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2017年11月 5日 (日)

忍者はすごかった 忍術書81の謎を解く (山田雄司著 幻冬舎新書)

忍者そのものというよりも、一流の忍者になるために必要なことが書かれており、当然それは他の世界でも一流になるために役立つものでした。

『・・・忍びは「乱波(らっぱ)」「透波(すっぱ)」「草」「奪口(だっこう)」「かまり」など、地方によりさまざまな名前で呼ばれていました。「忍者」という呼び名は、昭和30年代に小説などを通じて定着した新しいものです。
・・・忍びの本は「正心」である。忍びの末は陰謀やだますことである。それゆえに心が正しくコントロールできないときは、臨機応変の計略を遂行することができないのである。・・いわゆる正心とは仁義忠信を守ることにある。仁義忠信を守らなければ、強く勇猛なことをなすことができないばかりか、変に応じて謀略をめぐらすこともできないのである。
・・・武勇の心掛け方については、「血気の勇を捨て去り、『義理の勇』を心掛けよ」と述べています。同じ武勇といっても義理の勇がなければ君子の勇ではなく、血気の勇で、一時の怒りによって剛強を働かせることができても、次第に怒りが薄くなるにしたがって、ずっと剛強の働きを心底に保つことはできないとしています。さらに義理の勇とは、やむを得ず起こす勇であり、この勇はいつまでも冷めることなく、ことに私心がないためにまず己の欲心に克ち、前後を思案して、なおかつ必死ならば即ち生ずということを心の守りとして働く
・・・実際には、人と仲良くなって情報を聞き出す陽忍の方が多かったようです。
・・・まずそのことを言わず、それとなく他のことより語りてそびけば、向こうよりも思わずいうものなり。
・・・忍びは、人に追われて逃げることを恥と思ってはいけない、刀・脇差・諸道具を捨てて帰ることも多いので、名前や印が付いている道具を持ってはならない。ただ敵を知ることが肝要だと思い、自分の命を軽んじて忠義を果たすように
・・・利口(方便)というものは、聞いているときはおもしろいけれども変化するものである。道理は大きく広く、かつ慎ましやかで明白なものだ。利口はこれに劣るものであり、受けが良い内容のため、人はこれを喜び聞く。
・・・常にアンテナを高く張っておけば、周囲には多くのヒントが隠れています。自分と同じような人だけでなく、さまざまな人々と関係することにより世界が広がり、多種多様な知識が得られ、生きていく上での大きな糧となります。
・・・旅にて愛情を用いれば、相手は自分のことをよく思うものである。良く思えば取り入れいやすい。・・旅では日ごろ隠していた自分の本心が現れるものです。そうしたときに温かい対応をされると、心の中にスッと入ってきます。そうすれば、その相手とは固い信頼関係を結ぶことができるようになり、そこからさまざまな情報を得ることができます。
・・・会話する場合は、「聞き上手」であるべきで、自分の言いたいことは少し心の中にとどめておいて、相手が心中に思っていることを引き出す会話術が必要となります。
・・・「敵になる」という教えがあるが、これは敵の立場になって敵の心を察することである。・・あるいは「敵の心を取る」という教えは、こちらがこのようにしかけたときは敵はこのようにする、こちらがこのように語ったならば相手はこのように話すというように、敵の心になって考えるということである。・・「敵に離れる」という教えもある。これは「我は我、敵は敵」と考え、その利は異なっているとみて、敵の立場になることなくして、ついには必ず勝つということは上手のなせるわざである。通常と敵と離れては益がないとされている。
・・・必ず逃げ道を作っておいて、絶妙なバランスで厳しくすることと寛容にすることの両方を用い、良好な関係を築いていく必要があります。
・・・「追従軽薄」を取捨すること。人に対して自分の気に合わない場合でもへつらい、自分が好きでないことも好きなように振舞うことは、人に気に入られるためである。・・このようなことは士たるものは一切しないことであるけれども、用いることがある。これを用いなければ、気儘気随者ということで人との交わりは難しい。ただのちょっとだけでも用いないと心に決めていたのでは害がある。時により場により人により合わせる必要がある。
・・・自分から声をかけることによって先を制することができ、自分のペースで事を運ぶことができるようになります。
・・・人に理のあることを言わせて、なるほど道理ですねと感心して見せれば、相手は必ず先にいい気分になって、自慢をするようになるものである。そのときに相手が秘密にしていることの兆しが、注意していれば見つかるものである。それを取り出して、たたみかけて質問していくと、相手はそこから逃れることができずに必ず弱くなるのである。
・・・自ら慎んで抑えなければならないのは、「利口」「利発」である。内に蓄えておけば、自分が賢いということを外に示したいときにいつ何時でも自由に出すことができる。であるから、知識を蓄えておくことが肝要である。
・・・常に酒、色、欲の三つを堅く慎み、これにふけって楽しんではいけない。酒、色、欲の三つはもとより自分の本心を奪ってしまう敵である。・・忍びは禁欲的である必要がありますが、逆に相手を術中に陥れるためには、好きなものを渡したりして心を奪うという方法があります。
・・・何でも心に望み欲することは皆欲である。これを忍ぶことは難しい。ことに忍び・間者はこれをよく忍ばなければ大いに害がある。
・・・相手の懐の中に入るために、酒、淫乱、博打などを利用し、相手の油断を誘います。しかし忍びたる者、それによって自分自身を失ってはなりません。・・こうしたものに心を奪われていたのでは、冷静沈着な行動を必要とする忍者は命を落とすことにつながります。しかし、逆にこのような手段を利用することによって人を油断させて自分の思い通りに利用するようにするのです。
・・・総じて人の衰亡は、皆欲心によるものである。・・取り入ろうとおもうのなら、まずその人の大欲小欲無欲のものは何かを判断して取り入るのである。
・・・酒の席では、酔った勢いで普段は言えないことも言えるようになるし、聞く側も酒の席だからと容赦してくれます。ゆえに、それを利用して言いたいことを言うのもよいと書かれています。しかし、これは相手や内容次第のところもあるので、状況判断が必要です。
・・・人を知って自分を知られないようにするのが、忍びの者の中でも巧者である。
・・・何事も思いの外のことには心を取られ、落ち着かないものである。忍び、間者はこのようなことで人の心を縛ることがある。・・言葉によって相手を縛ることもできます。相手から想像だにしていないことを言われると、そのことが頭から離れず呪縛されることになります。
・・・修行というと、滝に打たれたり絶食したりということを思い浮かべますが、忍者にとっての修行は総合的能力を高めることにあります。・・どのようなことが起きてもすぐに対応できるように、日ごろからそれに備えておく必要があります。それが修行なのです。・・忍びにとっては、これから修行するぞ、と思って特別な修行をするのではなく、日々の生活すべてが修行であり、それがすべて自らの命運にかかわってくると心得て、毎日を過ごす必要があるのです。
・・・心は水や鏡のようである。水と鏡の本体は本来不動で清明なものであるけれども、外物の塵芥泥土のたぐいに汚される。あるいは風や人が外から動かすときは、本来の清明不動を失って、万物が対しても映ることはない。本心も同様に清明不動であり、向かう者の善悪邪正、是非の情、その他すべてが、水や鏡が物を映すように、明らかに現れないということはない。しかし、六塵を六根に引き入れたなら、必ず心が濁って清明でなくなり、さまざまな状況に応じてよく物が映るようなことはなくなってしまう。
・・・忍術の三病は、一に恐怖、二に敵を軽んず、三に思案過ごす。この三つを去りて、電光のごとく入る事速やかなり。
・・・武士はあやぶみなきぞよかるべし まへうたがひはおくびょうのわざ (武士たる者、危険だと思わない方が良い。事を起こす前から心配に思うのは臆病のなすわざである)
・・・剛勇か臆病かは話す内容にて知ることができる。「一日戦いについて話をすれば、三日間心が強くなる」といって、常に武勇を好む話をする者は心が強い者である。・・己の落ち度を指摘されても顔色を変えない者は、心が強い者である。怯える者はその逆である。
・・・何事も順調にいっているときは勇敢に見えても、順調な時期を過ぎたときにそのような態度を保っていることはできないため、本来の性格が表れてきます。
・・・人は平常時には自分の心を制御できますが、非常時には制御できずに本心が見えてくるので、そこから性格を読み取ることができると述べられています。他の個所では、一緒に旅をすればその人の性格がわかるとされていますが、これも、大変な局面の際に人の持っている本来の性格が表れるということです。
・・・「相見」とは、何事でも人の見たこと、人の言ったことを、自らもそれを見て、その人の言うところと自分が見たところを引き合わせて、虚実の分量を量ることである。
・・・人を外見やその人の職業などで判断してはいけないという教えです。さまざまな人の意見を聞くことが重要です。人の重要性はその外見ではなく、内面であるということを示しています。
・・・忍びは平常心を保っていなければならない。それは、いつ何時であっても忍ぶ心が大事だということである。
・・・水の中で足をバタバタさせていても水上では物静かな水鳥のように、心の内はどれほど忙しくても、表面上は心うららかにすべきである。世の人はさまざまに騒いでいても、忍びの道を守る人物が誠を大事にする様子は、あたかも聖人とも悟道者ともいうべきであろう。
・・・撰む事。忍びの者の性質に、大業をよくする者あり。小業を得し者あり。その生得を撰みわけて遣う事。總司の肝要なり。不得手なる事をなさしむべからず。
・・・要の大事。伊賀伝に曰く、十本の扇の骨も要一本にてしまりつかわれるなり。間人数千百人もこれをつかう総大将一人による事なり。
・・・江戸時代末期の風流を描いた牧墨僊「写真学筆」には、武士が手裏剣打ちをしている場面が描かれています。江戸時代には、武士の嗜みとして手裏剣術が行われており、手裏剣は忍者のものという認識が作られていくのは昭和になってからのことのようです。
・・・忍の一字。この一字至て大事也。字の心は刃の下に心を書。心は胸也。胸に白刃を当て物を問ひ、決断に逢ふ心也。
・・・味方の中に敵の忍びが交っていないかどうか見つけ出す「立ちすぐり・居すぐり」という方法があり、これは決めておいた合言葉を言って、人々が同時にさっと座り、さっと立って、紛れ込んだ敵を選び出すための方法でした。これによって見つけ出されて殺された例もあります。
・・・それ忍の本は正心なり。忍の末は陰謀・佯計(ようけい)なり。これゆえにその心正しく治まらざる時は、臨機応変の計を運らすことならざるものなり。
・・・この道を業とする者は、一戦の折から主君の為に大忠節を尽くし、大功を立てんとのみ欲して、主君の安否、国の存亡、我一人の重任と心得るべし。
・・・皆が考えつくような方法では、対策がとられていて忍び込むことはできません。そのため発想を転換させ、相手が考えないような方法を駆使することによって意表を突き、初めて忍び込むことができるのです。・・状況は常に異なっているので、その場に合った方法を即座に判断し、臨機応変に対応を変化させていく必要があります。
・・・忍びの術は奥深いもので、一朝一夕で身につけられるものではありません。心の修練を欠かさず、継続的な努力が必要です。また、事を行うに当たってはちょうどよい時期というものがあるので、それを逃してはいけません。
・・・聖ばかりで侫がなければ事は成り立たず、直であって曲がなければ、人の偽りを信じて害を被ってしまう。俗に言う「阿呆律儀」である。聖直侫曲の四つを合わせて、人により用いるのである。
・・・人の真偽を黙識して人に欺からるるべからざる事。
・・・此の道を業とせん者は最も顔色をやさしく和らかにして、心底尤も義と理を正しくすべき事。・・恐い顔をしていたのでは誰も寄り付きません。常に柔和な顔をして人に安心感を与えることによって打ち解けるようになり、さまざまな情報も得ることができるようになります。逆に、穏やかな顔をしている人を信用してだまされることもあるので、気を付けなければなりません。』

2017年11月 4日 (土)

50代から本気で遊べば人生は愉しくなる (片岡鶴太郎著 SB新書)

