11月 6日 (日)

決断できない日本 (ケビン・メア著 文春新書)

前からうすうす感じてはいましたが、この本を読んで痛感したのは、わが国の対米依存心の強さです。それも自覚していないのですから性質が悪いと思います。まわりの水の温度が上がっているのに気づかず、茹で上がって死んでしまう蛙、「ゆで蛙」のたとえ話のように、日本もこの対米依存性ゆえに気づかないうちに、国家の体をなさない状態になってしまうのではないか、へたすれば、本当に滅んでしまうのではないかと危機感を感じました。

『戦争は悲惨であり、可能であれば避けるべきです。その点では、平和活動家たちも私も一致している。彼らと私との違いは、「戦争をいかにして避けるか」についての考え方です。もし戦争を避けたいのなら、「戦争抑止力を維持せねばならない」とわれわれは信じています。多くの平和運動家たちは、「軍事力を放棄することで戦争は避けられる」と信じていいる。この考え方は、私から言わせればナイーブで危険な考え方だと思います。

・・・私が直接目にしたのは、この由々しき危機(東日本大震災等のこと)に際して、日本のリーダーには決断力や即効性のある対応をする能力がないことでした。

"All Heads on Deck"という慣用句があります。元々は海軍用語で、「総員、甲板に集合せよ」という意味です。いざ海戦の火蓋が切られようという時には、米海軍水兵たるものは私情や私利私欲を捨て、目の前に立ちはだかる敵を打倒するために一丸とならねばならない。

タスクフォースの勤務体制は三交代のシフト制が敷かれました。国務次官補のキャンベルは、スタッフに長時間勤務を強いると疲労が蓄積し、判断ミスがおきやすくなるリスクがあると考えていました。・・非常時にこそ、人員にゆとりを持たせようとするのは、米国の変わらぬ発想法です。米政府は長年の危機管理の経験から、疲労した現場の要員が大きなミスを起こしやすいことを肌身で知っているのです。

ヤツコ(原子力規制委員会)委員長は反原発派で、そのことがいささか広い避難指示範囲の設定につながったと思います。・・原発の安全確保ににらみをきかせる監督省庁のNRCのトップが、反原発派の物理学者であることは、経産省からの保安院の独立など、原子力行政の再編を公約している日本にとってある程度参考になるのではないでしょうか。

・・オバマ政権は、菅政権が原発事故対応を東電任せにし、効果的に援護していないと見ていたのです。自衛隊のヘリ一機が・・ようやく3号機に散水しましたが、この光景を見た米政府のショックは大きかった。・・大津波襲来による電源喪失から一週間が経過したその日、日本という大きな国家がなしえることがヘリ一機による放水に過ぎなかったことに米政府は絶望的な気分さえ味わったのです。

1979年に起きた米スリーマイル島原発事故の教訓は、危機に際しては通常のやり方ではだめで、平時の組織は役に立たないということでした。当時はカーター政権でしたが、大統領は事項処理に当たる責任者を指名し、大きな権限を委ね、意思決定をスピーディにした。全米の原発関連企業もそれこそ「手弁当」で事故処理のために結集し、オール・アメリカンといっていいチームが結成されました。

歯に衣着せぬ言い方をすれば、日本は危機管理に弱くなっていると思います。その病巣はおそらく「平和ボケ」が直っていないことではないかと推測しています。

化学生物事態対処部隊(CBIRF)は、化学・生物兵器による負傷者やダーティ・ボムの放射能に汚染された負傷者たちを救助する役割を担い、そのための訓練を受けています。あくまで汚染地帯における負傷者救助のための専門部隊なのであって、暴走する原子炉と格闘する技術をもった部隊ではないのです。

ホワイトハウスの当局者は、日本の原発警備の手薄さに驚き、銃で武装した警備要員の配置が必要であると力説しました。これに対する日本政府当局者の答えが振るっていた。「日本の原発に、銃で武装した警備要員は必要ではありません。なぜなら、銃の所持は法律違反になるからです。」ホワイトハウス当局者は小声で傍らの私に尋ねた。「これって、ジョークだよね?だったら笑ったほうがいいかな」私は彼の耳元にささやいた。「たぶん、ジョークじゃない。笑わない方がいい」ホワイトハウス当局者は神妙な表情でうなづき、日本政府当局者の発言をメモに取るふりをしていました。

