2022年7月 9日 (土)

ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略 (廣瀬陽子著 講談社現代新書)

今回のウクライナ侵攻前に読んでいたのですが、アップできていませんでした。クリミア侵攻後に書かれたものでしたが、今でも十分参考になることが多く書かれていました。

『・・・ロシアと中国の関係は単純ではなく、「離婚なき便宜的結婚」と言うべきものである。米国の一極的支配に対抗し、「多極的世界」をめざすなど、国際 戦略では一致しているものの、地域における覇権をめぐっては対抗関係にあり、 また、両国間に信頼関係は存在しない。

・・・つまり、ロシアは平時には諸外国の政治に介入したり、影響力を行使し たりすることができず、選挙時や政権に対する抗議運動が起きた際に、力を発揮 できるというのである。 そして、そのような際に効果的なのが「ハイブリッド 戦争」であり、もはや、ロシアの対外行動、とりわけロシアが、戦略的意義が大きいと考えている国々に対する動きをとる際に、ハイブリッド戦争は不可欠な 要素となっているのである。

・・・ハイブリッド戦争とは、政治的目的を達成するために軍事的脅迫とそれ以外のさまざまな手段、つまり、正規戦・非正規戦が組み合わされた戦争の手法である。・・2014年4月26日 に、NATOの前安全保障アドバイザーであっ たオランダ少将フランク・ヴァン・カッペンが「プーチンはウクライナでハイブリッド戦争をおこなっている」と述べたことが契機となっている。

・・・近年のロシア外交は領土拡大をめざしておらず、相手国の精神的なダメージや同盟への打撃という目標に重心を置いている傾向が見て取れる

・・・ハイブリッド戦争は、第一に低コスト、第二に効果が大きい、第三に介入 に関して言い逃れができる、という多くのメリットを持っている。

・・・ロシアにおける「ハイブリッド戦争」はそれ自体が戦略というわけではなく、作戦であり、クリミア併合を経て、軍事コンセプトから「外交政策の理論に 準じるもの」に変容した・・ドクトリンとは、政治、外交、軍事などにおける基本原則を意味する。

・・・非線形戦争では、個々の地域や都市が一時的に同盟を組むが、戦闘中に同盟を解消して新しい相手と同盟を組む、といった様相を呈する。

・・・ロシアの軍事専門家やアナリストは、自国の戦略を説明する際に、「ハイブリッド戦争」という言葉を使いたがらない。・・ロシアの「 ハイブリッド戦争」 の最終目的は、ロシアと敵対する同盟の弱体化や解体、他方で、ロシアに連帯する同盟ないしそれに準ずるものを強化してゆくことだと言えよう。

・・・「探り」では以下のような行動が取られる。第一に、低強度の行動で、ライバル大国との戦争は注意深く回避される。・・第二に、現状変更国は、少ない リスクで大きな見返りを得られる行動として「 探り」をおこなうという。・・つまり、「 探り」の最終目的は、同盟国が(戦闘に)「巻き込まれる」恐怖と(大国から)「見捨てられる」恐怖という、いわゆる「同盟のジレンマ」を利用する ことによって、敵対国の同盟関係に揺さぶりをかけることなのである。

・・・政治技術者は、ある目的を達成するために、目的の地域に入り込み、さまざまな政治工作を行う。

・・・北コーカサス出身兵は、強いだけではなく、ロシアのなかで「命が軽い」存在なので、ハイブリッド戦争においてはかなり使われてきた。・・コサックとは、ロシア南部からウクライナにかけて、逃亡した農奴やさまざまな遊牧民をルーツに構成された軍事的共同体である。

・・・欧米諸国が軍事力の削減を進めていったが、その一方で域外介入への志向性も高まるという矛盾が生まれた。そして、その矛盾によって生まれた真空を埋めたのがPMCだったのである。・・非常に幅広い分野をカバーしながら、国家や民間の需要に答えつつ、軍事的な活動を総合的に支える役割を担っている。

・・・特に高額の費用がかかるのが、ロジスティクスや管理部門であるが、こうした分野を外部にアウトソーシングすることで、経費を大幅に削減しようとするニーズがPMCの誕生と成長につながったとされる。・・民間企業だからこそできるPMCのサービスのきめ細かさがある。

・・・軍隊も当初、専門家を育成しようとしたが、それにはあまりに費用と時間がかかるということで、兵器システムと技術者をともにアウトソーシングした方が手早く、費用も抑えられるという事になった。これもPMCを利用するメリットとなっている。・・軍隊や情報機関も優秀な民間企業や専門家に業務委託をしたほうが安上がりでかつ、最新かつハイレベルのサービスを期待できることととなる。ただし、政府と民間の癒着が生まれやすくなるというデメリットもあるということは忘れるべきではない。・・ロシアのPMCの戦闘員は戦地で死亡したとしても、ほとんどが遺族のもとに帰れないという。戦地で身元不明の遺体として埋葬されるケースがほとんどであるらしい。

・・・ロシア政府は、最初のころはPMCを都合よく利用してきたが、最近では、制御不能になっているPMCの活動も多いとされる。

・・・現状では、ロシアにおいてPMCは非合法事業にほかならず、実際、、スラブ軍団は違法にシリアで活動をおこなったとして、その代表が逮捕されている。

・・・クレムリンは、PMCをグレーゾーンに置きつづけながら、外交の有用なツールとして用いており、PMCが展開されている場所はロシアの外交の重要拠点となっていると見てよいだろう。とはいえ、モスクワの統制下に収まらなくなるケースが少ないのも事実のようである。

・・・プリコジンは、前述のようにプーチンや軍からの信頼もあり、ロシア版PMCの設立を任されたが、彼は当初、その役目を積極的に引き受けたわけでなく、その危険性やどれだけの儲けがあるのかについて、かなり真剣に悩んでいたという。

・・・シャープパワーとは、米国の「全米民主主義基金(NED)」が2017年12月に公表したリポートではじめてつかった造語であるが、テレビやSNSなど様々な方法で偽情報の流布をおこない、調略、恫喝、嫌がらせなどの手段を組み合わせて、自分たちに都合の良い方向に転向させる手段で得あり、主に、中国、ロシアがそれを近年多用しているという。そして、それは諸外国の政治への介入や妨害の際に効果的に用いられている。シャープパワーは、ソフトパワーの「悪質版」とでも考えるとイメージが湧きやすいだろう。

・・・ここで注目したいのが、最終目的である「編入」の前に、あえてクリミアがウクライナから独立宣言をし、ロシアが独立を承認したという体裁がとられたことだ。そうすれば、ロシアとクリミアが対等な主権国家として編入を決定したとして、ロシアが強硬にウクライナの領土を奪い取ったのではないと主張できるからだ

・・・サイバー攻撃はきわめて安価に行えるという特徴がある。

・・・2019年2月に、セキュリティ企業CrowdStrikeは、3万件以上に及ぶハッキング事件を分析した調査データを発表したが、ハッカーの1位に選ばれたのはロシアのハッカーだった。・・その能力は圧倒的に世界最速とされた。ちなみに2位は、北朝鮮のハッカーだとされたが、その、作業時間は平均2時間20分(ハッカー集団はスターダストチェリマ(APT38)で、ロシアと比して、8倍近い時間がかかっていた。

・・・最新のサイバー攻撃については中国から学んでいる部分も大きいと聞く(筆者が2018年9月にモスクワで専門家に聴取)。また、ロシアはサイバー攻撃に脆弱で、攻撃を受けた際に大きなダメージを受けやすい傾向があるという。

・・・このサイバー攻撃の心理的効果も極めて大きく、エストには国民の間に混乱、分裂、敵対心、恐怖、指導者に対する疑念を生み出した。そして、エストニア人は、この攻撃が、軍事衝突につながる可能性も恐れたという。

・・・このような実戦とサイバー攻撃を同時並行でおこなう戦闘はきわめて新しく効果的であり、21世紀型の戦争のかたちとして新たな類型を生み出したと言える。

・・・サイバー攻撃の特徴の一つである「秘匿性」を崩壊させたのである。このような反撃が日常化すれば、攻撃側に優位であったサイバースペースの秘匿性は崩壊するかもしれず、攻撃者も慎重にならざるを得なくなる。

・・・IRAでは、SんSに大量の投稿を行い、コメントを書くという仕事のために、約400人が雇われ、24時間態勢で働いていた。各人がそれぞれ何十個ものアカウントを持ち、事前に準備されたスクリプトに従って、ロシア語、英語、その他の言語でSNSにさまざまな情報を書き込みつづけたという。

・・・GURは①ハッキング、②コンプロマート(ある人物の信用を失墜させるための情報の暴露)、③オンライン・アクティブメジャー(インターネット空間における情報工作)、④サポート・クレムリンズ・キャンディデート(ロシアにとって望ましい候補に対する支持)、という4段階の戦略を連携しながら進めたのである。

・・・(中露の)同協定が生まれた背景には、中露に対する欧米諸国によるハッキングや監視のレベルや頻度が見過ごせないほどになったことがあったとされる。

・・・地政学はロシア人にとって基本的な思考原則の一つになっていると言えるだろう。・・ドゥーギンは多くの著作を出版しているが、最も有名なのが「地政学の基礎:ロシアの地政学的未来」である。・・ロシアにおいてさまざまな意思決定を行うために、政治家や外交官、軍人、警官はもとより、学者やアナリスト、起業家や投資家など多くの分野のエリートの必読書とされ、ソ連軍参謀本部大学校はじめ、多くのロシアの教育機関で教科書として使われてきた。

・・・ロシアをユーラシアの大国にするための構想は、かなり具体的である。モスクワ・ベルリン枢軸、モスクワ・テヘラン枢軸、モスクワ・東京枢軸という三つの主要枢軸を形成しつつ、米国の影響が排除され、「フィンランド化」された友好的な欧州地域との関係を強化するという考えがその基礎となる。

・・・日本については、北方領土(ドゥーギンの著作では、クーリル諸島と記載)を返還することで、対露友好ムードを醸成する一方、反米主義を煽り、日本の政治をロシアが操作するべきだと主張する。

・・・ドゥーギンは、徹底した反米姿勢をとる一方、トルコ、中国を封じ込めつつ、小国を取り込んだり、緩衝地帯に位置付けたりして、ロシアがユーラシア大陸における大国となるシナリオを描く。

・・・グランド・ストラテジーとは、外交の基本をなす大戦略である。

・・・プーチン時代のロシアは、米国による一極的世界に反発し、中国とタッグを組みつつ多極的世界を実現し、自らもその一極を担うことを国際政治における重要な基本戦略として追求してきた。中国はロシアにとって警戒すべき相手ではあるのだが、米国による一極的支配を崩すという最重要の目的のためには、中国は重要なパートナーになるのである。

・・・プーチン政権はグランド・ストラテジーを「勢力圏の維持」とし、ロシアの勢力圏、すなわち第一義的には(すでにEU、NATOに加盟済みのバルト三国を除く)旧ソ連諸国、そして第二義的には旧共産圏や北極圏を守るためならば、武力行使もいとわず、さまざまな手段を用いてきた。そいてそれら手段が集約されたのが、ウクライナ危機と言ってよいだろう。ウクライナ危機では、「ハイブリッド戦争」という概念が広く知られるようになり、また、「ハイブリッド戦争」にいかに対抗していくかがロシア周辺国の最大の課題となったのである。

・・・ロシアは自国領土内の極東やシベリアの開発を長年の課題としてきたが、クリミアを併合したことで、極東やシベリアに当てられていた予算のかなりの部分をクリミアに投入してなんとか面目を保ってきた状態だ(それでもなお、水問題など、クリミアに問題は山積している)。

・・・ロシアがめざしているのはソ連の再興ではなく、大国ロシアを再確立してゆくことだ。そして、旧ソ連地域を中心とした影響圏を確実に確保したうえで、多極的世界を構築し、その「一極」を確実に担い、あわよくば「一極」の重みを極限まで増して、国際的な影響力を増すことを目論んでいると言えるだろう。

・・・ロシアはグランド・ストラテジーに依拠して外交の重要性を考えており、特に重要なのは、ロシアにとって最も拳粉勢力でなければならない旧ソ連地域である。また、新しい勢力圏として、北極圏は近年、ロシアにとって重要地域として戦略的意義を高めている。加えて、ロシアが国際政治を展開するうえで明らかに重点を置いているのが、中東、中南米、そしてアフリカである。

・・・・北極圏を制すれば、米国はもとより欧州やカナダにも存在感を示せ、ひいては世界に対してもロシアの重要性を認識させることが可能なのである。

・・・ロシアの目標達成をけん引するとされてきた新たな原子力貨物船も現状では、失敗に終わっていると報じられており、ロシアの砕氷船計画にさらに暗い影を落とすことになった。

・・・ロシアの北極圏政策こそが、日本が奪還したい北方領土をロシアが返還できない理由の一つにもなっていると言える。ロシアにとって、北方領土は北極海航路の終点であり、また、ロシアが太平洋に出るための重要拠点なのである。・・特に、水深が深い国後水道(択捉島と国後島の間)は、潜水艦の展開ということを考えてもロシアが絶対に死守したいものでもある。

・・・アジア、特に日本、韓国に対しては、日米同盟、米韓同盟にくさびを打ち込みつつ、中露の関係の深さを米国、日韓に見せつけて米国にかかわる同盟にゆさぶりをかけようとしていると言える。

・・・意外と盲点となっているのが、ロシアの太平洋諸島への進出だ。米国の影響力が比較的及んでいないところにはロシアの影があることが多い。

・・・ロシアの中東への進出は、ソ連時代に培っていたものの喪失していた影響力を復活しようとするものである。

・・・ロシアは多数の重点領域を持ちながらも、また使えるリソースが少ない割には、外交戦略をかなり効率的に進めているように見える。

・・・最近のアフリカと言えば、中国の進出が顕著というイメージを持たれがちだ。だが、近年、ロシアのアフリカにおける動きが実に活発になっていることはあまり知られていない。・・一見関係が薄そうなアフリカにおいてもロシアがハイブリッド戦争を展開していることは、ロシアにとっては世界中のフィールドがハイブリッド戦争の対象になり得る場所であると同時に、ロシアが世界を地政学的視点でにらんでいることを示す良い事例となると言えるだろう。

・・・ロシアは特に2014年以降、アフリカへの接近を強化し、また、アフリカ諸国もロシアへの接近傾向を強めていった。

・・・アフリカには54か国が存在しているが、アフリカ諸国も一様ではなく、言語や文化の違いやかつてどの国の植民地であったかなどによって性格は異なる。そして、アフリカでの動きで、ロシアが主にコミットするのはかつてフランスかポルトガルの植民地だった国だと言われている。ロシアは、それらの国には依然として旧宗主国の影響力が及んでいると考えているというが、同時にそれらの国々を、アフリカを「チェス盤」と考えた際の脆弱なプレイヤーであり、浸透しやすいと考えてきた。アフリカにおけるロシア外交の主要な切り札の一つが、「安全保障の輸出」である。武器・兵器の輸出にとどまらず、反乱鎮圧及び対テロ対策のためのコンサルティングと訓練を提供し、アフリカの平和と安定に貢献するというわけである。

・・・アフリカ側も、近年までは欧米との外交関係に依存するほかなかったが、今では中国、さらにロシアがプレイヤーとして加わってきたために、外交の選択肢が増えたのは確かだ。