短い著作でしたが、著者のこれまでの人生とその時々の思いが分かりやすくまとめられており、参考になることも多くありました。

『・・・新しいことにチャレンジすることはエネルギーが要りますし、ときには悩んだり苦しんだりすることもあります。でも、その先には大いなる”ギフト(贈り物)”が待っています。その贈り物とは”魂の歓喜”です。・・まずは自分の心に「私の魂は何をすれば歓喜するのか」と問いかけてシード(種)の存在に気づくことです。そして、やりたいことのシードを見つけたら、毎日コツコツと水やりをしていくことです。すると、やがて芽吹き、魂の歓喜がもたらされるようになります。
・・・芸事の世界でも、型を真似ることから始めるのが上達の第一歩となります。それは「守破離」という師弟関係の基本を説く言葉にもあります。まずは師匠の型をとことん真似ます(守)。真似るのが上達したら「自分としてはこうしたい」と工夫しながら磨きをかけ、師匠の型を破る段階に発展します(破)。さらにはその型から離れ、自分の独自性を発揮する境地に達するのです(離)。
・・・私は何かを会得していくには、「反復練習」しかないと思っています。これはどんな仕事、どんなものごとでも同じ。「匠」と呼ばれるような達人でも、最初からうまくできたわけではなかったはずです。
・・・自分の心の中にある芥子粒のようなシードの存在は、心を澄ませておかないとなかなか気づくことができません。
・・・ヨーガの教えには8つの「部門」があるということでした。・・1~7は並行して毎日行う実践となります。7の瞑想法で8を繰り返し経験することで、徐々に8が定着し、いつの日か人はゴールである悟りに達します。必要なことは毎日の継続的実践です。1 禁戒は、暴力や嘘をつくなど反社会的行為を律するための実践(社会行動) 2 勧戒は、浄化、知足など毎日行うべき自己精進のための実践(自己実践) 3 坐法は、長時間の瞑想のための正しい姿勢をとるために行う肉体を柔軟にする実践(肉体の強さと柔軟性) 4 呼吸法は、心を静める瞑想のために深く静かな呼吸を維持できるように養う呼吸法の実践(肉体の活力) 5 制感法は、外界から心の内面に意識を向ける実践(五感制御) 6 集中法は、心の内面に意識を保ち続ける実践(精神統一) 7 瞑想法は、心のもっとも静かな真我へと意識を至らすための精神的実践(潜在意識) 8 三昧は、心の動きが最小限の状態である真我(本当の事故)の状態(瞑想で心の源に達した状態)
・・・ブッダのような蓮華坐(足を交叉させて反対側の太ももの上に置く瞑想の姿勢)は、普通の人だと1分もキープすることはできません。これを20分から30分維持して瞑想するということは、相当なインナーマッスルが必要になります。ヨーガのポーズは、それを鍛えるための動きなのです。
・・・人間は放っておくと口呼吸になります。鼻呼吸で酸素を脳に送り込んでクリアにするというのが、古代インドヨーガで5000年前から行われてきた呼吸法です。こちらも瞑想に至る前に欠かせないものです。
・・・型通りのジャブの練習と、相手と対峙したときのジャブはまったく違います。実際にボクサーと対峙して、どうやって闘ったらいいのか考えながら稽古していかないと、本物のジャブにはなりません。それと一緒で、何を表現するでもなく戦を描いても意味がない。線を鍛えていくには、描きたいものを必死になって一発一発描いて鍛え上げていくしかありません。
・・・好きなものがあるというのは、本当に強い。そして、何かを会得するためには反復練習するしかない。このときの経験は今でも私の人生の核になっています。
・・・「縄跳びをうまく跳ぶにはどうしたらいいんですか?」そうトレーナーに尋ねると、「いやー、鶴太郎さん、コツはないんですよ。ひたすら跳ぶしかないんです。跳んでいるうちに何かが見えてきますから」そんなふうに教えられました。それで黙々と跳んでいると、1週間、2週間と経つうちに、バツンバツンと足に当たっていたロープがだんだん当たらなくなってきます。「何かが見えてくるってこういうことか」と思っているうちに1か月も経つと、すっかりリズミカルに跳べるようになっていたのです。
・・・最後に私の大好きな言葉を記します。 汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり』

2017年10月28日 (土)

頭が突然鋭くなる瞑想法 ブッダが悟りを開いた人類最高の英知 (アルボムッレ・スマナサーラ長老著 日本テーラワーダ仏教協会)

