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2017年9月13日 (水)

よろこびの歌 (宮下奈都著 実業之日本社)

久しぶりに小説を読みました。女子高生たちが成長していく姿が、爽やかに描かれていました。もちろん、今の私の人生にも通じるところ、教えられるところも多々ありました。

『・・・ひとりと孤独は全然違う。この学校にいる私は仮の姿だと思っていれば、孤独でもないし、誰にどう思われようと大した問題ではなかった。
・・・もともと、歌のはじまりはこういうものだったのかもしれない。よろこびや、祈りや、誰かに届けたい思いを調べに乗せる。同級生たちが私に向かって---おそらくは学校一、足の遅い私を励ますために---いつのまにか声を合わせたように。その自然な感情の高まりこそが歌だったんじゃないか。
・・・認めなくてはいけない。余生ではない、本道を生きている人に嫉妬していたことを。
・・・私たちはあちこちで折れたり曲がったりしながら生きていく。余生だと思っていた人生は、もしかしたら母の言うとおり、本編がまだ始まったばかりなのかもしれない。
・・・100%のボコではないのかもしれない。ボコの中にデコが隠れている。ボコがデコを導いてくれる。
・・・夏休みは短くて、移動と発声練習を終えると後は通して一度歌うだけでたちまち時間が過ぎてしまう。きっとこうやって過ぎていくんだろう。何もかも。誰かと心がふれあうときも、すれ違うときも、長かった冬も、すぐそこまで来ている春も。
・・・こんな基礎の練習は、初歩の初歩だと思っていた。でも、初歩の初歩のもっと初歩の平坦な道のまんなかに、大事なものがどっかりと腰を下ろしていたんじゃないか。私はそれを軽んじて、さっさと通り過ぎてしまったような気がする。
・・・あんな歌は私には歌えない。ただ、不思議なことに、それを認めても嫉妬は湧かない。私は、私の歌を歌おう。今はこれだと差し出せるものがなくても、これからじっくり私の歌を見つけようと思う。
・・・千夏は、自由だ。普通なら四苦八苦するような環境にまったく負けていない。いろんなものを自由に好きになる。
・・・千夏には、もっと聴きたい、もっと歌いたい、という強い欲求がある。その強さこそが千夏を輝かせている。
・・・歌はよいものだけれど、よいものがよく歌われてこそ生きて伝わるんじゃないか。
・・・みんな血肉になる。いいところも、悪いところも、私は私で、私から生まれる音楽はどう転んでも私の音楽だ。立派なところだけじゃなく、駄目のところも含めて、どう生きてきたか、どう生きていくか。』

2017年9月 9日 (土)

朝鮮半島はなぜいつも地獄が繰り返されるのか  中国人ですら韓民族に関わりたくない本当の理由 (石平著 徳間書店)