・・・アフリカ諸国は、2013年から17年の間に、ロシア全体の武器輸出ポートフォリオの13%を累積的に占めるようになり、ロシアによる武器輸出地域の兵力バランスにも影響が生じるようになった。

・・・「安全保障のジレンマ」とは、ロバート・ジャーヴィスが定式化概念であり、「国際関係において、各国が自国の安全保障を最大とするように行動した場合、仮に各国とも現在より権力を拡大する意思がなかったとしても、結果としては他国に対して対抗的な政策を選択することになるというパラドックス」を意味する。

・・・ロシアが関与する際に望ましいアフリカ国家の条件は、天然資源等に恵まれていること、政治的に不安定ないし非民主主義的体制を堅持しており、国際的に孤立していること、である。そのようなアフリカ諸国にとっても、ロシアは好ましい国家だ。・・ロシアと非民主的なアフリカ諸国は、双方に利害がいってしている極めて都合の良い関係なのである。他方ロシアはこのような協力をするうえで、四つの原則を前提としている。第一に、ソ連時代とは異なってコストと利益のバランスを保つことである。第二に、特に米国を想定しているが、より強力な競合相手との直接対決を回避することである。第三に、少なくとも表面的には(本心では中国のアフリカ進出を警戒し、けん制したいのだが)中国と共同歩調をとることである。第四に、ロシアの影響力を最大限に拡大できるように・・「戦う戦」を注意深く正確に選ぶという事である。ロシアの「安全保障の輸出」においては、大きく分けて、二つの手段が用いられる。一つは、ある国家の政権(ないし、地方の政権)に対する準軍事的支援であり、今一つは、情報提供ないし、「政治技術者」による「政治技術」の利用である。

・・・サハラ以南のアフリカで、ロシアが用いているスキームは、・・ロシアは秘密裏に国家の指導部と協定を締結し、秘密の軍事支援と引き換えに、対象国の天然資源を獲得するというスキームである。

・・・駐留フランス部隊の兵士たちが、現地少女に獣姦を強要した事件をはじめ、多数の性的虐待や搾取の疑惑があることも、フランスのアプローチが現地で不評であることの一因となっている。このように、国際社会やフランスが現地で信頼されない一方、ロシアへの信頼は増していく一方であるように見える。

・・・特に興味深いのは、政治テクノロジーを用いた心理的扇動や、選挙操作などによる政治介入である。実は、ロシアのアフリカへの関心は、軍事分野が筆頭に来るとはいえ、経済分野よりも政治分野の方が強いともいわれているのだ。ロシアはアフリカに対して政治介入を行うにあたり、五つの要素を最大限利用してきた。第一の要素は、アフリカ内の社会的緊張を刺激するということである。・・第二の要素は、アフリカと欧米の間の緊張に火をつけることである。・・第三の要素は、広報活動と現地政府に対する政治コンサルティング業務である。・・第四の要素が、教育や技術指導である。ロシアはアフリカの学生にとっては魅力的な学びの地であり、ほぼすべてのアフリカ諸国からの留学生がロシアで学んでいるという。・・第五の要素が、歴史と伝統的な関係である。ソ連時代に構築された関係を再アピールするのはいうまでもないが、それ以前の関係を引き合いに出すこともある。・・これらの非軍事的なアプローチは、軍事部門の協力と不可分で、それらを両立させるからこそ、ロシアは効率よく、実効的に進出できると考えられている。

・・・表面的には「同じ方向を向き、連携している」というポーズを取っている中国とも対抗しており、アフリカの「中国一辺倒になりたくない」という心情を巧みに利用して、ロシアのポジションをしっかり確保しているのだ。

・・・サイバー領域にレッド・ライン(超えてはいけない一線)を国際的な常識として設定することは、大規模な混乱を予防するためにも必要なプロセスであろう。

・・・エストニアが実践する「サイバー衛生」、すなわち、サイバー攻撃者に利するような習慣を変えて、個人が自分の身を守ることが、システム全体の防衛につながるという事が極めて有益であるという。

・・・相手に大きなダメージを瞬時に与えるのに有効な「インフラへのサイバー攻撃」ができる状況を準備しておくこともポイントになりそうだ。』

2022年5月30日 (月)

賢者の書 (喜多川泰著 ディスカバー・トゥエンティワン)

数年前に著者の講演を聞き、とてもよかったのですが、この著作もその内容のことを言っているだけかと思って、気にはなっていましたが読んでいませんでした。実際に読んでみると、講演の内容とは全く違う物語でした。でも、はっと思わせられたり、繰り返し読んでみたい言葉がちりばめられた、読後感さわやかな話でした。

『・・・行動の結果手に入るものは、失敗でも成功でもない。絵を完成させるために不可欠なピースのひとつであり、それ以上でも、それ以下でもない・・その絵を完成させたときに自分の手に入れてきたピースの一つひとつが、どこでどう使われているのかを見て、ようやくわかるのだよ。・・パズルを組み合わせて一枚の絵を完成させるのは自分ひとりの力ということなのだよ。

・・・夢はまだ、こうなればいいなあとか、こういう絵が描けるかもしれないといった弱い段階なのだ。一方ビジョンとは、必ず到達することが約束された場所であり、そのためにお前の人生があるという確固とした信念をもとに描かれる絵だ。

・・・宇宙を創造した大いなる力が、我々人間を生み、その一人ひとりの中に自らと同じ大いなる力、つまり心を与えたという一つの事実だ。・・私たち一人ひとりの持つ大いなる力、つまり心も、世の中に新しいものを創り出す能力があるということだ。

・・・自分を他人よりも価値のないものと卑下してはいけない。 自分を他人よりも優れているものとして傲慢になってもいけない。 自尊心と他尊心は常に同じ高さでなければならない。 自尊心を高めるということは、同じ高さまで自分以外のすべての人間に対する他尊心を高めるということを意味しているのだ。一部の、ではないぞ、すべての人間の、だ。

・・・何になるのかというのはさほど重要なことではない。どんな人間になるのかということのほうが、はるかに重要なのだ・・何になるかを目標にしても成功を収めることはできない。まず真剣に考えなければならないのは、どんな人間になりたいのかである。

・・・人間は自らが努力して作り上げたものの上にしか、安心して立つことはできんものだ・・人間は、今この瞬間しか生きることはできない。そのことを正しく理解する者だけが人生において成功をおさめることができる。

・・・大きな夢ばかりを見て、時間を過ごしている人もいる。今日、その夢に一歩でも近づく努力をしていないなら、結局、未来を恐れてオロオロしながら、今日を過ごす人と大して変わりがない。大切なのは昨日までの人生と、明日からの人生に心をとらわれることなく、今日一日に集中して生きるということなのだ。

・・・君の伝記を読んでいる人間が、今日のページを読んでいるときに、『あぁ、こいつは成功して当然だ』『この人は、絶対に成功する人だ』と確信できるような一日にすることだ。何しろ、その確認は外れないし、どこかでそう思われない人間が自らの伝記の最後の方で大きな成功を手に入れるなんてことは決してないのだから。・・君は、君の伝記を読んでいる人間が、君は将来絶対に成功する人間であると確信できるような一日にすればいいだけなのだ。そうすれば残りの人生は成功できるかどうかというものではなく、成功するのはわかっている。あとはそれをどうやって手に入れるのかを見るに等しいものになるのだよ。

・・・尊い働き方もあれば、そうでない働き方もある。

・・・自らの人生という貴重な財産を、時間という財産を投資したのだ。そしてその結果として、自らの描く、壮大なビジョンを完成させるために必要なパズルのピースをすべて受け取ったのだ。これが正しい投資である。この投資は、現状としてお金があるないに関係なく、すべての人が平等に、しかも今すぐ始めることができる。賢者とはそのことをよく知り、時間を投資することを欠かさない人なのだ。

・・・この世は、自分の幸せばかりを願う者にとっては、辛いことが多く、思うようにいかず、楽しいことの少ない試練の場かもしれないが、他人の幸せばかりを願う者にとってはこれ以上ないほど、楽しいことの多い、そしてチャンスに満ちた輝ける場所なのだよ。

・・・人は病気によって生きる希望をなくすわけではないの。言葉によって生きる希望をなくすのよ。もちろん上手に使えば、生きる気力・勇気を与えることだってできる。

・・・あなたの言葉を一番聞いているのはあなた自身なの。そしてあなたは誰の言葉よりも自分自身の言葉に強い影響を受けて人生をつくっているの。あなたは、実際にあなたが口にすることも、心の中で考えることもすべて聞いているわ。そしてそのすべてから影響を受けて自分の心というものは作られているの。あなたの周囲を満たす言葉の大部分はあなた自身の言葉なのよ。

・・・せっかく持って生まれてきた心であり、口でしょ。・・どうせ使って生きるのなら、人に勇気、元気、感動を与えたり、良いものを生み出すために使って生きた方がいいでしょ。もちろん、自分に対してもね。

・・・知っているだけでは最高の賢者にはなれません。つまり、この旅だけでは最高の賢者になることはできないのです。僕はただ賢者の教えを知っただけですから。これからが本当の人生の旅です。

・・・自分と出会うすべての人や出来事に対して、心から思わなければならない。『ありがとう』と。そして大切なことは、それを伝えなければならないということだ。

・・・感動させる側になって初めて、真の感動を十二分に味わうことができるのだ。これは感動に限った話ではない。

・・・真に学ぶ姿勢がある者にとっては、世の中のあらゆる人が師となり得るのだ。教えた側が賢者なのではない。学んだ側が賢者だったのだ。そして最高の賢者とは、誰よりも多くの人からいろいろなことを学べる素直な心を持つ人なのだろう。』

2022年5月29日 (日)

ウクライナ人だから気づいた 日本の危機 ロシアと共産主義者が企む侵略のシナリオ (グレンコ・アンドリー著 育鵬社)

今回のウクライナ侵攻ではなく、2014年のクリミア侵攻後に書かれたものです。この書籍の存在は知っていたのですが、今回2022年の侵攻後に初めて読みました。この書を読んでいれば、今回のロシアの苦戦は予想できたかもしれません。この書には、日本に対する重要な助言が多数記されています。しっかりと心にとめておきたいと思います。

『・・・ウクライナは国家としてしっかりしてなかったから、非常に弱くなりました。だから隣国のロシアは無防備だったウクライナを攻撃して、戦争になってしまいました。

・・・ウクライナに対して用いられたロシアの共産主義的手法は、今、中国によって日本に対して用いられています。その最も顕著な例が沖縄と尖閣諸島です。

・・・日本人が知るべきは「ロシアの本質」である。つまり、ロシアはどういう国か、ロシア国民は自国の歴史や国際情勢をどう認識しているのかなど、日本に直接影響し得る問題についてである。・・ロシアの歴史認識は大国意識に基づいている。過去にどんなにひどいことをしていても、それを正当化する。一切間違いを認めない。だからロシアは、過去に犯したすべての侵略を称賛するのだ。

・・・ロシア人は、自国が世界中から恐れられている、脅威として思われているということを、最も誇りに思う民族である。つまりロシア人がロシアに対して

世界に共有してもらいたいイメージは「尊敬」ではなく、「恐怖」なのだ。

・・・よく勘違いされるのだが、「ロシアは都合がいい時だけ約束を守るが、都合が悪くなったら約束を平気で破る」と言われている。そうではない。ロシアは最初から約束を守るつもりはまったくない。・・ロシアにとって約束というものは、相手を油断させる道具に過ぎない。

・・・自らが一方的に押し付けた契約ですら、ロシアは時間が経てば平気で破り、さらに悪い条件でガスを売ろうとしているのだ。

・・・日本文化が好きな人が多いからといって、その国は親日になるのか?答えはもうでている。決してそうではない。中国と韓国は、世界で最も過激な反日国家である。同じように、日本文化が好きなロシア人がいくらたくさんいてもロシアも反日国家である。・・彼らはあくまで日本のアニメだけが好きであり、政治的には反日であるということだ。・・日本はかつて、ヒトラーの味方であったため、政治的に日本に一切の配慮をするべきではないとも言っていた。

・・・中国とロシアは事実上の同盟国であり、経済関係も深いからである。ロシアにとって中国は第一の貿易相手でもある。ロシアと中国は切っても切れない関係なのである。・・ロシアも中国に経済面で大きく依存しているので、中国の拡張主義を抑止することに協力できない。

・・・これはロシアがよく使うやり方である。元々ロシアの権益がどこにもないところへ侵入してきて、権益の存在を主張する。そして、その後「妥協しよう」と言い出して、その権益の半分を相手に認めさせようとする。それは形としては妥協に見えるが、実際はロシアが一方的に権益を得るだけだ。なぜなら、そこにはロシアの権益は存在しなかったのだから。

・・・第一のポイントは返還の期限を設けないことである。そして、第二のポイントは立場を一貫して、全島全域返還という立場を崩さないことだ。・・準備を万全にして、機会をうかがうのだ。ロシアは将来必ず弱くなる。弱くなった時、実力で取り戻すか、実力を背景にロシアに全面返還を迫るのだ。それは十分可能の展開だが、その力を持てるかどうかは日本の頑張り次第である。・・深い入りせずに、国際的な礼儀だけを守り、適当に付き合ったらいい。ロシアの言うことには適当にうなずいておけばいい。だが、絶対に信じてはいけない。これは最も現実的であり、最も日本の国益に適うロシアとの付き合い方である。

・・・共産主義思想の根本的意義は周知のとおりであるが、あえて端的に再言及するとすれば、それは「私有財産の否定」と「伝統文化・信仰の否定」にほかならない。この共産主義は、世界に最も多くの悲劇をもたらした思想である。・・共産主義者は人の命にまったく価値を見出さず、目的のためならばいくらでも存在の抹消を正当化してきた。

・・・国内が一致団結しなかったため、民族が一丸となり赤い化け物に対抗することができなかったのだ。

・・・共産党幹部はウクライナの民族アイデンティティを徹底的につぶすことにした。そのために、そのアイデンティティを最も色濃く保っていた農民層の大量虐殺を起こした。この農民層を潰せば、ウクライナ民族を骨抜きにできると考えたのだ。そして、残されたウクライナ人を「ソ連人」として作り変えることが最終目的であった。・・文字通り一切の食料を没収されたので、明らかに農民を餓死させることが目的だったといえよう。しかも食料がなくなった地域から誰も逃亡せぬよう、道路も封鎖された。このような人工飢餓やその規模を隠ぺいするため、ソ連公式の見解では、不作のため限定的な飢餓が発生したとされている。人工飢餓の犠牲者数はまだ確定されていないが、当時の人口統計や出生率などの分析によれば、飢餓で200万人から600万人多死亡したと推定される。

・・・フルシチョフは、ソ連共産党ウクライナ支部に長くいたことから、ウクライナ人と誤解されることがあるが、民族的にはロシア人である。彼はウクライナイを担当していたころ、積極的にスターリンによる抑圧や虐殺に加担した人物だ。

・・・ウクライナはせっかくソ連から独立したときに受け継いだ強い軍隊の大部分を、主として経済的な事情と平和ボケの風潮により手放してしまった。そのた、め、ウクライナには抵抗する力がなかった。・・しかしロシアは、絶対服従しか認めるつもりはなかったので、ウクライナ新政府の交渉要請を一切蹴って、クリミア占領作戦を続けた。