たびたび掲載している著者の本です。また新たに知ること、意を強くするところがたくさんありました。

『・・・ブッダは、「知識と知恵を集めれば幸福になりますよ」と言われました。「私たちからぜったいに離れない財産は知識と知恵である」という言葉もあります。私たちが死ぬとき、来世に持っていくことができるものが二つだけあります。一つは自分の行為、「人間としてどのように生きた来たか」という自分の生き方からもたらされるエネルギーです。自分の善行と悪行の結果によるエネルギーを、私たちは来世に持っていきます。もう一つは知恵と、そして知識の一部です。生きている間に、人生や生き方の心理を何か理解したならば、その理解は来世に持っていけるのです。・・私は、「知識とは、概念の積み重ねである」と定義をします。・・概念を覚えるだけの人は、ものはたくさん知っているのだけれども、せっかくのその知識が役に立ちません。知識がありすぎて整理ができないと、頭の中で混乱してしまいます。・・少ないことでもきちんと知って、それを自分のためや社会のために上手に使えることこそ、ほうとうに評価できるのです。・・そういう歩く図書館とか、歩く百科事典のような人がいます。とくに昔は多かったようです。そういう人々は知識を伝えるためには役に立ったかもしれませんが、本当の仏教の師ということはできません。ですから知識だけの先生はよくないと言って、仏教ではそういう人たちを厳しく批判しています。・・「たくさんの知識がなくてもいい。少しの知識でも、それを実行しなさい。知識を実行する人こそ真の知識人ですよ」とブッダは言われています。
・・・概念には、論理的概念と経験的概念の二種類があります。
・・・言葉とはなんでしょうか。考えてみると、言葉というものも経験からつくられたものなのです。何かを経験して、それを言い表す方法、手段として名前をつける、それを言葉と言っています。
・・・何かを言われた瞬間に「ほんとうにそうか、そうではないか」とサッと自分で経験してみる。その経験が大切なのです。
・・・本を読むときも、なるべく自分の経験になるように読むコツがあります。どうするかというと、自分で書いた本を読んでいるつもりで読むのです。
・・・できるだけのことを考えながら本を読む方法です。完全に本の内容に集中している状態で、同時にあれこれ、それについて考えるのです。・・常に動きたがる頭の働きを逆に利用するのです。読みながら、他のことではなく、本の内容について考え突くままに分析したり、理屈をつけたりしながら読むのです。・・考えるときは、肯定する立場と否定する立場の両方から考えてみます。・・そのように読むと、読むスピードは遅いかもしれませんが、内容についてはとてもよく理解できます。
・・・経験的知識は、後の詳しく述べる知恵につながる知識なのです。経験の伴わない論理だけの知識は、私たちが生きていく上であまり関係ない知識です。私たちは生きることで精一杯なのだから、経験的な知識を得るだけでいいと思うのです。
・・・仏教では「自分のためになる勉強、人のためになる勉強は、いくらでもしてください。そうでないものは、やめなさい」と言っています。私たち僧侶は、星占いや手相など、占いの勉強は禁じられています。なぜなら、人々の吉凶禍福を占ったところで、なんの役にも立たないからです。
・・・同じ教育を受けて同じ知識を詰め込んでも、ある人は役に立つし、ある人はまったく役に立たない。その違いは、知恵の働きがあるかないかによって決まるのです。
・・・世の中が思う通りにいかないことは当たり前のことなのです。
・・・知識の世界では、自分の分野をどう成立させるかということしか考えません。そういう世界で私たちは生きています。ですから、仏教の立場からみれば真の法に則って生活している人は誰もいません。真の法というのは、普遍的な法則のことです。人は皆そういう法を侵して生きてるのです。・・ブッダは、人々の幸福、生命の幸福のためにならない知識や論理は捨てなさいと言われています。・・仏教では論理と倫理は表裏の関係にあります。倫理のない論理は捨てなさいという立場なのです。また、論理のない倫理も認めません。
・・・仏教では、「知識は生き方によって完成されるのだ」と言います。知識の完成は道徳にあって、道徳の完成は知識にあるのだというのです。人間の生き方として、その二つをきり話して考えることはできません。
・・・人々の幸福のために生きることを人生の目的にしてほしいのです。どんな人間でも、たとえ子供でも、「自分はみんなのために生きているんだ、みんなに何かいいことをしなくてはいけないのだ。それが自分の仕事だ」と考えるべきなのです。
・・・知識は使えなければ何の意味もありません。何かのために生かされてこそ、知識の意味があるのです。
・・・知恵と道徳はどういう関係かと言いますと、道徳を守らずいい加減な生活をしていると、精神的に乱れます。そうすると、確実に知恵が働かなくなるのです。ですから、知恵のためにも道徳は必要です。
・・・付き合いで、さすがゴッホですねぇとかなんとか適当に言っていればいいのです。でも、心の中ではしっかりと自分自身の判断で評価をする。そういうことをしていると、抜群な知識人、知恵の人になれます。そしてストレスもありません。自分で判断することはとても気持ちがいいのです。知恵が生まれるとストレスなどぜんぶ消えてしまいます。
・・・知恵のためには次の三つが必要です。まず自分に元々ある知識。次に社会から入る情報。それに自分でああだこうだと考えた自分だけの考え。その三つを自分の中に並べておくと、パッと何かが浮かぶのです。それが知恵なのです。
・・・私たちは自分のできる範囲でパターンにはめられないように生きなければなりません。
・・・精神的な問題の場合は、原因を探っていったらきりがないのです。・・会社でヒステリーを起こしてキィキィと言っている人がいれば、何かちょっと他のことを頼めばいいのです。・・ものごとの配列というか、なぜこういう状態になったのかということを見て、それに答えを出してその状態を抑えるというのは、知恵による問題の解決です。
・・・人は皆余計なことを考えすぎます。社会というのは理屈で割り切れる世界ではないのです。そこに理屈でいろいろと考えてしまう。ですから、何か問題が起こったときに知恵が現れるためには、なぜこういうことが起きたか、どうすればこういう現象が消えるかと冷静に見て、すぐにその場を収める知恵を働かせるのです。
・・・子供は自分のことをほんとうに心配してくれる人に対しては、きちんと反応するのだということです。自分のことを本当に考えてくれる人のことは裏切ってはいけないということを、本能で知っているのです。
・・・問題の解決法は、その場の状況を理解して判断することから生まれてくる。そして言うべき時にすばやく必要なことを言わなければならないのです。
・・・知恵を働かせるための考え方として、物事には両面があるということを知らなければなりません。どういう論理やどういう考え方にも、その逆の面、逆の立場があるのです。姓があれば、そこには必ず負の面があります。
・・・たいがいの宗教では、永遠の命を約束しています。それが人間の希望なのです。人は死にたくないのです。でも、確実に人は死にます。
・・・なんでもやることが遅いというのは、無駄が多いということと同意語だということを理解してください。・・無駄のない行動をするというのは、どういうことでしょう。一つには、待つべきところではしっかりと落ち着いて待つ。待ってはいけないところでは、瞬時にしてやる、ということでしょう。
・・・この世の中には早いも遅いもないのだ、ということです。あるのは、一つ一つのものにはそれなりに時間の特性があるのだというだけのことです。その品もの、その現象、その仕事なりに時間の特性があって、我々はその時間に我々の方から合わせていかなければならない、ということなのです。
・・・子どもには子どものスピードに合った勉強の方法があるし、大人には大人のやり方がある。・・私が皆さんにスローモーションということを勧めるのは、そのなかにものごとにはすべからく時間の特性があり、その法則を理解しなければ、頭も回転し始めないし、活性化もできない、ということなのです。・・スローでやるためには、そこに途轍もない知恵が必要になるのです。知恵を使わないことには、ものごとはスローにはできません。それと、余計なことを考えてもできません。余計なことを考えると、すぐ早くなってしまいます。余計なことは何も考えずに、集中してやらないとスローにはならないのです。
・・・知恵の世界というのは、何が起きても焦らない世界なのです。焦るということ自体、無知である証明なのです。
・・・私に言わせれば、、プロという人は物事の順番を知っている人のことなのです。その道のプロという人は、その道の順番を知っている人。・・順番を知る人に焦りはありません。無駄もしないし、失敗もしません。ところが、順番を理解していない人は、とにかく失敗ばかりするし、やることなすことに無駄が出る。
・・・人間というものは、小さいときほどこの観察力が旺盛で、貪欲です。それだけ、なんでも見る見るうちに知識となり、知恵がついていきます。ところが大人になると、その観察力が衰えてきて、ボケてしまうのです。・・ブッダは、「一生、観察する仕事だけは忘れてはならない」と諭します。見る、聞く、この観察だけは、決して忘れるな、と言うのです。・・人間は、この観察能力がないと死ぬまで不幸で苦しいのです。・・観察することによって、ものの時間と順番というものが分かってくる。ですから、ものの時間と順番を理解した人、つまり観察能力の秀れている人というのは、仕事をしてもそれこそだれよりも早いのです。ただ焦っても仕事は早くはできません。・・スローモーションにやるというのは、決してのんびりやれということではありません。それは理屈の世界ではなく、知恵の世界なのです。スローモーションというのは、訓練なのです。
・・・電車やクルマのベテランの運転手は、なぜ失敗するのでしょうか。それは、傲慢さが出るからです。つまり観察することを忘れてしまうのです。プロと言われる人が、もっとも重要に考えてやってきた”観察”を忘れてしまう。慣れたもんだよ、こんなこと見なくてもできますよ、と傲慢な気持ちが出てそこで失敗してしまう。
・・・集中力というのは、興味なのです。
・・・仏教の専門用語に一境性(いっきょうせい)という言葉がありますが、これは集中していく度合いのいちばん深い状態を言います。こういう状態まで集中していくと、これまで見えなかったものの本質が見えてくる。
・・・病気をしても結構おもしろく過ごせるのです。何せはじめての体験ですから、いろいろ刺激があって観察できるでしょう。
・・・焦ってものごとを早くやろうとすることは、理性ある鋭い頭を持った人々には絶対の禁止事項です。これらはすべて無知につながってしまうことです。
・・・計画というものは、まずだいたいにおいてそのとおりに運ばないものです。ほんとうに計画どおりに行くというのは、ものの順番と時間の特性がわかったときだけです。・・観察能力が身についてくると先読みの能力なども自然についてきます。先見性がある人というのは、観察力の旺盛な人、確かな人であることはよくおわかりでしょう。
・・・ライバル意識をエネルギーにして仕事をしています。あれはよくありません。よくないし危険です。ライバル意識を燃やすというのは、怒りで自分を燃やしていることなのです。この燃やしているエネルギーはたいへんな消費量で、まさに浪費といっていいのです。・・ライバルのことなどきれいさっぱり忘れてしまうことです。相手がどんなにスピードを早くして仕事をこなそうと、どんなにヒット商品を生み出そうと、自分には関係ない。・・自分の仕事を淡々とやればいいのです。・・ブッダの教えはこうです。いい仕事というのは、そのライバルにさえも手を貸してあげて、助けてあげる。ライバルが自分よりいい仕事をやったのなら、自分のことのように喜んであげる。ライバルが苦しんでいるのを見たら、「何か手伝うことはありませんか」などと言って、慰めてあげる。前の章でも述べましたが、こういう態度でいると、自分ももちろん、ライバルだった相手のほうも心のなかにやさしい感情が芽生えて、二人のあいだには慈しみという最高の波動が生まれるのです。
ヴィバッサナー瞑想法は、ほんとうに大切なものは何垢ということを考え直す方法、ものごとを新しい角度で観る方法です。・・世界をありのままに観る必要があります。それをどうやって身につけるかという実践法が、ヴィバッサナー瞑想法です。・・サマタとは落ち着くということで、サマタ瞑想法とは精神的に落ち着くための瞑想法、落ち着いた静かな心をつくる瞑想法です。日本の禅やインドのヨガなどがとくに有名なサマタの瞑想法ということになります。仏教にもいろいろなサマタ瞑想法があります。一つ有名なのは、念仏です。きれいな声できちんと決まったやり方で念仏を唱えると、心が落ち着いてとても気持ちがよくなります。・・心が落ち着くと脳にα(アルファ)波という脳波が出るのです。β(ベータ)波が出ているときはいろいろ余計なことを考えているのです。α波が出ているときは心がリラックスして落ちついていますが、このα波を出すためには集中力が必要です。・・でも落ち着くということは、我々の最終的な目的ではありません。落ち着いた心で何をするかということが最も重要なテーマです。
・・・気づくというのは、具体的にはただ単に自分のすべての動作や感覚や心の動きを確認していくことです。
・・・歩きながら何かを考えている、それは今あなたが妄想の世界にいるということなのです。この、妄想の世界をさまようことこそ人間のもっとも困った現象で、脳細胞の弛緩した状態を作り出し、不安や心配、苦しみや悩みを生み出す元を作っているのです。この妄想世界から脱出して、今この瞬間に生きている自分に気づく、ということがほんとうの幸福になるためのもっとも確実な近道である、というブッダの教え
・・・私たちは、その時その時の状態や諸条件によって、好き勝手に客体を認識して判断して理解しているのです。ということは、私たちは自分勝手な認識に基づく誤った判断によって、自分の人格を変化させたり、生き方を決めたりしているのではないでしょうか。自分に気づいてラベリングをすること(サティの実践)は、いきなりというか、突然その人間の生き方のプロセスをカットするのです。つまり判断しないでありのままを観るということをさせるのです。
・・・私たちはさまざまなことで、悩んだり苦しんだりしています。・・それらすべての思いや考えは私たちの判断に基づいています。・・問題や悩みを解決するために、私たちはまず認識とはどういうものなのかをはっきりと知らなければならないのです。知るためには、観察することが必要です。・・音だ、見える、聞こえる、歩いている、感じる、触っている、考えている、などと気づきながら生活していると、心の中にさまざまな感情の波が生まれなくなってしまいます。そうすると、心の中に刺激はなくなってしまいますが、その代わりに生きる苦しみも消えてしまいます。その苦しみがないという状態が悦びなのです。悦びというのは特別なことではなくて、ただ苦しみがないということなのです。その静かな落ち着いた状態に悦びを感じ始めると、心のなかに感情の波が生まれてこなくなって、意識のレベルがかなり落ち着いてきます。・・心を落ち着けていると、存在願望のエネルギーはどんどん薄れていき、最後には完全に消えてしまいます。それが、実は解脱なのです。永遠に生きたい、死んでも死にたくない、という存在願望のエネルギーが消えること、それが悟りをひらくということなのです。それによって人間は、初めて輪廻転生を乗り越えることができるのです。輪廻からの脱出、つまり悟りの境地というものは、私たち俗人の認識レベルとはまったく違う出世間の認識レベルです。ですから、それを理解しりと言われても、私たちには無理な話なのです。・・しかし、存在欲のエネルギーが消えていくと、その代わりに知恵が現れてきます。その知恵によって私たちは、すべての存在は苦であること、無常であること、むなしいこと、実体がないこと、私たちはただ幻覚の中で苦しんでいることを、はっきりと理解します。それはすべて、この気づきの瞑想(サティの実践)によってのみ得られるのです。
・・・頭に判断させることを止めさせて頭を忙しくするために、自分がその時にしている動作を頭の中できちんと言葉にするのです。・・世間話や余計なことを考えるのではなく、頭をリラックスさせてください。頭を休ませてあげてください。我々の頭は一分も休んではいません。いつでも、欲で、苦しみで、燃えているのです。・・心が治るとすごく活発になって、どんどん知恵の方に心が行くのです。
・・・掃除や洗濯のときに、つまらないことをかんがえたりせずに、ただやるべきことに集中できる方法です。それはどうするかと言いますと、たとえば、拭き掃除をするときには「吹きます、拭きます、拭きます」と拭いている自分に気づく。拭いている行為の一挙手一投足の動きだけを認識していく。
・・・スランプというものは時間を掛ければいつかは直りますけれども、実はすぐに直す方法があるのです。それはどうするかというと、先ほどお話しした瞑想法を使うのです。つまり、自分の状態にいち早く気づいてしまえばいいのです。
・・・今この瞬間、自分に起こっているできこと現象を客観的に観察するという癖をつけるといいかもしれません。
・・・考えの中に入らずに、考えていること自体を客観的に見て、「考えている、考えている、考えている」と三回確認してから、「戻りまーす、膨らみ、膨らみ、縮み、縮み、・・」と戻ります。・・この瞑想はほんとうに自己が観察できる瞑想です。自分の今までわからなかった自分自身の性格や自分の心の中身がもう片っ端からでてきます。自分が見えてくるのです。
・・・瞑想をして、し終わったら、いきなりすぐに立ったりしてはいけません。この瞑想をしていると、自分では気が付かないのですが、心がすごく深いところに行っています。ですから、いきなり立ったりしてはいけない。瞑想を終えるときには、「瞑想を終わります」ときちんと頭の中で言います。・・瞑想を終えるときには、きちんと正しく落ち着いて終了してください。・・もし落ち着いて終わることをしないと、瞑想で得た段階は続かなくなってしまうことになるからです。さらにその後の瞑想がとてもやりにくくなってしまうので、気を付けてください。
・・・瞑想をすると、人は必ず妄想に悩まされます。・・私たちは妄想の中に生きている・・今の瞬間はぜったいにもう二度と戻ってこないのです。それなのに、今ここに座っていても心はもうこの場所にいないでのです。・・私たちの幸福を壊す私たちの最大の敵、私たちを悩み苦しませて不幸にする張本人は、だれでもない自分自身の妄想なのです。自分の妄想こそ、私たちが闘って、打ち勝つべき最大で最強の敵なのです。「今の自分に気づく」というヴィバッサナー瞑想法は、私たちの最大の敵である妄想と闘うための、もっとも効果的で優れた方法なのです。
・・・妄想をなくすというのは本当はかなりたいへんなことなのです。・・問題は、妄想が出たときにどうするかということなのです。それこそが大切なポイントなのです。妄想が出るたびに、「妄想、妄想、妄想」と確認して呼吸の観察にもどればいいのです。そこがいちばん大事なポイントです。
・・・妄想は、意識からも出ますけど、ほとんどは無意識のところから出てくるのです。深いところからいきなり出てきて、それについてフッと考えさせてしまう。ですから、私たちは自分の妄想を確認していくことによって、自分自身の無意識を観察しているのです。自分の無意識の観察をするということは、ほんとうの自分を知るということです。
・・・瞑想をずっとづつけると妄想をしない自分の心が現れます。無意識が落ち着いたら妄想は出なくなります。その心はとても静かで、平和で、荒波も渦巻きもない海の底のような平安な心です。
・・・結論を言いますと、妄想は抑えられません。私たちにできるのは妄想に気づくことだけです。そして妄想に気づけば気づくほど、ほんとうの自分が見えてきます。そして自分の性格の悪い部分が直されて立派な人格が形成されていきます。ですから妄想を怖がらないことです。』

2017年10月10日 (火)

稼ぐまちが地方を変える 誰も言わなかった10の鉄則 (木下斉著 NHK出版新書)