原発事故後、米国側は日本側に提供できる品目のリストを送った。ところが、日本からはどの支援品目が必要といった回答ではなく、長々とした質問が返されてきたことがありました。たとえば、支援リストには無人ヘリも記載されていましたが、日本側はその性能や特徴に関する事細かな質問や、放射能で汚染された場合の補償はどうなるのかといった暢気な問い合わせを返信してきたのです。米国には、無人ヘリを提供する用意があるのだから、日本はまず、そのオフォーを受けとって試してみるという態度が必要だったのではないかと思います。無人ヘリが放射能に汚染された場合の補償などは、そのときに相談すればいいことで、くどくどと議論している場合ではないのです。とにかく、震災・津波・原発事故処理という、”戦争”に勝たねばならないのに、この期に及んでなお、「石橋を叩いてわたらない」かのような平時のお役所仕事がまかり通っていました。・・・米国側の支援リストに長々とした質問を寄せ、時間の浪費を恥じない日本当局者にも、(「坂の上の雲」で児玉大将が砲術専門家の高級軍人に言ったのと)同じことを言ってやりたかった。「そんな問い合わせは、この戦争が終わってからにしてほしい」と。つまらない問い合わせの最中も、放射能は漏れ続け、陸も水も空も汚し、大地震と大津波を生き残った被災者たちは避難所で寒さと飢えに苦しんでいたのです。国務省や国防省の仲間たちは、"Not deciding is deciding" (決断しないことが決断になる)といって、コンセンサスばかりを重視し、決断しない日本の指導者たちを批判することが少なくありません。残念ながら、日本側の決断の鈍さは今回もまた目立っていました。

(1985年のJAL墜落事故で)横田基地には夜間行動をとることのできるヘリと創作救助部隊があります。・・そこで米軍から日本政府に「捜索部隊をすぐに出発させられる」と伝えました。しかし、信じがたいことに断られてしまったのです。・・日本政府に電話してすぐに断られた米軍の担当者は本当に怒っていました。なぜこうした政治の決断ができないのか。要は誰も責任を取りたくないからです。緊急事態でも決断できる人がいないのです。

時々、日本人から「日本が第三国の攻撃を受けた場合、安全保障条約を結ぶ米国は本当に日本を助けてくれるのか」という質問を受けることがありますが、そんな質問を耳にすると本当に驚いてしまいます。「米国が日本を助けるのは当たり前」というのが私の変わらぬ答えです。いや、私ばかりではなく、それはアメリカ合衆国の答えです。

米軍の歴史を振り返ると、米軍の優位性は最新鋭の兵器を保有しているためだけでなく、ロジスティクスの強さによってもたらされています。・・日本が攻撃を受けたとき、米国は本当に日本を助ける用意があるのかという疑念を持っている人にはこう答えたい。米国にって、日本はかけがえのない存在なのだと。そして、日本は米国にとって戦略的に重要な国であり、日本が大地震と津波によって壊滅的な打撃を受けた現実は米国にとって大きな戦略問題になっているのだと。

米国が恐れているのは、日本が軍事的、経済的に弱体化することです。日本が弱体化すると、そこに中国が付け入り、尖閣諸島などへの領土的野心を露骨にすることは火を見るより明らかです。

アメリカの外交官は、大学を卒業して直ちに入省するケースはまれで、何か他の仕事をしてから外交官試験にパスして国務省に入ってくるのが一般的です。・・外交官試験合格者の平均年齢は三十歳を少し越えたあたりと割合、高いのですが、それは今も昔も変わらない傾向です。

ゼネラリストでも、ある国の事情を知識として要領よく、手早く学習することは可能です。しかし、その国のメンタリティを深く知るには相応の時間がかかることも確かです。

シーファー大使を見ていて思ったのは、日本のような重要な同盟国との外交を切り盛りするためには、やはり大統領とのパイプがものを言うということでした。駐日大使はいくら知日派でも、大統領のサポート、あるいはハワード・ベイカーのように議会との太いパイプがなければ難しいポストなのです。

駐日大使は、日本の記者たちともっといい関係を築くべきです。否定すべきことをきちんと否定しないと取り返しのつかないことになる。否定すれば、いつまでも嵐が収まらないという発想で私に沈黙を強いるやり方はとても受け入れられない。

「政治は政治である」がシーファー氏の口癖でした。国柄や地域が異なっていても、政治の本質はいずれもそれほど変わらない、政治とは何かを理論的にしっかりと把握していれば、まず適切に政治を観察し、流れを予測することは十分可能だという意味でした。