・・・この事件の直後、マレーシア機はウクライナの戦闘機が撃墜したという説が出回った。一方、この直後、武装集団のリーダーの一人が、「ウクライナ軍用機を撃墜した」と非常に喜んでいる様子でSNSで投稿をしていた。ロシアのニュースサイトも、親露派勢力がウクライナの軍用機を撃墜したと報じた。しかし、数時間後、その投稿と、アカウントそのものが削除された。マレーシア機を撃墜したのがロシア正規軍の部隊であることは疑いようがなかった。なぜなら、非正規の武装集団が、地対空ミサイルシステムという複雑な兵器を扱うことが出来ないからだ。特別の訓練が必要なのである。つまり、これはロシア軍による誤射であった。

・・・ウクライナ国民の過半数はロシアが友好国であるという認識を持ち、現実として侵略が始まった時、驚愕した者が大多数だった。ロシアがウクライナを攻撃するなどということを信じたくない人は非常に多かった。

・・・現代の侵略のやり方とは、まず、侵略対象の国の協力者を利用して、混乱状態を作る。その後、その混乱を口実に正規軍を送るのだ。ウクライナ東部では、ロシアによってまさにそれが実行されたのだ。

・・・ウクライナが1991年末にソ連から独立した時点で、ウクライナ軍は次のような編成であった。兵士780万人/戦闘車両7000両/大砲7200門/軍艦500隻/軍用機1100機、そして1500発以上の戦略核弾頭と176発の大陸間弾道ミサイルという、当時世界第3位の規模の核兵器も保有していた。しかし、独立してから大規模な軍縮が始まった。・・見返りとして、「米英露はウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という内容の覚書だけを発表した。だが、覚書は国際条約ではないので、それを守る法的義務はない。実際の国際関係では、法的拘束力のある国際条約ですら守られていないことが多いという事実を踏まえれば、最初から法的拘束力のない「覚書」など守られるはずもない。

・・・1998年に未完成の航空巡洋艦ヴァリァーグが中国に売却された件は有名である。中国側が水上カジノにし、軍事的使用はしないと約束したが、ご存じの通り、その後、船が中国で完成されて、今は中国軍の空母、遼寧として稼働している。・・ヴァリァーグと同様に多くの船が外国に売却された。また、削文された船も多かった。

・・・最も大きな問題とは、この少ない予算であっても軍のために使われなかったということだ。軍の腐敗や堕落も甚だしいものとなった。軍や防衛省の中で、汚職と賄賂は蔓延し、軍の幹部は任務をはったらかしにし、私腹を肥やすことだけに専念した。

・・・2014年3月、ウクライナはロシアにクリミア半島を占領された。ロシア軍がクリミアを占領し始めた時に、ウクライナは武力による抵抗をせず、国際社会に対して、ロシアの暴挙を止めるように要請した。・・形としてはウクライナは100%正しい行動をとり、国際法に則り、正当な要請をした。それに対し、国際社会は声明を発表するという形で、ロシアの行動を批判し、クリミア半島のウクライナへの帰属を確認した。そして、ロシアに対して、直ちにロシア軍を栗見は半島から撤退するように要請した。しかし、実際にロシアの侵攻を止めるための行動をした国は一国もなかった。

・・・2014年4月以降、ロシアはウクライナ東部への侵攻を開始した。何もせずに国際社会に訴えることの無意味さに気付いたウクライナは、ようやく自分の手で抵抗を始めた。形骸化してしまったウクライナ軍を少しずつ復活しながら、血を流す戦いに臨んだ。そのようにしてやっと、自力で自国を守る覚悟を示したのだ。そうすると、国際社会の反応は少しずつではあるが、変わり始めた。・・それらすべてが可能になったのは、ウクライナが自分で血を流す覚悟を示し、最後まで戦う姿勢を見せたからにほかならない。つまり、ウクライナ人はちゃんと自分で戦っているから、支援する意味があり、その支援は無駄にならないという風に、西洋諸国が考え始めたのだ。

・・・「日本人は戦う意思がある」と見せかけなればならない。実際に国民は戦うつもりがなくても、それを隠して、日本人は一丸となって戦うつもりでいるというイメージを国際社会に見せて、国際社会を少しでも日本を支援する気にさせなければならないのだ。・・ウクライナは2014年3月に一度、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、それが幻想だと知った。日本はウクライナイと同じく愚かな期待をしてはならない。

・・・NATOは集団安全保障の組織であると同時に集団防衛の組織でもあるということだ。

・・・実際は集団安全保障が平和を維持している体制なのだ。日本における集団的自衛権行使反対の主張は、完全なでたらめであることをウクライナやヨーロッパの状況は明確に語っている。これも机上の空論や仮定、創造の話ではなく、実際に世界で起きていることなのだ。

・・・現代の戦争では、非戦闘諸国、国際社会が、当該の戦争についてどのような考えを持っているかが、勝敗を決める極めて重要な要素になる。・・ところが国際世論は必ずしも事実によって動くとは限らない。・・国際社会に伝えることが出来なければ、国際社会の場で評価されることはない。

・・・西洋諸国を始め、世界各国の国民はウクライナを支持しているとは言えない。なぜそのようなことが起きているのだろうか。それは、ロシアが繰り広げた巧妙なプロパガンダの結果である。ロシアは国家戦略として、全世界に向かって大々的な情報発信を行っている。そのために高額の国家予算を使っている。極貧者の人口が多く、下水道すら通っていない地域も多いロシアだが、対外プロパガンダの予算だけは毎年しっかりと確保してある。

・・・プロパガンダの一つ一つのデマは短期間の効果しかないということをロシアも承知の上だ。だから効果的なプロパガンダのために、次から次へと新しいフェイクニュースを作り出し、前の嘘が暴かれた頃には既に新しいデマが多く出回っているのだ。

・・・日本も情報戦において遅れをとり、それによって被害を受けている・・中国共産党や南北朝鮮政府を始めとする反日勢力が、史実に基づいていない虚偽を世界に拡散し、国際的に日本の印象を悪化させている。

・・・内政干渉もひどいものであった。ロシアは常に、ウクライナ国内におけるロシア語の使用について口出しをして、ウクライナ語ができない人がウクライナ国内ですべてのサービスをロシア語で受けられるように要求していた。

・・・現実のロシアの行動は、この期待と真逆であった。ウクライナがロシアの要求を呑めば呑むほど、新たな要求は突き付けられた。弱腰の姿勢はむしろロシアを調子に乗せて、要求の規模はエスカレートした。・・このように、独裁国家の理不尽な要求を呑んでも、最終的に攻撃を免れることはできない。むしろ、その要求を早い段階で断った方が、要求がエスカレートする可能性の上昇を抑え、相手の軍事行動を避けられる可能性が出てくるのである。

・・・ソ連崩壊後、ロシアはいくつかの戦争を起こしている。・・いずれの戦争も、ロシアは侵略者であり、首謀者である。・・民族紛争という形を取っているが、戦争を掻き立てて、実際の戦力をもってジョージアを攻撃したのはロシア軍である。

・・・侵略者はまったく違う理屈で動いているのだ。侵略者の理屈とは、「侵略を物理的にできるか、できないか。攻撃する力があるのか、ないのか」ということである。もし侵略者がそれをできると判断したら、攻撃するだろう。・・やるべきことの一つは、現在侵略で苦しんでいる国を支援することだ。侵略を受けている国を支援すれば、その国が侵略に対抗する力が強くなる。そうすれば、侵略者は現在の侵略で手一杯になって、次の侵略を断念するか、延期するかもしれない。

…なぜウクライナの軍隊は腐敗したのであろうか。最も大きな原因は、指導層や国民の多くが軍の重要性をわからなかったということである。つまり、ウクライナ社会はその時完全に「平和ボケ」してしまったのだ。当時、国民に広まっていた考えは以下のようなものであった。「軍は金がかかるだけ」「これからは平和の時代だ。戦争が起こるはずがない」「そもそも戦う相手がいない」と。だから、ウクライナ軍がだんだん衰退していくという状態について、ウクライナ国民が声を上げなかった。

・・・平和ボケとはどの国、どの社会にでも起こりえる現象なのである。・・平和ボケとは、平和が長く続くと自然に現れてくる現象である。

・・・明らかなロシア工作員がウクライナ防衛大臣を務めたのだ。

・・・ロシアが、ウクライナは反撃できないと確信していたからこそ、侵略を強行したのだ。

・・・実際は日本の周りに、中国やロシア、北朝鮮や韓国がある。その中で、韓国とロシアは、既に日本の領土を何十年も不法占領している。また中国は日本に対して不当な領土主張をしているだけではなく、日本全体を支配しようと、さまざまな工作をしている。

・・・一国の軍事力が強ければ強いほどその国が攻撃される可能性が低くなる。だから、平和を維持し、戦争を防ぎたいのであれば、軍事力を強化するしかない。

・・・共産主義は、基本的人権、平等、自由などを尊重する民主主義国家とは相いれないものであると定められ、その理由で共産主義が禁止される。

・・・今はソ連もナチスドイツも悪であり、ウクライナはその二つの化け物の犠牲者だったという史実に基づく見解が広まっている。

・・・正教会は、カトリックやプロテスタントに並ぶキリスト教の一大宗派だ。正教会が主流であるすべての国には、・・それぞれの正教会がある。ロシア正教はその一つなのだ。・・正教会の仕組みは、最上位がコンスタンディヌーポリ総主教庁で、

・・・日本の自虐史観の大きな柱は「日本は植民地支配をした」「日本は侵略戦争を起こした」の二つであろう。まず、一つ目についてだが、日本は植民地支配をしていない。台湾と朝鮮は日本に征服されたのではない。朝鮮はロシア帝国に支配される寸前というところで、日韓併合が実行された。日本は朝鮮を過酷なロシア支配から救ったといってよい。ましてその支配は植民地どころか、優遇とすら言える。・・本土と同水準の教育を与えただけでなく、ハングルも広めて朝鮮語そのものを発展させた。

・・・日本は「侵略戦争」を起こしていない。侵略戦争とは、領土や権益の拡大、もしくは資源の獲得のために、当該国が自分の意志で開始する戦争である。しかし、日本はそのような戦争をしていない。支那事変も日米開戦も、ソ連の謀略の結果である。・・もし日本に大東亜戦争において責任があるとしたら、それはソ連の謀略を見抜けなかったことである。

・・・国際社会では、正しい事実を訴えればわかってくれるとは限らない。そういった心情面にも十分配慮して情報発信をしないといけない。

・・・もちろん、不可能を可能にするには、多くの努力を重ねる必要があるのだが、意識が変われば、日本の核武装だって、国連の常任理事国入りだって可能だ。

・・・残念ながらよくならない。自衛隊を明記しても、戦力の不保持と交戦権の否定はそのままであるからだ。だから、この改正案は現状を少しも改善しないにもかかわらず、次の改正の可能性を非常に低くしてしまうため、筆者は有害だと考えている。

・・・反対意見が優勢の場合は、様々な形で情報発信を行い、今の世論を変えようとするべきだ。そのために政治家や言論人、オピニオンリーダーというものが存在する。・・「何が何でもとりあえず憲法改正をすれば、日本は良くなる」という考え方は、左翼が言う「憲法改正すれば戦争になる」と同じぐらい現実とかけ離れたスローガンではないだろうか。大事なのは「何が何でもとにかく憲法改正だ」ではなく、「どの条文をどう変え、それによって今の日本はどの点でよくなるのか」ということである。

・・・再軍備は憲法改正より重要だ。なぜなら、実際の国力となっているのは軍事力で、憲法の条文ではないからだ。どんなに立派な条文であっても、もし軍事力という「中身」が弱かったら、国を守ることはできない。

・・・数百名の日本人が北朝鮮に拉致されていると言われている。これはとんでもない犯罪であり、主権侵害行為である。しかし、日本は自国民を拉致されても取り返しに来ない。日本は、他国に侵された自国民の人権を守ることが出来ない国である。・・世界中のほとんどの人が、日本人が何百人も北朝鮮に拉致されているという事実を知らない。国際世論を味方につけるには、その事実を知らせる必要がある。

・・・外国人労働者受け入れは、間違いなく将来大きな社会問題となる。これを労働力不足問題の解決策として考えてはいけない。外国人は、異なる文化や世界観の持ち主であるので、日本に既にある文化や生活様式と相いれないものが多い。ヨーロッパの例で分かるように、何れ混乱や衝突が生じる。外国人の定住は、日本の社会に溶け込む意思のある外国人のみ認めるべきである。・・正しい思考は、「移民はいらない。しかし少子化は深刻な問題だ」ということだ。この二つの関係ない問題を分けて、少子化問題の解決に取り組むべきだ。・・人口減少そのものがはるかに大きな危険性を持っているという事だ。その理由の一つとして、日本国全体の国力衰退が考えられる。つまり人口とともにGDPも減少するという事だ。・・二つ目は、さらに恐ろしい展開だ。すなわち人口減少の傾向が一度軌道に乗ってしまえば、それは止まることなく、出生数は下降の一途をたどるということである。

・・・外国人観光客への過度の期待は禁物だ。なぜなら、外国人旅行者を商売の対象にすることによって、依存性が生じるからだ。・・最初から外国人の需要を計画に入れると、その外国人需要がなくなった場合は、商売が成り立たなくなる。

・・・国際法上、他国の軍用機に領空侵犯された場合は、撃墜可能である。しかもその時期、ロシアによるトルコへの領空侵犯は頻繁に起きていた。だから、トルコは我慢しきれずに10回以上の警告を繰り返したのち、撃墜を実行した。このトルコの行為に問題はない。しかしその後、ロシアは多面的な圧力をかけて、特に、ロシアの観光客にトルコに行かないよう呼びかけた。トルコの観光業やホテル業は、かなりロシア人旅行客を当てにしていたため、2016年にトルコの観光業は大きな打撃を被ってしまった。1年後、トルコのエルドアン大統領はなくなったロシアの搭乗員の遺族に謝罪した。

・・・チベットやウイグルは中国によって既に国家の体をなしておらず、全土が中国に支配されており、自国では抵抗が極めて困難な状態にある。国際社会の助けが必要なのである。では、日本は何をするべきなのか。少なくとも中国の暴挙を糾弾して、国際社会に対してチベットやウイグルの虐殺について積極的に継続して情報発信をするべきである。・・「できるが、しない」というのは「事なかれ主義」だ。やるべきことを、できるところからやるのが「現実主義」である。

・・・実はほとんどの動物の寿命はおおよそ人間の三分の一から四分の一である。そのため、体にたまった放射線による影響が現れる前に、寿命が尽きてしまう。だから、動物は元気な生活ができるのだ。むしろ人間がいない分、動物にとっては他の地域よりいい環境かもしれない。

・・・脱原発を叫ぶ「進歩主義」を名乗る人たちは、実は強烈な「後退主義者」なのだ。・・「脱原発」「反原発」を主張している日本人たちに言っておきたい。まずは自らが文明的な暮らしをやめて、洞窟へ行けばいかがだろうか。私たちから見たら、この恵まれた豊富な電力が十二分に安定供給されている日本で、あなた方の主張にまったく説得力がない。反原発の運動家は、人類の安全や、環境、市民の暮らしについては一切考えていない。