町おこしについて、目からうろこが落ちるような内容でした。

『・・・従来にはなかった「予算をもとに何ができるか」という議論がなされるようになり、それを執行するための業務を誰が担うのかという話になっていきました。・・こういう動きが出てきたことで、それまで善意で手伝ってくれていた人々の士気が一気に下がりました。・・言い方は悪いですが、補助金とは麻薬のようなもの。それまで真面目に生きてきても、一発チュッと打たれただけで一斉におかしくなってしまうものなのです。
・・・一つは、全員の意見を聞くのではなく、自分で考えろ、ということです。・・みんなの意見を聞く前に自分の頭で考え、行動することが決定的に足りていなかった・・反対に全員の意見を聞き、全員が納得することを優先していると、自分で決断することが難しくなる。悪い方向に向かっていることに薄々気づきつつも、「誰かがなんとかするだろう」と全員が無責任になります。・・甘い夢を掲げて仲間集めをしてはいけないということです。
・・・甘い見通し、無責任体質、他力本願、独善的な発想などはまちづくりだけでなく、日本の多くの組織で見られる現象であるとも思います。
・・・手元資金の多い少ないに関係なく、やろうと思えば絶対にできます。できないと思うのは、最初からそう決めつけているからです。
・・・アメリカの地域再生に取り組む人たちから学んだ最大のことは、まちづくりは官主導ではなく民間主導、特に不動産オーナーを基本に据えて考えるということです。現地で不動産オーナーと話をすると、誰もが積極的に地域に投資をしている。それはなぜかと言えば、「自分の資産価値を高めるため」だと即答。・・アメリカで驚いたのは、地域の公園や学校の校庭さえ、住民たちがつくっていたことです。
・・・環境整備の作業全てを業者に委託することもできますが、莫大なコストがかかります。しかし大人数の市民が参加すれば、あっという間に天然芝のスペースが誕生するのです。コストも浮いて、市民にとっては自分たちがつくった広場という意識も生まれる。
・・・よく「あたたかいまち」「心が通い合うまち」といったフレーズをきくことがありますが、これらは全て無責任な”きれいごと”です。稼がなければ、衰退するしかない。これは歴史が証明しています。
・・・どんな問題も、切り分けていくと解決策が見えてきます。
・・・とかく不動産持ちは不労所得で楽だと思われがちです。しかし、実際はそう楽ではありません。清掃もしなければならない。エレベーターがあればそのメンテナンスも欠かせません。大抵のオーナーは、ビルと建てるときに借金をしているため、その返済もしなくてはなりません。守るものが多く、投資回収機関も長い事業をしているため、不動産オーナーは保守的になりがちです。
・・・仕事のうえで相手に信用されたいなら、「最終的には儲かりますよ」と口説いてもダメ。「自分の利益を確保したうえであなたにお金を払いますよ」といってもダメ。まずは、事業をつくり、相手に三回得をさせれば、信用してくれる。自分より先に、相手に恩恵を受けてもらう。
・・・コスト削減したものを単に不動産オーナーと会社で折半しただけでは、その場の利益で終わってしまいます。必ず三分の一は未来に向けた投資基金として積み立て、地域に再投資するというルールにしているのです。
・・・地域で目立つ事業をやればやるほど、地元から反発を食らう可能性は高まります。まちづくり業界においては、新しいことは常に非難されるのです。どれほど優れた事業で、地域にメリットをもたらしても関係ありません。悲しい話ですが、これが現実です。だから先手を取って、きっちり筋を通しておく必要があるわけです。こちらが筋を通しておけば、何を言われてもどーんと構えていればよいのです。
・・・重要なのは、こういうシステムを作りあげたり、必要に応じて臨機応変に組み替えたりすることです。最初はエネルギーが必要ですが、その仕組みがしっかりしていれば、実践するメンバーが入れ替わったり増えたりしもうまく回ります。・・日本の組織によくあるパターンですが、リーダーがいなくなった途端、ガラガラと崩壊するのではないでしょうか。
・・・まちを本気で活性化させたいなら、まち会社はまず第一次顧客である不動産オーナーに向けてサービスを提供し、その事業が黒字になることが大前提です。その効果が、第二次顧客、第三次顧客へと波及していくのですから。
・・・BIO(Business Improvement Distinct)のポイントは、・・不動産オーナーが単独ではなく連携している点です。
・・・私たちが旨としているのは「自前主義」。何でも人任せにせず、自らの現場を持つメンバーがやれる範囲で結果を出しながら、その分野全体の発展を目指します。これこそが、他力本願が続いてきた地方活性化において大切なことだと思っています。
・・・重要なのはお金ではなく、覚悟です。お金は一緒に稼げばよいですが、覚悟はそれぞれの方が自分で決めるしかありません。・・まちを変えるのに必要なのは、100人の合意よりも、一人の覚悟です。99人が諦めていても、一人が覚悟を決めて立ち上がってくれれば、私たちも覚悟を決めて歩みだすことができます。・・動き出さないまちの人たちに共通しているのは、「自分たちのまちは他とは違う」という、特別な意識をもっていることです。
・・・まちづくりにおいては、往々にしてコンセプトの中途半端な店や施設が生まれることがあります。・・これは、何も言っていないに等しい。起案者に利用者の明確なイメージがない施設は、誰も寄り付かない。結局、オープン当初から閑古鳥が鳴き、やがてひっそりと閉鎖されてしまいます。重要なのは、強烈な個性。ユーザーにとって、「これは自分の生活に足らなかったもの」と思わせる何かです。
・・・民間ベースでやるからこそ、誰にも気兼ねすることなく、方向性もターゲットも絞ることができる。小さく始めれば、資金規模も身の丈に合った適正なものになり、ムダに大きなものは必要なくなります。
・・・重要なのは、まち全体で多様性をいかに創出していくかということです。
・・・まちにとってプラスかマイナスかの判断は、人がどれくらい集まったかではなく、その取り組みに参加した事業者や、場所を提供した不動産オーナーや公共セクターがどれくらい利益を出せたかにかかっています。そこをしっかりと検証する必要があります。・・活性化とは、「事業を通じて経済を動かし、まちに新たな利益を生み出すこと」に尽きるのです。それには、従来とは違う構造を生み出すことが欠かせません。
・・・本当に必要なのは、成功以前の、試行錯誤の段階を共に乗り越えられる仲間です。精神的に追い込まれたときに、一緒に笑える人です。つらい時期に逃げ腰になったり、チームから距離を置こうとする人とは、とても信頼関係は築けません。そして、それでは成果を生み出せないのです。
・・・私は、地域活性化事業に「全員の合意」は必要ないと思っています。そもそも市民参加型まちづくりでも、そこに参加した一部の住民が同意しているだけで、すべての住民が同意しているわけではありません。それは「見せかけの同意」にすぎず、合意した意見からして、誰も自分でやる気はない中で出た、無責任なものとも言えます。
・・・賛同者として必要なのは、自分で考えて自分で責任をとれる人。賛同者は「馬車」に乗る客ではなく、一緒に「リヤカー」を引く同士なのです。
・・・事業の立ち上げで失敗しないコツの一つは、すべてにおいて「営業」を優先することです。
・・・補助金を使った中心市街地活性化事業の大いなる誤りの一つに、ムダに大規模に設備投資をするパターンがあります。・・重要なのは売り上げではなく、利益です。そして、売り上げ規模ではなく、利益率です。
・・・共通しているのは、モノやコンテンツを自ら作って売っていること、つまり「製造小売型」であるということです。それぞれの売り上げは小さくても、粗利は50%以上になるものです。低売り上げでも、付加価値をつけることで高粗利になることが大切なのです。
・・・原資が地元の資本なら、誰かの消費が同じ地域の誰かの利益になります。それが地域での新たな事業への再投資に向かえば、利益は地域内で循環しながら複利で膨らむわけです。これは地域経済を豊かにするうえで大変重要なポイントです。
・・・私は、だいたい三か月を一区切りと考えて、何らかの結論を出すべきだと思っています。小さな投資案件でも、長くても二~三年で全額回収できなければダメ、基本的には、初年度から黒字にならなければダメです。
・・・まち会社の場合、特定の誰かが、年間を通じてフルタイムで行うべき業務はありません。一方、参加者が共同で副業的にできる事業は山ほどあります。・・まち会社の非効率的な雇用をつくって人を雇ったところで、それは望ましい雇用創出ではありません。まち会社が仕掛けた事業の先に雇用が生まれることが重要です。
・・・基本的に最初に、利益分配のルールを決めておきます。「儲かってから決めればいい」と先送りしてしまうのが最悪です。事業を始める前にさくっと決めてしまえばいいのです。
・・・これまでのまちづくりがうまくいっていなかったのは、「官」が今の時代では経済的に回らない仕組みに投資していたからです。・・民間がいつまでも国や自治体の投資で、何のリターンもない取り組みを「まちづくり」などと称してやり続ける限り、その地域は活性化しません。財政赤字は拡大し、域内収支は悪化する。・・小さな取り組みであっても、市場とまっすぐ向き合って稼ぎ、次なる事情に再投資して、利益を地域に還元していくことが大切なのです。
・・・鍵となっているのは、「消費」を目的としない集客を先に固めたこと。まちの人たちは、各種手続きや調べものなど、公共サービスを利用するために公共施設を訪れます。
・・・これこそが、民間の力です。つまり成立しない事業は実行できないから強いのです。
・・・競争過多の市場で消耗戦に挑むのではなく、希少性のある施設にすることで逆に全国から人を集めることができます。
・・・中途半端な多目的施設をつくるよりは、事業を仕掛けるチームが営業可能な分野に徹底的に絞り込んだものにする。私たちはこのような手法を「ピンホール・マーケティング」と呼んでいます。
・・・お金については民間が自立して取り組みながら、規制緩和や制度変更、民主的な進め方については、政治・行政が担っていくという、公民連携における理想的な役割分担がなされたからこそ、オガールプロジェクトが実現したといえます。
・・・規制緩和のルールをしっかりと守り、そのうえで実績をあげる民間の姿勢。それをサポートすべく規制緩和を進めていく行政の姿勢。この二つが組み合わさって、10年前にはできなかったことがどんどん可能になっているのです。・・すべては民間がやりたいと考え、実行したことを行政のお金に頼らず実現しています。行政が予算で支援するのではなく、可能な限り規制を取り払い、民間が動きやすくすることで、これらの事業はもっと活発になるでしょう。
・・・なぜならば、民間が稼ぎ、行政をも潤す関係ではなく、行政から民間にお金が流れる仕組みになっているからです。資金の流れが逆なのです。「第三セクター」は全国に多数ありますが、そのほとんどは赤字です。・・行政も民間も、誰も責任を取りたくないからです。
・・・一歩間違えば、民間と行政は、すでにユルい依存関係に陥ってしまいがちです。そういう意味では、公民連携というものは、極めて危うい関係でもあり、緊張感をもって臨まなければならないのです。
・・・なぜ民間がやるほうが安くなるのか。効率的に業務を行うようになるから、というのもありますが、一番の理由は「人件費が抑えられるから」です。
・・・外貨獲得で重要なのは、「営業」です。そこだけでしか手に入らない特産品を地域外に出していくにしても、画期的な技術やアイディアを地方にもってきたとしても、営業ができなければ、宝の持ち腐れです。「売れている地域」は、消費地に先回り営業を行い、販売ルートを開拓してから、生産に着手しています。
・・・民間は、事業に取り組んでいるだけでは不十分だということです。・・現場で取り組んでいる実践者が自ら、政府や学術機関に様々な政策提言をしていくことが重要です。さらにいえば、提言だけではなく、現場で実証を示すところまでやる必要があります。
・・・これからの時代には、「民間には高い公共意識」、「行政には高い経営意識」が求められているのです。この意識が一人一人に備わったとき、いかなる課題も解決できる、須原いいチームが地域に生まれることでしょう。』

2017年10月 1日 (日)

新聞記事から (【緯度経度】「朝鮮半島有事」への教訓 黒田勝弘、【日曜経済講座】衆院選・北朝鮮問題を考える 真の脅威は中国の膨張主義) 産経新聞朝刊 29.9.30、29.10.1)

2件とも、傾聴すべきものだと思います。

先ごろ日本で天皇、皇后両陛下が埼玉県日高市にある高麗神社を訪問されたというニュースを、韓国のマスコミは写真付きで大々的に伝えていた。この神社が古代・朝鮮半島の高句麗から渡ってきた渡来人を祭っているということで、両陛下が古代史における朝鮮半島の日本への影響に強い関心を持たれていることを歓迎し、大喜びしているのだ。

 このところ韓国人との会食でよくこの話が出る。陛下は日韓共催のワールドカップ・サッカーを前にした2001年の誕生日会見でも「(奈良時代の)桓武天皇の生母は百済王の子孫」という「続日本紀」の記述を紹介され「韓国とのゆかり」を語られている。したがって天皇陛下は韓国では“親韓派”と思われているのだ。

 韓国人は古代史というと朝鮮半島が一方的に日本に恩恵を与えたように思っていて、いわば“先輩気分”で意気揚々となる。今回もそうだ。そこで韓国人にいうのが7世紀、日本が百済復興の支援軍を派遣した「白村江の戦い」だ。

 百済・日本連合軍と唐(中国)の支援を受けた新羅・唐連合軍の戦いだったが、日本軍は大敗し水上で壊滅する。そのときの派遣兵力は「最低でも3万7千余」(中村修也著「天智朝と東アジア」NHKブックス刊)にもなる。あの時代にこの数はすごい。

 日本にはそれほど百済への“義理”があったということだが、この故事は韓国ではまったくといっていいほど教えられていない。最近、旧百済の遺跡を観光旅行してきた日本の友人は「どこにも何の記念物もなかった!」と怒っていた。

 日本には高麗神社のほか百済神社や新羅神社などが大昔からある。佐賀県の有田焼の里には「陶祖」として朝鮮陶工を祭った100年前に建てられた記念碑もある。韓国人は与えた恩恵や自らの被害はいいつのるが、支援されたことには全く知らん顔で伝えないというのは、古代史ばかりではないようだが…。