マンスフィールド大使は、来客に手ずからインスタント・コーヒーをいれて給仕するのが常でした。来客があると、大使は執務室に通じる小さなキッチンでコーヒーを作り、自分でテーブルまで運ぶのです。来客をもてなす極意でした。お客さんはこれには感動し、いっぺんに大使を好きになるのです。

国務省の東アジア外交を切り盛りする高官が実は日本にさほど関心を持っていないという、いささか信じがたいケースについて述べたいと思います。その場合、ぎりぎりの局面では日本に厳しい政策が選択されてしまいます。その実例がブッシュ前政権の末期に採用された北朝鮮政策だったでしょう。・・アメリカが最終的に北朝鮮のテロ支援国家指定解除に踏み切ったのは、当時、対北朝鮮外交を取り仕切っていたクリストファー・ヒル国務次官補が実は、対日関係にさほど関心が高くなかったからだと私は睨んでいます。

米国にとって海外に前方展開している海兵遠征軍は、この第3遠征軍だけです。海兵遠征軍は、・・3個しかなく、その虎の子の部隊の一つを日本においているのです。しかも、海兵隊唯一のジャングル戦闘訓練センターも沖縄にしかありません。

アメリカは、東アジアの厳しい安全保障情勢を踏まえ、日本に前方展開しなければ、地域の安定を確保できないし、日本を守れないと判断しています。最新鋭の原子力空母「ジョージ・ワシントン」は横須賀が母港です。米海軍が海外に空母の母港を置いているのは日本だけであり、こうしたことからも、日本列島がいかにアメリカにとって死活的な空間であるかがわかります。

海兵隊は陸上部隊と支援部隊、航空部隊が一緒に展開する統合部隊です。したがって、常に一緒に訓練する必要があるのです。その訓練を続けていないと機動力が失われてしまう。訓練していないと海兵隊は機動力という部隊の命をなくすのです。

米軍の前方展開によって、中国の海洋膨張を抑えようとしなければ、中国は台湾にせよ、ベトナムにせよ、そして尖閣諸島・沖縄にせよ、侵略的行動をためらわなくなるでしょう。・・在日米軍のプレゼンスはいわば紛争予防のためにも不可欠になっているのです。

どうも、脅威である相手をあまり刺激しないほうがよいという発想はどこの国にもあるようです。尖閣諸島をめぐっては、米政府部内にすら、中国を刺激しないようにする「事なかれ主義」が見られました。・・中国という脅威に向き合うためには、日米安保体制が磐石の強さを持っていることを常に見せていなければなりません。それは言葉だけではなく、実際の能力もきちんと準備しておく必要があります。

相手のラフプレーにきっちり反応する上で、言葉だけではなく実力も保持することが大切だといいましたが、この観点から言うと日本の防衛予算は少なすぎる。日本政府は防衛費をGDPの1パーセントに制限しています。私はこの制限こそが防衛政策の最大の問題だと思っています。・・アメリカの防衛予算はGDPの5%に近い水準です。アフガン、イラクでの戦争のために高くなっていますが、平時でも3%くらいです。

アメリカ海軍の軍人から聞いた意話ですが、横須賀に配備されている空母「ジョージ・ワシントン」の訓練は他の空母とまったく異なるのだそうです。なぜなら、GWは海外で常時前方展開している唯一の米空母であって、有事を想定した臨戦態勢の訓練が続けられている。

「平和を希求する」といっているだけでは平和は到来しません。平和の到来を実現し、平和を維持するためには力が必要なのです。それは歴史の教訓です。

06年秋、(PAC3の)搬入に反対するデモ隊がミサイルの輸送ルートを塞いだのですが、地元警察は動きませんでした。結局私が、地位協定に基づいた米軍施設・港湾・空港などからの出入りの権利を行使できるようにしてほしいという要請書をファックスで沖縄県警に送り、それでデモ隊が警察によって排除されたのですが、これはあきらかにおかしな話でした。沖縄の占領統治は終わっているのです。それなのに、アメリカ人総領事の要請がないと排除へ動かないという日本側の姿勢は主権国家として考えられないことでした。

普天間基地は特別に危険な航空基地ではない。飛行場の危険度は周辺の人口密度と航空機の発着回数で測られます。日本の民間空港を見ると、福岡空港は普天間基地周辺よりも人口密度の高い地域に作られ、2,3分おきに大きな旅客機が発着している。兵庫県の伊丹空港も似たような状況で、発着回数を比較すると、普天間基地はこれら日本の民間空港と比べてみても危険度は少ない。