・・・日本と似たような歴史を持っている国は世界で他にない。神話時代から現在まで歴史が続いている国はない。2679年も同じ王朝が続いている国はない。連綿と、おおよそ同じ領土で、同じ民族が同じ言葉を反して、一度も他国の一部になったことがないのは、日本だけである。

・・・左翼は、伝統の重要性を皇室の尊さを理解できないのだ。左翼知識人にも非常に頭のいい人はいる。しかし、彼らは自分だけの知恵に頼り、先人の智の集積を重視しない。私は、日本の皇室は日本だけではなく、全人類の宝物であると思う。さまざまな悲惨なことが起きている今の世界は、日本の皇室のような、何千年も続く尊いものを求めているのではないだろうか。

・・・日本が外国との戦争に敗北したのは歴史上、3回ある。白村江の戦(663年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1590年代)、そして、大東亜戦争(1941~1945年)である。2679年の間にたったの3回。これも世界で他に例のないことであろう。

・・・白人以外で初めて近代化に成功した日本は、他の有色人種にとっても近代化の道しるべとなった。日本の成功があったからこそ、他の有色人種も白人に劣っていないことに気付き独立と発展を目指す動機となった。

 

・・・日本の再軍備を妨げているのは事実上、日本の世論と、それに縛られている指導者の根性のなさのみである。

・・・世界平和をもたらすには、平和主義を実行している国が世界のリーダーにならなければならない。もちろん、それは左翼が主張しているような空曹平和主義ではなく、正当な力に基づく本当の平和主義でなければならない。正当な力に基づく平和主義を実行する国が、世界に平和主義の模範を示し、凶暴な国や勢力を抑えるのが理想である。・・平和主義とは、戦わないという事ではない。自国に対する脅威がある時、攻撃される時には戦わざるを得ない。しかし、自分から戦いを挑む、必要のない戦いをする、または欲に基づいて誰かを攻撃するようなことをしてはならない。

・・・議論する時には、誰も否定できない「事実」に基づくことが有効です。』

2022年5月16日 (月)

防衛事務次官 冷や汗日記 失敗だらけの役人人生 (黒江哲郎著 朝日新書)

官庁の事務次官まで務めた方の著作です。個人的にも存じていますが、本当に腰が低いのですが、信念をもった聡明な方だと感じていました。本著作にも、ご本人の人柄があちこちに感じられました。失敗を含む自分の経験を後世に役立ててほしいという思いも感じました。

『・・・部隊指揮官のレベルではなく総理や防衛庁長官が自衛隊の行動についてどうやって意思決定するのか、という点こそが課長の問題意識なのではないかと思い当たった

・・・どんな仕事にもストレスはつきものですので、上司の言動で過剰なストレスを上乗せするべきではありません。その意味で、やってはいけないことの典型がパワハラ・セクハラです。・・組織を管理する立場の者は十二分に注意を払わなければなりません。

・・・畠山先輩は持ち前の飾らない気さくな性格と率直な物言い、そして何よりも仕事に対する真剣な姿勢から、すぐに防衛庁に溶け込み、内局職員のみならず各幕の自衛官の信頼をも得るに至りました。「自分は大蔵省からきて防衛に関する知識が乏しいので、自分の発言に素直に従われるとかえって不安になる。反論してくれる方が有難いので、どんどん議論してくれ」というのが口癖でした。その言葉通りにブレーンストーミングを奨励し、自ら積極的に発言するだけでなく、課長も部員も、時にはもっと若い係員の意見も分け隔てなく扱ってくれました。

・・・揺れる車内でわざわざ小皿に醤油を注いで出そうとした時点でアウトでした。これから表敬や国会審議に臨まれなければならない大臣の服を自らのうっかりミスで汚してしまったということで、当時まだ30代だった私はパニックを起こしかけました。・・衛藤大臣は全く動ぜずに何事もなかったかのようにそのまま表敬に臨まれ、国会へ戻られました。

・・・大臣から沖縄県議会のある議員へ電話をつなぐよう指示されました。当時携帯電話はさほど普及しておらず、総理公邸の固定電話で沖縄県議会へかけようとしたのですが、ボタンが多く複雑でなかなかうまくいきません。四苦八苦していると、なんと見かねた村山富市総理ご自身が懇切丁寧に電話のかけ方を教えてくださったのです。総理が気さくな方で本当に助かりましたが、日本国内閣総理大臣に電話のかけ方を直接教えてもらった秘書官はそういないのではないかと思います。

・・・総理がつかつかとやってこられたかと思うと、まっすぐに私を指さし、委員会室に残っていた人たちが一瞬静まり返るほどのものすごい剣幕で「秘書官、そういう情報はすぐに大臣に上げなきゃダメだ!」と怒鳴ってから立ち去って行かれたのでした。・・今は貴重な経験だったと笑って振り返ることができますが、大臣の目の前で総理に怒鳴りあげられたのは心理的に結構大きなダメージがありました。

・・・英国民は今も大英帝国的な意識を持ち続けており、国際社会のリーダーとして世界平和に責任を負うのは当然だと考えていることに気づきました。

・・・この時には、生意気な言い方ですが、「こういう場面で他人の助けを期待してはいけないのだ」と悟りました。

・・・「君、こんなわかりにくい説明じゃ国民には全く理解できないよ」と小泉総理ご自身からたしなめられたこともありました。政治家である総理や大臣の答弁は、使い手の立場に立って考え抜いて作るべきであり、事務方の常識に漫然と従って書いてはならないということを痛感させられた出来事でした。

・・・古川貞二郎内閣官房副長官(事務担当)は、かねがね「官邸内には五つの山がある」とおっしゃっていました。五つというのは総理、官房長官、衆・参の政務の官房副長官、それに事務の官房副長官です。事務の副長官以外は全て政治家ということもあり、必ずしも総理を頂点とする一つの山とはなりません。それぞれの山が違う意向を持っている場合には、官邸としての合意形成に大いに苦労することとなります。

・・・こういうイデオロギー的な課題には、国民意識を踏まえた政治判断を下してもらう必要があります。そのために役人がすべきことは、大義を信じ、情熱をもって政治家に訴えることです。

・・・行事は計画通りに進むのが当然だと思われており、問題なく終了しても誰も褒めてはくれません。他方、何か不手際があると、迷惑をかけた相手方からばかりでなく省内幹部からも叱責されることになります。相手方とのトラブルが長引いてしまっても、もちろん誰も助けてはくれません。行事の運営はなかなか「割に合わない」仕事なのです。

・・・最後の受診で鍼治療を受けてその劇的な効果に驚かされました。鍼を打たれて15分ほどベッドにうつぶせになっていただけで、最後まで腰に残っていた鈍痛が嘘のように消えてしまったのです。東洋医学の効果を実感し、心から感謝しました。

・・・「防衛庁関係者が私一人しかいないのだから、自衛隊関連の質問には全て私が答えるものと期待されているのだ」というごく当然のことに気づかされました。もちろん、間違ったことを答えてはいけませんが、自信がなければ「正確な資料を持ち合わせていないので間違っていたら後刻改めて訂正します」と留保をつければよいだけのことです。それ以来、部外の会議に出席する時には、自分の所掌外の質問であったとしてもできる限り答えようと努力するようになりました。

・・・ポジティブ・コミュニケーションの中で、相手に不快感を出ださせないための代表的な技が「Dことばのタブー」です。・・「ですから」と「だからですね」という言葉を使うたびに、確実に会議の雰囲気が冷えていくのです。・・「Dことば」とは対照的に、サ行の言葉には相手の気分を上向かせる効果があります。・・「さ」=「さすがですね」、「し」=「知りませんでした」、「す」=「凄いですね」、「せ」はやや苦しいのですが、「センスありますね」、そして「そ」=「そうなんですか」

・・・井上局長は日頃から現場に赴いて自分の目で見て考えるというスタイルを大事にされており、・・自らレンタカーを運転して米軍基地エリアを見て回ったという逸話の持ち主でした。・・ここぞという時には、臆せずにリアリティに基づいた直球で押す正攻法が効果的です。

・・・当時上司だった江間清二官房長(のちに事務次官)が、「記者との接触を怖がる必要はない。マスコミと付き合う際に大事な点は、記者が知りたいことを隠すのではなく、知りたいことを正しく伝えることだ」と教えてくれたのです。・・要するに、味方を増やしたいと思ったら自分たちの考え方を正確に理解してもらうことが第一歩であり、かつ最も効果的だということです。・・記者と良好な関係をつくり、政策を丁寧に説明して正しく理解してもらい、内容を正確に報じてもらうよう心掛ける必要があります。

・・・人と人との付き合いには日本人も外国人もなく、本音を語り誠実に対応していれば相互理解は深まるということを実感した

・・・事柄の重大性を考えれば、詳細は後日改めて報告することとしていも、第一報だけは大臣・総理の耳に入れておくべきだった、というのがポイントでした。

・・・昔「ミスター防衛省」と言われた西廣時間が国会答弁に臨む姿勢について語っていたのを思い出しました。彼は、「特にテレビ入りの委員会は、視聴者の印象が大事なんだ。下を向いて答弁資料を読み上げてばかりいたら、答えが正しかったとしても議論には負けているようにしか見えない。そうならないため、気合負けしないように質問者の顔をクァッとにらみつけて、絶対負けないという気持ちで答えるんだ」と言っていたのです。

・・・平和安全法制は各界から厳しい批判を浴びましたが、「存立危機事態」のような極限状態において国が生き延びていくためには、必要なことは何でもやらないといけません。防衛行政に携わってきた者としては、この法制により法的基盤が整い、極限状態に対応するための政策の選択肢が広がったことを率直に喜ばしく感じるのと同時に、強い緊張感で身が引き締まるのも感じました。・・今後はこれまで以上に我が国を取り巻く安全保障環境に気を配り、緊張感をもって対応しなければならなくなったのです。防衛省・自衛隊の真価が問われる段階に入ったということだと思います。

・・・私の言いたい「3K職場」とはこれとは違います。その「3K」とは、「企画する(考える)」「形にする(紙にする)」「(関係者の)共感を得る」という三つのKのことです。

・・・上司としてお仕えしていた古川貞二郎内閣官房副長官(事務担当)から「いずれ幹部になろうとする者は、自ら責任を負う覚悟を決めておかなければならない」と言われました。・・古川副長官は、「若いうちから自分よりも2階級上の上司が何を考えてどう判断するのかをよく見ておくことが役に立つ。2階級上の上司は、君には見えないものが見えるし、手に入らない情報にも触れられるから、君とは異なる見地から判断することが出来る。それをよく観察して、自分がそのポストに就くための準備をしておくといいうことだ」とおっしゃいました。普段から意識を高く持って準備しておけば、自然に覚悟も身につくということだと思います。

・・・私の調整相手はみな10年以上年次が上の先任や班長で、しかも多くは「余計な仕事はしない」という強固な意志と理屈で武装していました。こういう人たちに資料作成や議員説明をお願いし引き受けてもらうのは非常に骨が折れました。さらに、文書課の先任部員を務めた時には、答弁作成の割り振りで揉めた時(通称「割り揉め」)に関係者を集めて引導を渡すという嫌な役回りも経験しました。こうした業務を通じて、仕事から逃げようとする姿勢がみっともないだけでなく、本人にとっても組織にとっても有害だということがよくわかりました。

・・・若い人たちに喧嘩を奨励するつもりはありません。しかし、冷静に考えてどうしてもおかしいと思ったら、相手が先輩でも正々堂々と(敬語で)反論すればよいと思います。独りよがりではいけませんが、正当な反論はプロフェッショナリズムの表れでもあります。

・・・職業人たるものは、同僚や部下、家族に対して思いやりをもって接しなければなりません。同僚や部下への思いやりは職場の雰囲気を明るくし、職員の士気を向上させます。・・乱暴な指導が横行している職場はピリピリして雰囲気が暗く、職員は疲れ切っていました。逆に、雰囲気の明るい職場は風通しが良く、職員の士気も高くてよい仕事をしていました。実は、そうした対照的な職場の差は、ほんの些細なことなのです。上司が職員に対してほんの少し思いやりを示し、言葉にして口に出すだけで、雰囲気は大きく変わります。

・・・私の郷里・山形県出身の詩人、吉野弘さんが作った「祝婚歌」という素敵な詩を朗読してくださったのを聞いて、私は思わず膝を打ちました感銘を受けったのは、詩の中の次の一節でした。 正しいことをいうときは 少しひかえめにする方がいい 正しいことをいうときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 

・・・伝える相手や状況によっては追い込む方が効果的な場合もありますが、私の経験からすると、たいていの人は展望を感じさせる前向きな言い方をされる方がやる気も元気も出るのではないかと感じます。

・・・中学や高校の同窓生との交流は、殊の外大切にしていました。定期的に開かれる同窓会や恩師を囲む会、有志による郷土名物の「芋煮会」などは、災害対応や行事対応で参加できないこともありましたが、顔を出せば必ず心がリフレッシュされる貴重な機会でした。忙しい時期は、職場の人間関係に閉じ込められて誘致な気分になりがちです。そんな時こそ職場から離れた交友関係が大切だと感じます。

・・・問題を過小評価した上に冷静さを失って判断を誤り、自ら問題を大きくした結果、大臣をはじめ多数の関係者に多大なご迷惑をおかけした・・あえて一言で総括すれば「謙虚さを欠いていた」ことがこの失敗の最大の原因だったように思います。

・・・しかし、父が私の防衛庁入庁に強く反対したのです。‥父は「お前が自分自身の命を懸ける自衛官になろうというのなら百歩譲って理解するが、文官になって他人を戦争に送り込むような仕事をするのは絶対に許さない」と言い出しました。・・辞職した後、当時防衛大学校長を務めておられた國分良成先生から「もう一度人生を送れるとしたらどんな職業を選ぶか」と問われました。その時は即答できませんでしたが、考え抜いた末にたどり着いた結論は「やはり防衛省の役人を選ぶ」でした。』

2022年5月 8日 (日)

古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 (甲野善紀著 山と渓谷社)

著者は古武術で著名な方です。私もそろそろ老境に入りつつあり、興味をもって読んでみました。若い時とは異なる観点もあり、若い時のままの観点もあり、参考になりました。また、年をとっても上達できる武術について、改めて関心が高まり、かつてやっていた武道を再開してみようと思っています。

『・・・ずっと研究していれば、「人間はどういう感覚を、どう使って動くのか」といったことが次第にわかってきて、技も月単位、時には週単位で改良されていくのです。

・・・大事なのは、単なる力の強さや反射能力といったことではなく、身体全体の使い方であり、また「表の意識」を消して、私が「もう一人の自分」と呼んでいる「裏の意識」とでもいうものによって身体の運用を行う、といった研究工夫を常にし続けることなのです。

・・・日本の武術は、「夢想剣」に代表されるように、「我ならざる我」が技を行うことが昔から理想とされています。

・・・自分自身が今までに培ってきた経験を基に、社会に、あるいは周囲の人々に対してそれなりの能力を発揮していれば、邪魔者扱いされることなく、大事にされるはずです。

・・・私にしてみれば、他人から生きがいを与えられるなんて人として一番恥ずかしいことのように感じますが、周りが「生きがいを」と言わざるを得ないほど、現在、少なからぬ数の高齢者が、そういわれても仕方のない状況にあることも事実でしょう。