 朝鮮半島をめぐる戦争の歴史としては、「白村江の戦い」の後、13世紀の「元寇」はモンゴル族の元(中国)が高麗を手先に日本に侵攻してきた。16世紀の文禄・慶長の役(韓国でいう壬辰倭乱)は、最後は朝鮮半島侵攻の豊臣秀吉の日本軍と朝鮮支援の明(中国)との戦いになった。

 下って19~20世紀には日清、日露戦争など朝鮮半島を舞台に日本は清(中国)やロシアと戦っている。1950年代の朝鮮戦争では、北朝鮮・中国連合軍の侵略と戦う米(国連軍)韓連合軍を支援する後方基地となった。

 この後方支援があったから米韓軍は何とか北からの共産主義侵略軍を撃退し韓国は国を守れたのだが、韓国では「日本は戦争特需でもうけて経済復興した」という話ばかりで「日本の支援」の効果など全く無視されてきた。

 最近の北朝鮮の弾道ミサイルや核開発は日本への軍事的脅威でもありその備えは当然、必要だが、コトの本質は朝鮮半島の南北の内部対立であり「朝鮮半島有事」の問題である。その際、来るべき日本の関わり方は歴史的に見て、どのパターンになるのだろう。

 歴史的経験として「白村江の戦い」の直接派兵はもちろん、直近の後方支援でさえ感謝されていないのだから「朝鮮半島有事」の際の支援の在り方には慎重を要する。過去のように“深入り”して逆に後世に禍根を残してはまずい。(ソウル駐在客員論説委員)』

『朝鮮半島危機の中で衆院選を迎えるというのに、争点がぼやけている。北朝鮮問題とは何か、国連による対北制裁の効力はなぜ乏しいのか、そもそも何が日本の脅威なのか、を再確認しよう。

 1950年1月30日「われわれには鉛が大幅に不足している。もし指示した量の鉛を送ってくれるなら、多大な支援を行う用意がある」

 同3月9日「われわれが示した通りの量の鉛を送るとの連絡を受け取った。支援に感謝する。あなたの要請通り、武器、弾薬および技術設備を提供する」

 以上は、ソ連のスターリン共産党書記長から北朝鮮の金日成(キムイルソン)首相への極秘電報で、ワシントンのシンクタンク、W・ウィルソン・センター収蔵の「スターリン文書」から拾い出した。

 この年の6月25日、ソ連の軍事支援の確約を取り付けた北朝鮮軍は暗号命令「暴風」を受けて北緯38度線を越えて侵攻を開始した。悲惨を極めた朝鮮戦争(53年7月休戦)の始まりである。

 上記電文のキーワード「鉛」は核兵器の原料、ウランの隠語である。ソ連は49年8月に初の核実験に成功したが、当時ウラン資源は国内で見つかっていなかった。スターリンは東欧産に加えて北朝鮮からも確保し、核で米国に対抗できるようになった。

 金日成はウラン提供の見返りに、スターリンから核技術協力を得た。子の金正日(キムジョンイル)、孫の金正恩(キムジョンウン)が執念を燃やす核兵器開発は、金日成後継の正統性の誇示でもある。いくら国際社会から非難されようとも、後ろには引かない。

 今年9月3日、北は6回目の核実験を強行した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)などミサイル開発の進化に合わせている。

 国連安全保障理事会は11日、対北制裁強化を決議した。目玉は対北石油輸出の制限だが、輸出のほぼ全量は中国からである。米国は全面禁輸を提案したが中国とロシアの反対で譲歩し、原油は現状維持、ガソリン、重油など石油製品は年間200万バレル(1バレルは約0・135トン)という上限を設けた。メディアの多くはその「厳しさ」を伝えたが、とんでもない解釈だ。

 グラフは中国当局公表の北向け石油製品輸出実績である。昨年末までの年間の総量はこれまでの最高水準で、200万バレルどんぴしゃり。今年8月までの年間では147万バレルまで落ち込んだが、これからは国連の容認のもとに白昼堂々、輸出を増やせるではないか。

 もう一つ、目を引くのは中国からの対北輸出の急増だ。石炭など北からの輸入は減っているので、中国の輸出超過額がうなぎ上りだ。国内総生産(GDP)が日本の最貧県程度でしかない北朝鮮は外貨不足で、貿易赤字分を払えないはずだが、中国の銀行が信用供与すれば可能だ。

 トランプ政権はそのからくりを見破り、北と取引する企業・銀行を制裁すると言い出した。そのターゲットはもちろん中国だ。米国から名指しされた銀行は米銀からドル資金を調達できない。つまり、国際金融市場から締め出されることになり、信用パニックに見舞われかねない。

 今月18日からの共産党大会を控えた習近平政権はあわてて、中国人民銀行を通じて大手の国有商業銀行に対し、北朝鮮関係の口座封鎖を命じた。これなら北を経済的に封じ込められそうだが、実際はどうか。

 まず、石油。平壌ではガソリン価格が高騰しているという。米軍情報筋に聞くと、「強欲な中国の輸出業者のせいではないか。中国側はこれまでにも北向けの輸出価格を国際相場よりも2割程度高くしてきた」との答えだ。朝鮮戦争以来の「血の友誼(ゆうぎ)」など無関係だという。

 高く売りつけても、相手が代金を払えないなら、当然貿易取引は止まる。ところが、相手の弱みにつけ込むのが中国商法だ。米軍筋は「中国は債権の担保に北の鉱山利権を確保する」とみる。これまで中国資本は、かつてスターリンも瞠目(どうもく)した豊富な北の鉱物資源獲得を狙ってきたが、金正恩政権のナショナリズムに阻まれてきた。制裁によって困窮している今こそ好機だ。

 習氏が目指す現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の東の終点は朝鮮半島だ。特に半島北部には金や銀、戦略物資であるウランや希少金属が埋蔵されている。ロケットマンこと金正恩氏の命運を問わず、日本などにとって中国という脅威が増大することだけは間違いない。

 総選挙では、与野党を問わず候補者たちに冷徹な危機感を持ってほしいところだ。』

2017年9月30日 (土)

雑誌記事から(Hanada 2017年11月号)

田原総一朗氏が阿比留瑠比氏と対談していますが、阿比留氏の圧勝という感があります。田原氏のいい加減ぶりが際立っていました。まったくジャーナリストとは呼べない思考ぶりです。インターネットがない時代の日本だったからこそ活躍できたのでしょう。いまだに声だけ大きいが考えの浅い、彼の「老害」ぶりを表すやり取りを残しておきます。

『・・・田原 もし加計になったのならば、官僚たちに「加計にするならちゃんとした理屈を作れ!」というべきだった。
阿比留 それこそ介入になるじゃないですか。
・・・阿比留 国民から見ればそうかもしれませんが、しかし、あの文書が「怪文書」なのは変わりありません。
田原 何で?
阿比留 正式な行政文書だったら行政印があって、誰と誰が閲覧をして、行政にどう反映されたか、ちゃんと記録している。しかし、あれは誰が書いたかも不明のメモ書きです。
田原 じゃあなんで文科相は、文書があったとみとめたの?
阿比留 それは実際に存在していたからでしょう。存在していたからといって、それはメモ書きであって行政文書ではありません。
田原 菅だってそのあとで、「現在はその(怪文書だという)認識ではない」と撤回したよ。そこには「総理が言った」と書いてあった。
阿比留 違います。「総理のご意向」です。
・・・田原 偏っていないよ。テレビでも新聞でも、視聴者や読者が安倍さんを疑っているからこそ、前川を登場させたりしている。だからみんな見る。逆にテレビや新聞が押し付けたって、おかしいと思えばみんな見ないし、読まない。「Hanada」では批判していたけど、「文藝春秋」に前川の手記が載ったのも、その方が売れるからでしょ。
阿比留 国民が求めていることと正しいこととは違います。国民が疑っているのなら何を疑っているか、その疑念が間違っているなら真実はこうなんだと情報をちゃんと伝えて、国民に判断してもらうのが報道の役割でしょう。
・・・阿比留 ・・・田原さんはそう思っているかもしれませんが、他の多くのメディアは違う。フェイクニュースですよ。
田原 それがウケるからでしょ。
阿比留 田原さんは、「ウケるからいいんだ」と全肯定するんですか。読者のウケを考えるという部分がマスコミにあるのは事実ですが、ウケるから何でもいいわけではない。
・・・阿比留 総理の言い方、やり方にまずい部分があったというのはわかります。判断ミスかもしれません。しかし、「国民が疑っているんだから、報道が偏向するのも仕方ない」というのは違います。
田原 報道は国民の求めに応じるものだよ。
阿比留 とんでもない。田原さんの言葉とは思えません。それでは困る。記者の仕事はステレオタイプの打破であって、それに乗っかることではありません。
・・・阿比留 朝日なんか、繰り返し「疑念が晴れない」とか「疑念が残る」とか、そういう表現ばかりです。疑念を持たれること自体が問題だとする向きもあるけど、疑念なんて持とうと思えば、誰でも、いつでも持てます。報道だったら疑念だけでなく、その証拠も書かなければおかしいはずです。
田原 安倍さんが疑念を晴らす努力をしなくては。
阿比留 なかったことを証明するのはそれこそ”悪魔の証明”で、不可能です。総理はこれまで何度も証明しているけど、全く聞く耳を持たないじゃないですか。
・・・田原 あれは高市氏の発言がおかしかったからだよ。彼女は「テレビが政治的に公平性を欠いた発言をすれば、電波停止もありうる」と言っていたが、ああいう暴言があると、新聞社やテレビ局の幹部は自己規制する。だから僕らは断固抗議するんだ。
阿比留 それはおかしい。そもそも高市氏は質問されたから答えただけだし、法律に書かれていることを言ったまでです。それに民主党政権の時、平岡秀夫副総務相も同じ答弁をしています。もし高市発言で怒るのなら、平岡発言の時に怒るべきではないですか。
田原 民主党政権なんて、政権と思っていなかったからね(笑)。
阿比留 それは答えになっていませんよ。Aが言ったら問題にするけどBが言っても問題視しない。そんな二重基準はよくない。
・・・田原 新聞にもテレビにも、特に若い世代は関心を持たなくなっている。それはネットのせいだ。僕は新聞は十年経たないうちに”マスメディア”から単なる”メディア”になると思っている。テレビの経営もガタガタになってしまうだろう。
阿比留 ネットで誰もが検証できる時代に、どちらか一方だけの言い分だけを載せて他は載せないなんて通用しないし、それによって信頼もなくなる。これはメディアの自殺ですよ。

2017年9月28日 (木)

新聞記事から(消費税が争点?北に嘲笑される 編集委員 田村秀男) (産経新聞 29.9.27 朝刊)

他に指摘している人は見かけませんが、傾聴すべき意見だと思います。

『10月22日に実施予定の衆院選の最大の争点が「消費税増税」になりそうだとは、なんとも面妖だ。安倍晋三首相の解散理由は緊迫する北朝鮮情勢など国難への対応で、まさにその通りだが、危機の根源は慢性デフレに伴う国内の停滞にある。対照的に経済規模を膨張させてきた中国は国際社会で日本を圧している。

 経済小国北朝鮮はその中国の経済支援の下で、核・ミサイル開発にいそしんできた。日本は早急に脱デフレを実現し、防衛を含む国力を回復させるべきなのだ。なのに、デフレの元凶である消費税増税をめぐって各党が街頭で口角泡を飛ばすとは、かの国のロケットマンに嘲笑されよう。

 北朝鮮問題とは、拡大中国に対する萎縮日本という構図の一コマである。グラフはそれを端的に物語る。中国の名目国内総生産(GDP)は2010年に日本を抜いて以来、差を広げている。貿易総額の9割が中国相手の北朝鮮はこの間、中国から入るモノやカネを大幅に増やしてきた。

 日本の方はアベノミクスがもたらす円安・株高でいったん消費者や企業の心理は好転したが、14年4月の消費税率8%への引き上げの結果、デフレ圧力が再燃。企業は国内での設備投資や賃上げを渋る。企業が使わないまま手元で寝かせる利益剰余金は年間で20兆円以上も増え続けている。