元中国人で現在は日本に帰化した石平氏の著作です。中国人の視点から朝鮮半島の歴史が記述されており、初めて知ることも多く、参考になるところが多くありました。

『・・・他国と結んだ条約や規約についても、あとから難癖をつけて破棄しようとするのが韓国のやり方なのである。
・・・要するに、韓国は日米中のいずれからも不信の目で見られているのである。そしてその原因は、韓国のコウモリ外交にある。いくら「バランサー」を自任していても、実力が伴わないため、結局は「お追従外交」にしかならないのだ。・・朝鮮半島の歴史を振り返れば、自国の内紛に中華王朝を引き込み、その結果、中華王朝の属国にされてしまうということが繰り返されてきた。一方で、属国としての悲しい定めを打ち消すために、「自ら進んで中華の属国となったが、いまや宗主国よりも自分たちの方が得が高い。本当の中華は自分たちの方だ」とうぬぼれるようになった。・・朝鮮半島は国内のゴタゴタを常に他国へ振り向けるからタチが悪いのだ。・・朝鮮半島の歴史を知れば知るほど、はっきり言えば韓民族には「かかわらない」ことが一番だという思いが強くなってくる。日韓併合についても、朝鮮半島に近代化をもたらし、人口を2倍にしたにもかかわらず、韓国は「史上最悪の植民地支配」などと批判している。本書でもふれているが、近代化を拒みつづけてきたのは朝鮮人自身であったのだ。
・・・「史記」によれば、この箕氏朝鮮は殷王朝の28代王である文丁(ぶんてい)の子供である箕氏が、殷を滅ぼした周の武王によって朝鮮に封じられ、殷の遺民を率いて建国したとされている。つまり、もし実在したとしても、中国人がつくった国なのだ。現代において、朝鮮史で確実に立証できているのは衛氏朝鮮である。だがこれも、中国人がつくった国であり、建国は紀元前195年ごろと推定されている。
・・・そもそも「朝鮮」という名称は、明の洪武帝(朱元璋)に「朝鮮」と「和寧」の2つの候補から選んでもらったものである。洪武帝は「朝鮮」の称こそ美しく、古くからの由来があるといって「朝鮮」を選んだ。この「朝鮮」とは「箕氏朝鮮」を指していた。
・・・漢人の明が滅びたなら、儒教の正当性を守るのは朝鮮しかない。朝鮮こそが真の中華だと自尊するまでになったのである。要するに朝鮮人たちは、独自のアイデンティティではなく、あくまで中国の聖人に連なっていることを誇りとしたのである。そして実際に、最初に彼らの国を建国したのは外国人だったという事実があった。・・朝鮮半島が中国の属国から脱したのは、1894~95年の日清戦争で日本が勝利したことによる。日本は清に対して朝鮮を独立国として認めさせたのだ。・・韓国には建国記念日にあたる日がない。・・建国記念日をいつにするかで、現在もなお揉めつづけている。。
・・・よく日本では「韓国と交渉してもすぐにゴールポストをずらされる」と言われるが、議論の基底となる国家観が韓国人自身でまとまっていないため、その時の感情によっていうことが異なるという事態になるのではないだろうか。
・・・中華王朝と宗主国・属国の関係になることは、「冊封」と呼ばれる。属国(冊封国)は宗主国から王や候に任命してもらうと同時に、毎年朝貢することや中華王朝の暦を使用することなどが義務付けられた。
・・・日本の武士が文武両道だったのに比べて、朝鮮半島では文人ばかりが出世して武人は蔑ろにされた。そのため、高麗朝以降の朝鮮軍は他国との戦いが起こると、ほとんど連戦連敗という有様だった。・・科挙試験は、儒教古典をいかに精読し、理解しているかということに重点が置かれた。そのため法学や数学、医学などの実学は身分の低い者の学問として軽視され、儒学は高官の子弟だけに独占されていた。このような実学軽視も李氏朝鮮まで続き、朝鮮の近代化を遅らせる原因となった。・・科挙制度は隋王朝(581~618年)が発明した官僚選抜制度で、ペーパーテストを中心とした試験によって官僚を選抜する制度である。587年に初代皇帝文帝(楊堅)によって創設され、清王朝(1616~1912年)末期の1905年まで、科挙制度は約1300年の長きにわたって中国の官僚選抜制度の骨格となった。
・・・南宋王朝(1127~1279年)になると儒教を再整理して体系化した朱子学が、徐々に御用学問としての地位を確立していった。・・明とそれに続く清の時代では、この「四書五経」を十分に理解しているかどうかが、優秀な人材を官僚に選ぶ決め手になったのである。「絶対的主権者としての皇帝」「皇帝の手足となって土地と人民を支配する官僚」「官僚を選抜する科挙制度」という「3点セット」は、まさに中国独特の政治システムの基本である。
・・・朱子学では儒教の「三綱五倫」(臣の君に対する忠、子の親に対する孝、妻の夫に対する烈の三綱と、孝行、忠誠、夫婦の役割、長幼の序、友への信義の五輪)を絶対とし、儒教だけが尊く、仏教など他の教義はすべて邪道だとする極めて排他性の強い教義である。そのため、李氏朝鮮では「崇儒斥仏」(儒教を敬い、仏教を廃する)が行われ、高麗朝まで多くあった寺院は次々と破壊されていった。
・・・1446年に第4代国王の世宗が、ハングル(訓民正音)という独自の文字を創出したが、中華の漢字を尊んでいた両班(官僚)からは大反対が起こった。・・このような両班階級の反対により、ハングルは婦女子の文字として蔑視されて、ほとんど普及しなかった。ハングルが普及するのは、日韓併合後の日本の教育により漢字ハングル混じり文が使用されるようになってからである。両班階級は、難解な漢字を使用することで、大多数の非識字層の上に立ち、特権階級としての地位を守り続けてきたのである。このため、日韓併合時の朝鮮半島の識字率は6%前後だったと見られている。
・・・戦後の韓国では一転して漢字が廃止され、ハングル表記だけに統治された。しかし、それまで多用していた漢字用語をハングルで表記されたことで、同音異義語が増えて、意味があやふやになってしまったという。中国の属国時代、あるいは日本統治時代を否定するあまり、かえって退化してしまうという現象は、戦後の韓国ではよくみられることである。
・・・李氏朝鮮の儒者たちは、むしろ中華文明の伝統は夷狄の清によって地に堕ちたため、中華の正統は朝鮮だけになったと考えるようになり、朝鮮は清以上に、自国以外のすべての世界を夷狄視するようになった。自分たちこそが世界一だとうぬぼれたわけである。いわば「負けているのに精神的には勝った」と自ら思い込んだわけだが、それは中国の文豪・魯迅が批判した阿Q精神(精神的勝利法)にそっくりでもある。
・・・朝鮮半島が一躍、近代国家になったのは、日韓併合時代(1910~45年)である。現在の韓国人は決して認めようとはしないが、前述のハングル普及も日本統治時代であり、また、人口も李氏朝鮮末期に比べて2倍に増えている。朝鮮半島で道路や上下水道、鉄道などが整備され、人口30万人前後だったソウルは100万人の近代的な大都市に変貌した(1944年の時点で105万人)。
・・・朝鮮半島の歴史を見ると、つねに他力本願であると同時に頑迷固陋であり、内紛をくりかえしては外国を巻き込み、争いを拡大させるということの連続だったとつくづく思い知らされる。
・・・徳川将軍家の場合には、一族の間で権力争いによる殺し合いなどはほとんどなかったが、李朝では王家の親子や兄弟、親族の間で凄惨極まりない殺戮が続いた。
・・・李氏朝鮮には安定した社会をつくるために必要な継続性がなく、政治とは党派を組んで相手を蹴落とすことであり、自分だけが栄えればいいと考えるようになったため、法が軽んじられ、官僚たちは不正蓄財や賄賂に走り、民衆は搾取と収奪の対象でしかなかったと断じている。
・・・朝鮮人の最初の王朝である高句麗からして、内紛と売国的行為によって滅んだのである。囲碁、朝鮮半島には統一新羅、高麗、李氏朝鮮と続くが、いずれも内紛で滅んでいる。・・朝鮮半島の内紛の特徴は、つねに外国勢力を巻き込んでいくことである。・・朝鮮半島での内ゲバは、どんな手段を使っても徹底的に相手を潰すことを目指し、そのためには外国軍の先導役まで務めるのだ。
・・・百済の復興運動に巻き込まれ、利用され、挙句の果てに貧乏くじを引かされたのは日本だったのだ。余談だか、鬼室福信の子孫は、大敗した日本軍とともに日本に渡った。滋賀県に鬼室神社という神社があるが、これはそのときに来日した鬼室福信の一族を祀ったものだという半士だ。
・・・1231年にモンゴルが高麗に来襲してきた。高麗は抗戦してモンゴルを撤退させたが、同時に王朝の首都である開京(現在の開城)を放棄して、江華島という現在のソウル近くの島に都を移し、崔氏は私兵団である三別抄を率いてモンゴル軍に徹底抗戦した。以後、5回にわたるモンゴル軍の攻撃を撃退せしめている。
・・・文官と武官の内ゲバ、武官同士の内ゲバ、王と武官の内ゲバが繰り返され、最後には外国勢力に泣きついて政敵を倒すというのが、高麗時代前半の出来事であった。
・・・第25代国王の忠烈王に即位以降、高麗の王太子は必ず人質としてモンゴル、大元帝国に行かなくてはならなくなった。そして、元朝でモンゴル族の皇族の娘を妃にもらうことが義務付けられた。・・王室についても祖や宗といった呼称は禁じられ、「○○王」とするように定められた。・・大元帝国に対する属国ぶりは徹底しており、高麗では女性を朝貢品として献上することが通例となった。こうした貢ぎ物としての女性は「貢女(コンニョ)」と呼ばれ、高麗朝では数千人が送られたとされている。貢女は美しい処女でなくてはならない。全国から貢女を集めるために高麗政府は結婚都監を置いて国中の結婚を禁止し、さらに寡婦処女推考別監という役所を開設して選別作業を行った。・・この貢女は李氏朝鮮時代まで続き、元帝国以降の歴代中華帝国に女性を献上し続けた。
・・・このような残虐行為を行ったのはモンゴル人だけでなく、多数の高麗人も含まれていたことはいうまでもない。もともと朝鮮人が事大する国のお先棒を担ぐことはよくあった。例えば、李氏朝鮮は明に対して忠誠を誓っていたものの、その後、清に攻められて降伏した後は、清のお先棒を担いで、かつての宗主国である明の遺臣の掃討作戦を徹底的に敢行している。そうした民族性は、近代でもよく見られた。ベトナム戦争では、韓国はアメリカの要請で派兵したが、そのときの韓国軍の残虐さは有名で、村民虐殺はもちろん、現地のベトナム人女性を次々と強姦したため、韓国人の血を引く子供がおおく生まれた。
・・・このときの日本遠征は確かにモンゴルが主導したものだった。だが、2回目の「弘安の役」(1281年)は、高麗王が進言し、主導したものである。
・・・朝鮮半島が、常に大陸における各勢力の消長に左右されてきたことはいうまでもない。中華の主宰者が誰になるかによって、運命は大きく変わる。・・1950年からの朝鮮戦争で中国が介入してきたときには、延安派が力をもった。だが、53年に休戦協定が締結されて中国軍が朝鮮半島から撤退すると、満州派の金日成は延安派を粛清した。これにより中朝関係は悪化するが、朝鮮戦争で中国軍を率いていた延安派支持の彭徳懐が失脚し、満州派とつながりのある林彪が国防部長になったことで、61年には中朝友好協力相互援助条約が結ばれることになった。
・・・李氏朝鮮でも儒教が国教となり、明との正式な冊封関係が成立(1401年)した太宗の時代からは崇儒斥仏が加速した。仏教の力を弱めるために寺院の特権がはく奪された。全土に一万以上あったとされる寺院は次々と破壊され、太宗の時代には88寺院に、世宗の時代には36寺院にまで激減したとされる(「朝鮮王朝実録」)。
・・・両班は朝鮮を「小中華」と称し、大中華である中華帝国の正統な後継国家を自任していた。そのため中華王朝によく使える国として、李氏朝鮮は「東方儀礼の国」を自称していた。
・・・ハングルが広まるのは、李氏朝鮮末期から日韓併合時にかけてである。福沢諭吉やその弟子である井上角五郎による初のハングル使用の新聞発行、あるいは日本統治時代の漢字ハングル混じり文の教育によって、飛躍的に普及したのである。李氏朝鮮は、宗主国以上に儒教に心酔したため、中国同様に近代化がおおいに遅れた。儒教は周の時代の礼を理想とする尚古主義祖先崇拝による家族主義により、進取の気性にかけ、排他的性格があるからだ。
・・・朝鮮史において、歴代の朝鮮王朝が外国軍を打ち負かしたという事例は少なく、むしろ連戦連敗であった。とくに儒教国化していくなかで武臣よりも文臣の地位が高まったことや、党争の激化と混乱に加えて、両班の賄賂政治の横行により民衆からの搾取がひどく、政府軍に対する支援が得られなかったことなどが挙げられている。
・・・西人派は大北派を粛清し、それまでの明と後金との等距離外交を改め、崇明斥金へと転換したのだが、これが悲劇を生む。清による朝鮮半島侵略と、その後の朝鮮の属国化である。またもや党争が国際情勢の判断を誤らせ、現在にも続く韓国人のルサンチマンの元凶をもたらすことになるのだ。
・・・清は、朝鮮が清に反抗した罪とホンタイジの徳を忘れないようにと、1639年に大清皇帝功徳碑を建立させた。この碑は現在もソウルにあるが、「恥辱碑」と呼ばれている。なお、前述した壬辰・丁酉倭乱と、この丁卯・丙子胡乱により、朝鮮民族は外国からの襲来に非常におびえるようになったようだ。王朝内で党争ばかりして国を疲弊させてばかりいるため、自分たちだけでは外国軍に勝てないことを自覚していたのだろう。・・オランダ人のニコラース・ウィットセンは、1690年当時までの朝鮮の情報を集成し、「朝鮮国記-「北及び東ラルタリア誌」-」(生田滋訳、平凡社)を著したが、次のように述べている。「コレー人(編集部注・コリア人=朝鮮人)はタルタル人と日本人をひどく恐れている。というのは彼らはたいへん意気地がないからで、そのため戦争がおこなわれようとする時には、その戦争の数日前に数百人の人々が恐怖心から縊死することが見られる」・・仁祖は清に三跪九叩頭を強いられたという。韓国人にとっては屈辱この上ない王であると同時に、自らの息子と孫を殺したということで、韓国では非常に評判が悪い。
・・・大院君は夷狄相手に国を開いた日本をさげすんでおり、「禽獣と化した日本人と交わる朝鮮人は死刑に処する」という布告まで出している。こうした朝鮮側の非礼に日本の朝野は沸き立ち、征韓論が噴出した。
・・・清の力によって権力を取り戻した閔氏一派は、次第に日本よりも清に頼り、事大の姿勢を強めていくようになる。このように自らの権力維持のために、その時々で頼る外国を変えるというのは、朝鮮半島ではよくみられるものである。
・・・ソウルには「独立門」というものが建っている。多くの韓国人は、日韓併合後に日本から独立したことを記念して建設されたものだと思っているが、それは違う。日清戦争に日本が勝利し、下関条約第一条で朝鮮独立が認められたことを祝して、1897年に完成したものだ。・・この独立門が建てられる以前、そこには「迎恩門」があった。これは歴代の朝鮮の王が、中華王朝の皇帝の使者を迎えるための施設であった。中華王朝の使者が来るときは国王自らが迎恩門にでむいて、使者に対して九叩頭の礼を行っていた。いわば中華王朝の属国であることの証でもあったのだ。この迎恩門が日清戦争後に取り壊され、そのかわりに独立門が建てられたというわけだ。
・・・どんなに改革をやろうとしても、政争の果てに潰されるか、あるいは自ら潰すということが、朝鮮では延々と行われてきたのである。・・ロシアが朝鮮半島に対する影響力を強めていくにつれて、日本は、日清戦争以前と同じような厳しい状況に追い込まれた。日本の朝鮮における権益が奪われると同時に、ロシアの朝鮮半島への勢力拡大による南下が、日本の国防上の最大の脅威となったのだ。
・・・一進会の基本理念は、日本と連携してロシアを含めた西洋列強と対抗し、朝鮮民族の生存と自立を守っていくというものであった。会員数は公称100万人であったが、呉善花氏によれば、最盛期の会員数は、「20万から20数万はあったのではないか」と推測されている。・・1909年2月、宋ビョンジョンは、当時首相であった桂太郎に、「合邦論」を提出して、日本と朝鮮との「合邦」、すなわち両国の合併を提言した(長田彰文氏の前掲書)。「日韓合邦」を最初に言い出したのは、むしろ朝鮮からだったのだ。・・こうした動きが大きな推進力となり、1910年8月には日韓併合条約が締結されることになる。日本との併合を決めた韓国の閣議で、学部大臣(文部大臣)の李ヨンシク以外の全閣僚が賛成したことから見ても、日本側の一方的な強制ではなかったのである。
・・日韓併合により朝鮮半島は日本の一部となったが、朝鮮の本格的な近代化はそのときから始まった。・・イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードは、1894年から97年にかけて4度にわたって朝鮮半島を旅したが、それを記録した著書でソウルと次のように評している。「穢きこと臭きこと世界一の都は京城乎。(中略)市街の中心を西より東に流るふ下水道は市中の汚水を夜に昼に絶えず城外に排泄して居る。其の為に下水道の泥は真っ黒に幾世も昔からの濁水に染められ悪臭を空中に放散して旅人を悩まして居る。」「北京を見るまでわたしはソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、・・」「衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんとした清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、たいていの場合、濃厚な垢のため色変わりしている。不潔ということは朝鮮人の大きな欠陥で、富裕な者でもしばしば虫がついて破れたままの服を着用している」
・・・朝鮮半島はまたたくうちに近代化し、食糧事情から衛生環境までが飛躍的に向上したため、朝鮮半島の人口は、併合時の1313万人から1944年には2512万人へと約2倍にも増えたのである。1929年、カーネギー財団から朝鮮に派遣されたアメリカ人記者は、「日本は併合以来19年間にして、数百年停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国とのあいだに渡橋を架けてやった」と証言している。
・・・元中国人の私からしても、朝鮮人はかなり尊大な民族であり、しかも歴史のねつ造も中国人にまして得意である。
・・・この大韓民国臨時政府には、後に韓国の初代大統領となる李承晩や、呂ウニョン、金九などがいたものの、朝鮮人らしく、つねに内ゲバを続けており、どの国からも政府として認証されなかった。・・臨時政府の主席を務めた金九は、かつて日本人を殺害し、金品を奪ったことのある犯罪者でもあった。
・・・普通に考えれば、日本の敗戦後、アメリカとソ連が朝鮮半島に進駐して支配し、その後、北朝鮮と大韓民国に分かれてそれぞれ独立したのであるから、その日が建国記念日となるというのが一般的だろう。実際、北朝鮮の建国記念日(国慶節)は、朝鮮人民共和国政府が樹立された1948年9月9日である。同じ論法でいえば、大韓民国政府が樹立された1948年8月15日が韓国の建国記念日となるはずである。だが、韓国国内ではこの8月15日を建国記念日にすることについては拒否感が強い。・・韓国の憲法に、現在の韓国は大韓民国臨時政府を前身として成立したことが書かれている・・このことから国定教科書で「1948年建国」としてことは、憲法違反だという反対派の意見もある。・・1919年建国では、国際的に承認されて行われた日韓併合という歴史もなかったことになってしまう。「韓国は日本の強制的侵略下にあっただけで、正統な政府が別にあった」ということになると、日本の敗戦後に3年間も朝鮮半島を統治したアメリカは、侵略国ということになる。だが、アメリカはあくまでも敗戦国・日本の一部としての朝鮮半島の南側を統治したに過ぎない。このように韓国は、抗日を続けたという大韓民国臨時政府から正統性を引き継いだことにしてしまったため、現在もなお建国記念日が作れないでいるのである。
・・・そもそも朝鮮半島は、日本の敗戦後から分裂・騒乱続きであった。現在の南北分断を日本のせいにする韓国人もいるが、それは事実ではない。ポツダム宣言の受諾を事前に知っていた朝鮮総督府は、独立運動家として民衆から人気のあった左翼民族主義者の呂運亨を1945年8月15日に朝鮮総督府へ呼び、治安維持と日本人の生命財産を保証するよう協力を求めた。呂運亨は政治犯の釈放や独立運動への不干渉などを条件に受諾し、その日のうちに朝鮮建国準備委員会を結成した。だから、日本は敗戦後すぐに半島全体の統治権を韓民族自身の手に返している。朝鮮半島が分断されることになったのは、米ソが朝鮮半島に侵入してきたことから始まる。・・やがてアメリカ軍がソウルに進駐してきて、軍政庁が置かれ、管理・統治が始まった。すると、もともと朝鮮建国準備委員会に批判的だった保守派の重鎮・宋鎮禹が、大韓民国臨時政府こそが正当な政府であり、朝鮮人民共和国も朝鮮建国準備委員会も偽物だと主張した。・・このように、せっかく朝鮮人民共和国を設立したのに、朝鮮人による内部抗争、しかも外国勢力を利用するといういつのパターンで崩壊してしまったのだ。そして、行政権もすべてアメリカに握られることになった。南北分断の歴史は、米ソによる分断支配よりも、ある意味ではこうした内紛が原因であった。
・・・1946年3月20日~5月8日まで、第一次米ソ共同委員会がソウルで開かれた。米ソ両国とも朝鮮民主臨時政府の樹立を優先課題としながらも、ソ連は臨時政府から李承晩・金九などの右派勢力を排除するよう主張、これに対してアメリカは逆に、左派勢力による臨時政府支配を阻止する立場をとり、会議はまったく進展しなかった。そのため、米ソ共同委員会は5月8日に無期限休会状態に入った。国土分断の悲劇はそこから始まったのである。もちろん、左右対立の激化に危惧を抱き、左右合作運動を展開する者もいた。それが呂運亨である。先述したように、呂運亨は当初、右派と左派が統合した朝鮮人民共和国を設立したように、穏健な中道左派でもあった。だが、呂運亨は1947年7月に右翼テロ組織の青年に暗殺されてしまう。
・・・金日成も李承晩も、単独政権樹立後に、あらゆる手を使って相手を倒し、南北統一を成し遂げようと考えていたわけだ。しかし本来、祖国統一を理想とするなら、最初からモスクワ協定が提唱した民主臨時政府に参加するのが通常の思考だろうが、両者ともまず単独政権樹立を唱えたのは、自分が権力者になることが重要だったからだ。そして、両社とも政権樹立後に相手を潰すことを目指していたわけであるから、その後に朝鮮戦争が起こることは必然だった。
・・・1947年5月21日から米ソ共同委員会は第二次会合を始めたが、もはや会議をする意味はなく、・・8月12日をもって完全に決裂した。そこから、南北の単独政府樹立の動きは一気に進んだ。アメリカはこれによって信託統治の合意を反故にし、朝鮮半島の戦後処理を国連に委ねた。国連は朝鮮全体での総選挙の実施を決めたものの、北側がこれを拒否したため、南だけの単独国政選挙が1948年5月10日に行われることが決定した。これに対して北では1948年2月、北朝鮮労働党指導下の朝鮮人民軍が創設された。自前の軍隊を持つ政権はもはや政府というしかない。北の金日成政権はこれで完全に国家としての形を整えた。
・・・北朝鮮、韓国の建国は、どう考えても左派と右派の分裂を抗争の結果であり、抗日はいっさい関係がない。だから、韓国で建国年を1919年とすることは、まったく史実に反しているのである。
・・・1948年4月3日、単独選挙反対とアメリカ軍の即時撤退を主張する共産主義者と住民が済州島で武装蜂起し、島内の警察や右翼団体の要人宅を襲った。これに端を発する島民と韓国政府側との衝突、虐殺事件は「済州島4.3事件」と呼ばれている。
・・・反乱軍の占領地域では警察や右派に対する人民裁判が行われ、多くの人々が粛清された。麗水だけでも1200人が殺害されたという。・・韓国政府は、済州島に対して過酷な焦土化作戦を展開した。敵性地域の村は焼かれ、子供から老人、妊婦にいたるまで皆殺しにされた。当然ながら、そのなかには武装勢力と関係のない島民も含まれていた。・・後の調査では、この済州島4.3事件による犠牲は2万5000~3万人と推定されているが、当時の済州島の人口は28万人だったから、約1割が殺害されたことになる。
・・・日本の植民地時代に作りあげられた産業基盤の大半が北朝鮮に残されていたことも、金日成の「祖国統一」にむけての戦争準備には都合が良かった。
・・・李承晩大統領をはじめ、国民を守るはずの韓国軍は我先にと逃げ、敵の追撃を逃れるために漢江にかかる橋を避難民ごと爆破したため(漢江人道橋爆破事件)、逃げ遅れた大量の市民は北朝鮮の攻撃の犠牲となった。・・2015年6月に韓国テレビKBSが報じたところによると、李承晩政権は開戦2日後には早くも日本政府に対して日本での亡命政権の設置を打診していたことが発覚したという(「産経WEST」2015年9月19日付)・・韓国軍は配送時、多くの非戦闘員を虐殺していった。・・敗走する韓国軍は、各地の刑務所に収監されていた政治犯はもちろん、保導連盟員や左派経験者、あるいは危険分子と見なされた者たちなどはほぼ全域で虐殺した(保導連盟事件)。大田刑務所では政治犯1800人が集団虐殺されている。その被害者集は明らかではないが、少なくとも20万人、あるいは120万人という説もある。
・・・アメリカ軍の目的はあくまで38度線の回復であり、その目的のために、それ以北の軍需品の集積地は破壊してもかまわないが、38度線を越えて本格的な軍事侵攻をしてはならない、という方針を示していた。また、国連安保理の決議にも「当該地域の国際平和と安全の回復」と書かれており、国連軍もアメリカ同様、開戦以前の原状回復を目的にしていたことになる。(神谷不二「朝鮮半島-米中対決の原形」中公文庫)。だが、朝鮮戦争の勃発前から筋金入りの「北進統一論者」であった李承晩は、この機に乗じて38度線を越えて北へ攻め込むことを主張した。・・1950年10月1日、韓国軍が率先して38度線を越えたことにより、アメリカ軍も国連軍もこれにつきあわざるを得なくなった。・・作戦指揮権はマッカーサーにあったが、李承晩は大統領の権威を笠に着て、恫喝に近いやり方で韓国軍の中枢部に圧力をかけ、無理やり38度線突破に協力させたのである。・・本来なら開戦から3か月後の1950年9月に終了するはずだった朝鮮半島は、1953年7月の休戦協定まで、3年間にもわたる悲惨な戦争へと発展してしまった。・・朝鮮半島での犠牲者は戦闘員と民間人を含めて600万人ともいわれるが、そのたいはんが1950年10月1日の韓国軍の38度線越えからの戦闘による犠牲者である。
・・・1952年8月、最初の大統領直接選挙が行われ、李承晩が第2代大統領に当選したのである。この一連の権力闘争は、「釜山政治波動」と呼ばれているが、官製デモと議員逮捕により自分の野望を達成させるという、李承晩のなりふり構わぬ権力欲ぶりがよくわかるだろう。しかもこれは朝鮮戦争中のことなのである。
・・・李承晩政権が潰れると、国会は内閣責任制改憲を実現させ、「第2共和国」が成立した。新憲法では大統領の権限が大幅に縮小されて、国務総理が国家の実質的指導者とされた。
・・・1965年の日韓国交正常化により、日本からの経済協力として有償、無償、民間借款あわせて8億ドルという、当時の韓国の国家予算の2.3倍もの資金提供がなされ、さらにベトナム戦争に31万人以上の兵力を派遣したことで、アメリカから経済協力の増額を受けて、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を成し遂げた。
・・・これを「光州事件」というが、韓国政府が確認した犠牲者は民間人168人、軍人・警察27人、負傷者4782人、行方不明者406人に達している。その後も失業者やホームレスといった社会的弱者、あるいは犯罪者や学戦運動家、労働運動家など約4万人を一斉に逮捕させ、軍で過酷な訓練と強制労働を課した。とくに強制労働では暴行などで52人の死者を出し、3000人近くの後遺症や精神障害が残るなど、韓国社会に大きな傷跡を残した。
・・・盧武鉉は不正資金疑惑で野党から弾劾訴追されて一時的に大統領職を停止され(2004年)、2008年の退任後は親族や側近が贈賄で相次いで逮捕、ついに司直の手が自身に及ぶと自宅裏山の崖から投身自殺した(2009年5月23日)。・・韓国の歴代政権にはつねに民衆虐殺や収賄がつきまとっている。それは、これまで朝鮮史で見てきたように、朝鮮民族には公の意識が薄く、権力欲、金銭欲、独占欲といった我欲の強さが国民性として根づいているからではないだろうか。だから韓国での公のために大同団結できず、つねに私欲によって分裂と争いが絶えないのである。
・・・福澤諭吉は喝破していた。「脱亜論」において、中国と朝鮮が儒教を遵奉して、近代化を拒否していることを指摘し、西洋人が中国や朝鮮の悪癖を見て、日本もまた同じだとみられてしまうことは「日本国の一大不幸」だと論じ、中国・朝鮮を隣国だからといって特別視せず、西洋人が彼らに接するのと同じように接すべきだと説いた。近年の朝鮮半島の混乱ぶりを見るにつけ、福澤はまさに慧眼であったといえよう。とくに、元中国人の筆者としては、日本の韓国及び中国に対する姿勢は甘すぎると思わざるを得ない。』