・・・思えば、昔の長老や古老といわれた人は、特別に保護されて高齢になったのではなく、さまざまな環境を乗り越えた末に高齢になったのであって、何かあったときに若い人たちの力になれるような知恵が身についていたのでしょう。それに引き換え今は、守られて当然という厚かましい老人が増えているように感じます。・・やりたいことがいろいろとあり、年をとっても魅力的に活動できているのは結構なことですが、同時に「いつ死んでも悔いはない」という覚悟、例えるならば、植物が花を咲かせ、実を実らせて枯れていくように、自分の死を自然の流れとして受け入れていける心境が育つことは、人として重要なことだと思います。

・・・散々考え抜いた末に辿り着いた結論が、先にお伝えした「人間の運命は完ぺきに決まっていて、同時に完ぺきに自由である」ということであり、それが、武術を始めるきっかけにもなったのです。・・私が解き明かしたかったのは、「運命は決まっていると同時に自由であるとは、いったいどのような構造になっているのか」ということです。

・・・現在はというと、生活においても仕事の場面でも、身体を使う機会は劇的に減りました。それに伴って、繊細な身体感覚、上手に身体を使う技がずいぶん失われているように感じます。

・・・子供たちにとっては、特に0歳から1歳くらいのネイティブな感情や缶買うがどんどん育まれるときに、入るべき情報がなかったら、その子たちの成長がどうなるのか、まったく予測のできない問題が生じるのではないか思う

・・・「三脈の法」は「三脈探知」とか「吟味」などとも呼ばれ、修験者や一部の武術家らの間に伝わっていたもので、三つの脈を抑えて、それらがずれていないかを確かめるというものです。・・普段は同時に打っている三か所の脈がもしずれていたら、それは身体が危険を知らせているということです。

・・・筋トレで効果を上げようとする人は、早く疲れたい願望があるように感じます。筋肉に早く負荷をかけて早く疲れさせよう、これだけ疲れたのだから筋肉が刺激されて太くなるだろう。そんなふうに「早く疲れよう、早く疲れよう」として筋肉に負荷をかけていると、確かに筋肉は希望通りに太くなります。ですが、早く疲れるというのは、身体のある部分に多くの負荷をかける「下手な身体の使い方」なのです。下手に身体を使い、筋肉を太くすることで、うまく身体が使えるようになるわけがありません。・・その点仕事は違います。仕事であれば、当然、疲れるためにやっているわけではありませんから、なるべく疲れずに効率よくやろうとします。ですから、子どものころから家事労働を行っていた時代には、おのずと、上手に身体を使えるようになったのです。昔の力士が強かったのは、農作業や山仕事など、仕事で作った身体がその基礎にあったからでしょう。

・・・部分にかかりそうになる負荷を身体全体でうまく受け止めて、部分が負荷を感じないようにする。そして、筋肉の緊張と弛緩のグラデーションが速やかに変化するようにする。それが身体を上手に使うということです。・・ところが筋トレで作り上げたような大きな筋肉というのは、緊張から弛緩へ、弛緩から緊張への速やかな変化が決して得意ではありません。

・・・細かく筋肉が分かれて発達したころによって、目まぐるしく緊張と弛緩を切り替えることが可能になり、前述のような信じがたいほどの動きが可能となったのでしょう。

・・・役に立つ筋肉をつくり、動きの質を高めるには、「今行っていることが自分にとって高い必然性がある」ということが、最も重要です。・・力だけでなく働きのある筋肉をつくり、身体をうまく使えるようになるには、単なる筋トレではなく、興味をもって取り組めるもので、必然性を感じながら身体を動かすことができる状況が不可欠だと思います。

・・・肥田翁は「この頭脳の澄み渡って如何なる宗教的哲学の真の真まで見極めることが出来たのは(肥田翁にはそういう自信があったようです)何たる幸福であろうかと今迄思っていたが、その頭脳の透徹がその反面に、非常な苦悩を伴うものであるということが今になって分かった」と、最晩年の亡くなる一か月半ほど前に述懐されています。それは、これからはるか先の世界が、まださまざまな混乱や争いがなくなっていないことをハッキリと感じ取り、絶望感にさいなまれたからのようです。

・・・20年以上もの間、起きているときは片時もカードを手放さず、手で触り続けて訓練したそうです。トランプには赤と黒のカードがありますが、「赤と黒では温かさが違う」とのことです。

・・・ただ丸紐を身体に巻くだけで、普段よりも強い力が出せたり、動きがスムーズになったり、身体の痛みが和らいだり、誰でもすぐに効果を実感することが出来ます。・・ただ言えることは、紐を感知することで、身体の各部位があるべき位置を確認し、身体各部のつながりがよくなり、自ずと身体をうまく使えるようになるのだと思います。・・「紐を緩く巻く」ことが大切で、ギュッときつく巻くと、紐を巻いていない時と同じように力を発揮できなくなります。・・また一人の例外もなく、丸紐か、丸紐を鎖網した紐でなければダメなのです。

・・・専門性が、かえって新しい技と取り組むことの邪魔をしているのです。

・・・目の前に起こっていることは同じなのに、なぜ怖さを感じなくなるのでしょうか。それは、手と指を、私が「蓮の蕾」と名付けた形にすることで横隔膜が縮み上がることを阻止するからです。・・横隔膜が上がらないように身体をもっていくと、目の前に起こっていることを、ただ「目の前で起こっているな」ととらえるだけで、怖さや不安を感じることが出来なくなります。

・・・紐は、根本の原因である「身体の使い方」を全身に強調させる使い方に導く働きがあるようです。ですから、紐を巻くだけで楽になるのでしょう。

・・・やけどをしていない部分を入れても耐えられる程度の熱さの湯にやけどした部位を浸して温めると、冷水で冷やすよりも、はるかに早くきれいに治るのです。

・・・傷口から染み出る体液には、傷の修復や皮膚の再生を促す成分が含まれているので、乾かすことで傷の治りが遅れます。消毒しない、乾かさない湿潤療法は、湿った環境を保つことで、細胞がどんどん活発に再生してくるのを促す治療法なのです。余計なことは一切せず、もともと身体に備わっている回復力や再生力を促そうという、ごく単純なことです。

・・・冷え性の人は、下半身は素肌状態で寝た方がかえって身体は温まる、ということもあまり知られていないことの一つです。特に大事なのが、太腿を布で覆うようなもの、つまりはズボン状のものははかないということです。・・特に重要なのが、左右の太腿が直に触れ合っていることだそうで、そのためズボン状の寝巻はおすすめできないのです。

・・・なぜゴム紐がよくないのかというと、どんなに緩いゴムだとしても、持続的に圧をかけ、伸びたり縮んだりすることで絶えず皮膚に働きかけてくるからです。皮膚にとっては絶えずワーワーという騒音を聞かされているような状態になるのでしょう。

・・・武術は、対応の一つの雛形を追及するものです。スポーツのように人が作ったルールに則って対応するのではなく、心身にもともと備わっているルールを駆使して対応を工夫するものであり、まさに「どう対応していくか」が常に問われます。だからこそ、武術での気づきは、日常生活の中で「どう対応するか」にもいきます。

・・・「倍返し、倍返し」で印象付けておいて、サッと帰るわけです。多少のお金はかかりますが、向こうは何かきっかけをつくって入り込んでこようとしますから、後々のややこしいことを未然に防ぐには、こういう時にケチってはいけないのです。

・・・健康やダイエットなどを目的に食事量を減らせば、我慢することになるため、ストレスが大きくなります。・・身体に「どんな状態化」を問いかけ、自分の身体と向き合って食事をするようになったところ、本当に量が減ってきました。・・私が実感したのは「この先、自分が面倒な病気というか、体調が悪くなった時、少しずつ食べる量を減らしていけば、本当に静かに安らかにこの世を旅立てるな」ということです。

・・・昔から米を主食としてきた日本人には、米食に合った腸内細菌がいたことは間違いありません。・・同じ食べ物を食べても、「その人がどういう腸内細菌をもっているのか」によって、栄養効率は全く異なるということです。・・性格や思考といった心理的な面も、腸内細菌によって左右されるといいます。

・・・特に人間を対象とした医学や体育に、心理的要素を除いて考えること自体、おかしなことです。なぜなら、人が生きているということは、常に心理状態と切り離して考えることが出来ないからです。・・人間というのは、同じ行為でも、どういう心理状態で行うかによって身体に与える影響は非常に異なるものです。

・・・私は、大人が子供たちに言えないようなことはやるべきではないと思います。・・イスラム教では動物の肉を食べる際、その動物が苦しみを最小限で殺されたかどうかを問題にしていますが、これは人として当然の配慮だと思います。

・・・組織をカッチリ作るよりも、緩いつながりのほうが、むしろ気持ちの面では深くつながることができるのではないでしょうか。・・解散してからのほうが、稽古会に参加する人の実力も上がり、そうした人たちの研究も深まり、それを私に紹介してくれるので、私自身の技の研究も進みました。

・・・私の稽古会では、・・学んでいる一人ひとりが、“自分流”の開祖になることを目指して稽古を行っています。・・一緒に稽古をしながら、ともに原理を考えるという、共同作業をやっている感じが、人が育つのには一番有効なのだと思います。・・飛行兵が飛行機に乗る相棒として操縦を教えることになったときのこと。教えるほうも、少年が一刻も早く覚えてくれなければ困るので、偉そうに教えるわけではなく、親身になって教え、少年のほうも憧れの飛行機に乗れるということで熱心に学び、驚くほど短い期間で操縦できるようになったそうです。

・・・「それぞれが自分流の開祖になってくださいね」と言っているので、他のできる人を嫉妬しないで済みます。上手な人を妬むのではなく、素直に参考にするからでしょう。他人の優れた技は自分を完成させるための大事な資料になるわけです。・・講道館柔道の開祖である加納治五郎師範の晩年は門弟同士の嫉妬や足の引っ張り合いの調停にずいぶん骨を折られたそうです。・・各自が自分流の開祖を目指せば、できる人を素直に認められ、面倒な組織内での勢力争いや、ややこしい人間関係は生じません。

・・・「老境との向き合い方」について私に言えることがあるとすれば、・・「陣減にとっての自然を考える」「人が生きているとはどういうことかを考える」ということに尽きるような気がします。』

2022年5月 1日 (日)

ヨガの教えと瞑想 (岡本直人著 Amazon Service International)

長く雑事に紛れて更新していませんでした。

気にしていただいた方々には、本当に申し訳ありませんでした。今後は適宜更新していきます。

さて、本書はAmazonの電子書籍でしか読めないようですが、これまで私が坐禅をしながら疑問に思っていたことのほとんどに答えてくれるものでした。この教えを参考にして、坐禅を続けていきたいと思います。

『・・・ラージャ・ヨガで想定している瞑想は長い時間座ることを前提いるので、そのための準備が欠かせません。例えば、結跏趺坐で長い時間座ろうと思えば、足首の柔軟性や上体をまっすぐ支えるための筋力をつけておく必要があります。このために、瞑想に取り組む前にヨガのポーズを練習しておかなければいけません。

・・・日常生活を見直し瞑想に向く落ち着いた心を養っていきます。・・外的な印象によって心は動揺するので、これらを自分の感覚器官から遠ざけるようにすると欲望は起こりづらくなります。具体的に言えば、欲望が生じる物を見ないとか、そういった場所に行かないようにするのです。また、瞑想中はできるだけ微細な感覚、呼吸をするときに空気が鼻を通過する感覚や、体に感じるかすかな風や体温などに集中すると良いでしょう。

・・・心はあなたのものではない・・ヨガの教えでは、この「私とは何か?」を理解することが悟りだとされている

・・・ヨガの教えでは、この二つは私でないと考えるのです。では何が私かと言えば、心や体を認識している「意識」が私なのです。・・ヨガの教えでは心や体を見ている意識が私の本質であり、心がその中で働いていると考えます。・・この顔や体はこの人生のものですが、死ねば私たちはこの肉体から離れ次の体へと移っていきます。

・・・私たちは本当に自分の意思で自由に心を動かしていると言えるでしょうか?具体的に考えてみましょう。・・私たちは自分の心をそれほど自由には扱えていない・・瞑想とは自分の思い通りにならない心を思い通りに使いこなすということが一つのテーマ

・・・心には欲望という心の働きがあります。・・欲望は私たちの心の大きな要素ですが、心の性質が欲望だけかといえばそうではありません。・・心には欲望を抑える思考の働きもあります。

・・・思考の不必要な働きが心の問題を起こす原因であると考え、思考の働きを制御することに注目・・思考を制御する目的は、必要な時は集中して使う、必要でない時はできるだけ止めておくということです。

・・・何か聖典のようなものを読むときにも、それが理論的に正しいというより、直感的に自分の胸の内で深く納得させられることがあります。・・これらの心の動きは生まれてから獲得するわけではなく、すでに備わっているものの想起であると考えたのです。このような心の働きを、日常生活の中で使う知恵と区別して、智慧という難しい呼び方をします。・・智慧のような高い心は私たちを本当の幸福に導いてくれるもの、欲望のような低い心は常に移ろいやすく、身体的なものであり、喜びが起きたと思えばすぐ失われてしまうものです。思考はその中間にあって、智慧のためにも使えますし、欲望のためにも使えます。・・ヨガという実践においては、智慧を実現するために思考を使わなければいけません。

・・・思考の働きは私たちの生活に必要不可欠なものですが、一方で思考は様々なストレスも引き起こしています。・・思考は自分の意思に反して勝手に動いています。・・考えたくないことに対しても思考は引き寄せられてしまうからです。

・・・私たちは常に思考のフィルターを通して世界を見ています。・・しかし、思考が作り出すストーリーはそれほど正確ではありません。

・・・意識とは言わば映画のスクリーンのようのものです。私たちはこの意識のスクリーンに様々なものを映し出して生活しているのです。

・・・心は私のものではないので自分の力で止めることができない・・結局のところ、思考を止めようとする努力は、血液の流れや呼吸を止めようとするような馬鹿げた努力なのです。・・「思考を止める」とは、思考の働きそのものを止めるのではなく、意識の思考を映し出さないということです。・・こういった感覚に集中し、意識が思考を映し出さないように注意します。考え事が始まったら、意識のスクリーンに思考が映し出されたということですから、もの一度瞑想の対象に集中していきます。・・頭の中に様々なイメージが浮かんできてもそれにとらわれず、身体の感覚などに注意を戻していきます。

・・・逆に、ある特定の思考だけを映しておく瞑想・・問題のない思考(読書など)や問題のない思考を含む行為(料理やスポーツなど)に対して集中することでも瞑想と同じ効果があると考えることができます。

・・・心に苦しみを起こす思考について、二つの原因を考えることができます。一つは欲望、もの一つは自我意識、つまりエゴです。・・思考を欲望や自我意識の対象と切り離して使うとき、それは瞑想と同じなのです。

・・・悩み事は考えれば考えるだけ臨場感が増して、存在感が強くなってしまいます。

・・・私たちが日常的に瞑想のテクニックを利用する目的は、思考を自分の道具として、自分の意思で自由に使いこなすということです。

・・・私たちの心には体や心を「私」だと思わせる精神的な作用があることがわかります。これを自我意識、エゴ、ヨガではアハンカーラと呼びます。このアハンカーラは何か自分に近い対象を見つけるたびに、「これが私だ」と言い続けています。それは単に体や心だけではなく、様々な対象に及びます。・・アハンカーラは日々様々な対象と「私」を結びつけてしまいます。これが、私たちを悩ませる原因なのです。