沖縄の人々が本土の人間に不信感を持つと同時に米国も憎み、それでいて米国に親しみも覚えているというじつにアンビバレントな感情(相反する感情・・

(かつてアメリカにも自信を喪失して時代があった)そこで登場したのがレーガン大統領でした。レーガン大統領にはカリスマ性があり、未来派きっとよくなると国民を鼓舞し続けました。その結果、国民は自身を回復し、景気もよくなりました。しかし、日本の政治家は暗い話ばかりしている。未来は大丈夫だから、前進しようといって国民の背を押すような政治家はいない。希望の力で国民を引っ張っていく、たくましい指導者のいない現状が日本の最大の不幸になっているのは間違いありません。

日本政府と仕事をしていてうんざりしたのは、こういう官僚機構のお役所仕事に巻き込まれたときでした。「百十億ドルもの巨額資金をプレゼントしておきながら相手をカンカンに怒らせる。そんなお役所は日本の役所だけだね。」私は腹立ち紛れに同僚によくそういっていました・・

小沢氏は、自分に有利になると見れば、日米安保体制でさえ平然と犠牲にするように見えます。彼が重視しているのは、自分の政治勢力を強化することだけです。そのためには選挙が有利になることしか考えていない。自分の選挙に勝ち、自分の派閥を強化するために役に立つことしか考えていない。だから小沢氏は信頼されていないのです。

1970年代、日本政府は核兵器保有の是非を研究し、核を保有しても有利に働かないとの結論を出したという話があります。核武装は国家防衛の役に立たないと判断した理由は、仮に保有したところで使用できないという点が一つ。核開発には巨額の予算が必要であり、核兵器に依存した防衛戦略を構築するとなると、ただでさえ乏しい防衛予算の大半を使えない兵器である核に投入しなければならなくなる。自衛隊は、新鋭機や艦船、要員の増強など、優先して取り組まなければならない事項が山積しているのに、保有しても使えないアクセサリーのような核兵器のために、すぐにも必要な通常兵器調達を犠牲にすることはできないと判断したそうです。

アメリカの国防総省では、日本が「普通の国」になるべきだという声は多い。自衛隊が「日本軍」に衣替えし、朝鮮半島有事の際に日米が共同で戦闘行動を遂行できなければならないという意見です。・・朝鮮半島危機が勃発した場合、米軍は日本の支援がなければ韓国を守れないということを韓国もよく認識する必要があります。

イラクに派遣され、帰国した陸上自衛官の話です。イラク駐留自衛隊が、直接、武装勢力によって攻撃されたら自衛のための戦闘ができる。しかし、500メートル離れた地点に駐屯しているオランダ軍部隊が攻撃を受けた場合、自衛隊はオランダ軍に加勢できない。・・「しかし」と自衛官は私に告白しました。「近くのオランダ軍部隊が攻撃されたら、黙って傍観するつもりはありませんでした。その場合、若干の自衛隊員をオランダ軍に合流させ、自衛隊もまた攻撃をうけたと説明できる状況を作った上でオランダ軍の援護に駆けつけるつもりでした。仲間のオランダ軍を見殺しにはできません」日本にはまだサムライの心が息づいている。そして、こんな自衛官が現れるほど、自衛隊も日本も変わったのです。変わっていないのは政治家だけです。

私は、沖縄・普天間基地の移設問題は、それができるかどうかではなく、日本政府に本当に実行に移す意思があるかどうかだといってきました。やり抜こうという日本政府の意思が問題なのです。行き過ぎたコンセンサス社会は、危機の時代にその恐るべき弱点をさらけ出します。危機を解決できないばかりか、危機を増幅させ、国家を存亡の瀬戸際に追い詰めることもあり得ます。

現代の日本では「一度失敗すると終わり」という恐れが強すぎると思います。・・失敗に対する考え方はアメリカ人は違います。一度失敗しても、それを教訓にもう一度チャレンジできる。アメリカ人は普通そう考えます。ですから、危機に直面したアメリカ人はとにかく、いろんな手を打ってみます。失敗してもいいのでいいのです。次のまたチャンスがありますから。間違ったらそこから教訓を得て、作戦を修正してまたトライすればいいのです。本当に単純明快なアメリカのプラグマティズムです。』

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