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2011年9月23日 (金)

国会議員の仕事 職業としての政治 (林芳正 津村啓介共著 中公新書)

与野党の国会議員による共著です。キャリアの違いもありますが、民主党の津村議員の記述にはやはり若さというか、経験不足というか、「浅い」部分を感じます。この人でも民主党内ではまともなほうですが、この程度の党に国政を任せた国民の甘さが今日の混乱をもたらしているといってよいでしょう。長期的な視点では、先の政権交代はよい部分もあったのでしょうが、致命的な失敗とならないことを願います。

『(林)アメリカではパブリックな分野に行く事に対するプラスの意識が、これまでに高いのか。わたしは、もう一つ勉強させてもらった。政治家になった今、それは実にうらやましい「市民感覚」でもある。

ロス議員の許では、生きた勉強をさせてもらったばかりでなく、日米にとって実のある成果も生むことができた。議員は私に「せっかく来たのだから、ただ既存のものの翻訳作業などをやるだけではなく、日米に意義のある、法律になるようなテーマを考えて見なさい」と宿題を出した。

永田町というところは、実年齢よりも「ここで何年議員をやっているのか」が優先される世界だったのだ。

(津村)印象的だったのは、イギリス人の政治家に対する意識だ。日本で政治家になりたいというと「権力志向の強い、変わったやつだ」と見られることも多いだろう。残念ながら日本では政治家は決して人気のある職業ではない。しかし、イギリスでは、普通の学生やおとなしい女の子が、あっけらかんと「政治家になりたい」といっていた。そして、政治家をめざす学生を、周囲が好意的に受け止め、応援する文化があった。イギリスでは政治家が尊敬されているということを実感した。

イギリスでは、政治に志を抱く若者は二十代のうちに、たとえば投資銀行やコンサルティングの仕事について荒稼ぎをし、その自己資金を元手にして、三十歳前後で公募に応じ候補者になる。そして、最初はだいたいが勝ち目の薄い、厳しい選挙区から出馬させられ、修行させられる。イギリスでは政党の本部の力が非常に強く、選挙区の「異動」が頻繁に行われる。一般有権者の理解もあるので、最初の選挙で検討した候補者は、次の選挙でより有利な選挙区に回してもらえる仕組みが確立しているのだ。逆にいえば、この「人事権」が党本部の求心力の源泉になっている。

1994年の政治改革がなければ、私は政治家になれなかっただろうと思う。小選挙区制度と政党交付金制度の導入が、私たち公募世代の政治家を生んだ。

(林)規制緩和というのは政権与党のなかでは例外的に、役所と正面から向き合う役回りである。当然のことながら、対峙する省庁が何をやっているのかを熟知していなければ「戦え」ない。だから徹底的に勉強する。その甲斐あって、行政の仕組みというものが徐々に理解できるようになった。官僚というのが、どんな「人種」なのかも。彼らは、基本的には嘘はつかない。けれども、本当のことも言わない。たとえば、もってきたペーパーに「・・・等」とあったら、必ず「この『等』は、具体的には何?」と貴下なればいけない。往々にして、羅列されていることがらの何倍ものものが、その一字に隠されているのである。

FRB議長だったグリーンスパン氏と言葉を交わす機会に恵まれた。氏は、「いつまでもアメリカではなく、そろそろ日本に世界経済の”機関車役”を代わってもらいたい」と前置きしたあと、こう述べた。「でも、そのためには二つの問題がある。雇用の流動化が進んでいないことと、直接金融の比率が低いことだ」

郵政や道路公団の民営化は、はっきり言って”一丁目一番地”の政策課題ではなかった。国の将来にとって、その何倍もの重みを持っていたのは、たとえば消費税であり、集団的自衛権をどうするか、だったはずだ。にもかかわらず、小泉さんはそれらを先送りし、「わかりやすい」テーマを掲げることで、高い支持をキープしようとした。経済・財政にしてもカンフル注射でいったん元気になったように見えながら、その後注射の前よりも症状が悪化してしまったのは、抜本的な改革を避けて通ったからにほかならない。