・・・「私」からあらゆる対象が切り離されてしまえば、心に怒りや不安が起きる原因はなくなってしまうのです。・・私たちが怒りや不安と呼んでいる感情の多くは思考が作り出しています。では、思考が活動するために必要なものは何でしょうか。思考が働くには何か対象が必要です。つまり、思考の働きにはその原因となる「もの」や「こと」があるのです。

・・・「心の働きを止める」ということですが、これは二つの意味で考えることができます。一つは、心を一点に集中して余計な動きを止めること。もう一つは、心そのものの働きを止める、つまり心を失くしてしまうという意味です。

・・・苦しみはアートマンである「私」に起きているわけではなく、心に起きているだけだからです。ですから、瞑想をするときは、意識に心が映らなければ苦しみは何も起きていないという点をよく理解して瞑想に取り組むようにしましょう。

・・・純粋意識である私は変化せず、根源物質である心と体は常に変化しているのです。したがって、心や体で得る幸福感は必ず変化するもので、手に入れるとすぐ失われてしまうものなのです。

・・・欲望が与えてくれる幸福は必ず衰えるもので、それによって至福にとどまり続けるということができないのです。これは欲望の幸福感の非常に明確な性質です。

・・・思考は常に様々なものと自分を比較し続けているので、一度満足しても、また別のものを見て不満を感じてしまうのです。思考はいつも自分の外側のものに幸福を見て、「あれがあれば私は幸せになれるのに」と思ってそれを追いかけていきます。

・・・「ヨーガ・スートラ」で「ヨガとは心の働きを止めることである」と言っていることの意味は、「移り変わる心を意識から離して、あなた自身の内側にある至福に集中しなさい」ということです。そしてこれが、ヨガが教えている瞑想の本質的な目的でもあります。

・・・瞑想によって心の作用が完全に止まった人にとって、世界はただあるがままに存在し、世界がその人に苦しみを与えることはなくなります。なぜならその人は、世界に苦しみが存在しているのではなく、心がそれを作り出していたことを完全に理解したからです。

・・・何も期待せずに、悟りたいという願望すら捨てて瞑想に取り組む姿勢がとても大切です。あなたはすでに最高の至福と悟りを得ているので、これ以上何も求める必要がないからです。

・・・そのような神秘体験の誘惑から、かえって道を踏み外す人が非常に多い‥結局、体験はいずれ失われてしまうものなので、このような経験に執着したり期待してはいけません。

・・・瞑想はとにかく、波のように揺れ動く心を意識に移さない努力です。・・私たちは本来皆が悟っており至福であるのに意識に心が映っているので「私はまだ悟っていない」とか「幸せになりたい」と思うのです。この点によく注意して瞑想に取り組んでみてください。・・一方で自分自身の心の性質を変えていくことはとても大切です。

・・・あなたが何か悩み事を抱えていて、ずっとそれに苦しめられているとすれば、あなたは心に支配されているのです。そうではなく、あなたが心を支配しなければいけません。必要でないと思えば、すぐその思考から離れたり、必要な思考に対しては一心に集中したり、心を自分の意志で自由に使えるように練習すべきです。・・きちんと座って一つのことに集中できるように、自分自身の心を指導していかなくてはいけません。これは、あなたがこの人生で取り組むべき最大の仕事でもあります。・・「これは私が本当に考え続けるべきことだろうか?」という観点でよく思考を吟味し、あなたが本当に有益だと思うことだけに使うよう心がけてみてください。

・・・私たちが悟るために努力する必要は一切ありません。しかし、心を制御するためにはあらゆる努力をするべきです。これを逆に考えてはいけません。

・・・このように他人と比較したところであなたの本質的な利益にはなりません。結局のところ、他人を気にせずに、自分の仕事に真摯に向き合うしかないのです。・・怒りは思考が比較したことから起きているので、あなたが旦那の姿を見て比べることをやめてしまえば、このようなイライラは起きてこなくなる・・こういった比較も自分で行っているのではなく、思考が勝手に行っているのです。

・・・思考そのものが起こらないようにするという対処法も考えられます。それが、「見ない」、あるいは「聞かない」という実践です。

・・・日常生活の中で、思考は多くのエネルギーを消費しています。また、一日は24時間しかなく、私たちの一生も限られた時間しかありません。ですから、思考を何に使うのかということはよく吟味しなければいけません。

・・・私たちの頭の中では、いつも一人喋りが起きています。この声は自分の声のように感じますが、実際は思考の声なのです。・・思考が喋り出したら、できるだけその声を聴かず、呼吸や音などに集中してみましょう。

・・・容姿は毎生ごとに変化するものですから、その姿はあなた自身の本質というわけではありません。このようにとらえて、容姿そのものの執着から離れてしまえば、怒りは起きてこなくなります。・・「会社の先輩と後輩という立場は私の本質ではない、アドバイスが正しいものであれば素直に聞き入れよう」「仕事の知識は私ではない。知らないことに対して、なぜ恥をかかされたと思う必要があるだろう」と考え、怒りから離れます。

・・・欲望の幸福は決して長続きしないということに気付き、それを手放すことはヨガの最初の実践です。

・・・優越感を感じると確かに気分は良くなりますが、この感情を私たちの幸福の本質にすれば、人生は非常に苦しいものとなるでしょう。

・・・瞑想をするとき、「私は永遠不変のアートマンであり、常に至福であり、一切の苦しみから離れている」と念想してみましょう。アートマンに集中している間、私は至福です。』

2021年11月23日 (火)

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか (鈴木忠平著 文藝春秋)

ドラゴンズは、私のひいきのチームのライバル関係にありましたので、落合監督は好きではありませんでした。はっきり言って嫌いな監督でした。しかし、気になる存在ではありました。この本を読んでも好きにはなれませんでした。落合監督は、選手を育てることや采配を振るうことでは、一流または超一流だったと思いますが、やはり対人力については、大きな弱点があると思います。そしてそれが、いまだに私が落合監督を好きになれない理由だとわかりました。

『・・・これが今のお前の実力だよ。通用しないだろ?これが最後なんだよ。つまりは、そういうことだ。落合さんはそう伝えるために、俺を開幕戦に投げさせるのではないだろうか・・・・。・・川崎はある種の踏ん切りをつけることができていた。絶望や希望を超越して、ただ投げる。久しぶりにそんな気持ちになれていた。

・・・戦力外通告―――本来は球団幹部の仕事だが、それを落合は自らやった。淡々として、冷徹で、それでいて情に満ちた通告だった。・・就任したとき、一人のクビも切らなかった落合は一年をかけて、戦力となる人間とそうでない人間を見極めたのだ。・・後日その不可解な人事について球団関係者が声をひそめた。「落合さんはこの一年、どこから情報が漏れているのか、それを内定していたらしいんだ。切られたコーチやスタッフは、先発投手のことにしろ、怪我人のことにしろ、内部情報を外部にリークしていると判断された人たちらしい・・・・」・・ある時は不良債権と呼ばれていた元沢村賞投手に死に場所を用意し、優しい嘘を口にする。しかし、ある時には、チームスタッフすら信用せず、隠密裏にリトマス紙にかけ、疑いのある者を容赦なく切り捨てる。一体、どれが本当の落合さんなんだろう・・・・・。

・・・そのうちに一年が過ぎて、また「来年こそレギュラーですね」と問われる。いつか、いつか、と何となく自分の順番が来るのを待っているうちに十年近くが経っていた。

・・・一年目のシーズンが終わってから、落合はこのように内部の人間でさえ寄せ付けない雰囲気を纏うようになった。仲良しごっこは終わりだとでも言うように、誰に対しても距離を置くようになった。

・・・「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ。そうしたら、俺に話なんか訊かなくても記事が書けるじゃねえか」

・・・「俺はひとりで来る奴には喋るよ」・・「俺が何か言ったら、叩かれるんだ。まあ言わなくても同じだけどな。どっちにしても叩かれるなら、何も言わないほうがいいだろ?」落合は理解されることへの諦めを漂わせていた。・・「別に嫌われたっていいさ。俺のことを何か言う奴がいたとしても、俺はそいつのことを知らないんだ」言葉の悲しさとは裏腹に、さも愉快そうにそう笑うと、窓の外へ視線をうつした。

・・・試合後、高代は言った。「もし痛いと言えば、監督はすぐに休ませてくれたはずだ。その代わり、お前は二軍に行かされていただろう。レギュラーっていうのはな、他の選手にチャンスを与えてはいけないんだ。与えれば奪われる。それがこの世界だ。それが嫌ならどんなに痛くたって試合に出続けるしかない。監督はそのことを誰よりも知っているんだ」

・・・誰もが落合の言葉や視線に感情を揺らし、あの立浪でさえ怒りをあらわにするなかで、福留からはまるでそれが感じられなかった。交わることのない二つの個。落合と福留の関係はそのように見えた。・・「この世界、好きとか嫌いを持ち込んだら、損するだけだよ」車窓から差し込んでくる光に目を細めながら、福留は続けた。「前にも言ったことがあっただろ?俺は野球と人間的なものは区別すると決めたんだよ」

・・・記者たちは業務上、一年間のほとんどをチームとともに行動する。そのため、多くの場合は担当チームを贔屓するような感情が生まれるのだが、落合の中日についてはその逆であった。記者たちが肩入れするというより、むしろ

敗れれば胸をなで下ろし、勝てば白けるような雰囲気があった。ほとんどの人間は落合が笑う顔を見たくないようだった。

・・・「選手にあれだけのことをやらせてきて、どうあっても優勝させなければいけなかったんです・・・・・」優勝インタビューのお立ち台で、落合は瞼を濡らしたまま、そう言った。

・・・「選手が訊いてくるまでは教えるな」「選手と食事には行くな」「絶対に選手を殴るな」落合はかつての自分がそうだったように、自立したプロフェッショナルを求めていた。・・落合は年々、選手やコーチとの境界線を鮮明にしていった。勝てば勝つほど繋がりを断ち、信用するものを減らしているように見えた。

・・・かつてはスラッガーとして名を馳せた谷繁だが、年齢と幾多の勝利を重ねるうちに、自らの打撃よりもチームの勝敗だけに目を向けるようになっていた。勝たなければ捕手は評価されないと、割り切っていた。落合の下で戦う人間は、次第にそうなっていくのかもしれない。

・・・「でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味で切り捨てる非情さが必要だったんだ」深夜の駐車場に、落合の言葉が響いた。・・私の前にいる落合は限りなく人間だった。最初から冷徹なマシンのように決断したわけではなかった。血の通っている限り、どうしようもなく引きずってしまうものを断ち切れず、もがいた末にそれを捨て去り、ようやく非情という答えに辿り着いた。「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなけりゃならないんだ。誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そう言えばわかるだろう?」落合はそこまで言うと、また力のない笑みに戻った。

・・・一歩ドームを出れば、無数の非難が待っているだろう。落合の手に残されたのは、ただ勝ったという事実だけだった。闇の中にひとり去っていく落合は、果てたように空虚で、パサパサに乾いていて、そして、美しかった。

・・・稲尾は、剛腕のイメージで知られていた。だが、その裏には繊細な情を持ち合わせていた。当時は打者の顔面付近に投げて威嚇するブラッシュボールが当たり前の時代だったが、稲尾はそれをしなかった。降板する時には次の投手のためにマウンドを丁寧にならしてからベンチへ下がった。

・・・落合から放たれる言葉にはいつも、船の引き波のように漂っているものがあった。それは世の中に対する諦めであり、孤独だった。近くにいる者ほど、なぜあらゆるものに背を向けるのか、なぜ折り合いをつけられないのか、という静かな溜息を重ねてきたのだろう。

・・・中田は落合とスカウトとの間に乖離があったことを口にした。球団内の溝を外部に晒すことになるのはわかっていたが、それでも黙っていることはできなかった。ずっと抱えてきた感情が限界まで膨らみ、叫びになった。

・・・ただ投げているだけのピッチャーは長生きできねえぞ―――。指揮官の視線を追っていると、あの言葉の意味が迫ってきた。

・・・「あれを見てみろ。あんなことをしていたら、打てるわけがないというのがよくわかるだろ?でも、今のあいつらにそれを言ったところで理解できないんだ。物事には言えばわかる段階と、言ってもわからない段階があるんだ」・・落合が求めていたのは若さが持つ勢いや可能性という曖昧なものではなく、確かな理と揺るぎない個であった。そして落合の世界に踏み入って感じたのは、その理というのはほとんどの場合、常識の反対側にあるということだった。

・・・この人は完全に、選手を駒としてみている。荒れる谷繁を見ながら、和田は監督としての落合の本質に触れたような気がした。・・どれだけ勝利に貢献してきたかではなく、いま目の前のゲームに必要なピースであるかどうか。それだけを落合は見ていた。それが勝てる理由であり、同時に和田を畏れさせているものの正体だった。

・・・杯を重ねてみて井手は驚いた。反逆者のイメージが強かった落合の口から語られる野球論はだれよりも論理的だった。基本技術から守備陣形などの戦術まで、指導者をしのぐほどの知識を持っていた。

・・・孤立したとき、逆風の中で戦うとき、落合という男はなんと強いのだろう。

・・・落合はそもそも言葉や感情を持ちなかった。日本人と外国人という線すら引かなかった。能面の指揮官と選手をつないでいるのは、プロとしての契約のみだった。それが奇妙な落ち着きをチームにもたらしていた。

・・・そんな荒木に落合は言い放った。「心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ」落合が求めたのは日によって浮き沈みする感情的なプレーではなく、闘志や気迫という曖昧なものでもなく、いつどんな状況でも揺るがない技術だった。心を理由に、その追求から逃げることを許さなかった。』

2021年9月11日 (土)

勝負強い人間になる52か条 (桜井章一著 知的生き方文庫)

この方の著作については、かなり昔にアップしたことがあります。

昔風に言えば、「ばくち打ち」ということになるのでしょうが、真剣勝負を勝ち抜いてきた人の人生観、勝負観には心底納得させらることがありました。

『・・・「・・勘を鍛える方法って何かあるんですか」そう聞かれることがよくある。結論から言えば、その方法はある。感性を鍛えればいいのである。

・・・勝負の判断力を養うのか。それは、瞬時に考えることだ。そして、瞬時に判断するためには、ムダな思考をどんどん削ぎ落さなければいけない。そのためには、考える時間を短縮させる訓練が必要だ。・・大切なのは適度に考えて、適度に考えることをやめることだ。それは「踏ん切りをつける」とは「割り切る」ということとは違う。「感じる」ということだ。

・・・耳をすませば冷静になれる。そうなれば、目ではなくて耳で相手や戦況を見つめられるようになる。・・静かなところで耳を澄ませていると、心がおちついて小さな音でもきれいに聞き取れる。これが心が済んだ状態だ。

・・・相手の顔色を読み取ろうとするよりも、耳で聞くほうがはっきりとわかるのだ。

・・・勝負の世界で「勝つ」とか「強い」とか「運がある」というのはどういうことかと言えば、変化に強いことである。・・勝負は「時・変化・相互作用」という3つの要素で成り立っている。この3つを適切にうまくかみ合わせた者が運をつかみ、勝負に勝つ。