2017年9月 1日 (金)

腸が嫌がる食べ物、喜ぶ食べ物 40歳を過ぎたら知りたい、病気にならない食習慣 (松生恒夫著 SBクリエイティブ)

今回も健康ものです。私も年をとり、腸の重要性を痛感しています。

『・・・腸管を動かして、腸によい働きをする成分を私は、「腸管作動性物質」と命名しました。これを毎日の食事に摂り入れれば、あなたの腸の調子はきっとよくなるはずです。
・・・日本人はマグネシウムの摂取量が不足しているので、意識的に摂ることが重要です。・・オリゴ糖には、胃で消化されずに大腸まで到達し、善玉菌を増殖させる作用があるので、腸の調子を整えるのに非常に有効です。・・ビタミンCには腸の蠕動運動を活発にする働きがあります・・乳酸菌の中でも特に注目したいのが、「植物性乳酸菌」で、漬物や味噌、しょうゆ、酒などの発酵食品に多く生育します。・・メントールが腸の平滑筋を弛緩させてお腹のガスの排出をよくしてくれるのです。ペパーミント・ティにオリゴ糖を入れて飲むと、さらによい効果をもたらします。
・・・腸管機能が正常な人と、低下している人では、同じものを食べても、排泄状況が違ってくることがある・・腸の健康を考えるなら、まず小腸と大腸の働きを正しく知ることが重要です。
・・・小腸と大腸の働きは、次の四つに大きく分類できます。 ① 消化(小腸) ② 吸収(小腸、大腸の一部) ③ 排泄 (大腸) ④ 免疫 (主に小腸、大腸の一部)
・・・排泄には、食物の栄養分と水分を吸収した後の「食物残渣の排泄」と、食物の中に含有されている有害成分や体内で生まれる「老廃物の排泄」の二つの働きがあります。大腸には有害物質が集まり、ときには相互作用を起こしながら、有害物質以外に有毒ガスや活性酸素などが溜まっていくことになります。これらを便とともに体外に排泄するのが大腸なのです。
・・・この腸の免疫力に影響を与えるのが腸内に存在する腸内細菌です。・・一般に問題になるのは、大腸内の腸内細菌です。・・腸が元気で健康ならば、善玉菌20%、悪玉菌10%、日和見菌70%という割合ですが、便秘などで腸内環境が悪化すると、悪玉菌が増加してバランスが悪化し、結果的に免疫力が低下してしまう可能性があるのです。
・・・ストレスと腸の関係は、最近では「脳腸相関」という考え方で説明されることが多くなりました。ストレスが脳神経を腸神経叢の両方に作用して、小腸や大腸の運動を過剰にしたり不足させたり、消化管の知覚過敏を引き起こしたりするというように、脳と腸の間に相関関係があることがわかったきたのです。
・・・欧米食の過剰摂取は腸内環境を悪化させ、潰瘍性大腸炎などの厄介な腸の病気を発症させるリスクを高めることが推測されるのです。
・・・これは腸にとって非常に良い働きをするビフィズス菌という腸内細菌が、赤ちゃんの長にとても多く生息しているためです。・・腸内細菌は人間が摂取した食事の栄養分をもとに生活しており、発酵して増殖し、さまざまな代謝物を生産するのですが、偏った食事やストレス、疲労、運動不足、抗生物質の薬の服用など、さまざまな理由で悪玉菌の数は増えます。その結果、便秘などの症状を引き起こすのです。・・腸内細菌は食物繊維の一部を短鎖脂肪酸という脂肪酸の一種に変えて、身体にエネルギーを供給するほか、侵入した病原菌や有害菌の増殖を防ぎ、感染から身体を守る強力な働きがあります。ところが、腸内環境が悪化するとこうした防御能力が低下するため、さまざまな病気に罹りやすくなります。・・母乳にはビフィズス菌の増殖を促す因子(これをビフィズス因子という)が含まれている・・赤ちゃんの腸がビフィズス菌で守られているのは、離乳食が始まる前までです。離乳食が始まると、一時は腸内細菌の95%以上を誇っていたビフィズス菌の占有率は20%程度まで下がり、ビフィズス菌の種類も別のものに変わっていきます。
・・・正しくは「腸の機能が低下したために老廃物が排泄しづらくなり、その結果、悪玉菌が増加する」のです。・・同年代の人でも、善玉菌が非常に多い人もいれば少ない人もいます。その差は何に起因するかというと、食事や健康状態、生活環境などの違いによります。
・・・リンパ球は白血球に孫座して血液の流れに乗っているのですが、人体の期間分布でみると、なんど60%以上が腸管に存在しています。これを腸特有のリンパ組織という意味で、「腸管リンパ組織(GALT)と呼んでいます。その容積は、腸の25%にも及びます。ここに集結したリンパ球などの免疫細胞が、外界から侵入する異物や病原菌を効率よく排除し、私たちが病気にならないための強力なバリアとなっているのです。・・この働きの中心となっているのが小腸にある「バイエル板」というリンパ節です。バイエル板の入り口には、M細胞という組織があり、口から侵入した異物や病原菌は食道と胃を経て小腸に達すると、まずこのM細胞が免疫機能を発揮して動き出します。
・・・大腸がん患者のグループでは、赤身肉の摂取量が明らかに多いことがわかりました。さらに直腸がんについては、赤身肉に加えて乳製品の摂りすぎもリスクになる可能性が指摘されました。・・赤身肉がガンのリスクになる理由としては、次の三つのことが言われています。第一に、肉には脂質、なかでもコレステロール値を上げる飽和脂肪酸が多いため、多く摂ると肥満などのメタボリックシンドロームなどを引き起こす点です。・・第二に、赤身肉には多く含まれる鉄分の問題です。鉄分と脂質が組み合わせることで、活性酸素を産出する鉄イオンのフェトン反応を起こしやすくなると言われています。・・赤味肉以外で鉄分を多く含み、なるべく避けたい食品には、レバー、アサリ、ハマグリなどの貝類が挙げられます。腸の健康を考えるなら、赤身肉の摂取はなるべく控えるのが賢明です。私は1週間に1~2回程度、少量ずつ摂るくらいがよいのではないかと考えていますが、アメリカの研究では、1日に80g以下とされています。・・活性酸素による発がんをブロックするには、まず過剰な鉄分摂取を抑えることが第一なのです。小松菜やホウレンソウのような葉野菜にも鉄分が入っていますが、鉄分の種類が違うので問題ありません。
・・・トランス脂肪酸は、大豆油やコーン油などの植物油に、水素添加という加工を施す「ショートニング」を行うときにできます。・・ショートニングで産出されたトランス脂肪酸は、LDLコレステロール(悪玉コレステロール)を増加させ、HDLコレステロール(善玉コレステロール)を低下させてしまう働きがあるのです。
・・・大腸がんはとりわけ食事と関わり合いが深いがんです。様々な研究から大腸がんの原因となる食事としては、脂肪の摂りすぎが問題となることはほぼ確実なようです。・・一次胆汁酸は小腸の上部で脂肪の消化にかかわった後、65~90%は小腸の末端で吸収され、その残りが大腸にいきます。そこである種の酵素によって「二次胆汁酸」という物質になり、この後大腸で再吸収されます。この二次胆汁酸が、発がんを促すのです。少し前のアメリカ人の食生活は、総カロリー数の約40%が脂肪で占められているような状態でした。
・・・動物性脂肪だけでなく、リノール酸などのn-6系脂肪酸も摂りすぎないようにし、魚などをたくさん食べてn-3系脂肪酸をできるだけ多く摂るようにしましょう。
・・・アルコールは腸だけでなく、口腔がんや舌がん、咽頭がん、食道がんのリスクも高めます。・・お酒の1日当たりの適量は、一般的には日本酒で1合、ビールなら大ジョッキ1杯、ワインならグラス2杯、ウイスキーならダブル1杯程度とされています。また飲むときには、焼酎のお湯割りなど、温かい飲み物に変えるのも良いでしょう。
・・・慢性的な便秘症やストレスなどで腸の働きが鈍っている人が玄米食を摂ると、腹部膨満感(お腹の張り)などの症状が悪化するケースが少なくないのです。
・・・豆乳などと比較してみると、ヨーグルトや牛乳は、100g中に含まれる飽和脂肪酸やコレステロールの含有量が格段に多いのです。・・ヨーグルトに含まれる動物性乳酸菌は、その多くが胃や腸の消化液で死滅してしまいます。乳酸菌の効果に着目するなら、腸まで生きたまま届く乳酸菌を含むヨーグルトを選ぶか、日ごろから漬物などの植物性乳酸菌を含む食材を多く摂るよう心掛けたほうがいいのです。・・腸の健康を考えるなら、モッツァレラチーズ、カッテージチーズなど脂肪の少ないナチュラルチーズがよいでしょう。
・・・グルタミンとグルタミン酸は違う成分です。主に生魚や生肉、発芽大麦、生卵などに多く含まれています。ただし熱が加わると変性してしまうので注意が必要です。・・グルタミンは体内で合成されますが、普段から食事などで少し多めに摂ることを心がけ、不足しないようにしたいものです。
・・・n-3系脂肪酸には、EPAやDHAの他に、エゴマ油、アマニ油に多く含有されるαーリノレン酸があります。これらは、体の機能に欠かせないものでありながら体内で必要量を作ることができないため、食物から摂取しなければならない必須脂肪酸です。
・・・2000年10月に発表されたアメリカ心臓病学会が発表した「心臓の血管病にならないための新しいガイドライン」では、1週間に2回以上食べることがすすめられています。
・・・植物性乳酸菌は、酸やアルカリ、温度変化に次要、過酷な環境条件でも生き続けることができるので、生きたまま腸に届きやすいのです。・・植物性乳酸菌を多く含む代表的な食材は、ぬか漬け、しば漬け、野沢菜漬け、味噌、甘酒、キムチ、ザーサイ、ザワークラウト、サワーブレッド(ライ麦酵母パン)などです。
・・・現在、ハーブには消化推進、鎮痛、殺菌、そして強い抗酸化作用などの効果があることが分かっています。
・・・ペパーミントの和名はハッカ(薄荷)。漢方の世界では、古くから健胃剤として用いられてきました。・・メントールは、ペパーミントの葉と花に含まれる揮発性の油の中にあり、健胃効果だけはなく、腸にもいいことが知られています。・・ペパーミントは食用だけでなく、アロマオイル(ミントオイル)を使った温湿布にしても、腸の不調を緩和する効果があります。これは、漢方では温罨法(おんあんぽう)といいますが、日本でも以前は外科手術後の腸管で発生する麻痺性イレウス(腸管の内容物が溜まって流れなくなる障害)のケアに使用していました。
・・・(ショウガの)ジンゲロールが血管を拡張して血液循環をよくし血行を促進する作用のほか、新陳代謝を上げて老廃物が体外に出やすくしたり、痙攣を抑制したり、胃酸の分泌を活発にし、消化機能を高めます。
・・・特に優れた作用としては体を温める働きがあります。シナモンの主成分である桂皮アルデヒドには、血流を増加させたり、末梢の血管を拡張させる作用があるためと考えられています。
・・・なぜ腸管作動性物質が重要かというと、身体活動が不活発だと腸管運動が低下し、便秘になって老廃物が体内に蓄積され、大腸がんのリスクが高まるにもかかわらず、現代人は運動不足のため、身体活動の量が少ないからです。そこで身体活動を多くするのはもちろんのこと、その不足を補う腸管運動を積極的にするような素材=腸管作動性物質を摂ることが大腸がん予防につながる可能性があるのです。・・まずヨーロッパで古くから便秘に有効とされてきたオリーブオイル・・オリーブオイルには、ほかにもオレイン酸によるLDLコレステロール(悪玉コレステロール)値を低下させる作用や、HDLコレステロール(善玉コレステロール)値を維持もしくは上昇させる作用などが認められ、動脈硬化にも有用とされています。
・・・腸管作動性物質として、もう一つおすすめしたのがバナナです。・・日本人の一日に必要な栄養成分で不足しているものにマグネシウム(1日必要量300~320mg)、食物繊維(1日必要量20g)などがありますが、バナナはまさにこれらを捕捉するのに有用な果物なのです。・・バナナを摂ることで排便の状況が良くなるだけでなく、皮膚の水分、油分、弾力などが有意に改善し、皮膚が「若返った」ことが判明したのです。・・バナナの効果を十分に引き出すお勧めの食べ方があります。スライスしたバナナ(8等分ぐらい)にエキストラバージンオリーブオイルを大さじ1杯かけてください。
・・・(リンゴに含まれる)アップルぺプチンを投与すると、胆汁酸の腸肝循環の割合が増加し、逆に便の中への排泄量が減少して、便中の一次胆汁酸濃度が減少することで、大腸がんの発生が抑制されると考えられています。
・・・豆類は比較的火の通りが悪く調理がしにくい、消化しにくいといった問題があります
・・・納豆は納豆菌を含む発酵食品の代表です。食物戦も豊富で、腸内の善玉菌を増加させ、結果的に免疫力を高め、腸内環境を整えてくれます。また、ビタミンB群、ビタミンE、イソフラボン、ナットウキナーゼなどなどの有効成分も含有していますが、意外に知られていないのは、水溶性食物繊維が豊富な点です。
・・・日本人の食生活が欧米化したこと、コンビニ食やファストフードで食事をすます人が増えたことなどが影響して、マグネシウムはカルシウムとともに、必要摂取量を満たさない、不足ミネラルになってしまいました。・・マグネシウムは・・過剰に摂ると腎臓に障害を起こす危険性もあることを覚えておいてください。
・・・アブラナ科の野菜には抗酸化力があるファイトケミカルが豊富で、ガン予防に効果があると言われています。
・・・アボカドは野菜と勘違いされやすいのですが、果実に分類されます。森のバターと言われるほど脂質が豊富で、その脂質のうち約70%をオリーブオイルにも豊富に含有されているオレイン酸が占めています。
・・・アーモンドなどのナッツ類を日ごろから食べていると、大腸がんや心臓血管系の疾患の危険を低下させることが疫学的調査で分かっています。
・・・目覚めのコップ一杯の冷たい水は、実に気持ちの良いものです。これは就寝中に消失した水分を補給するために大切であるだけでなく、腸の健康のためにも有益です。
・・・大麦は、世界の穀物全体で、コメ、小麦、トウモロコシに次いで4番目に多く生産されています。日本では昔からおなじみの穀類で、明治時代の一般庶民は、挽割りめし(米4~6に対して大麦6~4の割合)として摂取していました。昭和40年ころまでの日本では、大麦摂取量は米に次ぐ主食の地位にあったのですが、その後減少しました。・・最近の報告によれあ、大麦に含まれる水溶性食物繊維が、大腸内に存在する善玉菌の栄養源となって善玉菌が増殖し、腸内環境が整えられ、病気や廊下の原因となる悪玉菌の増加を抑制する効果指摘されています。・・大麦に含まれるβグルカンには、血中コレステロール値を低下させたり、血糖値の上昇抑制、血圧降下などの作用があり、・・
・・・タマネギは腸内の善玉菌として有名なビフィズス菌の栄養になるオリゴ糖も含有しています。・・ニンニクの持つパワーとタマネギのパワーは、よく似ています。タマネギはニンニクほど胃に対する刺激が強くないので、ニンニクよりも継続的に、毎日かなりの量を食べられるのが利点です。
・・・低炭水化物ダイエットは、腸の健康を守るという意味では、おすすめできません。なぜなら、低炭水化物ダイエットをすると食物繊維の摂取量が不足し、便秘を招いてしまうからです。
・・・朝は1日のうち、腸の蠕動運動が最も活発になる時間帯で、朝食を契機に起こる蠕動運動は「大蠕動」と呼ばれるほど強いのです。・・胃・結腸反射や大蠕動が最も起こりやすいのは朝食後であり、朝の排便は、前日に溜まった便を排泄するという意味でとても理想的です。毎朝コンスタントに便が排出されれば、体内に老廃物が貯留しないため、全身の新陳代謝にもよいのです。このように、朝食は体の栄養補給のためではなく、健康な排便のために欠かせないものです。
・・・食物繊維には大きく分類して、「水溶性食物繊維」と「不溶性食物繊維」がありますが、両者のバランスが重要なのです。・・摂取する水溶性食物繊維と不溶性食物繊維の割合は、1対2を目安にしてください。・・水溶性食物繊維の一種であるβグルカン(大麦、発芽大麦、キノコなどに含有されている)などには、血中コレステロール値を低下させたり、免疫機能などを改善させたりすることが明らかになってきました。
・・・最近の研究では、ストレスが脳の情動に関係するネットワークを活性化することがわかってきました。大脳辺縁系を中心とした比較的古い脳の部分にあるこのシステムが作動すると、2千本の神経線維束を伝わって、腸の神経系に影響を及ぼすと考えられています。さらにストレスの怖いところは、その影響が全身に及ぶという点です。便秘や下痢だけでなく、胃・十二指腸潰瘍や慢性胃炎、過敏性腸症候群、摂取障害や空気嚥下症などが、ストレスによってもたらされていることは明らかです。
・・・男性の場合、40代くらいまでは便秘に悩む人の数はとても少なく、65歳くらいからぐんと増えてきます。そして75歳以上になると、便秘の男女の数はほとんど同じになります。・・なぜ高齢になると便秘になりやすくなるのかというと、大きな理由の一つが、加齢によっておこる大腸の機能低下です。・・大腸の壁の弾力性は年とともに悪くなります。専門家の研究報告では、結腸、直腸とも腸管壁の強さは、10代においても最も強く、加齢とともに弱くなることが指摘されています。
・・・オリーブオイル、魚、穀物(パスタ、パン)、野菜を中心とする地中海型食生活がダイエット食であれば、メタボリックシンドローム予防にも有用であり、さらには大腸がん予防にも有用ということになるのです。・・理想を言えば、従来日本人が摂ってきた和食(家庭食)にオリーブオイルを加えた「地中海型和食」がこれからの日本人の健康を守ってくれると考えられるのです。
・・・腹部の手術を受けたことをきっかけに、頑固な便秘に悩まされることは珍しくありません。この場合の原因ははっきりしており、手術の合併症、後遺症ともいえる「腸管の癒着」によるものです。・・手術でお腹を開けたときに臓器が空気にさらされると、隣り合った臓器を臓器、あるいは腸管と臓器がくっついてしまうものです。・・いったん癒着した腸は手術治すことができないので、基本的には腸を動かす食事をきちんと摂り、下剤をうまく活用することで、(ただし、副作用が少ない下剤を必要量だけ使います)、排便がスムーズになるように心がけることが重要となります。』