 対照的に、2%の消費税増税によって家計から徴収する5兆円余りの税増収のうち2兆円を使うという安倍首相や、全額を回すという民進党の前原誠司代表の教育無償化・負担軽減の論戦に何の意味があるのだろうか。国政新党を立ち上げる東京都の小池百合子知事は消費税凍結を主張するが、選挙戦術の域を越える真っ当な危機認識があるのか、と問いたいところだ。

 故三島由紀夫は47年前、「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」と産経新聞(当時は「サンケイ新聞」)紙上で警告した。今や「極東の経済大国」の存在感すら薄れている。9月上旬、訪米した横田めぐみさんら北朝鮮による拉致被害者の家族会は、トランプ政権、議会や国連などの関係者から「日本はいったい何をしているのか」と一様に聞き返されたという。

 北朝鮮問題について、トランプ大統領は米国を一貫して支持する安倍首相と良好な信頼関係を保っているが、他方では中国の習近平政権による対北抑制策に強く期待している。習氏は小出しながら北との貿易・金融取引を制限して米国からの報復をかわし、10月後半の共産党大会で権力基盤を固める。ユーラシア全域を中華圏に取り込む一帯一路構想推進により、対外膨張の加速をもくろむ。

 半島危機が今後どうなろうと、アジアや日本にとって中国の脅威はやまない。安全保障では対米依存、国内は増税でデフレ容認、経済停滞は無視、防衛力もGDPの1%でよい、というなら、今回の衆院選は米国の失望を買うだけだろう。』

2017年9月20日 (水)

終わらない歌 (宮下奈都著 実業之日本社)

前回掲載したものの続編です。全編から、数年後の登場人物たちの姿を、やはり、さわやかに描写しています。そして、私も好きなブルーハーツ、ハイロウズの歌を題材に物語が進められています。

『・・・いろんなことがわかってしまったような場所で、評価から離れて歌うのは勇気のいることだ。そして、評価を忘れて友達とつきあうのも骨の折れることだと思う。
・・・「親元にいたらわからないことってあるのよ」 母はいった。「人生って案外短いんだから。今勉強しないでいつするの」 笑って送り出してくれたけど、口調はいつになく強かった。
・・・年をとって円熟味が増したと評価される演奏家もたしかに多い。でも、同じくらい多くの演奏家は年と共に情熱をなくし、勢いをなくしていくように思えた。
・・・今夜も千夏は洗いざらしの白いシャツにだだのジーンズで、どきっとするほどかっこよかった。かっこいいはおかしいかもしれない。小柄で、決して美人の部類ではなく、お化粧っ気もなく、かといって人より前に飛び出していくタイプでもなく、それなのにどうしてこんなにいきいきして見えるのだろう。
・・・もしかしたら私はまだエースとして投げ続けていたかもしれない。だけど、それが何だろう。いつかは必ずエースではいられなくなる日が来る。早いか遅いか、たかだか何年かの差しかないのなら、大して変わりはなかった。
・・・「トロンボーンという楽器がオーケストラの主役にはなりにくいからといって、僕が僕の人生の主役でないわけではない」 静かな声だった。まるでほんとうの雨みたいに、その台詞は私の身体に染み込んできた。
・・・私はずっと、これがあれば、ではなく、これがなければ、と思ってきた。・・でもそれももう決着をつけたほうがいいのだと思う。・・ただそれだけのことだと思おう。そうでなければ、私はこれからも、ないものにとらわれて生きていくことになってしまう。
・・・父や母や弟がそれぞれの世界にいることが、私にはむしろ救いだ。私が世界から転がり落ちても、彼らは彼らの世界に生きている。「普通に生きていく上でどん欲には見えない人たちです。でも、実は。 「ものすごくどん欲なんです」 彼らは彼らの世界でものすごくどん欲に生きている。・・私がたったひとつの役のために大騒ぎするのとは違い、彼らは静かに淡々と静かに淡々と彼らの道を究めている。
・・・一番だったらここには来なかった。ここで歌うことはなかった。夢にも希望にも肯定的なイメージしか持たなかっただろう。一番の人には見えない景色を、私は見る。
・・・歌があり、それに応える魂がある。歌に呼応して生まれるもうひとつの歌。歌に震える心。その心に動かされる歌。終わらない。続いていく。歌も、私たちも。
・・・小説を書くには、文学的な教養だけでなく、一人前の大人としての人生観・世界観が必要だ。・・若いうちはなかなか客観的な視点が持てない。自分の作品のダメな部分に気づけない。』

2017年9月13日 (水)

よろこびの歌 (宮下奈都著 実業之日本社)

久しぶりに小説を読みました。女子高生たちが成長していく姿が、爽やかに描かれていました。もちろん、今の私の人生にも通じるところ、教えられるところも多々ありました。

『・・・ひとりと孤独は全然違う。この学校にいる私は仮の姿だと思っていれば、孤独でもないし、誰にどう思われようと大した問題ではなかった。
・・・もともと、歌のはじまりはこういうものだったのかもしれない。よろこびや、祈りや、誰かに届けたい思いを調べに乗せる。同級生たちが私に向かって---おそらくは学校一、足の遅い私を励ますために---いつのまにか声を合わせたように。その自然な感情の高まりこそが歌だったんじゃないか。
・・・認めなくてはいけない。余生ではない、本道を生きている人に嫉妬していたことを。
・・・私たちはあちこちで折れたり曲がったりしながら生きていく。余生だと思っていた人生は、もしかしたら母の言うとおり、本編がまだ始まったばかりなのかもしれない。
・・・100%のボコではないのかもしれない。ボコの中にデコが隠れている。ボコがデコを導いてくれる。
・・・夏休みは短くて、移動と発声練習を終えると後は通して一度歌うだけでたちまち時間が過ぎてしまう。きっとこうやって過ぎていくんだろう。何もかも。誰かと心がふれあうときも、すれ違うときも、長かった冬も、すぐそこまで来ている春も。
・・・こんな基礎の練習は、初歩の初歩だと思っていた。でも、初歩の初歩のもっと初歩の平坦な道のまんなかに、大事なものがどっかりと腰を下ろしていたんじゃないか。私はそれを軽んじて、さっさと通り過ぎてしまったような気がする。
・・・あんな歌は私には歌えない。ただ、不思議なことに、それを認めても嫉妬は湧かない。私は、私の歌を歌おう。今はこれだと差し出せるものがなくても、これからじっくり私の歌を見つけようと思う。
・・・千夏は、自由だ。普通なら四苦八苦するような環境にまったく負けていない。いろんなものを自由に好きになる。
・・・千夏には、もっと聴きたい、もっと歌いたい、という強い欲求がある。その強さこそが千夏を輝かせている。
・・・歌はよいものだけれど、よいものがよく歌われてこそ生きて伝わるんじゃないか。
・・・みんな血肉になる。いいところも、悪いところも、私は私で、私から生まれる音楽はどう転んでも私の音楽だ。立派なところだけじゃなく、駄目のところも含めて、どう生きてきたか、どう生きていくか。』

2017年9月 9日 (土)

朝鮮半島はなぜいつも地獄が繰り返されるのか  中国人ですら韓民族に関わりたくない本当の理由 (石平著 徳間書店)