・・・勝負に弱い人というのは固定観念が強い人だ。

・・・本当の「ゆっくり」というのは、スピードを出して“スピードが消えた状態”のことだ。ただノロノロしているのとは違う。

・・・強い人間とは、決して準備を怠らず、成し遂げ、後始末をおろそかにしない。つまり、「間に合う」ということだ。

・・・しかし、型にこだわると変化に弱くなってしまう。

・・・流れに乗るために大事なことは何か。それはまず、自然体であることだ。・・人間にとっての自然体とは、素直であることだ。

・・・いわゆる「グッドタイミング」というのは、みんなが考えているよりも、もっともっと瞬間的なことだ。その瞬間に間に合わなければ、流れに乗ることはできない。勝負はほんの一瞬に決まるのだ。

・・・敵に「どうぞ」と言えることが、本当の余裕なのだ。そういう時は相手のことがよく見えるし、全体の流れもよく見える。自分がやるべきことの的も外さない。だから勝つことができる。この「余裕」というのは、決して相手をナメるのとは違う。

・・・言うなれば、「火事場の馬鹿力」だ。修羅場というのは、そういう力を引き出してくれる場所でもあるのだ。

・・・欲のために当てるのは、自分の中に不純な要素w一つつくってしまう。つまり、弱くなる要素をつくってしまうことになるのだ。

・・・強さというものは、日常のそういうことの積み重ねの中から起きたことなのである。その積み重ねとは、素直、正直、勇気、変化、自然といったものだ。そして、その中のひとつが運であり勘であるわけ

・・・問題は、自分が悪い状態に陥った時に、それをいかに修正して勝つか。総力を、私は「修正力」と呼んでいる。

・・・文明の発達とともに、人間は生きるための力を失った。その結果、世の中はおかしな方向へいってしまった。・・方向感覚を取り戻すことが「修正力をつよくする」ことなのだ。

・・・初心者は知識も情報も何もないおかげで、シンプルに考えているから勝てるのだ。だんだんキャリアを重ねて、勝つということと負けるということとの理屈が少しずつわかるようになると、今度は簡単に勝てなくなってくる。それは難しさを覚えてしまって、複雑に考えるようになってしまうからだ。

・・・当然ながら、ビギナーズラックは長続きしない。ビギナーでなくなってしまうと、「複雑に考える」という壁に当たる。そこを乗り越えてまたシンプルに考えることができるようになってくると今度は強くなる。・・もし、どんなに学んでも童心を失わなければ、これは強い。

・・・お互いが一生懸命にやっているときは状態がいいほうが勝つ。・・油断とか気を抜いた状態から逆転劇が起こるのだ。勝負というのは、実は調子がいい時に負けがくるものだ。・・「最後まで油断するな」というのは正しいが、十分な言葉ではない。「最後まで」ではなくて「終わっても」なのだ。・・勝負には「始まり」は何度もあるが、「終わり」はない。特に「勝ち」には終わりがない。それに気づけば逆転されることはなくなる。そして、逆転のできる人間になれるのだ。

・・・麻雀に限らず、あらゆることはこういう相互関係で成り立っている。だから、「こういうときは、こう戦う」とパターン化して戦術を覚えてしまうことは危険なのだ。場は常に変化しているし、相手も自分も変化している。そういう中で、自分が覚えたことだけにこだわったり、自分の戦法だけにこだわったりしていたら、変化についていけない。

・・・私にとっての大一番とは、金額の大小ではなく、むしろ対戦相手によるものだった。

・・・私の場合、自分が調子が悪い時ほど勝負が楽しくなる。「これはツキがないなあ」と感じた時ほど、なぜかパワーがあふれてくる。勝負師とは、そうでなければいけないのである。・・勝負師は調子が悪くなるということを前提に勝負しなければいけないのだ。「不調こそ、わが実力なり」私はいつでもそう思っている。悪い時のほうが自分の本当の力であり、本当の姿だと思っている。

・・・大リーグ1年目の松井秀喜が・・思わずイチローにこうこぼしたという。「動く球に苦労しています」それを聞いて、先輩のイチローは言った。「そういう経験がしたくてアメリカにきたんだろ」

・・・がんばってガマンしているうちは、ガマンということに囚われている。それは本当のガマンではない。

・・・人間の都合なんて、自然界から見れば些細なことだ。私たちはその中で、都合がいいことも悪いことも、どちらも当たり前のこととして受け入れていけばいいのである。

・・・勘を鍛えようと思うならば、自らの「感じる力」を強くしなければいけない。

・・・集中というのは、じっと一点を見つめることではない。集中とは、全体の真ん中に自分の身(あるいは目)を置いて、全体を見通せるようにすることだ。

・・・私の「集中」のイメージは、「波紋」である。池に小石を投げ入れると、石を中心にして波紋ができる。その中心に自分の身(目)を置いて全体を見通し、それが無限に広がる感覚。それが「集中」である。

・・・情報を生かすためには、自分の実体験をもとに情報を判断sする能力をつけておくことが必要なのだ。

・・・100をすべて勝とうとすると、そのすぐ後ろには負けが待ち受けている。「80、勝てばいい」という気持ちでいれば、余裕が生まれ、勝ち続けることができるのだ。・・「100%」とか「絶頂」の向こうには、必ず不調がある。・・しかし、80%を保っていれば、向こうに落ちてしまうことがない。20%の幅があるからだ。・・20%のゆとりがなくて、「100%、がんばるぞ」と肩に力が入ると、緊張感が高くなりすぎてしまう。また、「俺は100%だ」と思っていると、相手や物事をナメる感覚が出てしまう。

・・・プレッシャーも緊張感も、それを無理に消そうとか捨てようなどとせず、そのまま素直に受け入れて、一体感を保つ。・・そういう一体感を持つために大事なのは、「楽しい」という感覚だ。楽しくなければ、そこには違和感が生じるだけで一体感など持てない。

・・・勝負の流れを的確に読み取ることは大切だが、それはややもすると「あきらめの速さ」につながる。これは「ベテラン」と呼ばれる人が陥りやすい傾向でもある。

・・・ねばり強さとは、言い換えれば、耐える力を持つということだ。どんなに劣勢であっても耐えていれば逆転のチャンスも訪れる。途中であきらめてしまってはそのチャンスも来ない。

・・・闘志はあるけれど能力が低い人間と、能力はあるのに闘志はあまりない人間がいるとしたら、最終的に伸びるのは闘志がある人間のほうだというのが私の実感だ。・・闘志はないがそこそこ何でも器用にこなす、という人間に技術を教え込んでも、それは二流三流で終わってしまう。闘志がある人間であれば、最初はヘタクソでセンスもないと思っていても、あるとき、飛躍的に伸びるということがよくある。そういう人間は一流になる可能性を持っている。

・・・実はこの社会も計算以上に大事なことがあり、それが勝ち負けや様々なことに大きな影響を与えている。

・・・日常生活にあることの中で、損にも特にもならないことを当てていくのがいいのだ。それを楽しんでやってみる。・・使わないことによって退化しているだけだから、しょっちゅう使っているうちに、その力が戻ってくるのだ。そうすると徐々に当たるようになってくる。

・・・今の日本に、今の会社や組織に、存在感を示せるリーダーがいるのか。そこが、この国の大きな問題点の一つとなっている。

・・・誰だって最初から強い人はいない。「自分より強い相手に、なんとかして今、勝ちたい」というのは短絡的だ。

・・・勝負というのは「勝ちたい」と思った瞬間に汚れが入ってしまう。だから私は「勝ち」よりも「強くなる」ということを大切にしろと言い続けている。・・汚い手を使ってでも勝ちたいという人がこの世には多い。そして、実際にそういう汚い人たちがこの社会で勝者になっている。そういう薄汚い価値観の中で勝ちたいというのなら、悪を学び、ずる賢くなればいい。そうすればいくらでも勝てる。悪が勝者となるのは病んだ社会なのだ。

・・・汚い手を使って勝っていたことを後悔する時が必ず来る。なぜなら、ズルをする人間というのは、間違いなく弱い人間だ。その弱さをズルして勝つことでごまかしていても、絶対に強い人間にはなれない。自分の中に正しいものが何もなくて、ただ弱さだけ残っていることを思い知ったとき、人は自分を恥じるだろう。

・・・ただし、勝負の世界にいるときは、イカサマとは何かを知っておく必要がある。勝負の世界にイカサマが存在する以上、「そんなの、俺は知らない」と甘えたことを言っていてはいられないのだ。イカサマというのは裏側の社会だ。表で生きていくためには、裏側で何が起こっているのかを知ったうえで、自分がまっとうに生きていけばいいのである。

・・・決断するといいうのは、自分の目で見極めること、自分の目で選ぶことだ。そういう目をふだんから養っていなければ決断などできない。どんなちいさなことでもいい。日頃から自分で決断して前に進む。そういうことの積み重ねが決断力を養うのだ。決断力をつけるためには、日ごろの心構えが大切だ。それは、人間としてごく基本的なことばかりだ。・正直になる ・素直な心を持つ ・勇気を持つ ・物事に正しくまっすぐに向き合う

・・・「俺はこういう人間になりたい」とか「私はこれを成し遂げたい」と思ったときに、それを実現するためにもっとも大切なことのひとつは、思ったことはできる限りすぐ実行することだ。

・・・勝負の世界に生きて、強くなり、勝ち続けるためには、心と体を一体化させなければいけない。そのことに気づいたとき、私はこう思ったのだ。「心と行動を一致させなければ、本当には強くなれない。しかし、それでは人殺しもしなければいけないことになる。だったら、悪い心を持たなければいいじゃないか」 人を恨んだり憎んだりすれば、人に悪いことをしなければいけなくなる。けれども、そういう気持ちをもたなければ、悪いことをせずに心と体を一体化することができる。

・・・「漫才は言葉でやろうとしても面白くならない。頭の中に絵がなければいけないんですよ。漫才のストーリーを言葉でなぞっているだけでは面白くならない。そのストーリーの具体的な映像を頭でイメージすれば、話がどんどん面白くなるんです」

・・・いくら才能がある人でも、いつもいつも右肩上がりで順調に成功を続けるのは不可能だ。どんなに才能があっても、当然、壁にぶち当たったり、方向性を間違ってしまったりすることがある。そういうときに修正力を持っていれば、次の段階に進むこともできるし、成長することもできる。

・・・本質的な不変の部分と絶えず変化している部分を、自分の中で整理できているかどうかだ。

・・・それはお金だけではない。いわゆる恩とか義理とか、有形無形のさまざまなものを人から借りれば借りるほど、人間は弱くなっていく。借りることの根底には「楽をしたい」という心理があるが、それでは当然強くなることなどできないのだ。

・・・麻雀の世界においてもっともいい麻雀というのは、4人の間に相互の信頼関係が生じているときだ。

・・・誰でも今の自分が持っているものには2種類ある。それは「自分自身が選んだもの」と「誰かにもらったもの」の2つだ。その2つのうちで、大事にしなければいけないのは、「自分で選んだもの」だ。

・・・自立というのは、私の言葉で言えば「準備・実行・後始末」がきちんとできていて、悪いことに抵抗を感じることだ。そうすれば、自分には余裕があるから、余裕がなくて困っている人のことに目がいくはずだ。・・強い人というのは、自分が好調だろうが不調だろうが、他人のことが見えているし、他人に手を差し伸べることができる。

・・・自信をもって臨めるような準備ができたうえで、自信を持つのは結構なことだが、その準備もないのに、景気づけのように自信を持っているとしたら、それは過信でしかない。

・・・勝負においては、自信よりもずっと大切なことがある。それは、「不安をなくす」ということだ。不安がなければ、その人が勝負に臨む心の状態は良い。

・・・根性のない人間は、根がない草花と同じでまったくダメだと私は思っている。・・男には根性が必要だ。根性がないヤツは強くもなれないし、優しい人間にもなれない。・・根性は・・他人に見せつけるようなものではない。自分が強い人間であるために、自分の中にしっかりと根を生やすように根性を持っていればいいのだ。・・根性を人に見せようとするから「ダサい」というような言葉が出てくる。・・根性がダサいのではなく、根性を花のように人に見せることがダサいのだ。

・・・運がいい人、ツキがある人というのは、いつもニコニコしている。運が悪い人、ツキがない人というのは、いつもムスッとしている。

・・・人はどうすればハッピーになれるか―――。この、素朴で根源的な問いに対する私の答えはこうだ。それは、不安を減らすこと。・・自分の不安とは何か。自分はいったい何に不安を感じているのか、すべての解決の糸口はそこになると言っても過言ではない。

・・・お金は間に合う程度あれば、それでいい。間に合っているのに「もっと、もっと」と思うから心がなくなる。

・・・日本人が本当に日本を変えたいと思うなら、花で政治や選挙を左右するのをやめて、実と葉を求めなければいけない。花のある教育や行政ではなく、実と葉のある教育や行政を作ろうとしなければいけないのだ。

・・・強くなるためには「心」が大事だということ。大自然に学び、大自然に力を授かるということ。それがヒクソンの強さの源泉だった。・・彼らは実と葉の中で生きている。日本と比べれば貧しいが、はっきりとした生活観があり、そこで育んだ命は一つ一つが生き生きとしている。

・・・肉体的には不調でも、自然の中で心身を洗われて帰ってきているから感性は鋭くなっている。

・・・オヤジ不在の世の中―――。指導者不在の社会―――。それこそがこの世の病の原因であり、日本人が立ち往生している原因だと私は思っている。だからこそ私は、少なくともオヤジでありたい。』

2021年8月13日 (金)

The Intelligence Trap なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか(デビッド・ロブソン著 土方奈美訳 日本経済新聞出版)

進められて読んでみました。

どのような人間でも、得意分野と不得意分野はあり、それは頭がよくても同じです。

また、感情はIQとは無関係。感情的になれば、判断を誤りやすくなる。このようなことは、私にとっては機知のことで、あまり読む価値がないかと思っていましたが、読み進めるうちに、新たな発見もありましたので、それを書き留めておきます。

『・・・ファインマンは・・ファンへの返信にこう書いている。「人生の本当の喜びとは、あらゆる可能性をどこまで広げていけるのか、挑戦し続けることになる」

・・・心理学者の間では一般的知識、好奇心、誠実さを学業的成功の「三本柱」と見なす動きが出てきた。三つのうちいずれが欠けても、うまくいかない。

・・・もともと知能が高い人は、幼いころはダーウィンやファインマンよりも複雑な情報を容易に処理できたかもしれない。しかしあふれ出る好奇心がなければ、その優位性を維持することはできない。

・・・ドゥエックは語る。「安全策に逃げるという経験を重ねていくと、いつまで経っても自分の可能性をまったく広げることはできない」

・・・分散効果・・の真の原因はもっと直感に反するものだ。・・学習を小さな塊に分割することで、学んだことを忘れてしまう時間ができる。つまり次に学習を開始したとき、何をすべきか頑張って思い出さなければならなくなる。この一度忘れ、再び覚え直すというプロセスが記憶痕跡を強め、長期的により多くを覚えていられるようになる。1回あたりの学習量を長くすると、このいったん忘れて学習し直すという、重要なステップがなくなってしまう。このプロセスはつらいからこそ、長期記憶が促されるのだ。

・・・集団に優秀だが傲慢なメンバーがいると、集団的知能と、繊細なメンバーの個人的知能の両方が悪影響を受ける・・チームに何人かスター選手がいるとプラスだが、その割合が60%前後に達するとバランスが崩れ、それ以上になるとチームは苦戦していた。