2017年8月 5日 (土)

最高のパフォーマンスを発揮する! 疲れない身体を作るコンディショニング法 (山崎みゆき著 スターティアラボ)

健康ものです。気軽に読め、かつ、いくつかの発見がありました。

『・・・何もしなくても健康で元気な身体でいることができるのは、20代までです。
・・・私たちの身体は、37兆2000億個の細胞から成り立っています。もちろん脳も細胞からできていますので、細胞が変われば脳が変わり、脳が変われば思考が変わります。思考が変われば行動が変わります。行動が変われば今まで自分を取り囲んでいた環境が変わります。私たちの細胞は今この時から、約半年ですべてが入れ替わると言われています。半年後は違う自分になっていることが可能なのです。
・・・きちんとした見た目、清潔感のある見た目、血色がよく笑顔な表情はまわりに安心を与えます。
・・・飲食店、コンビニの利用で陥りやすい栄養失調が、「炭水化物過多」「タンパク質不足」「ビタミン、ミネラルの欠乏」「質の悪い油の摂取」です。
・・・そのタンパク質も一つ一つの細胞の集まりです。その細胞は、細胞膜という膜で覆われていて、その膜を通して細胞は血管から栄養を受け取っています。その膜が何からできているのかというと、油なのです。良い油を摂れば、一つ一つの細胞が良い細胞になり、膜が柔らかいため栄養の交換もスムーズです。しかし、ここで悪い油で膜を作ってしまうと膜が固くなってしまうため、血管からの栄養の交換がうまくいかず、栄養失調な細胞になってしまいます。
・・・私たちの身体を構成しているもので一番多いのは水分です。その次に何が多いのかというとタンパク質です。残りは何かというと、皆さんは健康診断などで体脂肪率を測りますよね。あれは身体の何%が脂肪ですよということなのです。皆さんはいくつくらいでしょうか?男性ですと、14~20%くらい、女性ですと20%~25%の方が適度だと言われています。
・・・糖質は、適量を食べれば身体のエネルギーの材料になる大切な栄養素です。しかし、食べ過ぎると余った二つの余計なものに変わってしまいます。まず一つ目の余分なものは脂肪です。そしてもう一つ、何になるのかというと【疲労物質】となって身体に蓄積されてしまいます。
・・・代謝のサイクルで大切なのが血液です。血液が細胞に酸素や栄養を届けてくれることで、エネルギーサイクルがきちんと回ります。・・そのエネルギーの元になるが糖質と脂質です。
・・・少なくとも一日に最低でも100gの糖質を摂らないと思考が低下し、考える能力が低下してしまいます。糖質100gというと、これはごはん茶碗2杯分くらいの量になります。
・・・タンパク質という言葉はギリシャ語で、「第一のもの」という語源からできた言葉。そのくらい大切な栄養素です。そして、身体のもっとも大切な部分の構成の大半を占める栄養素です。それは「脳」です。私たちの脳の約4割は、タンパク質でできています。良質なタンパク質を食べないと、まず身体以前に脳が働いてくれません。
・・・糖質がエネルギーに変わるためには、「ビタミンB1」が必要です。・・糖は適度な量を摂り、そしてビタミンBでしっかりエネルギーに変える。これが大切なことなのです。・・脂質を代謝してエネルギーに変えるためには、「ビタミンB2」が必要になってきます。皮膚や髪などの成長を促すので、若々しい外見を保つにも欠かせないビタミン!
・・・健康な身体になるには食べること、このようにビタミンB群を含む動物性のタンパク質の食品を食べることがとても大切なのです。・・健康維持のためには動物性のものからしか摂取できないビタミンBあります。それは、ビタミンB12というものです。・・ビタミンB12はエネルギーを作り出す代謝にかかわるのはもちろんのこと、血液の中で酸素を運ぶ大切な役割のある赤血球を合成してくれます。食べ過ぎは良くはありませんが、動物性のタンパク質もある程度摂らないと不健康な身体になってしまいます。
・・・ミトコンドリアの数が多ければ多いほどエネルギー生産が高い・・このミトコンドリアがどこの細胞に多く存在しているのかというと、「筋肉」の細胞の多く存在しているのです。ですから、筋肉組織が増えればミトコンドリアも増え、エネルギーを多く作り出せる身体になります。
・・・私たちの脳は4割がタンパク質でしたが、残りの6割が何でできているのかというと、実は脂質でできているのです。・・特に気を付けて頂きたいのが、トランス脂肪酸と呼ばれる加工された油。これは、マーガリン、ショートニング、パン、ケーキなど多くの加工品に含まれ、食品が酸化しにくいように食品の加工の過程で発生する有害物質です。アレルギーの原因になったり、身体を傷つける活性酸素を発生させるので、できるだけ避けて方が良い食品です。・・不飽和脂肪酸は善玉コレステロールを増やしてくれる効果があり、健康には必要な油であると最近はブームになってきていますね。これは、サンマ、サバ、アジなどの青魚の油です。植物性ですとエゴマ油やアマニ油などがあります。
・・・脳の神経間の連絡を取り合う役割のある神経伝達物質「セロトニン」。この物質は腸内で約90%作られており、これが無いと脳の情報伝達が上手くいかなくなってしまうため、仕事の効率が上がるには重要なホルモンです。また、セロトニンは幸福ホルモンや満腹ホルモンとも呼ばれているため、私たちの精神状態や食欲に大きくかかわっています。
・・・一日にどのくらい必要かというと、男性は約60g、女性は約50g必要だと言われています。(自分の体重からKを抜いたg)
・・・手軽に食べてもタンパク質補給ができるのが、卵の魅力
・・・この活性酸素を除去するパワーのことを抗酸化力といいます。抗酸化力が高い方は、身体の中にビタミンA・C・Eがたくさん蓄えられている方です。では、何を食べればよいのかというと、トマト、ニンジン、ホウレンソウ、ブロッコリー、小松菜などの色の濃い緑黄色野菜と言われる野菜です。中でも抗酸化力が高くて一番のおすすめはブロッコリーです。
・・・朝はできるだけタンパク質が補給できる卵や、繊維分の多い納豆や豆腐、野菜を食べ、お昼や夜ご飯の際は、まず初めに野菜や繊維分を食べてください。
・・・お酒を飲んだ後におすすめなのがカテキンです。カテキンは緑茶、カカオ、リンゴに多く含まれていて、お酒によって生まれた活性酸素を除去してくれる抗酸化食材でもあります。また、アルコールや油ものから胃の粘膜を守ってくれる役割もあります。
・・・古くなって油、加工されたトランス脂肪酸のような油は、悪い細胞を作りだして身体を傷つけてしまいます。・・良い油を摂るというのは難しいので、まずは外食では【揚げものを食べない】ことをお勧めします。
・・・生の青魚には「良い油」が沢山含まれています。DHAやEPAといった油は、質の良い細胞やホルモンを作ってくれたり、血中のコレステロール値を下げてくれたり、血流を促してくれたりする優れた食材です。ただ、この油は熱に弱いので、できるだけ生で食べることをお勧めします。さらに魚介類には、亜鉛が多く含まれているためタンパク質の合成や、遺伝子情報物質DNAの合成をサポートしてくれます。
・・・オリゴ糖というと甘いイメージですが、野菜に多く含まれています。ゴボウ、白ネギ・玉ネギはオリゴ糖と食物繊維がどちらも豊富に含まれているのでお勧めです。・・大豆は良質なタンパク質源でありながら、オリゴ糖まで摂ることができる優れた食材です
・・・コンビニ弁当や外食で心配なのが保存料、着色料などの添加物です。
・・・理想は一日の中でご飯はお茶碗2杯分(他に甘いものなど間食をするかしないかでも変わってきます)、タンパク質は毎食手のひら一枚分で動物性と植物性両方を摂る、繊維とビタミン群が摂れる野菜はなるべく食べることです。
・・・ぴんぴんころり、つまり老衰で亡くなる方がどのくらいの割合かご存知でしょうか?死亡原因のたった4%の割合だと言われています。』

2017年8月 4日 (金)

飛田の子 遊郭の街に働く女たちの人生 (杉坂圭介 徳間書店)