元中国人で現在は日本に帰化した石平氏の著作です。中国人の視点から朝鮮半島の歴史が記述されており、初めて知ることも多く、参考になるところが多くありました。

『・・・他国と結んだ条約や規約についても、あとから難癖をつけて破棄しようとするのが韓国のやり方なのである。
・・・要するに、韓国は日米中のいずれからも不信の目で見られているのである。そしてその原因は、韓国のコウモリ外交にある。いくら「バランサー」を自任していても、実力が伴わないため、結局は「お追従外交」にしかならないのだ。・・朝鮮半島の歴史を振り返れば、自国の内紛に中華王朝を引き込み、その結果、中華王朝の属国にされてしまうということが繰り返されてきた。一方で、属国としての悲しい定めを打ち消すために、「自ら進んで中華の属国となったが、いまや宗主国よりも自分たちの方が得が高い。本当の中華は自分たちの方だ」とうぬぼれるようになった。・・朝鮮半島は国内のゴタゴタを常に他国へ振り向けるからタチが悪いのだ。・・朝鮮半島の歴史を知れば知るほど、はっきり言えば韓民族には「かかわらない」ことが一番だという思いが強くなってくる。日韓併合についても、朝鮮半島に近代化をもたらし、人口を2倍にしたにもかかわらず、韓国は「史上最悪の植民地支配」などと批判している。本書でもふれているが、近代化を拒みつづけてきたのは朝鮮人自身であったのだ。
・・・「史記」によれば、この箕氏朝鮮は殷王朝の28代王である文丁(ぶんてい)の子供である箕氏が、殷を滅ぼした周の武王によって朝鮮に封じられ、殷の遺民を率いて建国したとされている。つまり、もし実在したとしても、中国人がつくった国なのだ。現代において、朝鮮史で確実に立証できているのは衛氏朝鮮である。だがこれも、中国人がつくった国であり、建国は紀元前195年ごろと推定されている。
・・・そもそも「朝鮮」という名称は、明の洪武帝(朱元璋)に「朝鮮」と「和寧」の2つの候補から選んでもらったものである。洪武帝は「朝鮮」の称こそ美しく、古くからの由来があるといって「朝鮮」を選んだ。この「朝鮮」とは「箕氏朝鮮」を指していた。
・・・漢人の明が滅びたなら、儒教の正当性を守るのは朝鮮しかない。朝鮮こそが真の中華だと自尊するまでになったのである。要するに朝鮮人たちは、独自のアイデンティティではなく、あくまで中国の聖人に連なっていることを誇りとしたのである。そして実際に、最初に彼らの国を建国したのは外国人だったという事実があった。・・朝鮮半島が中国の属国から脱したのは、1894~95年の日清戦争で日本が勝利したことによる。日本は清に対して朝鮮を独立国として認めさせたのだ。・・韓国には建国記念日にあたる日がない。・・建国記念日をいつにするかで、現在もなお揉めつづけている。。
・・・よく日本では「韓国と交渉してもすぐにゴールポストをずらされる」と言われるが、議論の基底となる国家観が韓国人自身でまとまっていないため、その時の感情によっていうことが異なるという事態になるのではないだろうか。
・・・中華王朝と宗主国・属国の関係になることは、「冊封」と呼ばれる。属国(冊封国)は宗主国から王や候に任命してもらうと同時に、毎年朝貢することや中華王朝の暦を使用することなどが義務付けられた。
・・・日本の武士が文武両道だったのに比べて、朝鮮半島では文人ばかりが出世して武人は蔑ろにされた。そのため、高麗朝以降の朝鮮軍は他国との戦いが起こると、ほとんど連戦連敗という有様だった。・・科挙試験は、儒教古典をいかに精読し、理解しているかということに重点が置かれた。そのため法学や数学、医学などの実学は身分の低い者の学問として軽視され、儒学は高官の子弟だけに独占されていた。このような実学軽視も李氏朝鮮まで続き、朝鮮の近代化を遅らせる原因となった。・・科挙制度は隋王朝(581~618年)が発明した官僚選抜制度で、ペーパーテストを中心とした試験によって官僚を選抜する制度である。587年に初代皇帝文帝(楊堅)によって創設され、清王朝(1616~1912年)末期の1905年まで、科挙制度は約1300年の長きにわたって中国の官僚選抜制度の骨格となった。
・・・南宋王朝(1127~1279年)になると儒教を再整理して体系化した朱子学が、徐々に御用学問としての地位を確立していった。・・明とそれに続く清の時代では、この「四書五経」を十分に理解しているかどうかが、優秀な人材を官僚に選ぶ決め手になったのである。「絶対的主権者としての皇帝」「皇帝の手足となって土地と人民を支配する官僚」「官僚を選抜する科挙制度」という「3点セット」は、まさに中国独特の政治システムの基本である。
・・・朱子学では儒教の「三綱五倫」(臣の君に対する忠、子の親に対する孝、妻の夫に対する烈の三綱と、孝行、忠誠、夫婦の役割、長幼の序、友への信義の五輪)を絶対とし、儒教だけが尊く、仏教など他の教義はすべて邪道だとする極めて排他性の強い教義である。そのため、李氏朝鮮では「崇儒斥仏」(儒教を敬い、仏教を廃する)が行われ、高麗朝まで多くあった寺院は次々と破壊されていった。
・・・1446年に第4代国王の世宗が、ハングル(訓民正音)という独自の文字を創出したが、中華の漢字を尊んでいた両班(官僚)からは大反対が起こった。・・このような両班階級の反対により、ハングルは婦女子の文字として蔑視されて、ほとんど普及しなかった。ハングルが普及するのは、日韓併合後の日本の教育により漢字ハングル混じり文が使用されるようになってからである。両班階級は、難解な漢字を使用することで、大多数の非識字層の上に立ち、特権階級としての地位を守り続けてきたのである。このため、日韓併合時の朝鮮半島の識字率は6%前後だったと見られている。
・・・戦後の韓国では一転して漢字が廃止され、ハングル表記だけに統治された。しかし、それまで多用していた漢字用語をハングルで表記されたことで、同音異義語が増えて、意味があやふやになってしまったという。中国の属国時代、あるいは日本統治時代を否定するあまり、かえって退化してしまうという現象は、戦後の韓国ではよくみられることである。
・・・李氏朝鮮の儒者たちは、むしろ中華文明の伝統は夷狄の清によって地に堕ちたため、中華の正統は朝鮮だけになったと考えるようになり、朝鮮は清以上に、自国以外のすべての世界を夷狄視するようになった。自分たちこそが世界一だとうぬぼれたわけである。いわば「負けているのに精神的には勝った」と自ら思い込んだわけだが、それは中国の文豪・魯迅が批判した阿Q精神(精神的勝利法)にそっくりでもある。
・・・朝鮮半島が一躍、近代国家になったのは、日韓併合時代(1910~45年)である。現在の韓国人は決して認めようとはしないが、前述のハングル普及も日本統治時代であり、また、人口も李氏朝鮮末期に比べて2倍に増えている。朝鮮半島で道路や上下水道、鉄道などが整備され、人口30万人前後だったソウルは100万人の近代的な大都市に変貌した(1944年の時点で105万人)。
・・・朝鮮半島の歴史を見ると、つねに他力本願であると同時に頑迷固陋であり、内紛をくりかえしては外国を巻き込み、争いを拡大させるということの連続だったとつくづく思い知らされる。
・・・徳川将軍家の場合には、一族の間で権力争いによる殺し合いなどはほとんどなかったが、李朝では王家の親子や兄弟、親族の間で凄惨極まりない殺戮が続いた。
・・・李氏朝鮮には安定した社会をつくるために必要な継続性がなく、政治とは党派を組んで相手を蹴落とすことであり、自分だけが栄えればいいと考えるようになったため、法が軽んじられ、官僚たちは不正蓄財や賄賂に走り、民衆は搾取と収奪の対象でしかなかったと断じている。
・・・朝鮮人の最初の王朝である高句麗からして、内紛と売国的行為によって滅んだのである。囲碁、朝鮮半島には統一新羅、高麗、李氏朝鮮と続くが、いずれも内紛で滅んでいる。・・朝鮮半島の内紛の特徴は、つねに外国勢力を巻き込んでいくことである。・・朝鮮半島での内ゲバは、どんな手段を使っても徹底的に相手を潰すことを目指し、そのためには外国軍の先導役まで務めるのだ。
・・・百済の復興運動に巻き込まれ、利用され、挙句の果てに貧乏くじを引かされたのは日本だったのだ。余談だか、鬼室福信の子孫は、大敗した日本軍とともに日本に渡った。滋賀県に鬼室神社という神社があるが、これはそのときに来日した鬼室福信の一族を祀ったものだという半士だ。
・・・1231年にモンゴルが高麗に来襲してきた。高麗は抗戦してモンゴルを撤退させたが、同時に王朝の首都である開京(現在の開城)を放棄して、江華島という現在のソウル近くの島に都を移し、崔氏は私兵団である三別抄を率いてモンゴル軍に徹底抗戦した。以後、5回にわたるモンゴル軍の攻撃を撃退せしめている。
・・・文官と武官の内ゲバ、武官同士の内ゲバ、王と武官の内ゲバが繰り返され、最後には外国勢力に泣きついて政敵を倒すというのが、高麗時代前半の出来事であった。
・・・第25代国王の忠烈王に即位以降、高麗の王太子は必ず人質としてモンゴル、大元帝国に行かなくてはならなくなった。そして、元朝でモンゴル族の皇族の娘を妃にもらうことが義務付けられた。・・王室についても祖や宗といった呼称は禁じられ、「○○王」とするように定められた。・・大元帝国に対する属国ぶりは徹底しており、高麗では女性を朝貢品として献上することが通例となった。こうした貢ぎ物としての女性は「貢女(コンニョ)」と呼ばれ、高麗朝では数千人が送られたとされている。貢女は美しい処女でなくてはならない。全国から貢女を集めるために高麗政府は結婚都監を置いて国中の結婚を禁止し、さらに寡婦処女推考別監という役所を開設して選別作業を行った。・・この貢女は李氏朝鮮時代まで続き、元帝国以降の歴代中華帝国に女性を献上し続けた。
・・・このような残虐行為を行ったのはモンゴル人だけでなく、多数の高麗人も含まれていたことはいうまでもない。もともと朝鮮人が事大する国のお先棒を担ぐことはよくあった。例えば、李氏朝鮮は明に対して忠誠を誓っていたものの、その後、清に攻められて降伏した後は、清のお先棒を担いで、かつての宗主国である明の遺臣の掃討作戦を徹底的に敢行している。そうした民族性は、近代でもよく見られた。ベトナム戦争では、韓国はアメリカの要請で派兵したが、そのときの韓国軍の残虐さは有名で、村民虐殺はもちろん、現地のベトナム人女性を次々と強姦したため、韓国人の血を引く子供がおおく生まれた。
・・・このときの日本遠征は確かにモンゴルが主導したものだった。だが、2回目の「弘安の役」(1281年)は、高麗王が進言し、主導したものである。
・・・朝鮮半島が、常に大陸における各勢力の消長に左右されてきたことはいうまでもない。中華の主宰者が誰になるかによって、運命は大きく変わる。・・1950年からの朝鮮戦争で中国が介入してきたときには、延安派が力をもった。だが、53年に休戦協定が締結されて中国軍が朝鮮半島から撤退すると、満州派の金日成は延安派を粛清した。これにより中朝関係は悪化するが、朝鮮戦争で中国軍を率いていた延安派支持の彭徳懐が失脚し、満州派とつながりのある林彪が国防部長になったことで、61年には中朝友好協力相互援助条約が結ばれることになった。
・・・李氏朝鮮でも儒教が国教となり、明との正式な冊封関係が成立(1401年)した太宗の時代からは崇儒斥仏が加速した。仏教の力を弱めるために寺院の特権がはく奪された。全土に一万以上あったとされる寺院は次々と破壊され、太宗の時代には88寺院に、世宗の時代には36寺院にまで激減したとされる(「朝鮮王朝実録」)。
・・・両班は朝鮮を「小中華」と称し、大中華である中華帝国の正統な後継国家を自任していた。そのため中華王朝によく使える国として、李氏朝鮮は「東方儀礼の国」を自称していた。
・・・ハングルが広まるのは、李氏朝鮮末期から日韓併合時にかけてである。福沢諭吉やその弟子である井上角五郎による初のハングル使用の新聞発行、あるいは日本統治時代の漢字ハングル混じり文の教育によって、飛躍的に普及したのである。李氏朝鮮は、宗主国以上に儒教に心酔したため、中国同様に近代化がおおいに遅れた。儒教は周の時代の礼を理想とする尚古主義祖先崇拝による家族主義により、進取の気性にかけ、排他的性格があるからだ。
・・・朝鮮史において、歴代の朝鮮王朝が外国軍を打ち負かしたという事例は少なく、むしろ連戦連敗であった。とくに儒教国化していくなかで武臣よりも文臣の地位が高まったことや、党争の激化と混乱に加えて、両班の賄賂政治の横行により民衆からの搾取がひどく、政府軍に対する支援が得られなかったことなどが挙げられている。
・・・西人派は大北派を粛清し、それまでの明と後金との等距離外交を改め、崇明斥金へと転換したのだが、これが悲劇を生む。清による朝鮮半島侵略と、その後の朝鮮の属国化である。またもや党争が国際情勢の判断を誤らせ、現在にも続く韓国人のルサンチマンの元凶をもたらすことになるのだ。
・・・清は、朝鮮が清に反抗した罪とホンタイジの徳を忘れないようにと、1639年に大清皇帝功徳碑を建立させた。この碑は現在もソウルにあるが、「恥辱碑」と呼ばれている。なお、前述した壬辰・丁酉倭乱と、この丁卯・丙子胡乱により、朝鮮民族は外国からの襲来に非常におびえるようになったようだ。王朝内で党争ばかりして国を疲弊させてばかりいるため、自分たちだけでは外国軍に勝てないことを自覚していたのだろう。・・オランダ人のニコラース・ウィットセンは、1690年当時までの朝鮮の情報を集成し、「朝鮮国記-「北及び東ラルタリア誌」-」(生田滋訳、平凡社)を著したが、次のように述べている。「コレー人(編集部注・コリア人=朝鮮人)はタルタル人と日本人をひどく恐れている。というのは彼らはたいへん意気地がないからで、そのため戦争がおこなわれようとする時には、その戦争の数日前に数百人の人々が恐怖心から縊死することが見られる」・・仁祖は清に三跪九叩頭を強いられたという。韓国人にとっては屈辱この上ない王であると同時に、自らの息子と孫を殺したということで、韓国では非常に評判が悪い。
・・・大院君は夷狄相手に国を開いた日本をさげすんでおり、「禽獣と化した日本人と交わる朝鮮人は死刑に処する」という布告まで出している。こうした朝鮮側の非礼に日本の朝野は沸き立ち、征韓論が噴出した。
・・・清の力によって権力を取り戻した閔氏一派は、次第に日本よりも清に頼り、事大の姿勢を強めていくようになる。このように自らの権力維持のために、その時々で頼る外国を変えるというのは、朝鮮半島ではよくみられるものである。