党内に「悪者」をつくり、それを叩くことによって自らを浮上させるような政治手法も大きな禍根を残した。実際、小泉さんは自民党のいろいろなものを破壊したと思う。人材育成のシステムも、「壊された」ものの一つだ。たとえば、保守本流の政治家は、激しい権力闘争を繰り広げながらも、次のリーダーを競わせ、育てることを忘れなかった。・・そうした伝統は小泉さんの時代で潰えたといっていい。次を担わせる人材には、閣僚の重要ポストを経験させるものだ。小泉さんにそうした発想があったなら、初っ端の組閣で、財務大臣に塩川正十郎さんを指名し、外務大臣に田中真紀子さんを配するという人事はやらなかったはずなのだ。

(津村)政治家になって想定外にたいへんだったのは、実は事務所経営だった。選挙への苦労や国会質問の難しさは、典型的な「国会議員の仕事」であり、それなりにイメージしていた。しかし、政治家が日々、こんなにも事務所の資金繰りや秘書の人事・労務管理に忙殺されるとは想像していなかった。資金繰りは、最終的には年間で収支トントンになるのだが、月々でみると赤字の月もある。そうすると、物品の購入をしばらく見合わせたり、親しい業者さんにお願いして分割払いで契約したりという小さな工夫が多々必要になってきたりするのだ。

実は、事務所経営のありかたこそ、世襲議員と公募議員の大きな違いなのだ。会社で言えば、創業オーナーと二代目の違い。世襲議員が親から継ぐのは選挙の地盤だけではない。安定した事務所体制を親から継ぐか、自分でゼロから作り上げるかでは大違いなのだ。

日本の政党の特徴でもあるが、候補者選びなどの事実上の”人事権”は、党本部ではなく、県連にある。このため、現実の政治プロセスでの県連の存在感は大きく、国会議員の行動は多かれ少なかれ県連の内部事情に影響を受けているのだ。

元来、自民党の地方組織は強大であった。圧倒的多数の地方議員を抱え、党員の数も民主党の比ではない。しかし内情はいささか複雑で、あまりにも議員数が多いために自民党内で地方選挙の公認争いが頻繁に起こる。また、国会議員同士も、中選挙区時代にライバルとして戦ってきた経緯があったりして、一枚岩になりにくい。そのため、多くの都道府県で、自民党の県連は調整型の合議体として運営されてきた。

(林) ことほど左様に、上から下までが”チーム”になっていることが大事なのだ。{政務三役」の意思統一だけではまったく不十分で、大臣から課長クラスぐらいまでが同じ方向を向き、胸襟を開いて語り合える関係が必要だということが、実際に大臣をやってみてあらためてよくわかった。省内では言いたいことを言う一方、大臣として、外に対する発言にはことのほか気を使った。

総理大臣になるための条件は何か?私は「角栄の原則」に重みを感じている。田中角栄さんは、「内政と外交の重要閣僚、それに党三役(幹事長、総務会長、政調会長)のうち少なくとも二つのポストを経験した人間でなければ、総理の資格はない。」といっていたらしい。防衛大臣を経験して、その言わんとするところがよく分かった。先ほど述べた「三大臣会合」では、大げさでなく、国の命運をわけるようなことが話し合われきまっていく。判断ミスは許されない責任の重さに、身の引き締まる思いがしたものだ。逆に、「ここを経験せずに首相になったらたいへんだろうな」とも感じた。

そもそも、中国や北朝鮮などとは違い、いつでも政権交代が可能な政治システムの下で、何十年も基本的に一つの政党が政権の座にあり続けられたのはなぜなのか?第一に優秀なリーダーに恵まれたこと。第二に、東西冷戦の時代に「主敵」であった社会党の路線、政策が、政権をとるだけの現実性を欠いていたこと。そして第三に、国の経済が右肩上がりだったために、増税をしなくても公共投資や社会政策にお金を回すことができ、政府に対する国民の信頼を維持できたこと。この三番目の要因が大きかったと、私は考える。

誤解を恐れずに言えば、私はあの時政権交代が起こっていたほうが、日本にとってよかったのではないかとさえ思うのだ。新政権は、自民党路線のアンチテーゼ、すなわち「成長より分配」の政策を採る。格差は広がらない一方で、経済成長は目に見えて鈍化し、一時の「英国病」のようなかたちになっただろう。国民が「これではいけない」と気づけば、政権は再び保守の側に戻る。下野して世代交代がすすみ、リフレッシュした自民党ならば、同じ保守政策、同じ対米重視の外交をやっても、国民の深い理解と支持が得られたはずだ。今頃は、経済も外交もきちんと「立ち直って」いたのではないだろうか。実際にはそうならず、小泉政権は五年半の長きにわたったものの、本来論議を始めるべきタイミングだった消費税も集団的自衛権も手付かずのまま、政権を維持し続けた自民党に、リフレッシュの意思も機会もなかった。「旧態依然」に映る、”ポスト小泉政権”が国民の不満のエネルギーを増幅させ、ついに爆発したのが、09年の政権交代だった。それが私の分析である。