前に掲載した「飛田に生きる」の続編です。私自身いい年をしていますが、これまで知らない面を教えてもらいました。

『・・・私も危険覚悟で客を装い、飛田で働けそうな子をほかの風俗店やキャバクラから引き抜くしかありません。・・引き抜きがばれた場合、強請(ゆす)られたり、拉致されたり、大変な目に遭うからです。
・・・女の子の心が揺れ動き始めたらあとは押さずに引きの姿勢で待った方がスカウトの成功率が上がります。・・あとの判断は当人に任せることが重要です。警察に「スカウトで入った」と言わせない、思わせないのが、飛田で生きてための必須テクニックなのです。
・・・彼女たちは冷静に自分のポジションを認識しています。これは女性特有の納涼といってもいいかもしれません。少なくとも私の見てきた飛田の女の子たちの大多数は、自分を過大評価することはありませんでした。
・・・何事もなかったようにふるまっていましたが、心のどこかに暗い気持ちを抱えているとお客さんには伝わるものです。
・・・飛田の売れっ子の寿命の一年と言われています。絶頂期間が三か月から半年近くあって、残りは浮いたり沈んだり。そして一年たったら普通の「飛田の子」に戻る。
・・・幸せをつかむためには、飛田と決別しなければならないのです。この世界、入るのは簡単ですから出るのは難しい。短期集中で稼げる魅力はいつまでも女の子たちのなかに残り続け、ふとしたきっかけで「飛田」という選択肢がよみがえってくるのです。』

2017年8月 1日 (火)

儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 (ケント・ギルバート著 講談社)

儒教についてある程度は知っているつもりでしたが、米国人の著者の論に教わるところはたくさんありました。

『・・・アメリカという土地で暮らしていると、私だけでなく多くのアメリカ人の目には、日本と「特亜三国」のあいだには、大きな違いがないように映ります。

・・・最近の外交問題を見ても、「特亜三国」の非常識ぶりは際立っていますが、その源泉は儒教に由来するというのが本書の主張です。「儒教の呪い」に支配されたままなのが、「特亜三国」、つまり中国、韓国、北朝鮮なのです。
・・・この儒教文化こそ、中国大陸を支配する王朝が次々に生まれては消えた長い歴史の中で、そこに住む人民を、そして周辺の国々を苦しめてきた、元凶の一つと言っても過言ではないのです。なぜなら儒教こそが、いまなお漢民族のエリート層を中心に根強く残っている「中華思想」と、密接につながっているからです。中華思想では、中国の皇帝こそが世界の中心であり、そこから離れた地域は未開の地そ、そして、そこに住む人々は禽獣にも等しいと考えます。中心に近ければ近いほど先進的で優れており、遠ければ遠いほど未開で野蛮なのだと、何の根拠もなく無条件に決めつけているのです。・・中華思想の下では、世界のすべては中国皇帝の所有物であるとも感がえます。
・・・「私」や「一族」の利益のためなら、法律を犯すこともよしとする風潮へと変化していったのです。今日、中国が世界の中でも特異な価値観を持ち、国際社会からの孤立を深めているのも、この価値観が大きな要因となっているわけです。つまり彼らが、国際法という公のルールを守ることよりも、「自国だけの利益」を、いや、実際には共産党幹部や軍の将軍が、「自分とその一族の利益だけ」を守ることの方が重要だと考えているからです。
・・・中華思想に基づく自らの主張が、たとえ史実や世界の常識に反していても、決して自らの過ちは認めないのが中国人。「中華民族(=漢民族)は店名を受けた地球の支配者なのだから、どこで何をしても許される」と本気で考えています。つまり、彼らの頭の中には、「過ち」という概念自体が存在しないのです。
・・・彼らは、息をするように嘘をつきますが、そこには罪悪感は微塵もありません。「騙す方より騙される方が悪い」と考えているからです。また、「公」よりも「私」を優先するので、国家への忠誠心もありません。・・大和総研が発表したデータによると、2008年に中国全体で受け渡された賄賂の合計は116兆円近くにも上るとのこと・・・・・・なんと中国のGDP(国内総生産。あくまで公式発表の数値)の30%を占めたのです。
・・・中国中央テレビ局(CCTV)は、「習近平国家主席はトランプ氏と電話会談を行って祝意を伝えた」と報じたのです。トランプ氏側は公式に「その事実はない」と主張しています。これは明らかに、中国政府が大国としての面子を保つ目的で、国内向けにうそを報じたのでしょう。トランプ氏としては、「中国人は嘘つきだ」という現実を目の当たりにしたところから米中外交をスタートできたので、とても幸運だったかもしれません。中国の長い歴史は、そのほとんどが戦乱の時代でした。戦乱の時代に勝ち抜き、生き残るためには、謀略やプロパガンダは許される---そういう風土が育ったのです。
・・・中国人の一つの特性に、「現生され楽しめればいい」という価値観があります。これはさらに拡大して、将来のことはどうなるかわからないから、いまさえ、この瞬間さえよければ問題ないという考え方になり、さらに自己中心主義にもつながっていきます。
・・・中国共産党は、蒋介石が率いた国民党との「国共内戦」には、確かに勝利しました。しかし、共産党が「抗日戦争」に勝利したという話は歴史的事実に反するため、彼らの主張はいつも虚偽に満ち溢れています。
・・・韓国問題に詳しい評論家の室谷克実氏の表現を借りれば、韓国人は「優れた属国DNA」を持っているそうです。つまり、「虎の威を借る狐」の役をやらせたら、韓国の右に出るものはいないということです。
・・・日本がポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦を終結したのは1945年です。では、中華人民共和国の建国は?繰り返しになりますが、1949年です。正式に国家同士で交戦したのは、大日本帝国と中華民国(国民党政府)であって、中華人民共和国(共産党政府)ではありません。中華人民共和国などという国は、戦時中には存在しなかったのです。だから「戦勝国」にはなれません。
・・・現代の人民解放軍の兵士は、いまや「一人っ子政策」の第二世代の若者なので、両親や両方の祖父母(計六人)から「お前は唯一の跡継ぎなのだから絶対に死ぬな」といわれて軍人になるそうです。もし本当の戦争になったとしたら、人民解放軍の脱走率はかなり高いものになるかもしれません・・そして、本島に救いようがないのが韓国です。戦時中の朝鮮民族は日本の統治下にあって、全員が日本国籍を有し、大和民族とともに日本の勝利のために戦ったにもかかわらず、日本が戦争に負けるとあっさり裏切ったうえに戦勝国ヅラ・・・・。しかも韓国内では、「韓国は日本に独立戦争を挑み独立を勝ち取ったというのが共通認識なのだそうです。信じがたいことに、これは韓国の歴史教科書にも書かれていることなので、ほとんどの韓国人が信じているようです。少なくともこの地球の歴史にはまったく存在しない事実ですから、きっと韓国人は異次元の世界から迷い込んだ民族なのでしょう。・・実際には、志願兵の入隊試験に落ちて絶望し、自殺した若者も出るくらい、帝国軍人になることは当時の朝鮮男性の憧れでした。・・戦後、李承晩政権がサンフランシスコ平和条約に戦勝国として参加させてもらえるよう連合国に求めましたが、当然、この要望は却下されました。「韓国は戦勝国ではない」という歴史的事実は、ここで確定しています。
・・・かつて宮澤喜一総理や河野洋平官房長官が、ろくに事実関係を確認せずに謝罪したのは大失態です。
・・・アメリカでは、韓国の告げ口外交は、明白に外交儀礼に反する行為という見方をしていました。・・世界の常識からみれば異常な告げ口外交行も、朝鮮民族のあいだでは、古くからみられる行動パターンなのだそうです。
・・・セウォル号が沈没し、多くの若者が犠牲となった悲劇のあと、韓国を訪れたローマ法王フランシスコ卿は、「韓国がこのセウォル号の悲劇を道徳的(倫理的)、霊的(精神的)に生まれ変わるための機会としてとらえることを望む」と発言しています。ローマ法王は、このセウォル号事件を単なる一人の船長の犯罪というレベルではなく、韓国人すべてに根づいた病巣の表れだと見抜いているのです。
・・・天皇陛下訪英時のブレア首相は、「忘れはしないが、そうした感情が日英関係を損なうのはよくない」との見解を述べ、未来志向の日英関係を強調しています。いつまで経っても「謝罪しろ、補償しろ」など、根拠のないことで騒ぎ立てる品性の劣る国々とは違い、イギリスは紳士の国であり、騎士道精神の国であると思います。
・・・モンゴル人が建国した元が日本に侵攻した「元寇」には、属国である高麗軍、すなわち韓国人の先祖が加わっていました。そして彼らは、対馬の住民を大量虐殺しています。それからまだ1000年経過していませんが、韓国がこの件に関して公式に謝罪したことがあるでしょうか。
・・・利他の精神---自分よりもまず他人のことを考えるという日本人の美徳そのものが、ノーベル賞を数多く受賞している最大の要因だと、アメリカ人の私には思えるのです。そしてこの利他の精神は、自己中心主義の中国人や韓国人には、まったく存在していません。常に自分自身と身内の利益しか考えていないのです。
・・・嫉妬心や執着心は誰にでも多少はあるものです。しかしその病的なレベルについていえば、韓国人が世界一だと思います。韓国人が持つ異常な競争心、嫉妬心は、同じ韓国人にも向けられるといいます。これは儒学の流れを汲む朱子学の影響が強いようです。朱子学は物事を「正」と「邪」に明確に分けるので、上下のランク付けで負けてしまった方は「邪」ということになり、精神的にとても耐えられないのだそうです。韓国が大変な競争社会で、受験や出世競争がとても厳しい原因も、儒教思想に根差したいるというわけです。
・・・反日活動を激化させる中国人や韓国人は、特に歴史問題においては、「歴史を直視しろ」「歴史を改竄するな」と声高に叫びます。しかし歴史を改竄してきたのは、むしろ中国や韓国の方です。
・・・sの前方後円墳は、日本のそれよりも新しい時代に造られた墳墓であることがわかってきました。しかも、どうやら埋葬されていたのは倭人(日本人)・・そこで韓国側調査隊は、日本側に発表を待ってくれと頼んだそうです。そして、「朝鮮の豪族に仕えていた日本人家臣の墓」という発表を一方的にやってしまった。果たして家臣が前方後円墳まで造ってもらえるのかどうか、素人でも疑問がわくところですが、その後、調査はどこまで進んだのかは不明ですが、古墳は元通りに埋め戻されてしまいました。その前方後円墳がどういう意味合いのものかは明確には分かりません。ただ、韓国側にとって都合が悪くなると、とにかく隠ぺいしよう、見なかったことにしようという、明確な意思があることは分かります。・・日韓双方の研究者の意見が対立したとき、日本人研究者が、「資料をご覧になってください」と発言すると、韓国側研究者は興奮して立ち上がり、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と怒鳴ったのだそうです。
・・・日本大使襲撃で名を上げた犯人の政治団体に、資金援助をする団体がいくつか現れたこと問題です。これでは韓国は、テロ支援国家と呼ばれても仕方がありません。
・・・中国で生き残った儒教からは、「仁・義・礼・智・信」といった道徳的な思想が抜け落ちてしまいました。これには、もはら偽善的な意味しか残っていない。そのため中国では、皇帝を筆頭とする支配者層から見た場合、庶民は単に管理する対象でしかありませんでした。朝鮮に至っては、両班制度から見てもわかるように、庶民とは搾取する対象でしかありません。一方、日本では「信・義・礼・智・信」といった儒教の精神を引き継ぎ、道徳心を大事にしてきました。江戸時代以降の武士道は、支配者層であった武士が自らを律する道徳規範として成立しましたが、庶民はそんな武士を尊敬し、あこがれも抱いていたので、やがて日本人全体の精神として、生活の中に浸透していったのです。
・・・「孝」を重んじる儒教の呪いがかかった中国や韓国では、身内や親族を大事にするあまり、「公」の心が希薄になりました。政治家や起業家が親族ばかりを重用したがるのは、この「公」に対する意識が希薄だからでしょう。
・・・韓国(朝鮮半島)は中国文化の経由地に過ぎず、日本が韓国文化の影響を受けた形跡が薄いのですが、韓国人はそうは思っていないようです。彼らにとっては、自分たちの民族が満足できる「物語」のほうが重要であって、歴史的事実は二の次ですから
・・・相手が、「漢字はわれわれが教えてやったのだ」などと優越意識も露わに臨んできたら、冷静に反論すればいい。それだけの話です。日本人は昔から、世界中から輸入したものに独自の改良を加えてオリジナルを上回るものへと進化させることが得意な民族です。禅やラーメンなども発祥は中国かもしれませんが、いまでは世界中の人々が「日本のもの」だと考えています。劣化コピーではなく、オリジナルを完全に凌駕しているのですから、卑下すべきことは何もありません。・・「こちらが譲歩すれば相手も譲歩してくれる」---これは「和」を尊ぶ日本人の特徴的な思考回路です。日本人同士であればこの思考は確かにうまく機能しますし、人間関係も円滑になります。しかし、国際交渉、とりあけ外交は、この思考が通用しないと、しかと肝に銘じるべきです。
・・・武士道の日本の価値観では、相手の弱点を突くことはあまり褒められたものではありません。ただしこの価値観は、やはり国際舞台では通用しない。「郷に入れば郷に従え」を肝に銘じるべきです。
・・・黙っていたら「黙認」、すなわち「黙って認めた」ことになるからです。ただし、彼らと同じように感情的にはならず、そして卑怯な手段も使うことなく、冷静かつ紳士的に行うことです。
・・・スイス政府は冷戦時代に「民間防衛」(邦訳:原書房)という冊子を作成し、各家庭に配布しました。そこには「武力を使わない情報戦」という手順が書かれています。第一段階 工作員を政府中枢に送り込む  第二段階 宣伝工作-メディアを掌握し、大衆の意識を操作する  第三段階 教育現場に入り込み、国民の「国家意識」を破壊する  第四段階 抵抗意識を徐々に破壊し、「平和」や「人類愛」をプロパガンダに利用する  第五段階 テレビなど宣伝メディアを利用し、「自分で考える力」を国民から奪っていく  第六段階ターゲット国の民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量植民で国を乗っ取る
・・・「改正の拒否を前提とした法律は、無効である」という近代法の精神があります。
・・・「平和を願う憲法」です。ところでこの憲法、誰に対して平和を願っていますか?かつてはソ連、現状であれば中国と北朝鮮です。どちらも自国民の人権はおろか、人命ですら尊重しない国々です。どうして外国である日本や日本人のことを尊重してくれると思えるのでしょうか。何の根拠もない楽観主義には驚かされます。』

2017年7月29日 (土)

天才 (石原慎太郎著 幻冬舎)

かつての政敵の手による著作であることもあり、田中元首相に対する印象が大きく変わりました。また、著者の目を通した世の中の見方にもハッと思わされるところがありました。