・・・ソウルには「独立門」というものが建っている。多くの韓国人は、日韓併合後に日本から独立したことを記念して建設されたものだと思っているが、それは違う。日清戦争に日本が勝利し、下関条約第一条で朝鮮独立が認められたことを祝して、1897年に完成したものだ。・・この独立門が建てられる以前、そこには「迎恩門」があった。これは歴代の朝鮮の王が、中華王朝の皇帝の使者を迎えるための施設であった。中華王朝の使者が来るときは国王自らが迎恩門にでむいて、使者に対して九叩頭の礼を行っていた。いわば中華王朝の属国であることの証でもあったのだ。この迎恩門が日清戦争後に取り壊され、そのかわりに独立門が建てられたというわけだ。
・・・どんなに改革をやろうとしても、政争の果てに潰されるか、あるいは自ら潰すということが、朝鮮では延々と行われてきたのである。・・ロシアが朝鮮半島に対する影響力を強めていくにつれて、日本は、日清戦争以前と同じような厳しい状況に追い込まれた。日本の朝鮮における権益が奪われると同時に、ロシアの朝鮮半島への勢力拡大による南下が、日本の国防上の最大の脅威となったのだ。
・・・一進会の基本理念は、日本と連携してロシアを含めた西洋列強と対抗し、朝鮮民族の生存と自立を守っていくというものであった。会員数は公称100万人であったが、呉善花氏によれば、最盛期の会員数は、「20万から20数万はあったのではないか」と推測されている。・・1909年2月、宋ビョンジョンは、当時首相であった桂太郎に、「合邦論」を提出して、日本と朝鮮との「合邦」、すなわち両国の合併を提言した(長田彰文氏の前掲書)。「日韓合邦」を最初に言い出したのは、むしろ朝鮮からだったのだ。・・こうした動きが大きな推進力となり、1910年8月には日韓併合条約が締結されることになる。日本との併合を決めた韓国の閣議で、学部大臣(文部大臣)の李ヨンシク以外の全閣僚が賛成したことから見ても、日本側の一方的な強制ではなかったのである。
・・日韓併合により朝鮮半島は日本の一部となったが、朝鮮の本格的な近代化はそのときから始まった。・・イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードは、1894年から97年にかけて4度にわたって朝鮮半島を旅したが、それを記録した著書でソウルと次のように評している。「穢きこと臭きこと世界一の都は京城乎。(中略)市街の中心を西より東に流るふ下水道は市中の汚水を夜に昼に絶えず城外に排泄して居る。其の為に下水道の泥は真っ黒に幾世も昔からの濁水に染められ悪臭を空中に放散して旅人を悩まして居る。」「北京を見るまでわたしはソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、・・」「衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんとした清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、たいていの場合、濃厚な垢のため色変わりしている。不潔ということは朝鮮人の大きな欠陥で、富裕な者でもしばしば虫がついて破れたままの服を着用している」
・・・朝鮮半島はまたたくうちに近代化し、食糧事情から衛生環境までが飛躍的に向上したため、朝鮮半島の人口は、併合時の1313万人から1944年には2512万人へと約2倍にも増えたのである。1929年、カーネギー財団から朝鮮に派遣されたアメリカ人記者は、「日本は併合以来19年間にして、数百年停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国とのあいだに渡橋を架けてやった」と証言している。
・・・元中国人の私からしても、朝鮮人はかなり尊大な民族であり、しかも歴史のねつ造も中国人にまして得意である。
・・・この大韓民国臨時政府には、後に韓国の初代大統領となる李承晩や、呂ウニョン、金九などがいたものの、朝鮮人らしく、つねに内ゲバを続けており、どの国からも政府として認証されなかった。・・臨時政府の主席を務めた金九は、かつて日本人を殺害し、金品を奪ったことのある犯罪者でもあった。
・・・普通に考えれば、日本の敗戦後、アメリカとソ連が朝鮮半島に進駐して支配し、その後、北朝鮮と大韓民国に分かれてそれぞれ独立したのであるから、その日が建国記念日となるというのが一般的だろう。実際、北朝鮮の建国記念日(国慶節)は、朝鮮人民共和国政府が樹立された1948年9月9日である。同じ論法でいえば、大韓民国政府が樹立された1948年8月15日が韓国の建国記念日となるはずである。だが、韓国国内ではこの8月15日を建国記念日にすることについては拒否感が強い。・・韓国の憲法に、現在の韓国は大韓民国臨時政府を前身として成立したことが書かれている・・このことから国定教科書で「1948年建国」としてことは、憲法違反だという反対派の意見もある。・・1919年建国では、国際的に承認されて行われた日韓併合という歴史もなかったことになってしまう。「韓国は日本の強制的侵略下にあっただけで、正統な政府が別にあった」ということになると、日本の敗戦後に3年間も朝鮮半島を統治したアメリカは、侵略国ということになる。だが、アメリカはあくまでも敗戦国・日本の一部としての朝鮮半島の南側を統治したに過ぎない。このように韓国は、抗日を続けたという大韓民国臨時政府から正統性を引き継いだことにしてしまったため、現在もなお建国記念日が作れないでいるのである。
・・・そもそも朝鮮半島は、日本の敗戦後から分裂・騒乱続きであった。現在の南北分断を日本のせいにする韓国人もいるが、それは事実ではない。ポツダム宣言の受諾を事前に知っていた朝鮮総督府は、独立運動家として民衆から人気のあった左翼民族主義者の呂運亨を1945年8月15日に朝鮮総督府へ呼び、治安維持と日本人の生命財産を保証するよう協力を求めた。呂運亨は政治犯の釈放や独立運動への不干渉などを条件に受諾し、その日のうちに朝鮮建国準備委員会を結成した。だから、日本は敗戦後すぐに半島全体の統治権を韓民族自身の手に返している。朝鮮半島が分断されることになったのは、米ソが朝鮮半島に侵入してきたことから始まる。・・やがてアメリカ軍がソウルに進駐してきて、軍政庁が置かれ、管理・統治が始まった。すると、もともと朝鮮建国準備委員会に批判的だった保守派の重鎮・宋鎮禹が、大韓民国臨時政府こそが正当な政府であり、朝鮮人民共和国も朝鮮建国準備委員会も偽物だと主張した。・・このように、せっかく朝鮮人民共和国を設立したのに、朝鮮人による内部抗争、しかも外国勢力を利用するといういつのパターンで崩壊してしまったのだ。そして、行政権もすべてアメリカに握られることになった。南北分断の歴史は、米ソによる分断支配よりも、ある意味ではこうした内紛が原因であった。
・・・1946年3月20日~5月8日まで、第一次米ソ共同委員会がソウルで開かれた。米ソ両国とも朝鮮民主臨時政府の樹立を優先課題としながらも、ソ連は臨時政府から李承晩・金九などの右派勢力を排除するよう主張、これに対してアメリカは逆に、左派勢力による臨時政府支配を阻止する立場をとり、会議はまったく進展しなかった。そのため、米ソ共同委員会は5月8日に無期限休会状態に入った。国土分断の悲劇はそこから始まったのである。もちろん、左右対立の激化に危惧を抱き、左右合作運動を展開する者もいた。それが呂運亨である。先述したように、呂運亨は当初、右派と左派が統合した朝鮮人民共和国を設立したように、穏健な中道左派でもあった。だが、呂運亨は1947年7月に右翼テロ組織の青年に暗殺されてしまう。
・・・金日成も李承晩も、単独政権樹立後に、あらゆる手を使って相手を倒し、南北統一を成し遂げようと考えていたわけだ。しかし本来、祖国統一を理想とするなら、最初からモスクワ協定が提唱した民主臨時政府に参加するのが通常の思考だろうが、両者ともまず単独政権樹立を唱えたのは、自分が権力者になることが重要だったからだ。そして、両社とも政権樹立後に相手を潰すことを目指していたわけであるから、その後に朝鮮戦争が起こることは必然だった。
・・・1947年5月21日から米ソ共同委員会は第二次会合を始めたが、もはや会議をする意味はなく、・・8月12日をもって完全に決裂した。そこから、南北の単独政府樹立の動きは一気に進んだ。アメリカはこれによって信託統治の合意を反故にし、朝鮮半島の戦後処理を国連に委ねた。国連は朝鮮全体での総選挙の実施を決めたものの、北側がこれを拒否したため、南だけの単独国政選挙が1948年5月10日に行われることが決定した。これに対して北では1948年2月、北朝鮮労働党指導下の朝鮮人民軍が創設された。自前の軍隊を持つ政権はもはや政府というしかない。北の金日成政権はこれで完全に国家としての形を整えた。
・・・北朝鮮、韓国の建国は、どう考えても左派と右派の分裂を抗争の結果であり、抗日はいっさい関係がない。だから、韓国で建国年を1919年とすることは、まったく史実に反しているのである。
・・・1948年4月3日、単独選挙反対とアメリカ軍の即時撤退を主張する共産主義者と住民が済州島で武装蜂起し、島内の警察や右翼団体の要人宅を襲った。これに端を発する島民と韓国政府側との衝突、虐殺事件は「済州島4.3事件」と呼ばれている。
・・・反乱軍の占領地域では警察や右派に対する人民裁判が行われ、多くの人々が粛清された。麗水だけでも1200人が殺害されたという。・・韓国政府は、済州島に対して過酷な焦土化作戦を展開した。敵性地域の村は焼かれ、子供から老人、妊婦にいたるまで皆殺しにされた。当然ながら、そのなかには武装勢力と関係のない島民も含まれていた。・・後の調査では、この済州島4.3事件による犠牲は2万5000~3万人と推定されているが、当時の済州島の人口は28万人だったから、約1割が殺害されたことになる。
・・・日本の植民地時代に作りあげられた産業基盤の大半が北朝鮮に残されていたことも、金日成の「祖国統一」にむけての戦争準備には都合が良かった。
・・・李承晩大統領をはじめ、国民を守るはずの韓国軍は我先にと逃げ、敵の追撃を逃れるために漢江にかかる橋を避難民ごと爆破したため(漢江人道橋爆破事件)、逃げ遅れた大量の市民は北朝鮮の攻撃の犠牲となった。・・2015年6月に韓国テレビKBSが報じたところによると、李承晩政権は開戦2日後には早くも日本政府に対して日本での亡命政権の設置を打診していたことが発覚したという(「産経WEST」2015年9月19日付)・・韓国軍は配送時、多くの非戦闘員を虐殺していった。・・敗走する韓国軍は、各地の刑務所に収監されていた政治犯はもちろん、保導連盟員や左派経験者、あるいは危険分子と見なされた者たちなどはほぼ全域で虐殺した(保導連盟事件)。大田刑務所では政治犯1800人が集団虐殺されている。その被害者集は明らかではないが、少なくとも20万人、あるいは120万人という説もある。
・・・アメリカ軍の目的はあくまで38度線の回復であり、その目的のために、それ以北の軍需品の集積地は破壊してもかまわないが、38度線を越えて本格的な軍事侵攻をしてはならない、という方針を示していた。また、国連安保理の決議にも「当該地域の国際平和と安全の回復」と書かれており、国連軍もアメリカ同様、開戦以前の原状回復を目的にしていたことになる。(神谷不二「朝鮮半島-米中対決の原形」中公文庫)。だが、朝鮮戦争の勃発前から筋金入りの「北進統一論者」であった李承晩は、この機に乗じて38度線を越えて北へ攻め込むことを主張した。・・1950年10月1日、韓国軍が率先して38度線を越えたことにより、アメリカ軍も国連軍もこれにつきあわざるを得なくなった。・・作戦指揮権はマッカーサーにあったが、李承晩は大統領の権威を笠に着て、恫喝に近いやり方で韓国軍の中枢部に圧力をかけ、無理やり38度線突破に協力させたのである。・・本来なら開戦から3か月後の1950年9月に終了するはずだった朝鮮半島は、1953年7月の休戦協定まで、3年間にもわたる悲惨な戦争へと発展してしまった。・・朝鮮半島での犠牲者は戦闘員と民間人を含めて600万人ともいわれるが、そのたいはんが1950年10月1日の韓国軍の38度線越えからの戦闘による犠牲者である。
・・・1952年8月、最初の大統領直接選挙が行われ、李承晩が第2代大統領に当選したのである。この一連の権力闘争は、「釜山政治波動」と呼ばれているが、官製デモと議員逮捕により自分の野望を達成させるという、李承晩のなりふり構わぬ権力欲ぶりがよくわかるだろう。しかもこれは朝鮮戦争中のことなのである。
・・・李承晩政権が潰れると、国会は内閣責任制改憲を実現させ、「第2共和国」が成立した。新憲法では大統領の権限が大幅に縮小されて、国務総理が国家の実質的指導者とされた。
・・・1965年の日韓国交正常化により、日本からの経済協力として有償、無償、民間借款あわせて8億ドルという、当時の韓国の国家予算の2.3倍もの資金提供がなされ、さらにベトナム戦争に31万人以上の兵力を派遣したことで、アメリカから経済協力の増額を受けて、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を成し遂げた。
・・・これを「光州事件」というが、韓国政府が確認した犠牲者は民間人168人、軍人・警察27人、負傷者4782人、行方不明者406人に達している。その後も失業者やホームレスといった社会的弱者、あるいは犯罪者や学戦運動家、労働運動家など約4万人を一斉に逮捕させ、軍で過酷な訓練と強制労働を課した。とくに強制労働では暴行などで52人の死者を出し、3000人近くの後遺症や精神障害が残るなど、韓国社会に大きな傷跡を残した。
・・・盧武鉉は不正資金疑惑で野党から弾劾訴追されて一時的に大統領職を停止され(2004年)、2008年の退任後は親族や側近が贈賄で相次いで逮捕、ついに司直の手が自身に及ぶと自宅裏山の崖から投身自殺した(2009年5月23日)。・・韓国の歴代政権にはつねに民衆虐殺や収賄がつきまとっている。それは、これまで朝鮮史で見てきたように、朝鮮民族には公の意識が薄く、権力欲、金銭欲、独占欲といった我欲の強さが国民性として根づいているからではないだろうか。だから韓国での公のために大同団結できず、つねに私欲によって分裂と争いが絶えないのである。
・・・福澤諭吉は喝破していた。「脱亜論」において、中国と朝鮮が儒教を遵奉して、近代化を拒否していることを指摘し、西洋人が中国や朝鮮の悪癖を見て、日本もまた同じだとみられてしまうことは「日本国の一大不幸」だと論じ、中国・朝鮮を隣国だからといって特別視せず、西洋人が彼らに接するのと同じように接すべきだと説いた。近年の朝鮮半島の混乱ぶりを見るにつけ、福澤はまさに慧眼であったといえよう。とくに、元中国人の筆者としては、日本の韓国及び中国に対する姿勢は甘すぎると思わざるを得ない。』

«腸が嫌がる食べ物、喜ぶ食べ物 40歳を過ぎたら知りたい、病気にならない食習慣 (松生恒夫著 SBクリエイティブ)