・・・どんな組織にも、外部環境をコントロールすることはできない。常に何らかの脅威はある。しかし組織は、脅威に対する従業員の受け止め方を変えることはできる。別の視点を示唆したり、反証を探したりするのだ。

・・・リチャード・ファインマンはこう指摘している。「ロシアンルーレットをするとき、一発目を無事に切り抜けたからといって、次も安全だとはおもわないだろう」しかしNASAはこうした教訓から学ばなかったようだ。』

2021年7月14日 (水)

野村の教え方 (野村克也著 学研)

このブログでもたくさん紹介させていただきました。野村監督のお話です。私も直接教わったわけではありませんが、著作などによる野村氏の教えで育ててもらったところはあると思っています。まさに多くの人を育てた方だと思います。改めてご冥福をお祈りいたします。

『・・・超一流になれる才能を持つものの数は限られる。だが、才能に劣るからといって、あきらめるのは間違っている。・・まずは他人と差があること、自分は劣っていることを認めて、受け入れる必要がある。そうしてその差を自分の頭で考えて、努力によって埋めていく。それこそが、弱者が強者に勝つための唯一の道だといえる。

・・・伸び悩む選手、自信を失っている選手に共通しているのは、「自己限定」である。・・では、なぜ彼らは自分の能力や可能性を自ら限定してしまうのか。現状に満足して納得してしまっているからだ。・・彼らは自己限定の範囲で一生懸命やっているに過ぎない。

・・・指導者の言葉なら無条件に聞いてもらえると思うのは誤った考えだ。・・指導者はついつい自分の知識を教えたくなるものだが、それ以前にやるべきなのは、じっくりと選手を見ることだろう。まずは興味を持ち、常に気にかけて、選手の未来を思いやることだ。言い換えれば、愛情を持つということに尽きる。・・選手一人ひとりの長所や短所、性格などを知る。その上で、どうしたら選手が活躍できるかを考え、適切なタイミングで声をかけていく。決して簡単ではないが、これを地道に繰り返す以外に選手の未来を変えることはできない。

・・・変えていく対象は無数にある。だが、人間は変化を恐れる生き物でもある。・・変化を恐れず、前向きに変わろうとチャレンジした者だけが成長を掴み取ることができる。変化は進歩するための唯一の道なのだ。

・・・教育の理想は「教えないこと」だと公言してきた。選手に接する際に必要なのは「問いかけ」であり、自ら考えさせることが大切であると考えている。

・・・もし、指導者が「あの選手は自分が育てた」などと自負しているとするなら、思い上がりも甚だしい。・・指導者にできるのはヒントや気づきを与えてやることだけであり、実際に水を飲むかどうかは“馬”次第だ。つまり、戦車が自らの意思で変わっていくのを、ただ見守ってやるしかないのである。指導者は「育てる」立場にいることに思い上がってはならないし、教えられる側も「育ててもらえる」と甘えてはいけない。・・原則と呼ぶに足る心得をいくつか見出した。 ①愛情を持つ ②媚びない ③固定観念で見ない ④教えない ⑤信頼関係を築く ⑥言葉を重んじる ⑦理をもって接する

・・・圧倒的な才能に恵まれない弱者にとって、何よりも自信になるのは結果を出すことである。芽を出してほしければ、結果を出すまで辛抱強く使い続けるしかない。

・・・指導者は、自分の発する言葉の裏に、相手に対する愛情があるかどうかを常に自問自答すべきである。・・それが愛情に基づいた言葉でないと感じれば、やはり選手は動かないのである。

・・・人を教え導くうえで、必要以上に優しくある必要はない。かといって、厳しすぎるのも問題である。厳しさと優しさのバランスが保たれると、教え子との間にほどよい緊張感が生まれる。

・・・教える立場に変わったら、他人である選手たちを努力させるように仕向けなければならない。そのためには、時には耳の痛い忠告をする必要もある。つまり、ただ優しくするという段階を乗り越えて、選手との間に厳しい言葉をかけても信じてついてきてもらえるような関係をつくることが肝心なのだ。

・・・断定した結果、その選手の可能性をつぶしてしまうかもしれない・・人を教えるに当たっては、相手の経歴や評判にとらわれず、真っ新な目で観察する必要がある。

・・・コーチに言われたことを、言われたとおりにやっていると、選手は自分で考えることをしなくなる。教えてもらわないと動かないように習慣づけられてしまう。

・・・「この人についていけば確実に進化できる」「この人のアドバイスは間違いない」 人望とは、周囲の者にそう思わせる人間力に他ならない。

・・・たった一つの言葉で人生が変わるという体験も、教育の場では決して珍しいことではない。だから、指導者は言葉の力を強く認識することが大切である。

・・・鶴岡監督から褒めてもらったのは、16年間の中で、このたった2度だけである。しかし、その2回の言葉があったからこそ、今の私があると言っても過言ではない。・・表現のあるなしで、選手の理解度には天と地ほどの差が生まれる。

・・・私は監督というものを、三つのタイプに分けている。 「力で動かすタイプ」「理をもって動かすタイプ」「情で動かすタイプ」

・・・「理」とは知識や知恵、考え方を指す。戦術も試合運びも理がなければいけない。私は野球が技術だけで勝てるとは思っていない。・・選手が戦略・戦術の必要性を理解し、自ら考えて動くようになるまでには時間がかかる。じっと我慢して粘り強く教え続けるのだ。

・・・結果が出ず、選手との間の信頼関係が揺らぎそうになっても、毎日のミーティングや練習を通して根気よく李をもって接していくしかない。その苦しみを乗り越えたところに、指導者として一段も二段も成長できる余地がある

・・・本来は逆である。自信をもって臨むから結果が出るのである。・・ここで大切なのは、私が事前の準備、備えを入念に行って自信をつけたということだ。

・・・人は失敗したとき、初めて自分の間違いに気づく。何がいけなかったのか、どうすればよかったのかを真剣に考えるようになる。・・指導者は常に教え子に寄り添い、成功したときも失敗したときも、自身を持ち続けられるようサポートしつづけなければならないのだ。

・・・同じことを言っても響く選手もいれば、かえって力を出せなくなる選手もいる。指導者は、選手をよく観察した上で、適切なやり方で自信をつけさせなければならないのだ。

・・・「無視」というと冷たく放置しているように聞こえるが、相手を全く見ないということではない。「観察して見守る」という表現が実態に近い。

・・・人は褒められているうちは半人前である。「あいつが打たないから勝てない」などと言われて、初めて本物になるのだ。

・・・努力を認められれば、人はやる気と自信が得られるのである。特に、「自分自身に下している評価よりも、ちょっと上の評価をする」というのは、いい褒め方だと言えるだろう。

・・・「叱る」と「褒める」は結果的に同じ行為だと思っている。どちらも根底には愛情があるからだ。

・・・失敗には二つのパターンがある。しっかり準備をして臨み、たまたま結果が出なかった時の失敗と、やるべき準備を怠った末の失敗である。指導者には、そこをしっかり見極める目が求められるということだ。

・・・事細かに指示したわけではない。言いたいことは山ほどあったが、あえて口出しせずに、ヒントを出すにとどめた。そうすることにより、自分で考えさせるように心掛けた。

・・・躓いた時は、自分に何が足りないのか、あるいは自分の強みは何か、つまり己を客観的に知り、どこに自分の生きる道があるのかを探っていくことだ。それが見えてきたら、目標を設定し直し、正しい努力をすれば、必ず自信を持つことはできる。

・・・過去の幻想は再生の足かせとなる。過去の成功体験が忘れられないから、変わることに恐怖を覚え、いつまでも同じやり方にこだわる。

・・・言われたことだけをやっていたのでは、あるレベル以上への成長は望めない。だから、一流を目指すのであれば、自分で考えて、よりよい行動をとる必要がある。

・・・目標を達成させることのカギは「動機づけ」である。動機づけが弱いと、高い潜在能力と強い意志を持ち合わせていても、それを十分に生かすことができない。

・・・テーマのない努力ほど、無駄なものはない。・・何も考えずに、ただ遅熊仕事をしているなら、そこから大きな成長は望めない。実際に「忙しい」を連発している人の仕事ぶりを観察すると、必要のない仕事をしていることがある。何も考えずに取り組んでいる証拠だ。

・・・自分の頭で「~とは」を問いかけさせる。私は教育の本質を、この「とは教育」だと考えている。・・「~とは」を考えない選手は「~だろう」で野球をしている。根本を問い直すことなく「これくらいでいいだろう」という中途半端な理解で臨む。

・・・自分を客観的に見つめるとは、口で言うほど簡単なことではない。・・自分の役割に徹して、やるべきことを地道にやり続ける。これが厳しいプロの世界で生き抜くための唯一の道である。・・自分を見つめ直し、自分を生かす道をしっかり認識すれば、正しい努力もできるし、成功もできる。

・・・指導者は、部下が何でも気軽に聞きにいける空気をまとうことが必要だ。まずは自分の頭で考え、一人で問題を解決できないときは潔く指導を求める―――。こうしたクセをつけさせることが、選手の成長のためには不可欠なのである。

・・・自ら勉強を怠らない人間は、表情にも余裕がある。野球においても、その余裕がプレーに生かされるものだ。

・・・なぜメモを重視したかというと、何より人間は忘れやすい生き物だからだ。人間の記憶力というのはおおよそ当てにならない。・・メモをすることの効用には、感性が高まることも含まれるだろう。・・細かいところに気付く感性があれば、どうすれば対応できるかも考えられる。

・・・人は他人からの評価の中で生きている。人間は時代と年齢には勝てないのだから。

・・・まだ十分な力と可能性があるのに、人の強みに気付かず才能を引き出せないのは、指導者の怠慢である。

・・・「基礎」とはあらゆるプレーをする上での土台を固める段階であり、「基本」は判断や行動をする際の原理原則を身につける段階である。その二つが備わったところで、初めて実地で「応用する」という段階を迎えることになる。・・「基礎」「基本」をおろそかにし、「応用」から身につけたがる選手が多かった。中途半端な選手ほど「強み」という言葉に安易に逃げ込み、誰もが共通して身につけるべき根幹の部分を固めようとしない。・・基礎をおろそかにして基本や応用に取り組んでも、本物の力がつくとは思えない。

・・・プロの世界には輪をかけて努力する人間がいた。その一人が、巨人の王貞治だった。・・「ノムさん、悪いけどお先に失礼します」「めったにない機会なんだから、少しくらいいいじゃないか」「いえ、荒川さんを待たせてるんです」 それを言われたら、それ以上引き留めるわけにはいかない。そのとき私は、いずれ王という人間に野球人として追い抜かれることを確信した。かたや銀座で遊び、かたや荒川道場でバットを振っているのである。懸隔が埋まるのは時間の問題である。果たして私の予感は的中し、王は日本一のホームランバッターへと成長した。

・・・確かに基礎の徹底は退屈な作業だ。すぐに結果が出ないから「努力なんてしてもムダだ」と言い出す。しかし、基礎練習に即効性を求めるのは間違っている。むしろ、基礎練習は即効性がないことに意味があるのだ。・・すぐに結果が出ないからこそ、地道に続ける必要がある。指導者はそれをわすれてはならない。・・若い時に基礎をおろそかにしていた人は、本当に大切なことが身についていないから、年齢を重ねて大きな仕事を要求されると、まるで通用しなくなる。

・・・短所を放置して長所だけを伸ばそうとすると、残された短所が影響を与えて、長所が損なわれてしまうことがあるからだ。だから、長所を伸ばしたかったら、短所を克服するのが先であると思う。・・そもそも、長所とは放っておいても自分で自然と伸ばしていけるものである。だが、短所は違う。短所は意識的に直さない限り、絶対に克服することはできないのだ。

・・・ただ、相手が対策を講じてきたら、こちらもさらなる対策を考えるまでである。そうやって知力を尽くして戦うのがプロ野球であり、ライバルというものだ。・・切磋琢磨できる環境は、人を成長へと導いてくれるのである。

・・・指導者の自信のなさ、それに起因する「型にはめる指導法」が、せっかくの才能をつぶしてしまう。教える立場の人間は、その恐ろしさをくれぐれも自覚すべきである。

・・・人にものを教えるときには、失敗を成長の糧にできるよう前向きな言葉がけをしていくことが重要である。

・・・失敗を生かすうえで重要なのは、失敗したときに言い訳をしないことだ。・・私の経験上、言い訳の多い選手は、一定のレベル以上に成長することはなかった。・・他人のせいにして言い訳をするキャッチャーは確実に伸びない。それだけでなく周囲からも信頼を失うだろう。・・失敗を成長につなげるには、責任感を持たせることが重要なのだ。指導者は選手の責任感を養って言う必要がある。・・成長とは変化することであり、その変化には責任が伴う。その責任を受け入れることの大切さを教えることが重要である。

・・・監督が非を認めてしまったら、威厳を保つことができないという声もあったが、私が「責任を取る」といって選手を送り出した以上、潔く責任を負うのが指揮官としての筋の通仕方であると考えていた。

・・・恥の意識が欠けているから、「二度とミスをしたくない」とも思わないし、改善に向けて努力しようとも思わない。

・・・多くの人が忘れがちだが、親への感謝の気持ちは人生の原点というべきものである。親がいたから、自分が存在できている。だから、親には当然感謝の念を持つべきだ。・・実際に、名選手の多くは親孝行であると言われる。それは、長年プロ野球の世界を見てきた私の経験、実感とも合致する。

自分の成績がチームの勝利につながる」という考え方と、「チームの勝利のためにプレーする」というのは似ている様で実は中身が異なっている。前者は個人記録優先主義であり、後者はチーム優先主義といえるだろう。

・・・自主的と自己中心的には、天と地ほどの差がある。自由の意味をはき違えてもらっては困る。組織である以上、最低限の常識やルールを身につけておく必要がある。・・外見で目立とうとしている時点で、本業に対する真剣みが足りないのである。

・・・欲を自制することをセルフコントロールという。これを身につけられるかどうかが、一流と二流を分けるといってもいい。・・日頃から「人としてどう生きるか」「人の役に立つために何ができるか」を考えていれば、肝心なところで欲に振り回されることはない。

・・・「何のために生きているか」を自覚する人は、どんな仕事をしても一流にたどりつく可能性がある。

・・・すぐに結果を出したいと思うから、安易な手法に飛びつく。安易な手法だから、一時的な効果しか得られない。一次的な効果しか得られないから、また新たな手法に飛びつく・・・の繰り返しである。・・教育において即効性を求めるのは、間違っているという以上に危険である。中でも人間教育などは、一朝一夕に答えが出るものではない。・・相手の将来を見越して、大事なことを教えておくのが人間教育というものである。

・・・事業を残すよりもさらに尊いのは、人を残すことである。有能な人間を何人も育てることができたら、事業を残すことはもとより、後世にわたって、さらに有能な教え子が育つことにもつながるだろう。そうやって、脈々と自分の教えが受け継がれ、記憶されるような人物になれたら、どれだけ素晴らしいことだろう。

・・・人を育てるというのは、ただ選手をプレーヤーとして一流にするだけにとどまらない。人間として一流にできたかどうかが問われる。』

«健康長寿の“賢食”術 (家森幸男著 NHKテキスト)