『・・・金の貸し借りというものが人間の運命を変える、だけではなしに、人間の値打ちまで決めかねないということをその時悟らされてような気がした。以来、俺は人から借金を申し込まれたら、できないと思ったときはきっぱりと断る、貸すときは渡す金は返ってこなくてもいいという気持ちで何もいわずに渡すことにしてきた。その流儀は今でも変わりはしない。手元を離れた金はもう一切俺に関りがないということだ。
・・・後年、俺が上京するとき、母親は三つのことをいってくれたものだった。「大酒は飲むな。馬は持つな。できもしないことはいうな」と。その言葉は今も忘れずにいる。
・・・何だろうと土方という、この世で一番末端の仕事をしている人間たちの力こそが、この世の中を結果として大きく変えていくのだという実感があった。
・・・この世をすべてしきっているのは、大なり小なりお上、役人たちが作っている縦の仕組みなのだ。
・・・政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃子入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ。
・・・福田外務大臣時代に厄介なことが起こった。ドルショックとアメリカの日本を無視した頭越しの中国への大接近だ。特にアメリカの日本を無視した頭越し外交は日本にとって大屈辱だった。沖縄返還をとりつけ鼻の高かった佐藤の面子は丸潰れで憤懣やるかたなかったに違いない。言い換えれば福田外交の大失態だった。これは福田の責任というより、もともと無能で腰抜けの外務省という役所の限界の露呈としか言いようがない。
・・・政治の出来事には表のお降り一遍ではすまぬことが多々ある。要は商売の取引の兼ね合いに似ていることが多い。駆け引きには裏があり、そのまた裏の裏が必ずしも表ではなしにまた違う裏ということさえあるのだ。そこらの駆け引きは口で説明しても埒が明かず、あとは目をつむってやってのけるしかないこともある。
・・・誰か相手を選ぶときに大事なことは、所詮人触りの問題なのだ。・・特に身近な相手にかかわる冠婚葬祭には腐心し手を尽くしてきた。何よりも人間にとって生涯たった一度の死に関する行事である葬式の折には精一杯の義理を果たしてきた。・・「たとえ見知らぬ者でも、その人間の一生の意味や価値は傍には計り知れぬものがあるに違いない」といったそうな。なるほどなと俺は思ったものだったが。
・・・他人の冗談には笑って感心してやるのが何よりなのだ。
・・・ロッキード事件という日本の司法を歪めた虚構を知りつつ、それに加担した当時の三木総理や、トライスターなどという事例よりもはるかに大きな事件の山だった対潜哨戒機P3C問題を無視して逆指揮権を発動し、それになびいた司法関係の責任者たちこそが売国の汚名のもとに非難糾弾されるべきだったに違いない。
・・・古参のアメリカ人記者が、アメリカの刑法では許される免責証言なるものがこの日本でも適用され、それへの反対尋問が許されずに終わった裁判の実態に彼等のすべてが驚き、この国の司法の在り方に疑義を示していたのを覚えている。そして当時の私もまた彼に対するアメリカの策略に洗脳された一人だったことを痛感している。
・・・役人天国を支えているおよそ非合理極まる単式簿記などという会計制度を国家全体として是正し一般の企業並みに発生主義複式簿記に直して(東京都だけでは何とか実現はしたが)、税金の無駄遣いを是正するといった大改革が成し遂げられたのではないかとさえ思うが。
・・・私は自分の回想録にも記したが、人間の人生を形作るものは何といっても他者との出会いに他ならないと思う。結婚や不倫も含めて私の人生は今思えばさまざまな他者との素晴らしい、奇跡にも似た出会いに形作られてきたものだった。』

2017年7月28日 (金)

戦国の合戦 (小和田哲男 学研新書)

日本における戦いについて、思い込みが多かったことを痛感しました。

『・・・水田耕作の全面的展開となると弥生時代ということになる。ちなみに、弥生時代は、紀元前3世紀ごろから紀元3世紀までの期間をいう。

・・・この戦いによって、中央政界における武士の地位は飛躍的に高まり、特に清盛の勢力は大きなものとなった。しかし、その時点では、平氏と源氏の力は拮抗し、並立する状態であった。ところが、それに続く平治元年(1159)の平治の乱で清盛が源治の棟梁源義朝を破ったことにより、平氏圧倒的優位の状況が生まれることになった。
・・・この二度にわたる蒙古襲来は、日本に集団戦法という新しい戦い方を広めるもととなったわけであるが、鎌倉幕府崩壊を早めることにもなった。それは、それまでの戦いでは、戦いに参加することで恩賞をもらうことができたのに対し、このときは、敵を撃退しただけで、幕府としても、戦いに加わった御家人たちに恩賞を与えることができず、御家人の窮乏が進んだからであった。
・・・応仁年間よりも文明年間の方が長く、そのため、従来の応仁の乱といういい方に代わり、応仁・文明の乱と言われるようになったのである。・・東軍細川勝元に属すか、西軍山名宗全に属すかの二者択一を迫られ、結局、東軍16万人、西軍11万人、合わせて27万人もの大群が京都に上っている。この軍勢の数は、「天下分け目」といわれた関ヶ原の戦いよりも多いのである。・・敵の陣地である大名の屋敷や寺に放火する放火合戦の様相を呈していたからであった。そのため、京都は焼け野原と化してしまったのである。
・・・意外なことに、応仁・文明の乱が終わっておよそ10年ほどは、地方でもこれといった大きな戦いはなく、文明18年(1486)の出雲守護代尼子経久による下克上が特筆される動きである。
・・・守護代・国人クラスの武将たちが歴史の表舞台に登場し、文字通り、戦国乱世に突入したことがはっきりわかる時期である。
・・・儒教的武士道徳がまだ一般化されていない戦国時代は、むしろ、自分の能力に応じた待遇を与えられるのを当然としていたので、働きに応じた待遇をしてくれていないと思えば、使えていた家を飛び出し、他家に仕えるのが当たり前であった。そのため、主君は、家臣たちをつなぎ留めておくため、常に恩賞を与え続けなければならなかったのである。このことが、戦国時代、合戦が続くことになた最大の要因であった。
・・・私が一番注目しているのは、「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝事(かつこと)が本にて候事」という部分である。「武士は、相手から犬といわれようと、畜生といわれようと、とにかく勝つことが大事である」といった意味で、勝つための工夫が必要だし、勝つためにはどのような手段を使ってもよいという意味にもなる。・・合戦である以上、負けてしまったのでは元も子もないわけで、相手から卑怯者呼ばわりされてでも勝たなければならないというのが、そのころの武将の共通した認識だったものと思われる。
・・・死を恐れるということは、戦国武将も現代のわれわれも同じであろうが、死に対する考え方は現代人と決定的に違っていた。それは、一言で言えば、「死んで名を残す」という考え方である。「名をあげる」「名を惜しむ」という言い方も同じである。
・・・当時の武将たちにしてみれば、まさに「名を残す」行為だったわけで、事実、ここで死んでいった12人の「城将」の子孫は、上杉家において重用されているのである。見事な死に方が子供たちへの遺産となっていたことがわかる。
・・・戦国時代とはいっても、ある場所に限定すれば、毎日毎日戦いが続いていたわけではなく、戦いのない日もあった。つまり、戦いのときは武士として出ていくが、戦いのない時は農民として農作業に従事していたのである。・・大道寺友山の「落穂集」が参考になるのではないかと思われる。そこには戦場において死者が1000人あった場合、侍はそのうちの100人か150人で、あとは農民や下人だったと見える。
・・・兵農未分離の段階における戦国大名家臣団の主力は地侍、すなわち半農半士の土豪だった・・侍のもとに多数の農民が組織され、戦場に出ていった
・・・戦国時代のある段階まで、合戦の主力はこのような一領具足に代表される半農半士の地侍、すなわち土豪たちによって構成されていた。彼ら地侍を寄子とし、専業武士である上層家臣を寄親とする寄親寄子制が軍団編成の基本であった。その仕組みを大きく変えたのが織田信長である。もっとも信長も、ある時を境に、兵農未分離の家臣団を急に兵農分離に変えていったわけではない。少しずつ変えてゆき、いつの間にか兵農分離になっていたという状況だった。信長が兵農分離の踏み出す一つのきっかけは、親衛隊の組織化である。・・親衛隊の中には兵農未分離の家臣が含まれていたかもしれないが、注目されるのは、信長が、地侍クラスの二・三男以下の者を親衛隊としていた点である。これは兵農分離の第一段階に位置づけられるもので、”兄弟の分離的対応”とよんでいる。
・・・兵農分離をすませた常備軍だと、その心配はない。いつでも戦いに出られるし、しかも長期滞陣が可能になった。・・まだ兵農分離が進んでいないときには、籠城しても勝つことができたのである。・・織田信長の後半、さらには豊臣秀吉の時代には、兵農分離で、将兵は何年でも城を囲むことができたため、籠城イコール敗北という認識が出来上がってしまったわけである。・・兵農分離後の常備軍団は決定的にちがう。鑓なら鑓、弓なら弓、鉄砲なら鉄砲というように、それぞれの持ち道具によって隊を編成し、鑓隊、鉄砲隊ごとに集団訓練ができ、その訓練を実際の戦いの場で生かしているのである。・・足軽は、応仁・文明の乱のころ登場してきたといわれるが、合戦の主力として重視されるようになるのは戦国時代に入ってからである。
・・・従来型の武田軍による小集団と、兵農分離後の織田軍による足軽戦法の戦いということになり、その意味で、長篠・設楽原の戦いは、足軽戦法が個人戦法を破った記念碑的な戦いと言ってもよいように思われる。
・・・信玄の「信玄棒道」は戦いのために軍用道路として作られたものであるが、信長の場合は単に軍用道路としてでなく、商品流通経済も視野に入れた富国強兵のための道路政策だったところに違いがある。
・・・信玄の関所撤廃の理由は、荘園領主・在地領主の収入源を絶つとともに、商人たちの自由な往来を保証したことにあった。
・・・出陣の日から3日分は、それぞれの兵の責任で兵糧持参が義務付けられていた様子がわかる。・・「三日分の腰兵糧」がなくなった4日目ごろから現地での兵糧の支給が始まるのである。・・小荷駄隊に動員されたのが農民だったことについてはすでに述べたとおりである。そして、兵糧の準備から、輸送の実務まですべてを差配したのが兵站奉行であった。
・・・兵器は、一部の名刀と言われる太刀や刀は別として、たいていは消耗品である。実際の戦いで使用した後使えなくなるものもあり、常に補給が必要だった。・・鑓は鎗、槍など字はいろいろに書かれるが、・・武器としての登場は元弘・建武の騒乱のころで、室町時代に入って急速に普及し始め、それまで、長柄といえば薙刀(長刀)をさしていたのが、鑓に代わっているのである。戦国時代はもっぱら鑓で、薙刀は女性の持ち道具となっている。・・名だたる名将のことを形容する言葉として「弓取り」がある。・・この言葉は、弓矢を使った戦いが一般的だった時代の名残であった。次第に鑓が主力の戦いになってくると「一番鑓の功名」とか「鑓働き」といった言い方が増えてくる。さて、その鑓であるが、はじめは柄の部分もそんなに長いものではなかった。二間(約3.6メートル)もあれば長い方だった。・・ついには「三間間中」つまり三間半(約6.3メートル)にまでなった。おそらく持ち手の腕力からしてこの三間半が限界だったのであろう。それ以上長い柄の鑓は出現していない。長鑓が使われることになった背景に前述した足軽戦法があった。・・長さをそろえた長鑓をもって最前列にならび、いわゆる「鑓衾」を作る。敵の騎馬武者がそこに来た場合、長鑓で突かれ「鑓衾」を突破することができず、逆に鑓隊に押し込まれる形となる。・・合戦場面で、圧倒的に多いのは、鑓と鑓の戦いである。
・・・おそらく、このころになると、刀は戦闘での武器というよりは、相手の首を取るときの道具として使われていたものであろう。
・・・具足は何らかの形でほぼ全員が身につけるとしても、冑、すなわち兜はそうはいかない。兜は「兜首」といういい方があることからも明らかなように、あるランク以上の者でなければかぶれなかった。・・直江兼続の「愛」の一字がある。これを愛情、人間愛の「愛」と思っているいる人が多いようであるが、愛染明王の「愛」であろう。・・武将たちがこうした変わり兜を用いたのは、目立ちたかったからである。戦場で目覚ましい働きをすれば、「あれは誰だ」ということになり、変わった兜をかぶっていればいっぺんに名前を覚えられる。
・・・「乱取り」といっても、戦いがはじまる前から「乱取りは自由である」といった許可がおりていたわけではなく、当然のことながら、勝ち戦になった場合の恩典ということになる。ある程度、勝利が確定したところで、「乱取り自由」の指示が出されたものと思われる。城攻めの場合には、全員討ち死にということもあるが、多くの場合は城兵の命は助けられることになる。しかし、待っていたものは悲惨な現実であった。男も女も、子供まで生け捕りにされ、売られてしまうのである。
・・・こうした勝鬨は凱旋のときの一種の儀式となっていて、それをリードしたのが軍配者、すなわち軍師だったのである。
・・・負けた場合の首の取り扱われ方であるが、全員が磔になったり晒し首にされるのはどちらかといえば例外的で、みせしめにされた場合に限られるようである。多くは、林薨とか水薨という形で死体処理がなされることになる。林薨は、そのまま野山に打ち捨てられるもので、土とか木の葉がかぶせられればいい方で、水薨は、川に流されたり、池にそのまま沈められるものである。
・・・「八陣」とは、魚鱗、鶴翼、雁行、長蛇、偃月、鋒矢、衡軛、方円の八つの陣形をいう。』

2017年7月23日 (日)

ルポ 絶望の韓国 (牧野愛博著 文春新書)