小選挙区制を続けるのであれば、政治が心すべきことが二つある。一つは、政治家、特に利だーが小選挙区制度の特質、「怖さ」を十分認識し、制度を悪用しないこと。もう一つは、民主党が「二大政党」にふさわしく、党としての軸をはっきりさせて、自民党と政策で対峙するように脱皮を図ることである。

(民主党のマニフェストが破綻した理由について)そんな事態を招いた原因の一つは、「作り方」のいい加減さである。マニフェストの本場・英国では、保守党も労働党も、数ヶ月の時間をかけて作成し、必ず途中で公開してパブリックコメントを求める。みんなが見ているところで練り上げられていくのである。だから、星の数ほど間違いが含まるなどということが起こり得ないのと同時に、あとから言い訳できないものになる。民主党がそのような手順を踏んでマニフェストをまとめた形跡は、いっさいない。少人数で「秘密裏」に作ったから、民主党議員の中にも「えっ」と驚くような人がいるような中身になったのだろう。

(津村)(国家戦略室の)現場では予算と定員が大きな制約になった。総理指示で設置されたため、予算も定員も正規の割り当てがない。仕方なく内閣官房と内閣府の割り当て分を一部拝借することになった。予算には「予備費」、定員にも「柔軟化枠」と呼ばれる”のりしろ”部分があり、それを活用したのだ。

(林)民主党は政府に入ることのできる国会議員の増員を目指していますね。ただ「三役」が五人になり六人になると、官僚の側からすれば、ディバイド・アンド・ルール(分割統治)がやりやすくなるという側面を指摘しておきたいと思います。

総理だけではなく、衆議院議員も、任期四年といいながらいつ解散があるか分からないのが現実で、なかなか腰が落ち着かない。それでも以前の中選挙区の時代は、自民党の場合、五回ぐらい当選して閣僚を経験するくらいのベテランになると、そう議席のことを心配しなくても大丈夫だった。だから、ある程度大所高所にたった物言いも行動もできたのです。ところが小選挙区になってからは、どんなに実績を積もうがサドンデスで落選の可能性があるから、いつも選挙区のことが頭から離れないという傾向が強まったのは、確かだと思います。

アメリカに行ったときに聞いたのですが、かの国では、高校、大学生ぐらいになると、自分は民主党指示か共和党支持なのか、野球のチームを応援するような感覚で決めるのだそうです。ただし、政治や政党のことを勉強してから、一回だけは「主旨替え」が許される。そんな風土があって二大政党制が担保されているんですね。

(津村)政治家をリクルートするシステムが未成熟であることも、政党のカラーを曖昧にしている要因です。現職優先主義が見直されない限り、「前回の選挙で勝った政党」には選挙区の空きがほとんどなく、志ある若者は「前回の選挙で負けた政党」に流れます。小泉チルドレンと小沢チルドレンの違いは、政策ではなく、どちらの党に空きがあったか、なのです。

(林)リクルートに関して言えば、小選挙区制になったとき、アメリカのように予備選のインフラを作るべきだったのですが、自民党はそれを怠った。それが、09年の大敗を招いた一つの原因でもあります。党の方向性を明確にした上で、原則的に現職も公募にして予備選を行えば、主張が近く、本当に優秀な人間が結集できるようになるはずです。

中国など新興国も含めた主要国の中で、対日貿易が黒字の「唯二の例外」が、フランスとイタリアなんですね。付加価値の高いワインやブランド品が、日本人に受け入れられている証拠です。我々もそれに倣い、品質の高い農産物などのアジア向け輸出を、もっと積極的に考えるべきだと思いますね。

これまでは、欧米に追いつけ追い越せのキャッチ・アップだったから、それを主導する官僚機構に優秀な人材が集まるのは、ある意味で合理性があった。これからは、日本の方向性そのものを、政治がコンセンサスを形成しながら決めていく、という時代になります。永田町に、霞ヶ関とは違った意味でのベスト・アンド・プライテストこぞって集まり、その中で一番”できる”人間が総理になる、ということにしていかないといけませんね。』

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