朝日新聞ソウル支局長の著作で、私に言わせれば韓国人に甘めの記述だと思いましたが、それなりに参考になりました。

『・・・元議員の知人は語る。「韓国は圧縮成長した。欧州が百年、日本が五十年かけて築いた繁栄を我々は三十年で達成したと息巻いているが、その代わりに社会的な葛藤がたくさん生まれた。地縁や学閥があちこちある。だから、賄賂やコネ、圧力を使った社会不正がまかり通るのだよ」
・・・「韓国では両班文化がまだ息づいているのだよ」 韓国の人々の権力に対する執着を韓国の閣僚経験者の尋ねると、こんな答えが返ってきた。韓国の人々は食事をするときに、お茶碗を手に取らない。お茶碗を置いたまま、箸やスプーンを使って食べる。これも袖の長い韓服を着用した両班(朝鮮時代などでの支配階級)が、袖が汚れない食べ方をしていたことをまねたとされる。元閣僚は語る。「誰でも両班にあこがれる。人生に一度でいいから、両班になってみたいと思う。社会がまだ成熟していないから、発想が単純なのだよ。」
・・・韓国の大統領府や外交部で記者会見に臨むと気づくことがある。かんっくの記者団の質問に共通した特徴がある。質問が長いのだ。彼らは自分の主張をまず延々と語る。そして、最後に、「それであなたはどう考えるか」と聞く。だから記者会見の記録を見ると、圧倒的に質問の方が長かったりもする。
・・・議員になりたい人は後を絶たない。「人生の最後の花道、一度は自分もとあこがれる仕事が国会議員なのだよ」と、韓国政府の知人は語る。議員として活躍する人も多いが、権力のおぼれ、勘違いする連中も数多くいる。
・・・朴槿恵は、もともと歴史認識問題や慰安婦問題に強い関心があったわけではない。彼女にとっての最大の関心事項は、自身の政治権力をあまねく周囲に認めさせることにあった。
・・・慰安婦問題に限らず、日韓歴史認識問題では、韓国の保守勢力は常に進歩・革新勢力から政治攻撃されてきた。過去、歴史認識を巡って数ある日韓合意がなされてきたが、韓国内で唯一、依然批判されていない合意がある。1998年10月、小渕恵三首相と金大中大統領によって発表された共同宣言だ。
・・・「韓国人は、大統領を旧朝鮮王朝の王のような存在と考えている」(韓国政府元高官)という。元高官はその理由について「韓国は朝鮮王朝の後で日本統治を受け、さらに米国主導で大統領制を導入した歴史的な背景がある」と語る。韓国大統領府(青瓦台)の構造は、米国のホワイトハウスとずいぶん違う。ホワイトハウスは大統領の執務室と同じ建物の中に、大統領補佐官らの執務室があり、何かあればすぐに集合できるが、青瓦台の場合は秘書官たちの建物は別棟になっている。大統領府の勤務経験者の一人は「大統領に会いに行くためには、車に乗らないといけない。検問もあるから数分かかる」と語った。
・・・深刻に感じられるのは、韓国の外交官たちが異口同音に語る「国際社会における日本の地位が落ちている」という現状認識だ。口には出さないが、「日本は財政難や政局の混乱に加え、大震災まで起きて元気がない。本当に気の毒だ」という視線を日本に投げかけている。韓国「ジャパンスクールの落日」は、日韓の政治パイプに加えて、官界・外交パイプの先細りという現象を生み出している。
・・・「五年(大統領の任期)ごとに、政策が総入れ替えになる」という韓国政治の宿痾が、せっかくの数少ない朴槿恵政権の成果も押しつぶそうとしている。
・・・韓国の大企業は数の上では1%に満たないが、売り上げは6割以上を占めるとされる。就職難に直面する若者層がこうした社会構造に不満を貯める中で、オーナー一族による非常識な事件も後を絶たない。
・・・韓国では「同じ大学」「同じ学部」の先輩後輩の結びつきは、日本と比べものにならないほど強い。
・・・韓国には最も結束力の強いことで有名な三つの団体がある。「湖南(韓国南西部の全羅道地域を表す言葉)郷友会」「高大(高麗大)校友会」「海兵戦友会」だ。・・海兵隊OBには代々、「街中で後輩の隊員を見つけたら、必ず小遣いをやって元気づける」という不文律があるのだという。
・・・大統領との特殊な「人脈」があるというだけで、何の見識もない一般人が巨大な権力を振り回せたことが、韓国の人々の大きな怒りを買ったのだ。チェのような「コネ」を使うことは、韓国の人々にとっての「あこがれ」でもあるが、その貧弱な経歴と手に入れた権力大きさのあまりのギャップに、韓国の人々は嫉妬に似たような強い嫌悪感を抱いたのだ。
・・・精鋭部隊は、北朝鮮のなけなしの食料や装備を優先的に与えられるうえ、政治学習を徹底的に行うために忠誠心や士気も高い。兵役も10年と長い。韓国軍にも特殊部隊があるし、もちろん能力も優れているが、大半はわずか3年足らずで兵役を終える若い軍人だ。
・・・「核の共同管理」とは、米国が北大西洋条約機構(NATO)加盟国と行っているシステムだ。米はドイツ、イタリヤ、ベルギー、オランダの4か国に航空機搭載型の核爆弾を配備。4か国は警備などに協力しているとされ、核兵器使用について意見を言えるが、最終決定権は米国にある。
・・・韓国にとっての最大の外交課題は北朝鮮だ。韓国外交部を見ても、北朝鮮問題を扱う朝鮮半島平和交渉本部には同部のエリートと呼ばれる人材が集中して集められている。
・・・韓国は1965年の日韓国交正常化に伴い、日本から巨額の支援金を得た。北朝鮮との体制競争に勝たせるため、米国は韓国の安全保障の相当部分を負担するとともに、朴正熙政権の開発独裁路線を認めた。韓国人自身の努力が加わり、「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済成長を達成した。ソウルを訪れる日本人の多くが、「ちょうど少し前の東京を見ているようだ」と語るように、経済や社会生活分野で、韓国はずっと日本の背中を追いかけてきたともいえる。
・・・韓国では近年、農村部が抱える「嫁不足」の問題から国際結婚が急増。2003年に約4万4千人だった外国人配偶者は、10年5月時点で約13万6千人に急増、このうち外国人妻は約12万人を占めていた。経済的な事情からベトナム出身者が多く、韓国人と結婚したベトナム人女性は当時、約3万2千人と全体の約四分の一を占めていた。
・・・韓国政府によれば、韓国の2013年の武器輸出額は約34億ドル(約4180億円)。10年前の12.8倍に達した。輸出先は米国や中東、東南アジアなど約80か国に上る。
・・・知る人ぞ知る話だが、豪州の仮想敵国はインドネシアだ。
・・・世界は今、米国でも欧州でも日本でも格差社会が広がりつつある。人々には不満やいら立ちが募っている。それをぶつける相手を探すとき、自分たちと関係のない集団がいればとても便利だ。周囲の共感が得られやすいからだ。それが、米国で黒人排斥運動に、欧州で移民排斥運動に、日本では嫌韓運動につながったと、私は思っている。・・今、韓国では日本の「失われた20年」よりも更に深刻な不況が迫りつつある。本書で書いたように、韓国の人々にも不満が溜まっている。・・釜山の少女像を取材したときに見たのは、「怒りのはけ口」を求めている人々の姿だった。

2017年7月22日 (土)

戦争にチャンスを与えよ (エドワード・ルトワック著 奥山真司訳 文春新書)

一見過激なタイトルですが、読んでみると納得させられる内容でした。

『日本は、世界の中でも独特な場所に位置している。世界の二つの大国と、奇妙な朝鮮半島の隣にあるからだ。・・日本にとってはほぼ利益のない朝鮮半島において、北朝鮮が、暴力的な独裁制でありながら、使用可能な核兵力まで獲得しつつある一方で、韓国は約5000万の人口規模で世界第11位の経済規模を誇りながら、小国としての務めさえ果たしていない。・・ベトナムは、日米にとって非公式だが強力な同盟国となりうるし、フィリピン、インドネシア、マレーシア連邦なども、潜在的な同盟国である。
・・・「戦争の目的は平和をもたらすことにある」ということだ。戦争は、人々にその過程で疲弊をもたらすために行われるのである。・・戦争が終わるのは、そのような資源や資産がつき、人材が枯渇し、国庫が空になった時なのだ。そこで初めて平和が訪れると、人々は、家や工場を立て直し、仕事を再開し、再び畑を耕す。
・・・なんと今日に至るまで、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、いかなる「戦後復興」も行われていないのである。・・なぜか。「戦争が終わっていない」からだ。まだ「平和」ではなく、「戦争が凍結された状態」なのだ。「凍結されている」ということは、「まだ終わっていない」ということなのである。「邪悪な介入」のもう一つの形態は、難民支援だ。
・・・私は論文「戦争にチャンスを与えよ」を書いたのである。そこで主張したのは、「戦争には目的がある。その目的は平和をもたらすことだ。人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる」ということだ。外部の介入によってこの自然なプロセスを途中で止めてしまえば、平和は決して訪れなくなってしまうのである。・・外部の介入によって戦争を凍結すれば、かえって戦争が長引いてしまう。これが私の論文の主張であり、これは難民問題でも同様だ。・・介入してもよいのは、和平合意と難民移住などに関する責任をすべて引き受ける覚悟がある場合だけである。みずからの外交力によって和平合意を実現できないようなら、紛争に介入してはならない。
・・・もちろん、カダフィは、素晴らしいリーダーではなかった。それでも、無政府状態よりははるかにましだ。「介入のために戦争を開始すること」と「戦争を止めるために介入すること」は、同じ程度に避けるべきことなのである。
・・・戦略とは「生物」である。戦略は存在するものであり、それは戦争の結果を決定するものであるが、その働きは、普遍的で、どの時代のどの地域のどの文化にもあてはある。・・そして戦争には、紛争を何らかの形で終わらせることによって、平和をもたらす、という目的がある。
・・・国際的な軍事指揮では、参加国部隊の行動の質を維持するのが特に難しい(最低限のレベルのパフォーマンスにまで落ちる可能性がある)
・・・NGO活動の多くは、結果的に活動的な戦闘員を供給しているのである。・・NGOが彼らの支援のために介入することによって、敵側がけってき的な勝利を収めて戦争を終わらせる、というプロセスを構造的に妨害してしまうのである。・・このようなNGOは、「戦いの緩和」という彼らの表向きの目標などは実現できず、かえって戦争を長期化させてしまっているだけだ。・・今日では、あまりに多くの戦争が「終わることのない紛争」となってしまった。その理由は、外部からの介入によって、「決定的な勝利」と「戦争による疲弊」という二つの終戦要因が阻止されるからだ。
・・・ただ、これだけは答える。私が見たところ、安倍総理はまれに見る戦略家だ。
・・・「日本が尖閣についてどう考えているか」は、中国には全く関係がない・・問題になるのは、ただ「中国が尖閣をどう見ているのか」であり、「中国が尖閣で何をやってくるのか」だけである。・・中国の外交部(外務省に相当)は、私が知るほかのどの国の外務省とも異なる性質を持っている。外交部が集めた情報は、けっして 「中央」には到達しない。各国で集められた情報は、北京の外交部には届くが、そのボスである習近平には届いていないのだ。
・・・私は、戦略的な方向性として、日本の自衛隊を「自衛隊」のままにしておくべきだと考える。つまり、専守防衛の方向性で、このまま将来も進んでいくのが、基本的には最も正しいと思っている。ただし一つ問題がある。中国だ。・・今後、日本の自衛隊は、より迅速に作戦行動を行えるように体制を整えることが重要になってくる。そのために日本の自衛隊に必要なのは、「訓練」ではなくて「演習」なのである。・・「演習」で学ばなければならないのは、失敗した状態、つまり物質や人員が足りない状態の中でも任務を実行するメンタリティ(精神性)だ。・・残念ながら自衛隊の規模は、日本のような大きな島国を守るには小さすぎる。それらを解決するためには「改革」が必要である。
・・・「中国封じ込め同盟」への貢献という意味で、アメリカの日本への期待は高まるはずだ。
・・・北方領同に関していえば、私は決して楽観的ではない。プーチン氏は、「ロシア帝国」を修復するまでは領土拡大を続ける、と考えている・・それはもちろん、どれだけ経済制裁を科されても、クリミア半島を維持し続ける、ということも含んでいる。・・プーチン氏が自国民に発しているメッセージは、以下のようなものだ。「・・あなたがたは、世界最大の領土を持つ帝国の人間であり、これは誰に与えられたものではなく、戦争に勝つことによってロシア人自身が獲得したのである。前任者はロシアの帝国の多くを失ったが、私(プーチン)は絶対に領土を失うことはない。むしろ取り返すつもりである。だからその代わりにロシア人は耐えなければならない。帝国の人間として耐え忍んでほしい」
・・・世界一の人口を抱え、世界第二位のGDPを持つにもかかわらず、アフリカの小さいな独裁国家のように不安定なのが、中国の本質だ。彼らは、2000年代の16年間に、「平和的台頭」という協調路線から、「対外強硬路線」、「選択的攻撃」と、三度も対外政策を大きく変えている。・・こうした「不安定」な国を隣に抱えているのは、非常に骨の折れることだ。
・・・中国の第二の特徴は、社会は急速に変化しているのに対して、独裁制はそれほど変わっていない、という点にある。・・現在、北京政府は、イデオロギーの継続的な減退とともに、経済の急成長や国民の収入の上昇を望めない事態に直面している。これは習近平の仕事が日ごとに難しくなってきていることを意味している。・・ここに第三の問題が加わる。権力を最大限集中化させるために、習近平が胡錦涛の信奉者の粛清を決心したことだ。
・・・「核心的リーダー」とは、「決してリタイアしない人物」のことだ。・・毛沢東や鄧小平のような存在だ。政治的任務を終えた後でも、「引退」はせず、終身的リーダーとして生きる、ということである。
・・・さらに厄介な問題がある。中国は、隣国を完全に見誤る伝統を持っている点だ。2014年に起きたベトナム沖の海底油田をめぐる事件が、その典型である。・・中国外交には、組織的欠陥がある。・・政策を実質的に決定する部門が、国外の理解や自国が置かれている情勢についての認識を欠いてしまうのである。そのために、対外政策において、不安定さと無能さを露呈してしまうのだ。
日本がEEZ内での中国漁船の操業を許している、という状態自体が、中国に「あいまいさ」を伝えているからである。こうした「あいまいさ」こそ、日本側は避けるべきなのだ。・・「あいまいな態度の日本」と「隣国すら誤解する中国」というのは、最悪の組み合わせと言える。というのも、日本の「あいまいさ」が、中国の「誤解」の余地をさらに大きくしてしまうからだ。これこそが、現在の日中間に存在する決定的な問題なのである。・・日本は、武装した人員を常駐させるべきである。名目は、「環境保護」など何でも構わない。「海底保護調査団」でも、「サンゴ礁・漁業保護調査団」でもよい。しかし、必ず武装させておくことが重要である。こうして日本は、「あいまいさ」を排除できるからだ。
・・・クレムリン周辺の人々は「ノヴォロシア」という概念を今日に復活させようとしている、ということだった。・・ウクライナの一部を切り取って、「ノヴォロシア」という共和国として独立させ、ロシア連邦に組み込む、という考えだ。
・・・CIAは、アメリカの政府機関の中で最も仕事のできない機関だ。CIAの人員は、言語や文化を学ぶのに忙しく、インテリジェンスの肝心なところで失敗を繰り返してきた。米国民全員が知っていることだが、アメリカは、外交や軍事と比べて、インテリジェンスがはるかに不得意なのである。
・・・国際問題に関するロシアの対処法は、古典的なやり方にのっとっている。大国は、いきなり部隊を動かしたりはしない。まずその発する言葉に大きな意味を持たせるものである。この点、中国は異なる。・・中国のように、「尖閣だ、尖閣だ」と叫んでおきながら何もしないようなことは、ロシアは決してしない。ロシア人は、言葉に重みのないリーダーを軽蔑するからだ。
・・・フィリピン国内には、二つの要因がうごめいている。第一は、フィリピンがアメリカの植民地であったという歴史に起因する・・第二は、フィリピンの支配層やエリート層の多くが、人種的には中華系で、裕福である上に、中国とも深い関係を持っており、フィリピンという国にそれほど忠誠を誓っているわけではない、という点だ。・・要するに、フィリピンには、「政治的なまとまり」というものがない。そのため、ベトナムのようには行動できないのだ。
・・・フィリピンは、「反中同盟」からすでに脱落した、ということである。しかし、フィリピンの脱落は、「反中同盟」にとって必ずしもネガティブなことを意味しない。というのも、日本、インド、ベトナム、それにインドネシアやマレーシアの部分的な参加による「反中同盟」は、フィリピンを含めた「反中同盟」よりも、はるかに強力だからだ。
・・・人々は、平時には、脅威を深刻なものとして考えられないものだ。平時に平和に暮らしていれば、誰かの脅威に晒されていても、空は青いし、何かが起こっているようには思えない。・・平時には、誰も備えを必要と感じない。むしろ戦争に備えること自体が問題になる。・・そこから戦争がはじまるのだ。
・・・北朝鮮の軍事関連の技術者を侮ってはならない。彼らは、他国の技術の5倍以上の生産性を有している、と答えるからだ。たとえば、イランは、核開発に北朝鮮の5倍もの時間をかけながら、一発の核兵器に必要な核物質さえ作り出せていない。人工衛星の技術もない。要するに、北朝鮮の軍事開発力は、きわめて危険な域に達しており、真剣に対処する必要があるのだ。
・・・北朝鮮のミサイルは、侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかもしれない、という点だ。このシステムでは、アメリカの航空機やミサイルが侵入してくれば、北朝鮮側の兵士が自動的に発射ボタンを押すことになる。LOWとは、レーダーからの警告に即座に反応することを意味する。
・・・人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。
・・・戦略の規律が教えるのは、「『まあ大丈夫だろう』という選択肢には頼るな」ということだ。なぜなら、それに頼ってしまうことで、平和が戦争を生み出してしまうからである。
・・・日本には「降伏」、「先制攻撃」、「抑止」、「防衛」という四つの選択肢がある。ところが、現実には、そのどれも選択していないのである。
・・・すべての軍事行動には、そこを超えると失敗する「限界点」がある。いかなる勝利も、過剰拡大によって敗北につながるのだ・・大国は、中規模国は、打倒できるが、小国は打倒できない。小国は、常に同盟国を持っているからだ。小国は、規模が小さいゆえに脅威を与えない。だからこそ、別の大国が手を差し伸べるのである。・・戦略のパラドキシカル・ロジックは、紛争が発生するところで、必ず発動する。そして優れた戦略家なら、そのパラドキシカル・ロジックを正面切って克服できるのだ。
例えば、あなたが100ドルの収入のうち5ドルを貯めて、それを投資に回す、というのは、「一般常識の世界」ではよくあることあ。これはこれで、極めて正しい選択となる。ところが、「戦略の世界」、要するに大規模戦争のような「戦略の世界」ではいくら「戦術レベル」で大成功を収めたり、戦闘で目覚ましい勝利を収めたり、作戦に成功して「戦域レベル」で相手国領土を占領できたとしても、「大戦略」のレベルですべてが覆ることがあるのだ。最終的な結果は、最上位の「大戦略」のレベルで決まるからである。・・「戦略の世界では「成果を積み重ねることができない」。これが、戦略の第一のポイントだ。戦争に直面して戦略を考えるときに、最初にやるべきは、「常識を窓から投げ捨てる」ことなのである。・・「戦略の世界では矛盾や逆説だけが効果を発揮する」ということである。理解が容易な「線的なロジック」は、常に失敗するからだ。・・「戦略の世界」では、敵が存在する。この敵が、あなたを待ち換えているのだ。すると、「直線で最短距離を行く」のは、最悪の選択となる。う回路だったり、曲がりくねって運の方が良いのだ。・・「戦略の世界」では、・・常に奇襲が狙われるのだ。奇襲を受けた側は、まったく準備ができていない状態で寝首をかかれることになる。
・・・「戦略の世界」では、勝利が敗北につながるように、敗北も勝利につながる。・・「戦略の世界」では、すべてが常に移り変わるのである。
・・・「戦略」において、「常識」は敵であり、「通常の人間的な感覚」は敵であり、唯一の味方は「紛争の冷徹なロジック」なのである。そして、「紛争の冷徹なロジック」が最も重要になってくるのは、主に外交のレベルにおいてだ。
・・・実際にイギリス人は、アメリカ人のひどい仕打ちを繰り返し受けた。しかしイギリスは、それに黙って耐えたのである。これが「忍耐力」だ。・・フランスは、100年以上争った相手だ。そして当時も、アフリカ、インドシナ半島、マダガスカルなど、およそ17件の植民地・領土係争案件を抱えていた。ところが、イギリスrは、交渉ですべてを素早く解決したのである。しかもイギリスは、すべての案件で譲歩した。フランスの完全勝利だ。これによって初めて、大英帝国とフランス帝国の協力関係が構築されたのである。
・・・なぜイギリスは、最終的に勝利できたのだろうか。それは、彼らが「戦略」を冷酷な視点でとらえることができたからである。要するに同盟関係は、自国の軍事力より重要なのだ。
・・・しかし、「戦略」の観点で言えば、外務省が権力を保持していることは、極めて重要あ。そうでないと、「戦略」のレベルで、すべてが覆ってしまうからである。
・・・「戦略の世界」では、「規律」が物を言う。ここで言う「規律」とは、「戦略のロジックを出し抜くことはできない」という認識能力のことだ。・・イギリスは、強力な「規律」を持ち、「戦略」にそれが不可欠であることを知っていた。「大戦略」のためには、特に極めて不快なことも受け容れる必要があることを知っていたのである。
・・・なぜイギリスのエリートたちは、こうした政策をとりえたのだろうか。それは、英国の貴族の土地の管理を通して、金と権力をよく理解していたからだ。・・ラグビーやウォールゲームといったスポーツを通じて、貴族は暴力というものを学ぶ。
・・・「ルトワックさん、お宅の息子さんは、まだ英語がうまくしゃべれないようですし、どこまで授業についてこれるかわかりませんが、それでも彼は大丈夫です。彼は自分の世話を自分でできるからです」・・ミラノの学校では退学処分になり、イギリスの寄宿学校ではむしろ評価されたことだ。告げ口をせず、独力で問題を解決しようとしたからだ。この文化がイギリスをイギリスたらしめている。彼らは、「暴力」「戦争」「平和」、そして「同盟」が何たるかを理解しているのだ。・・暴力のポジティブな側面を理解し、暴力の存在から目を背けない。これが、イギリスの強みなのだ。
・・・「戦略のパラドックス」だ。なぜこうなるかと言えば、戦略においては、常に「他者」が存在するからだ。・・奇襲の目的は、一時的に敵の反応を奪うことにある。・・それが有効なのは、敵の反応を奪うことで、「パラドキシカル・ロジック」の発動を抑えられるからだ。
・・・いかに戦術的勝利を重ねようとも、その勝利を完全に相殺してしまう、より高次の戦略が存在する。それが「同盟」だ。私の見るところ、戦国日本で、このことを最も理解していたのは徳川家康だった。そもそも、国の運命を左右するような大戦略レベルにおいて重要なのは、まず人口と経済力、そして国民の団結力である。・・適切な同盟相手を選び、戦術レベルでの敗北に耐え続ければ、100回戦闘に敗れても、戦争に勝つことができる。
・・・信長の真の卓越性は、このハイレベルの「規律」を必要とする作戦を計画し、実行したことなのだ。
・・・「作戦」よりも「同盟」の方が、戦略としては上位に位置する。ここでも参考となるのは、徳川家康のケースだ。彼のような人物でさえ、城を明け渡したり、戦闘で負けたり、裏切り者がでたり、と非英雄的なことをも耐え忍ぶ必要があった。ところが、その「規律」こそ、戦略に必要なのだ。
・・・現状以上のアメリカを望めないなら、現実のアメリカと付き合うしかない、ということだ。この「規律」こそ、大戦略で必要となるのである。・・もう一つ忘れてならないのは、「同盟」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものでもある、ということだ。
・・・当時のヨーロッパの人々の思想にとって、根本的な位置を占めていた書物がある。「オヂュッセイア」と「イーリアス」の二冊だ。・・今日のひょーろっぱでは、クレフェルトのいう「生命の法則」が拒否されている。「生命の法則」とは、端的にいえば「男は戦いを好み、女は戦士を好む」というものだ。もちろん、この法則をあざ笑う人もいるだろう。ところが、この法則が拒否されている国で、少子化が起きているのだ。戦いを嫌う国では、子供があまり生まれていないのである。
・・・イスラム教を「アクシデント的に生まれた宗教」と尚氏のには理由がある。・・要するに、その当時には強力な敵となる帝国が周囲にいなかたために、イスラム教は急速に広まったのである。
・・・ヨーロッパが成功していたのは、ヨーロッパが戦場であった時代だ。「戦争のないヨーロッパ」は、「ガソリンの入っていない車」のようなものなのかもしれない。いずれにせよ、ヨーロッパのダイナミズムが戦争によってもたらされてきたことは明白だ。・・ヨーロッパ人は、「イーリアス」をもはや読んでいない。ところが、アメリカ人はまだ読んでいる。そして中国人たちも読み始めた。ここ五年間で、五つの版が出版されているほどだ。
・・・ロシアもヨーロッパの国の一つであるが、ここで、この国の三つの特徴を指摘しておきたい。第一は、「戦略は上手だが、それ以外はすべて下手だ」という点だ。・・ところが、彼らは、経済がまるで分っていない。これが第二の特徴だ。・・「大きな規模(スケール」で考えることができる」ということが、ロシアの第三の特徴だ。・・空間だけではなく時間的にも大きなスケールで考えることができる。空間的にも、時間的にも大きな視野を持っているのだ。西ヨーロッパの人々には残念ながら、そのような能力は備わっていない。
・・・ヨーロッパの活力は、常にその多元性から生じていた。フランス、ドイツ、イタリア、ポルトガルといった、それぞれ独自な国家同士が鎬を削っていたからこそ、ヨーロッパは活力に溢れていたのである。
・・・結論を射よう。ヨーロッパの将来は、財政要因や経済要因で決定されるものではない。それを決定するのは文化だ。ところが、ヨーロッパの人々は、もはや「イーリアス」を読んでいないのである。
・・・政治の混乱状態が続くと、たとえば、元大阪市長の橋下徹やドナルド・トランプのような現象が起こってくる。このような人物が登場してくる背景として、行政府と議会が相いれない状態にある、ということが言える。そして、国内政治の混乱故にこそ、アメリカの対外政策もマヒするのである。
・・・家康は、「戦略」にとって重要なことをすべて体現していた。それは、武田信玄の「風林火山」という言葉で示されるものとは、すべて正反対のものである。たとえば、林のように静かに動かしてはならない。外交によって「同盟」を築くためには、すべての人々と話をする必要があるからだ。「同盟」を形成するには常に語る必要があるし、時間がかかるのである。
・・・戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ。・・戦争準備の最大の目的は、戦争開始を余儀なくされる確率を減らすことにある。・・敵の情報を心理面も含めて収集せよ。また、敵の行動を継続的に監視せよ。・・攻撃・防御両面で軍事活動を活発に行え。ただし戦闘、特に大規模な戦闘は、よほど有利な状況でない限り避けよ。・・武力行使を最小限に留めることは、説得に応じる可能性のある者を説得する助けになり、説得に応じない者を弱体化させる助けになる。・・消耗戦や他国の占領ではなく、機動(詭動)戦を実施せよ。電撃戦や奇襲で敵をかき乱し、素早く撤退せよ。目的は、敵を壊滅させることではない、なぜなら、彼らは、のちに我々の味方になるかもしれないからだ。・・同盟国を得て、勢力バランスをシフトさせ、戦争を成功裏に集結させられるように努めよ。・・もっとも有用な同盟国は、敵に最も近い国である。彼らは、その敵との戦い方を最も熟知しているからだ。・・政権転覆は、勝利への最も安上がりな方法だ。・・戦争が不可避となった場合には、敵の弱点を衝く手法と戦術を適用せよ。
・・・相手のメンタリティを理解できて初めてその行動が予測できる・・すべての敵は、潜在的な友である。現在の友も、潜在的な敵なのだ。・・正面からぶつかり合うような戦いは避けるべきなのである。なるべく詭動を使うべきであり、迅速な攻撃と撤退を繰り返すのだ。ここでの目的は、「敵の封じ込め」であり、「敵の破壊」ではない。
・・・戦争の目的の一つは、戦争が終わった時点で自らの立場を優位に置くことにある。だからこそ、外交が重要となるのであり、これは戦時のおいても変わらない。・・「常に狙うべきは『調略』である」ということだ。
・・・相手の弱みに徹底的につけこみ、敵が弱体化するまで忍耐強く待つべきである。
・・・「勝利に真に必要なのは、戦争での勝利ではなく、外交と調略である」という戦略的教訓
・・・「構内の政治体制が整うまで大統領の権限は大きく制限される」
・・・もし私が大統領顧問だったら、彼に何を提言するだろうか。その一つは、「プーチンを侮辱するのを止めて交渉する」ということだ。・・そのためには、まずNATOを「統一した勢力」として扱うのを止める必要がある。NATO加盟国の足並みをそろえて統一政策を実施するのは、無理があるからだ。
・・・「ウクライナの国土統一」は「アメリカの国益」ではない。ところが、「アメリカに協力的なプーチン」は、「アメリカの国益」である。私だったら、まずプーチンと交渉する。そして中国問題に集中するようにプーチンに持ち掛けるのだ。
・・・日本の立場は極めて特殊である。・・世界には200近くの国が存在するが、そのなかで、日本は大国以外でトップの位置を占めている。それゆえ、日本は、他の大国同士のバランスを常に気にせざるを得ない立場に置かれている。
・・・中国という国は、大国であるにもかかわらず、恒常化した不確実性のなかで運営されている。国内体制が、政治的、経済的に極めて不安定なのである。
・・・県局がホワイトハウスから連邦議会に移る、ということであり、行政の力が弱体化する、ということだ。習近平はいつでも失脚する可能性があり、アメリカ大統領の権力も弱まる。この二つの要因から、日本は、極めて奇妙な状況に置かれることになる。唯一安定した大国がロシアとなるからだ。
・・・個人的な見解だが、日本は、長年にわたって誤った国連対策を取り続けている。・・日本は、常任理事国入りの戦略として、「誰もよくしないプラン」を追求してきたのである。・・「6席もいりません。ブラジルやドイツはかんけいありません。われわれが欲しているのはたった1席です。これをインドと共同で得ることです。2,3年ごとに交代で日本とインドで席を分け合うのです。』こうなれば、インドはロシアから強い支持を得るだろう。日本もアメリカから強い支持を受けるはずだ。』

«取調室の韓国人-女 司法通訳の現場 (中山あきら著 Amazon)